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アメリカの行方不明研究者の事例にある失踪あるいは「消滅」の強烈な実態(2) :何者かに奪われる「自己制御」と「自分の存在」。そして、子どもたちを導くものの正体

   

[前記事]アメリカの行方不明研究者の事例にある失踪あるいは「消滅」の強烈な実態(1) : 生還者たちが語る状況はまるで「異次元とのコンタクト」にも似て

vanished-usamysteriousuniverse.org

 

前回ご紹介した、北米などでの行方不明事件のケースを分析しているデビッド・ポーリデス(David Paulides)さんの『 411人の行方不明者 (The Missing 411)』の内容を伝えている記事をご紹介する後半です。

411人の行方不明者 (The Missing 411)
missing-411-02bAmazon

前回の記事では、子どものケースが多かったですが、後半は、大人の事例が多くなります。

そして、大人と子どもで違うのは、「大人の行方不明の場合、そこに《恐怖》というキーワードが介入する」ということです。

 

子どもへ提示する世界と大人へ提示する世界の違い

前回の記事の子ども、特に3歳などの小さな子どもが行方不明になった後に救助されたケースでは、子どもたちの多くに、「行方不明になっていた間の記憶に恐怖という観念がない」という共通点があります。

今回ご紹介する記事に出てくる中での若い子どもの例として、リリアン・カーニーちゃんという6歳の女の子の例がありますが、この女の子は発見された後の、「行方不明になっていた間、どこにいたのか」という質問に対して、

森の中の、太陽が一日中のすべての時間に輝いている場所にいた。

と述べていたという供述が残っています。

彼女が行方不明になった間は、くもり、あるいは夜間で、太陽はどこにも出ていなかったとのことですので、何か「通常とは違うような森の中」にいたのかもしれませんが、この「場所の雰囲気」は、恐怖ではなく、その真逆にあるような概念を想起させます。

なお、前回の話には3歳など、本当に小さな子どもの話が出てきていますが、「3歳の子どもの話など適当なものだろう。子どもはいつも夢想しているから」というようなことを思いがちかもしれません。

私も最初そう思いました。

しかし、ふと、私自身が4歳の時に、ある「体験」をしていたことを思い出すのです。それはもう、本当に今でもよく思い出すことがある体験ですが、個人的なことですので詳しくは書かないです。まあ、始まりと顛末はともかくとして、ある日の夕方、遊びの帰りに、海も山も湖も森も城もない茶色の風景が広がる田舎の住宅地で、ふと気づくと私は下のような風景の中に立っていたのでした。

lake-catsletripwow.tripadvisor.com

自分が囲まれている状況に気づいた瞬間、合理的な判断とは別に、私はすぐに振り返り、来た道を全速力で走りました。

このことは、前後のことを含めてここまでとしまして、4歳の時でも、そんな奇妙な事象に巻き込まれるのはこれが初めてでしたし、そして、思い返してみれば、3歳だろうと4歳だろうと「夢想に浸っている」なんてことはなかったです。子どもたちも、毎日毎日、現実の中だけで生きている

どんな子どもでもそうだと思います。大人が考えるより、子どもは現実の中で現実の存在としての考えをもって行動しています。

そういう意味では、少なくとも、3歳の子どもであろうと、その供述は(本人がウソをついているのでなければ)信じていいと思われます。

話がそれましたが、子どもの行方不明の談話の場合は、それほど「恐怖」という概念があるようには感じないという話でした。

しかし、「大人」の例では、そうでもないのです。

 

