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「悪霊を隠す巫者」 : ウイルスが導いてくれた「医」の意味

   

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久しぶりに風邪を引きました。

ずっと風邪を引いていなかったので懐かしい感じですが、2年くらい前から、風邪は引ける時にはたくさん引いておいたほうがいいという考えになったこともありまして、基本的には「風邪ウェルカム」の態勢で生きていたのですが、ウェルカム状態だと、むしろ風邪を引かないということになってしまっていました。

季節に2、3度は確実に風邪を引いておきたいところですが、風邪らしい風邪を引くのは年に1度とか、そういうことになってしまっています。

そういう意味では、嬉しいといえば嬉しいですし、でも、喉とかが腫れていて、苦しいといえば苦しい。

この「苦しいといえば苦しい」ということに関して、人間は過去何百年に渡って、間違った方法論を進化させてきたということにも、やはり症状を持って、はじめて気づきます。苦しいということに対して「この苦しいというものがなくなればいい」と思うのは仕方ないとして、その手段である対症療法だけが「医」となってしまって、「なぜ苦しくなったのだろう」と内省することを、多くの人々が放棄しているのが現代社会である気がします。

それがどんなに大きな病気であっても、

「なぜ病気になったのだろう」

と考えることは、自分の普段の心の有りようを振り返る最大のチャンスで、おそらくそのために、病気というものは存在していると思われます。最近書いたこともありますが、結局、風邪も含めて「心の病」ですから、病気になるということは、それを振り返るきっかけを作っているとも言えるはずです。

そして、この風邪の中で、ふと、

「医」

という文字はどんな意味なんだろう、と思い調べてみました。

医療とか医者とか医院に使われる「医」です。
 
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まず、辞書的には下のようになります。ちなみに、「医」の旧字は、大きく示しますと下のようになります。

【医】【醫】

※医+殳+酉 〔酉(酒つぼ)+医殳(エイ/しまいこむ)。酒つぼに漬け込んだ薬酒を使って病気を治す人〕

うーん・・・。これだと、医療というのは「病気の人に酒を飲ませる人」という意味になってしまいます。

個人的には、それでもいいのですが、何となく、もう少しありそうで、「医」の旧字体の「醫」という漢字をもう少し詳しく調べてみますと、辞書には下のようにありました。

「医」「醫」の字源

「匸(かくしがまえ)」+「矢」で、矢をかくす容器を意味する。病気などをいやすという意味はない。

これに、動作を表す「殳」を加え、「殹(エイ)」とし、矢をかくす動作(医療のまじないか)を表す文字となり、さらに、「酉(酒壺)」を加えて薬酒を醸す業となった。

酉に代えて、「巫」を用いる異体字「毉」もあり、これは巫術による医療を表したものであろう。

「ほお・・・」と思いました。

「医」とは、本来、「矢を隠す」という意味があり、つまり、おそらく、東アジアでの医療の発祥においては、「病気は矢に例えられていた」ようです。

さらに調べてみますと、「矢」とは「悪霊」を意味するもののようで、結論としては、どうやら「医」という文字は、次の3つの意味が合わさったもののようです。

「医」の意味

・病気の原因の悪霊を「隠す」
・祭壇
・それに携わる巫者

言いやすく書けば、「巫者や巫女さんが祭壇で悪霊を隠す」ことが「医」だったということになるようです。

ここで興味深いのは、

「隠す」

ということになっていて、「滅ぼす」とか「消し去る」とかの、やっつけるというような意味はないことです。

つまり、この語義だと、

「常に悪霊は存在しているけれど、それが《表面に出てきたとき》、それを隠す」

という意味のようです。

お寿司屋さんに家族で行った時など、子どもが大トロやイクラなどの高価格帯のものに興味を示す場合がありますが、その注文はちょっとよろしくない場合に、「常に大トロは存在しているけれど、それがメニューに出てきたとき、それを隠す」ということと似ています(似てないだろ)。

ちなみに、英語で「医」は medicine という言葉となりますが、これは語源は今ひとつはっきりしていないですが、『宗教理論と宗教史―聖と俗の交わる世界』という著作には、

医学を意味する英語 medicine の語源は、ラテン語の medicina であり、「魔法」(呪術・儀式的なものを含む)を意味する medicatus の類義語であったともいわれている。

