In Deep

地球最期のニュースと資料

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死か悪魔かどちらかにとりつかれた国で起き続ける異常な現象が示唆しているかもしれない未来

   

メキシコ・ケレタロ州で撮影された「空中の何か」

mexico-silhouette-01Strange photo of dark ghost shadow sends shivers across Internet

今週の本棚・この3冊 メキシコ 柳下毅一郎・選

毎日新聞 2016/04/17

メキシコは死にとりつかれている。ポサダの絵によって、あるいは髑髏(どくろ)で町が覆われる「死者の日」によって知った人もいるだろう。あるいはサンタ・ムエルテ信仰によって。サンタ・ムエルテは頭巾をかぶった骸骨の像である。

 

最近、地球ブログを書いていて、「今年はメキシコの出来事が多いなあ」と思うことがあります。

この 10日間の間にメキシコでは相次いで火山が噴火していて(参考記事)、また、地震も続いていますが(メキシコ南岸でも地震相次ぐ M5.6とM4.7)、そういう出来事もメキシコでは多いですけれど、一般的な災害とは違う、何だかおかしなものが多いのです。

今年に入ってから、地球ブログでご紹介したメキシコで起きたことには以下のようなものがあります。

2016年03月08日
メキシコの湖全域の水が真っ赤に変色

mexico-red-lagoon

2016年03月06日
メキシコ:シンクホールの発生と共に「一晩で」地底へと消えた川

2016年04月26日
メキシコで「またも川がシンクホールに飲み込まれて突然消滅」。しかも今度は2つの川が同時で、これで今年に入り消えた川は3つめに

2016年01月05日
メキシコ上空の気象レーダーに「奇妙で巨大な渦」が記録される

mexico-rader

2016年03月12日
メキシコのアカプルコの海岸に全長4メートルの正体のわからない「おそらく海洋生物」が打ち上げられる

mexico-creature-02

 

何だかこう、どちらかというと奇妙な出来事が多い感じがしていました。

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メキシコの現象が導いてくれた「メキシコの現実」

ちなみに、冒頭の「空中の何か」の写真はこれらと関係あるものではないですが、最近、メキシコの上空にこのような形が現れたということで、SNS などで話題となっているものです。

オリジナルは下の写真です。

Mystery-shape-sky-MexicoDaily Star

これについて出ている意見としては、

・ムクドリなどの群れによるもの
・レンズの前を虫が飛んだ
・神が現れた(あるいは悪魔が現れた)
・ホログラムの投影による陰謀計画の実験
・画像自体がフェイク

などがあるようですが、まあ、いずれにしても、立て続けにメキシコで妙な感じのことが起きていまして、「これはメキシコに注目しておきなさいというサインなのかなあ」などと思い、少し検索しているところに出てきたページの最初が、冒頭に載せました翻訳家の柳下毅一郎さんが東京新聞に記した文章でした。

冒頭部分が、

> メキシコは死にとりつかれている。

というストレートな始まりの文章ですが、そこにある「死者の日」というのは、聞いたことがあるような、やはりないような。それで調べてみると、下のようなメキシコのお祭りだそうです。

死者の日 (メキシコ) – Wikipedia

死者の日はラテンアメリカ諸国における祝日の一つ。特にメキシコにおいて盛大な祝祭が行われる。

死者の日には家族や友人達が集い、故人への思いを馳せて語り合う。祝祭はカトリックにおける諸聖人の日である11月1日と翌日2日に行われる。地域によっては、10月31日の晩も前夜祭として祝われる。

日本のお盆に近い位置付けであるが、あくまで楽しく明るく祝うのが特徴である。死を恐怖するのではなく、逆にあざ笑うというモチーフとなっている。

> 逆にあざ笑う

とありますが、下のような感じのお祭りらしいです。

メキシコの「死者の日」
day-of-the-dead-01find-travel.jp

day-of-the-dead-02

 

上の写真が載せられていた日本語ページは以下のように始まっていました。

2003年にユネスコの世界遺産に登録された、メキシコの「死者の日」。お盆とハロウィンが一緒にやって来たかのような「死者の日」は、メキシコで年に一度の大騒ぎの日。今回は、街中がカラフルなガイコツに占拠される「死者の日」をご紹介していきます!