日常に介入してくる様々な存在

今回の中に出てくる「大人」の例では、

・日常の生活の中で突然、自分の体の制御が他者に奪われる

・自分の存在が他者から切り離される

というような例が出てきます。

詳しくは、本文をお読みになっていただきたいと思いますが、今回の中に、「隣の家から帰る途中」で行方不明になった 19歳の女性の例があります。

発見された後に、事情を聞かれた彼女の言葉には、以下のようにありました。

隣人宅から帰るために歩いていた時、ふいに自分の体が急激におかしな動きをしたのを感じたという。

そして、彼女は自分が行こうとしていた場所とは反対の方向に歩いていることを感じていた。自分の意志とは違う方向に歩きだしているのだ。

この恐ろしい試練の間、目に見えないバリアが彼女の空間を押して、行きたいと思っている方向へ行くことを妨げたと彼女は語った。

おそらく、「突然、自分の体のコントロールが自分のものではなくなった」というようなことになるのでしょうが、これを読んで、以前書きました、アメリカの男性たちの失踪についての記事、

[人間は消えていっている]知性と健康に溢れた男性たちを「死に導く何か」の正体:「そのもの」たちは何を欲しているのか・・・ボストンの行方不明事件の詳細から浮き出る不可解
 2016/07/10

の中に出てくる多くの人々が「本来なら行く必要のない方向に(自主的に)歩いていっている」ということを思い出します。

たとえば、そま記事に出てきた 24歳のエリック・マンセルさんという青年に関する記述には以下のようにあります。

彼は、アパートのあるノースエンドではなく、港に向かって歩いていたことが、マリオットロングワーフ近くの監視カメラでとらえられている。

それから2カ月以上経った 4月23日、エリックは、ロングワーフの港の水中で遺体として発見された。

なぜ、彼が港に向かって歩いていたのか、そして、なぜ水に落ちたのかは説明されることはなかった。

その記事には、同じように、「どうして、その場所に向かっていたのか、その理由がわからない」人ばかりが出てくるのです。

この点については、当時もこの点がひっかかっていたのですが、今回の記事を読んで、この世には、自分の意志とは関係なく「歩かされる」というような概念もあるのかもしれないなと、ふと思いました。

そして、先ほどの「人間は消えていっている…」という記事においては、そのほとんどが、最終的には「水の中で遺体となって発見されている」ということになっていました。

それと比べますと、今回ご紹介する失踪例は、前回記事と動揺、行方不明になった人たちは、全員が無事に発見されるか、自力で戻ってきているものばかりですので、それほど暗い感じではないです。

ただ、個人的な想いとして、

「自分の行動や感覚のコントロール権を他者に奪われる」

という概念は、やや響くものがあります。

なお、今回の例でも、そういう「自分の感覚が自分のものでなくなる」という状態は、精神的な疾病と関係している可能性もないではないとは思います。

比較的重い精神の何らかの疾患の場合、体も心も、本来の意味での自分のものではないということは多々あります。

かつては「離人症」なんていう言葉もありました。これは、今は「解離性障害」等と呼ばれているものだと思われます。

解離性障害 – Wikipedia

自分が自分であるという感覚が失われている状態、まるでカプセルの中にいるような感覚で現実感がなかったり、ある時期の記憶が全くなかったり、いつの間にか自分の知らない場所にいるなどが日常的に起こり、生活面での様々な支障をきたしている状態をさす。

 

しかし、さすがに、行方不明者全員がそれに該当するというのは考えがたいことですし、そのような状態が「日常の中で突然やってくる」というようなことがあれば、そして、それが病気とは関係ないものだとすれば・・・まあ、おそろしいことかどうかはわからないですが、なかなか思うところがあります。

というわけで、今回も比較的長いですので、本文に入ります。

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Bizarre Tales of the Almost Vanished
Mysterious Universe 2016/09/06

ほとんどの失踪にある奇妙な物語(後半)

見えざる力

私たちの理解を超えた力によってなされているようにさえ見える、いくつかの不可解な誘拐に関しては、これを定義したり分類したりすることは難しいことのように思える。それらの奇妙な事例の中には、やや暴力的な気配を持つものもある。

デビッド・ポーリデス(David Paulides)氏によって報告されたものの中に、 1950年代にフランスで行方不明になった女性の話がある。

その女性が川沿いの道を歩いていた時、彼女は、ふいに、説明のつかない(誰がおこなっているのかわからない)力で後ろから無理矢理つかまれ、そのまま彼女は持ち上げられて、茂みまで引っ張られていったと女性は言う。

