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「病気の存在しない社会」を作ることは可能なのかもしれない : 量子物理学的な医学見地から、病気は「意識と思考」で作られることを確信した日

   

tech.firstpost.com

先日の、

《病気・肉体的苦痛・そしてその治癒の真実》「思考」が人の体と細胞を「実際に変化させる」多数の医学的・科学的証拠が示す未来
 2017/02/05

という記事の中でご紹介した中に、ブルース・リプトンというアメリカの細胞学者の方が書かれた『「思考」のすごい力』という本に関しての記載があります。

Amazon

私自身、この本も書いた方も、その記事を書いている時に初めて知ったもので、その際、Amazon で注文し、昨日届きました。しかし、それなりの内容量がありそうなものでしたし、いろいろ用事などもあり、「まあ、いつか読もう。今はいいや」というようにベッド脇に放置したのですが、今日見ますと、その本の上に別の本が重なり、ブルース・リプトン博士の名前の一部が隠れていました。具体的には、「プトン」の部分が隠れて、

「ブルース・リ」

となっていたのでした。

私は、「ほお」と唸りながら、その現象を眺めていました。

というのも、この「ブルース・リ」という人物は、もちろん芸名ですが、実在しているからでした。

ブルース・リー(Bruce Lee)の映画が大ブームになった後、彼が若くして亡くなったため、「第二のブルース・リーを発掘せよ」という香港映画界のムーブメントの中で、当時の賢明な香港映画の世界は非常に素晴らしいアイディアを現実化したのです。

それは、「名前だけ似せちゃえば良くね?」という芸術性の高い方針で、その中で現れたのが、「ブルース・リ(Bruce Le)」でした。そして、続けて「ブルース・リィ(Bruce Li)」という人も現れ、さらに、続々と「そんなような芸名」の俳優が次々と現れはじめ、香港映画界が「ブルース・〇〇」という芸名だらけになりつつあった時代がありました。

・Google

そういう楽しい時代もあったなあということを思い出し、「名前だけでそのことを思い出させてくれる、このブルース・リプトンという人はただ者ではない」と思うにいたり(どんな価値判断だよ)、その場でこの『思考のすごい力』の目次をめくって、興味がありそうなところをパラパラと読み始めました。

以前も書いたことがありますが、私の読書の態度というのは本当に「なってない」もので、普通の場合は、「適当にめくったところから読み初める」というもので、今回のように最初から興味のあるものに関しては、目次を見て、「興味のありそうなところから読む」というのが習慣になっています。

それはともかく、この本は内容的に非常に論理的で、そして面白いものでした。そして、ブルース・リ・・・じゃない、ブルース・リプトン博士は、細胞学者というように紹介されていましたが、20年以上にわたり、大学で医学生たちを相手に教鞭を取っていたという医学者でもありました。

そのリプトン博士は、「ある時、ふっと今まで自分が学び、そして教えていた科学と医学が基本から間違っていた」ことに気づいたということで、それがたとえば、人間は遺伝子にコントロールされているのではないということや、意志という「エネルギー」が体の状態に影響を与えているというようなことでした。

ブルース・リプトン博士
Consciousness and the Cell

そして、私は、この本を読みまして、最近に至るまで何となく思っていたことが2つほどあるのですが、それは正しいのかもしれないということを知り得ました。

うまく書けるかどうかわかりませんが、そのことを書いてみたいと思います。
 
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人間の体の状態を作り出すもの

この本は、基本的には、「量子物理学」を医学、そして生物学に適用することを強く主張するもので、そして、医学的見地から、

「病気を含むあらゆる体の状態は《意識》によって決められる」

というようなことが理路整然と書かれてあるものです。

この「病気の正体」ということに関しては、このブログでは過去に頻繁に取りあげ続けてきたものでした。

以前は、「病気は「存在」するのかしないのか?… (2014/05/28)」というタイトルの記事などを含め、過去に少し考えては、またわからなくなったりしていたところに、アメリカの医師であるサーノ博士の言う「潜在意識と体の痛みとの関係」などを記事に書いたりしているうちに、「病気は、自分で作り出しているものかもしれない」と確信し始めるようになりました。

