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11月14日にメルマガ「自由という幻想。そして、村上名誉教授によるワクチン後データの発表や3I/アトラスの今」を発行させていただきました。

2021年からの世界 ディストピアへようこそ 人類の未来 人類の覚醒と真実

イディオット・ワールドへの順応に反抗するために

投稿日:2025年8月17日 更新日:




人間が変化したのは2021年からなのか、それ以前からなのか

毎日わりと暑いんですけれど、まあ夏なので仕方ないことなんですが、夜に眠っているときに、頻繁に暑さでいうのか何というのか、目が覚めることが多くて、まあ、「真夜中の多面的な覚醒」といった感じでしょうか(かっこいい表現に落ち着かせるのかよ)。

それはどうでもいいんですが、それにより、すなわち日中眠くなることが多くなりまして、午後に眠くなってしまう ... zzz...... (あー落ちた)。

そんなわけで、寝不足とバイデン氏病に一気に襲われる感じで、何だか難しい話の記事を読んでも頭に入らなくて、X とか見てたんですよ。そうしましたら、哲学者だというステファン・モリニュー (Stefan Molyneux)という人の投稿がありまして、以下のように書いていたんですね。

ステファン・モリニューさんの投稿

ちょっと聞いてほしいんだが、自分は 5年半も Twitter から離れていた。

それで、コロナとワクチン以降、なんか人々が前と違うように感じるんだよ。

なんというか、頭がおかしくなってしまったんじゃないかって思うんだ。

そんなこと感じるの私だけかな?

コロナ以降、人って変わった?

StefanMolyneux

そして、コメントのへの返答として、

モリニューさんの返答:そう、魂がない。冷たい。激しいけど熱血じゃない。説明するのは難しいけれど。

など書かれていまして(こちらに投稿とコメントをまとめています)。

このあたりは、3年くらい前に書いた以下の記事を彷彿とさせるような部分もありまして、何となく理解できなくもないところではあります。

2021年以来、人間のエネルギーは変わってしまったのだろうか
In Deep 2022年10月9日

 

このこと自体はともかくとして、この投稿に対してのコメントに以下のようなものがありました。

> その気持ち、わかるけど、たいていは正当化されるよね、だって今や周りはバカばっかりだもの。

これを読んで、「うーむ……」と唸りながら考えているうちに、結局、また眠ってしまったのですが、再び起きて、また「うーむ……」と唸りながら、また眠ってしまいました(何なんだよ)。

まあしかし、「どうなんだろうなあ」とかは思います。

バカという言葉はともかく、

「やけに人々の思考や感情が単純になった気がする」

とは思ってはいます。

ただ、この理由は、ワクチン云々という以前に、現在の SNS や AI 文化が作り出している部分もあるのかなあとは思います。

以前、米ブラウンストーン研究所所長のジェフリー・タッカーさんが、「なんでも短縮する時代」について、米エポックタイムズに寄稿していた文章を以下でご紹介したことがあります。

ソーシャルメディア社会が生み出す、あらゆるものの短縮化と無思考が作り出す「文明の衰退局面」
In Deep 2025年4月26日

 

ジェフリー・タッカーさんの記事のタイトルは「大短縮(The Great Shortening)」というものでした。

SNS などによって、思考が短絡化してしまっている…というより、長いものを理解するのが難しくなっていると。

話は、乗車したタクシーの運転手さんとの会話で始まりますが、運転手さんが以下のように述べていたことにふれています。

「ソーシャルメディアで、誰もが、意味のないコンテンツから 3秒、4秒の瞬間的な満足感を得るために、スクロールして日々を過ごしています。そのため、長々と意味のある物語に我慢できなくなっています」

私はよく知らないですが、TikTok など短い動画を主体とするメディアでは、10秒から 15秒くらいの作品(?)が主流だそうで、そして、それを探すためのスクロールは数秒の世界。

「娯楽を探して、それを最後まで鑑賞する」という行為が、十数秒で終わってしまう世界。

それが良いとか悪いとかの話ではないですが、これは娯楽だけではなく「議論」にも及んでいるようで、数秒単位で収束に向かう、つまり「反応」だけのコメントになってきているようです。

「考えてから、反論したり同意したり質問したりする」ということは少なくなり、その瞬時の自分の感情から出たものだけで即応するという、まあ、一種の動物的な反応がインターネットの世界では今では普通のようです。

そんなことを考えながら、いくつかメディアを見ていましたら、オフ-ガーディアンというメディアの「最悪の事態を想定する」というタイトルの記事が目につきました。寄稿文です。

そして、ちょっと読んだのですが、これが読みにくい。

「何書いてんだかよくわかんないよ」

とさえ思うような文章でした。

「…もしや、こんなわからない文章を書くとすれば、あの人では?」

と思い、寄稿者のお名前を見ますと「トッド・ヘイエン博士」とあったのでした。

「あー、あなたか…」

と、過去に翻訳に悪戦苦闘したヘイエン博士の記事を思い出したりしてしまた。ヘイエン博士は、カナダの心理療法士で、ユング派心理学と「元型心理学」を専門としているという方です。