「うーむ」と私は唸りました。

なんだこの違和感は・・・。

死や死者を暗く捉えないということ自体は悪くないのかもしれないですが、「死をあざ笑う」というのは・・・。

メキシコという国は、たとえば、1年間の殺人件数が 26000件以上(2013年 / 218カ国中 22位)で、毎日、メキシコ全土で 70件以上の殺人事件が起き続けていることになります。

メキシコは人口 1億2000万人くらいですので、同じくらいの人口の日本の殺人件数はというと、年間 939件(2013年 / 218カ国中 211位)で、30倍ほどの差があります(ソース)。

前回の記事「「私は素晴らしい世界に生まれて、その世界に生きている」」の前半部分には「今、私たちはどんな世界に生きているか」ということを、いくつか最近の報道などからピックアップした部分がありました。

世界は今いろいろと大変で、日本も大変です。しかし、確かに現状の日本の社会はいろいろと大変ではあるとはいえ、上のような数字を見る限り、日本と日本人は根底から「悪」や「悪魔的存在」にのっとられているわけではないとも思います。

ちなみに、殺人率での 211位の日本の下にある国は、

211位 日本
212位 ルクセンブルク
213位 アンドラ
214位 リヒテンシュタイン
215位 モナコ
216位 サンマリノ
217位 ナウル
218位 ニウエ

となっていて、失礼ながら、「アンドラとか、ナウルとかニウエとかどこの国だ?」と思うような国々ばかりで、調べれば、アンドラは人口8万人、ナウルは人口9千人、ニウエにいたっては「人口 1611人」・・・。万はつかない 1611人です。

1611人とかになると、私の住む街の駅から自宅までの道路沿いの建物に住んでいる全部の住人の人々より少ない数ではないでしょうか。よくぞ国家として認められたものだとも思いますが、昨年の NHK の報道で、「日本政府が人口1611人のニウエを国家として承認」というものがありましたので、国家として承認されたのは最近のことのようです。

それはともかく、日本のような人口 1億人以上の国家が、殺人率で上のような位置にいるというのは、なかなかすごいことだと思います。個別で見れば、日本の殺人は、子どもや家族を殺すというような特異なものもわりとあるとはいえ、全体としては上のようなわりと誇るべき位置にあります。

殺人が少なければそれでいいというものではないのかもしれないですが、多いよりは少ないほうがやはりいいことであることは確かでしょうし。

法律云々の問題以前に、「生命の尊重」は、人間の進化として、最も体得しなければならいなことのひとつであると思うからです。

 

シウダード・フアレスという名の「地獄」

冒頭の柳下毅一郎さんの毎日新聞の記事に、メキシコのシウダード・フアレスという街のことについてふれられている部分があります。

麻薬戦争はNAFTA(北米自由貿易協定)が産み落とした鬼子なのだとも言える。

その最悪の果実がシウダード・フアレスの連続殺人である。米墨国境の工場の町では、数十年にわたり、数百人の女性が死亡、あるいは行方不明になりつづけている。犯人も動機もわからないままの殺人事件は、まるで避けようがない天災か何かのようにも感じられる。

定期的に降ってくる死の中で生きるとはいかなるものだろうか?