そして、先ほどもリンクしました先日の記事「「思考」が人の体と細胞を「実際に変化させる」…」でご紹介したような、「症状は意識が作り出している」というようなことの適用範囲はものすごく広いのではないかと今は思っています。

症状を伴う病気全般と、それに、ガンや心臓病やあるいは、アレルギーなども、その可能性は強いと思うのですけれど、これらの医学的証拠は見いだせていないのですので、それについては書きません。

ただ、以前のいくつかの記事で、「ガンの自然退縮(治癒)の実例は数多く存在する」ということと、それについて調査した研究などから、

「ガンを治すのは意志」

だということを考えざるを得ない面が出てきたことも事実です。

もちろん、治ることだけではなく、「ガンになること」もだと思いますが、発ガン物質のような物質的な側面や、超高齢化社会だから、というだけの理由では、現在のこの「異常な病気の時代」の説明をすることは難しく思うのです。

日本のガンの自然退縮の実例を扱った『幸せはガンがくれた―心が治した12人の記録』は、このあたりが非常によくわかるもので、私はこの本はガンでなくとも、何らかの症状で苦しまれている方には読んでもらいたいものだと思っています。

この本の中に、医学文献の中から集めた 400例のガンの自然退縮を分析したことについてふれている部分があり、その研究をしたエルマー・グリーンという心理学者(この研究をしたのが医学者ではなく心理学者だったというのが面白いです)は、以下のように述べています。

(ガンを自然退縮させた)全員に共通することは、必ず何かの方法を固く信じていたということです。ある人は、人参ジュースが、ガンを殺すと思い続けていましたし、ある人は、グレープフルーツジュースが、また別な人は、高山での生活が、ガンを殺してくれると信じていたんです。

4千個のパンが、ガンを殺すと信じた人もいます。

もちろん、4千個のパンに、ガンを殺す力はありません。しかし、もしあなたが、心からそう信じることができるなら、きっと、そうなるに違いありません。パンでガンを殺すことができるのです。

深く信じる心は、脳の中の視床下部を通じて免疫機能を左右し、高めます。病気に対する態度を変え、心を変え、感情を変えるなら、身体の免疫システムは、必ずそれに反応するのです。

400人が、それぞれに試みた方法は、実に様々でした。結局、一番大切なことは、どんな方法を試みるかということよりも、何かをどこまで信じられるかということなんです。信仰で治ることがあるのも、そのためなのです

これについては、

無視され続けたガンの自然退縮に見る「病気を治せるのは自分だけ」という真実と「言葉の重要性」
 2015/08/07

という記事でふれていますが、この世には、「 4000個のパンを食べてガンを治そうとして治った」人もいるのです。当然、4000個のパンを食べてガンが治る作用機序などあるわけがなく、これは基本的には無意味な行為です。

しかし、ガンは治った。

「病院でガンが治ることもある」のも同じ理由からだと思われます。ですので、もし重い病気で病院にかかるなら、「徹底的にその医療を信じる」ことが大事なのではないでしょうか。4000個のパンに本来のガン治療の意味は存在していないのと同様に、仮に現代医療の方法論にガン治療の意味が存在していないとしても、徹底的に信じれば、医療が 4000個のパンに変わることもあり得るのだと思います。

エルマー・グリーン博士が言うように、

> 結局、一番大切なことは、何かをどこまで信じられるかということ

ということで、意志でガンを含めたどんな病気でも本来は治すことができる・・・というより、どんな病気も、結局「意志で治っている」側面は多そうです。先日の記事で書きました、プラシーボ(偽薬)で症状が治まるのもそうです。「治る」と信じれば、ブドウ糖の塊の粒を飲んだだけで病気は治ってしまう。

19世紀の心理療法家であるフィニアス・クインビー博士(1802 – 1866年)が、「信仰で病気を治した」のも、「神への信念」という暗示の理屈で、これも同じものです。そして、本当に多くの人たちが当時この方法で病気が治ったのです。これについては、こちらの記事で取り上げています。

数多くの人々の病気を治癒させたと思われるイエス・キリストもこの原理を知っていたのだと思います。彼は、おそらく、「奇跡」は人間本来が持っているものだということを知っていたのだと思われます。そして、これこそが「治癒の本質」だと考えると、イエス・キリストという人はやはりすごい存在なのだと再認識させられます。