とあり、漢字にしても、英語にしても、

「医療とは、悪霊を追い出す宗教的儀式」

だったということで、本来、かなり神聖なものだったといえそうです。

ということは、「医」を施すことは、俗から離れた気高い行為であり、それをおこなう人たちこそが「医者」という冠をつけることができたのだと思われます。

 

こう考えますと、漢字ができた頃、あるいはラテン語ができた頃は、「病気は悪霊によるもの」という明確な意味があったようです。

だからこそ、かつての多くの宗教が「病気の治癒」から始まっている。

イエス・キリストのような多くの賢者たちも、そういう意味では、みんな優れた「巫者」だったでしょうし、おそらく、悪霊を「隠せば」病気は治った。

しかし、かつては、祭壇で巫者が悪霊を隠してくれたのかもしれないですが、今の医療は、肉体に対しての物理的な対症療法がほぼすべてですので、悪霊に辿り着けるケースは少なそうです。

そういう意味では、今、巫者(本来の医者)はあまり存在しません。

あまり他者には頼ることはできない時代です。

なので、さきほど書きました、

「なぜ病気になったのだろう(なぜ悪霊が表面に出てきたのだろう)」

ということを自分で問わなければならない。

単なる風邪にしても、それは同じで、自分の中の悪霊と対話しなければならないということになるのかもしれません。

そして、ほぽすべての病気は同じなのでしょう。

 

では、悪霊とは何か。

 

それは最近のいくつかの記事、たとえば、最近では、

《病気・肉体的苦痛・そしてその治癒の真実》「思考」が人の体と細胞を「実際に変化させる」多数の医学的・科学的証拠が示す未来
 2017/02/05

「病気の存在しない社会」を作ることは可能なのかもしれない : 量子物理学的な医学見地から、病気は「意識と思考」で作られることを確信した日
 2017/02/07

などで書きましたように、

「病気を含むあらゆる体の状態は《意識》によって決められる」

というように結論がついています。

たとえば、風邪のウイルスを体内に取り込んだ人たちが誰もかれもが風邪の症状を呈していたら、この社会は存続できないでしょう。おそらく、一般の生活をしているほぼすべての人たちが、その時期になれば、日常的に常に風邪のウイルスが体内に入っているはずです。マスクやうがいや手洗いがウイルスの侵入を防いでいるというようなオカルトを本気で信じている人は実際にはいないはずです。

そして、誰かがたまに発症する。

ウイルスそのものがトリガーになるのではなく、この「発症のトリガー」が心にあるのだと思います。

集団食中毒などでも、実際には「全員が症状を呈するわけではない」わけですが、では、症状が出た人、出ない人のその線引きは何だったのか。そういう調査を心理学をベースにやれば、興味深い結果が得られる気もします。

おそらくすべての例に、発症のトリガーとなる大小さまざまの心理的要因、すなわち「悪霊スイッチ」が見つかるはずです。

チャラ、チャラ、チャラ♪……と、ピタゴラスイッチのテーマ曲を口ずさんでいる場合ではありません。

風邪ごときの小さな「悪霊スイッチ」でも、その原因を考えてみないと、その後も禍根を残したままになりそうな気がします。

そして、病気だけではなく、日々のあらゆる局面で、この悪霊スイッチが働くことがあるのだと認識します。

突きつめれば、人生というのは、それとの共存、あるいは場合によっては戦いなのかもしれません。

それだけに、すべての人は「自分自身が自分に対して優れた巫者(医者)になる必要がある」のかもしれない」と思った次第です。

悪霊スイッチが働かないように…… チャラ、チャラ、チャラ♪……(それはもういいわ)。

あるいは、この「医」という言語の本来の意味を、お医者様たちが認識するようになれば、日本に 30万人以上いるお医者様たちもまたイエス・キリストと違わないような気高い存在になれるのかもしれないです。

そうなるまでは、まあ……現在の「医」とは、なるべく関わらないという生き方も選択としてはあるような気がします。もちろん、それはやはりご自身で決めることです。

というわけで、風邪のウイルスのおかげで、「医」の意味を知り、いろいろと考えさせていただくことができました。

今回はここまでとさせていただきます。

今日はこれからお風呂に入り、その後は、ゆったりとした気分で、ラベンダーとフランキンセンスのエッセンシャルオイルの香りの中、『仁義なき戦い 頂上作戦』の岡友秋組長の温泉での射殺シーンでも見ようと思います(違うのを見なさい)。