この時、ちょうど天候が晴れから悪天候へと急変し、そして、どこか上のほうから「行きなさい( “Here you go”)」という声が聞こえたという。その声が聞こえた時に、突然始まった一連の不可解な出来事は突然終わり、彼女はそのまま地面に落下した。

女性は近くの農場まで走って逃げた。

彼女を保護した農家の人は、彼女の胸に大きな赤い手形がついていたと述べる。

 

さらに、隣人の家から戻る途中で姿を消した 19歳の女性の物語がある。

行方不明になった彼女の捜索が行われている中、その女性が突然、彼女の自分の家に現れた。そして、感情を抑えきれずにすすり泣きはじめた。

後で彼女に事情をきくと、彼女が隣人宅から帰るために歩いていた時、ふいに自分の体が急激におかしな動きをしたのを感じたという。

そして、彼女は自分が行こうとしていた場所とは反対の方向に歩いていることを感じていた。

自分の意志とは違う方向に歩きだしているのだ。

この恐ろしい試練の間、目に見えないバリアが彼女の空間を押して、行きたいと思っている方向へ行くことを妨げたと彼女は語った。

夜になってから、彼女は、彼女を探している捜索隊のメンバーの姿を発見した。ところが、捜索隊の人たちは彼女の姿を見ることができないし、彼女がどれだけ声を出しても、彼らには聞こえなかったと彼女は言う。見えないベールが遮断してしまうのだという。

最終的に、そのバリアは取り払われ、彼女は家に帰ることができた。

このケースは、2012年の別の事例と不気味に似ている。

 

2012年9月22日、53歳のリンダ・アルテアガ(Linda Arteaga)は、アーカンソー州オザークの森で彼女の 56歳の兄と一緒にハイキングをしていた時、行方不明になった。

兄は、リンダの姿はハイキングの途中、ずっと見えていたと述べている。しかし、戻ってきた時、リンダの姿は消えていたのだ。

大規模な検索が開始された。

幸い、リンダは森の中でその日のうちに発見された。しかし、全体を取り巻く状況は非常に奇妙なものだった。

何が起きたのかをリンダに質問すると、彼女は、兄と離ればなれになった時のことをどうしても思い出せないでいた。

ハイキングでは、行方不明になった時に彼女は兄と並んで歩いており、彼女は(行方不明になった後に)他のハイカーにも会ったと述べている。しかし、隣の兄とも、そして、他のハイカーたちとも、いかなるコミュニケーションもとることがだきなかったと彼女は言う。

兄もハイカーたちも、そこには誰もいないかのように、リンダのことを見ていなかったのだとという。

また、彼女は、森の中から離れて彼女を見ている「人影」を見たという。

彼女はこのように言う。

「これらの人々は茂みの中に隠れていました。奇妙な人々……とても奇妙な人々でした……」

リンダが捜索隊に発見された時、彼女の精神状態は明瞭ではなかった。中には、リンダが幻覚性の果物を食べたのではないかという人たちもいたが、しかし、現実はわからないままだった。

 

すべての時間が太陽に照らされている場所

他にも分類するのが難しい事例がある。

1897年8月、メイン州で、リリアン・カーニー(Lillian Carney)という名の6歳の少女が、両親がブルーベリーを摘みに出ていた時に行方不明になった。

両親によると、リリアンは、ほんのすぐ目の前で消えたという。

ただちに大規模な捜索がおこなわれたが、手がかりはまったくなかった。

大規模な捜索の後、リリアンは森の中で茫然自失の状態でいるところを発見された。

何が起きたのかを彼女に尋ねると、彼女は、ずっと森のなかにいたと述べた。

その場所は太陽が一日中のすべての時間に輝く場所で、そこにずっといたのだという。

しかし、彼女が行方不明になってから見つかるまでの 46時間の天候は曇りで、太陽は出ていなかった。リリアンが見た「太陽」とは何だったのかわかっていない。

そして、この失踪にどういう意味があったのかもわかっていない。

 