今の医学では、それらの自然治癒は「例外」として無視されますが、この「例外」というのは、本来、科学・医学では奇妙なことでもあります。

というのも、先ほどのブルース・リプトン博士の記述の中に、

理論というものには例外はあり得ない。例外があるならば、それはその理論が完ぺきではないことを意味している。

というものがあります。

方法が何であろうと、「自然治癒」という実例があるならば、それは本来なら、すべてに適用できる可能性のあること」なのですから、それを研究することは、科学的にもおかしなことだとは思わないのですが、日本でも欧米でも、それについてはあまり議論されていないようです。

ところで、先ほど書きました「最近に至るまで何となく思っていたことが2つほどある」というのはか何かと申しますと、

・風邪やインフルエンザも意識(心)が原因の病気かもしれない

ということと、

・日本で低体重で生まれる赤ちゃんがものすごいペースで増えているが、これは何を示しているのか

ということについて、このブルース・リプトン博士の本で、かなり明瞭にはっきりとした部分があります。

風邪はウイルスが原因である「心の病」だと今は確信を持って言えます、

今回は、「風邪やインフルエンザも意識が原因の病気かもしれない」と思っていたことについて、ややはっきりと確信した部分を『思考のすごい力』から抜粋したいと思います。

この本の中にそういうことが書かれているわけではないですが、「意識と信念」が、病気にどのように作用するかが分かる話です。

 

 

コレラ菌を飲んでも、コレラにならないメカニズム

風邪はウイルスが原因であることがはっきりとしていますが、小さな頃、体が弱く風邪ばかり引いていた私は、かなり昔から疑問だったことは、「なぜ、かぜになる人とならない人がいるのか」ということでした。

原因はウイルスであっても、「発症のトリガーが何か必要なのではないか」という疑問ですね。

何しろ、風邪が流行している時は、そのウイルスは学校でもどこでも、ウヨウヨとしているのに、風邪にかかる人がいて、かからない人がいる。

これをわけているものは何か、ということです。

結論として言えば、トリガーは間違いなく「心」です。

そうではないかと思い続けてはいたのですが、それを確信に変えてくれたブルース・リー博士には感謝したいと思います(まだ間違うのかよ)ブルース・リプトン博士には感謝したいと思います。

なお、「低体重」の赤ちゃんの増加に関しては、

「そのうち日本から子どもが消えちゃうんじゃないか」と思わせる日本をめぐる統計グラフと、それと同じ曲線を描くいくつかの統計
 2015/01/30

という記事で書いたことがあります。

1970年からの低体重で生まれた赤ちゃんの数の推移

wakodo.co.jp

このグラフは、2002年までのものですが、厚生労働省の資料では、その後も増え続けています。

この『思考のすごい力』には、現在の医学でわかっている、赤ちゃんが母体内で低体重になるメカニズムや、そのような赤ちゃんの「成人後の現実」などが大学研究などの例で示されています。

このこともご紹介したと思いますが、いろいろと複雑な上に、わりと重い問題でもあり、独立した記事として、いつかご紹介したいと思います。ただ、いずれにしましても、低体重の赤ちゃんが増えているというのは、その「原因」も「結果」もかなり大きな問題であるということがわかりました。

というわけで、香港映画の混乱時代を思い起こさせてくれたリプトン博士に感謝しつつ、抜粋させていただきます。

なお、この記事中に出て来るペッテンコーファー(1818 – 1901年)という人は、訳注にも書かれてありますが、森鴎外のドイツ留学時代の恩師であるそうで、近代衛生学の父と呼ばれ、下水道の普及など、社会衛生に功績を収められた方でもあります。

マックス・フォン・ペッテンコーファー

森鴎外は自分の孫にこのペッテンコーファー博士の名前である「マックス」を、真樟(まくす)として名づけたほど敬愛していた師だったようです。森家の名字が森ではなく「窓」だったら、窓真樟となり「マッドマックス」というような人の登場となっていたと思うとヒヤヒヤしますね(何の話だ)。