このシウダード・フアレスは「戦争地帯を除くと世界で最も危険な都市」ともいわれるメキシコの街だそうですが、私は、この「シウダード・フアレスの連続殺人」というものを知りませんでした。

それで調べてみますと、やはりまた、柳下毅一郎さんの文章に行き当たったのですが、以下のような事件だったようです。全体として部分を抜粋したもので、(略)という言葉を入れていません。

『2666』とシウダード・フアレス連続殺人

映画評論家日記 2012/11/28

シウダード・フアレス連続殺人事件には明確なはじまりもなく終わりもない。

当局が最初に事件を認識したのは1993年1月のことである。この年、シウダード・フアレスで17人の死体が発見された。殺され、砂漠に捨てられていた。死体には胸に傷がつけられていた。翌年は8件の殺人事件が発生した。95年には9月までに19人が殺された。

1996年の残りで最低でも16人が殺された。翌年は17人。98年は23人。そのうち半分くらいは死体の身元が判明しないままだったし、行方不明者はこれに倍するほどいた。

通算殺害数はおそらく120人から150人のあいだ。これが単独犯なのか、模倣犯がいるのか、何組かの殺人集団がバラバラに活動しているのか、誰にもわからなかった。2000年には死亡者が200人に達した。

2004年現在の死者、350人以上。

これでも十分にものすごい数の連続殺人なのですけれど、さらに調べてみますと、この「シウダード・フアレス連続殺人事件」は、英語版 Wikipedia では、独立した項目として取り上げられていまして、そこにあるグラフが、このシウダード・フアレスという街の、「地獄のような壮絶さ」をあらわしています。

Cd_Juarez_murder_rate_chartFemale homicides in Ciudad Juarez

 

シウダード・フアレスの場所
Cd-Juarez-map

 

上のグラフは、シウダード・フアレス全体での死亡数ですが、「女性連続殺人」だけに関してでは、先ほどの記事では、2004年までに 350人以上の女性の死者数に達しているとありますが、Wikiepdia によると、その後も、シウダード・フアレスでは、

・2010年 247人の女性が殺される
・2011年 300人以上の女性が殺される

というようなことになっているようで、現時点ではどのようなことになっているのかわからないですが、こんな大量殺人のことを私は知りませんでしたし、それほど大きく報じられたこともないような・・・。

ここまで命を軽視しているというのは、もう何とも言いようがないですけれど、

・この連続殺人で殺されているのが女性だけ

ということと、

・動機がわからない

というあたり、とても悪魔「的」な雰囲気はあります。さらに、「行方不明者の数はその倍にも達する」というあたりも、途方もない何かが起き続けているということなのかもしれません。

性犯罪的な理由では、ここまでの数までには肥大しないでしょうし。

 

何だか、今回、成り行きで記事を書いていましたら、こういう妙な展開になったのですが、前回の記事は、社会ではなく個人、つまり「ひとりひとり」についての話で、ひとりひとりが自分自身を良好に保てば、周囲で何が起きても、状況に心をとられることなく生きていくことも可能かもしれない・・・というようなことを書いたつもりでした。

しかし、私たちは常に「環境の中に生きている」わけで、つまり、基本的に全員が「社会」の中に生きているという事実があります。

ですので、その社会の状態が、個人にまったく影響を与えないでいられるというわけにはいかない気がします。

つまり、極端な話、今私たちが住んでいる街が先ほどのシウダード・フアレスのようになってしまって、それでも、「今日はいい日だ」と言って生きられるかというと、それは無理というか、そういう状況でそう言うこと自体に「心の矛盾」が生じそうで、やはりある程度は、社会の状況というのも適度に「まとも」であり続けるほうがいいわけで。

それでも、根本的には、私たちはどんな「地獄に生きていても」、やはり「今日はいい日だ」と言えるようになるべきではあるのでしょうけれど。

そこまで日本の社会が悪化していくとは思いたくないですが、メキシコにしても、アステカ文明の優れた集団の時代から、たった 500年くらいしか経っていないですからね。それにメキシコが今のような「殺人状態」になったのは、麻薬戦争が激化したこの 10年くらいのことだと思います。

変わる時は一気に変わるのだなあと。

まあ、世界にしても日本にしても、一応は「いろいろな未来」というものを想定して生きることも必要なのかなと。

死の国メキシコのいくつかのことから、そんなことを思っていました。