止まった時間

失踪の分類の中には、姿を消したことについて話すことができない、あるいは、話すことを望まない人たちの事例がある。

1978年2月、アメリカのミシガン州で、スキーを滑っている途中で行方不明になったスティーブン・クバッキ(Steven Kubacki)という男性がいる。

スキー場には彼が捨てたスキーのポールが雪の上に落ちていたが、その滑り跡は、突然スキーが止まったことを示していた。そして、彼のバックパックが近くの地面に放り投げられていた。

クバッキが行方不明になった地点は、ミシガン湖の湖畔にとても近かったため、彼は湖に落ちて溺れたのではないかと推測された。

その後の多数の捜索にも関わらず、彼の行方に関して何の手がかりも得ることができなかった。

彼はこのように忽然と姿を消してしまった。

しかし、それから 15ヶ月後、クバッキの父の家を歩いて訪ねた人物がいた。それはクバッキ本人だった。

彼に何が起こったのか、そして、その後の 15ヶ月の間、どこで何をしていたのかを尋ねられた時、彼の話は要領を得ないものばかりだった。

彼が言うには、彼は、父の家から 40マイル(64キロ)先の牧草地で、突然目を覚ましたという。その時、彼は自分のものではない、やや小さめの服を着て、自分のものではないバッグを持っていた。

目覚めた時に、クバッキは自分に何が起きたのかをまったく憶えていなかった。

実際、彼は、行方不明になった時からの時間の経過を感じさせない印象だったという。

スティーブン・クバッキに何が起きたのかは今でも不明で、彼はそれについての話を避け続けている。

 

子どもたちを導くものの正体

1990年10月14日、11歳のケイシー・ホリデー(Casey Holiday)は、アイダホ州のアルダー川の近くで、犬と一緒に歩いている時に行方不明になった。

ケイシーは、発達障害を持つ男の子だった。

彼は、まったく何の痕跡もなく姿を消してしまった。

捜索犬も彼の臭いを見つけることができなかった。

大規模な捜索では手がかりがつかめなかったケイシーは、最終的に、小川の岸で靴を履かない状態で発見された。命に別状はなかった。

何が起こったのか少年に尋ねたが、その時の彼の意識は混濁しており、どこにいたのか、あるいは、なぜ、靴がないのかといったことは思い出せなかった。

 

2013年の夏、2歳の女の子、アンバー・ローズ・スミス(Amber Rose Smith)は、ミシガン州ニウェーゴ郡の自宅のすぐ前で姿を消した。

父親によれば、娘が家の二匹の犬と遊んでいる姿を見続けていて、ほんの少しの間、家の中に入り、すぐに戻った時、アンバーの姿はなかったという。

娘の名前を呼んだが、返事はなかった。

ボランティアを含む数百人におよぶ捜索隊による集中的な捜索がおこなわれた。

翌日、彼女は、すでに十分に捜索されていた、家から2マイル(3.2キロ)離れた場所の道路の真ん中に立っているところを発見された。

見つかった時、アンバーは空中を見つめていた。

彼女はまだ2歳で、自分に何が起こったのかを説明することはできなかったが、発見された時には、ショックと意識障害の状態にあると思われた。

地元の保安官は、この厳しい土地の、しかも夏の気温の森の中を、2歳の女の子が、どのようにして怪我もなく移動して生き残ることができたのか不思議だと発見された夜に述べている。

あるいは、2歳の彼女が 3.2キロの距離をひとりで歩いたのか、あるいは、そうではないかもわかっていない。

 

今回示した事例は、すべて行方不明になったの後に生きて戻ってきた人たちのケースだ。彼らなぜ行方不明になり、そして、なぜ戻ってこられたのか。

彼らに起こったことは何なのだろうか。

これらが、いわゆる原因不明の超常現象と関係があるのかどうかはわからないが、すべてにおいて、私たちの理解を超えており、それは独特な事例であり、どこか魅力的であると同時に、不安を呼ぶ事例の数々ともいえる。