そして、このペッテンコーファー博士という 19世紀の偉大な科学者が行った「実験」が、私に「病気のトリガーの真実」を今にして教えてくれています。

ここからです。


ブルース・リプトン著『思考のすごい力』 第四章 量子物理学が生物学・医学を変える日は近い より

科学者は、遺伝子の「指令」による疾患を心の力で治したというような例を、奇妙な例外として無視するように訓練されている。

だが、例外こそ大事にして研究すべきだとわたしは思う。例外には、生命の本質を理解するための、より強力な手がかりが隠されている。例外の背後に隠された原理を見出せば、それを切り札として、「真実」を打ち立てることができる。

残念なことに、往々にして科学者は、例外を大事にするどころか否定してしまう。心と身体のあいだに相互作用があるという真実を科学者が否定した例を紹介しよう。 十九世紀ドイツの医師、ロベルト・コッホにまつわる話で、二〇〇〇年に『サイエンス』の論文で紹介された。

コッホはパスツールとともに細菌説を確立した。これは細菌やウイルスが疾患の原因となるとする説である。現在では広く受け入れられているが、コッホの時代には論議の的となっていた。

コッホはコレラ菌がコレラの病原体だと主張したが、それに反対するある科学者は、細菌説は絶対に間違っていると信じて、コレラ菌を入れたコップの水を平然と飲み下してみせた。誰もが驚いたことに、この学者は猛毒の病原体にやられずにすんだ。

(訳注:自飲実験を行ったのは、当時、衛生学の権威であったペッテンコーファー。科学的・疫学的にコレラを研究し、環境汚染がコレラの主因であるという説を立て、コッホと対立した。綿密な実験計画に基づいて行われた自飲実験では、ペッテンコーファーは、弟子と二人でコレラ菌を飲んだ。ペッテンコーファーは下痢を起こしたものの、脱水症状は現れなかったので、コレラ菌には感染しなかったと判断される。ちなみにペッテンコーファーは森鴎外のドイツ留学時代の恩師である)

彼は死ぬことなく、しかし、『サイエンス』によれば、彼の批判は「間違っていた」。これは、細菌説が満場一致で支持されていることを反映している。だが本当に「間違っていた」のだろうか。

ある細菌がコレラを引き起こす、という主張に対し、その細菌によって、自分は病気にならないことを示した人がいる。いったいどうしてその人が「間違っていた」ことになるのだろうか。

その人がどうやって恐ろしい病気にかからずにすんだのかを調べようともせずに、科学者たちは、この事例や、その他、科学の理論をそこなうような「厄介な」例外を、無邪気にも捨て去ってしまう。

理論というものには例外はあり得ない。例外があるならば、それはその理論が完ぺきではないことを意味している。


 

ここまでです。

ペッテンコーファー博士が、

> コレラ菌を入れたコップの水を平然と飲み下してみせた。

というようなことができたのは、「コレラの原因は細菌ではない」という強い信念を持っていたからこそでしょう。抗生物質のできるはるか以前の時代に、「コレラにかかる」ことは、とにかく治しようがなかったわけですから、「死」と非常に近かったはずで、少しでもその信念がなければ、コレラ菌など飲めるものではなかったはずです。しかし、博士は実際に「コレラ菌を飲み」、そして、「症状はほとんど出なかった」という結果となっています。

訳注には「コレラ菌には感染しなかったと判断される」とありますが、下痢をしているところを見ると、「ペッテンコーファー博士はちゃんとコレラに感染した」のだと思います。しかし、「コレラは細菌が原因ではない」という信念が強かったために「下痢だけの症状」でコレラが治ったのかもしれません。

こういうひとつの例は、現在も続いていて、もしかすると、これからも続くかもしれない「病気の時代」に、心強いことなのではないでしょうか。

「病気は自分で治せるし、そもそも誰も病気にならない」社会。

「この世から病気をなくする」ということは世迷い言のように思われてきましたが、世の中の「科学と医学の進歩の方向性」によっては、そういう社会を作ることは不可能ではないのかもしれません。

ただ、そういう方向性には主要国の社会全体としては向かっていないのが現実で、その逆の、人間の体を機械として扱う方向のままです。医療に「心」はほとんど介入してません

なので、現状では、社会全体がその方向に進むことを望むこと自体にも厳しい部分がありますので、今はそれぞれの個人レベルで「そう思い込む」ことなどが大事なことかなと思います。

そうすることで、周囲の状況や環境も少しずつ変わっていくのかもしれません。

ブルー・リーに感謝(そっちに感謝してどうする)。