過去に以下のふたつの記事でご紹介したことがあります。

生活全般に「服従」コンプライアンスが浸透していく中、服従しない者はどう生きるか
In Deep 2025年2月16日

 

「憎しみや恐怖は完全な幻想」だという元型心理学者の主張を読んで
In Deep 2024年12月17日

 

最初の方の記事に私は以下のように書いています。

2025年2月16日の In Deep より

以前、アメリカの「元型心理学を専門とする心理療法士」であるトッド・ヘイエン博士という方の文章を翻訳したことがありました

この文章は、言いたいことは何となくわかるのだけど、「やっぱり何言ってんだかよくわからない」という部分も多い、要領を得たような得ないような奇妙な文章でしたが、ただ、雰囲気として好きだったので、ご紹介させていただいた次第でした。

最近、このトッド・ヘイエン博士の新しい寄稿文を読みました。これもまた、どちらかというと「要領を得ない部分が強い」文章でしたが、それでも、何となくわかるようなわからないような…というものでもあります。

indeep.jp

今回ご紹介しようと思う文章は、さらに「ポイントが何なのか」が(少なくとも私には)わかりづらいものでした。

しかし、先ほどの X の哲学者の方へのコメントにあった、

> その気持ち、わかるけど、たいていは正当化されるよね、だって今や周りはバカばっかりだもの。

と、どことなく呼応する部分もないではないものです。

翻訳も何だか大変で、たとえば、原文で、

> Those with an IQ of 0 to 25, were called idiots, 26 to 50 were called imbeciles and 51 to 70 were called morons

という部分があります。

これを Google で自動翻訳にすると、上の太字の部分はすべて以下のようになるのです。

> かつて、IQが0~25の人は「バカ」、26~50の人は「バカ」、51~70の人は「バカ」と呼ばれていた。

と、全部「バカ」でまとめられて翻訳されてしまうのです。

実際には、idiot と imbecile と moron なんですけれど(意味合いが強いものから弱いものの順)、さて、日本語では、それぞれ、どう表現すればいいのか。基本的には注釈をつけさせていただきます。

逆にいえば、日本語には比較的、誹謗中傷語というのは少ないものなのかもしれないなあとか思いますが、そもそも、日本語のバカって悪い意味だけではないですからね。

たとえば、女性が男性に、「あなたってバカね…」と言ったり、男性が女性に「バカだな、君は…」とか言えば、どちらも恋の始まりのシチュエーションだったりさえするようなドラマなどもあるほどで、言葉というか、日本語は難しいもんです。

やはり恋の始まりといえば…(その話はもうええわ)。

ともかく、やや難解ながらも、元型心理学者のトッド・ヘイエン博士の寄稿文をご紹介させていただきます。





最悪の事態を想定する

Assuming the Worst
Todd Hayen 2025/08/02


トッド・ヘイエン博士

昔は、人々はかなり賢いと私は思っていた。つまり、通りを歩いているときや混雑したショッピングモールを歩いているとき、出会う人のほとんどがある程度の知能レベルにあると確信していたのだ。

それはなんというのか、平均 IQ は100だっただろうか? IQ がかなり低いレベルとなると、IQ が低い人のグループの数はどんどん少なくなっていく。これは典型的なベルカーブのような感じだ。ベルカーブの真ん中が IQ100 程度の人の数で、その両側の外れ値は IQ が低くなったり高くなったりする。

私もそう思っていた。

どういうわけか、「見かける」人のほとんどがまったくのバカ者 (※ ここでは moron )ではないと分かっている方が安心感があった。

たとえ店で人と交流したり、偶然誰かにばったり会って言葉を交わしたりしたとしても、遠い惑星で、生身の人間とのコミュニケーション経験がまったくない人型のエイリアン(あるいはトカゲ人間)と会話をしているような気分にはならなかったのだ。

誤解しないでほしい。私が「まったくのバカ(moron)」という表現を使ったのは、IQ の低い人を軽蔑しているからではない。

かつて心理学者たちは、IQ のレベルを表すのに「バカ、無知な人、白痴 (※ 順に moron 、imbecile 、idiot。右に行くほど強い表現)」という用語を公式に使っていた。(IQ が 0~ 25の人は「白痴(idiot)」、26~ 50の人は「無知 (imbecile)」、51~ 70の人は「バカ (moron)」と呼ばれていた)

もちろん、今ではこれらの言葉は不快とみなされ、もはや使われない(私のような無神経なバカ (※ここでは dickwhack という単語)は別だが)。そんなわけで、私は不快な意味で言ったわけではない(まあ、この記事の文脈では不快な意味合いで使われているかもしれないが)。

当時は気づいていなかったのだが、私が観察していたのは IQ や知能とはほとんど関係がなく、むしろ「常識」に関するものだった

もちろん、「常識」の度合いが IQ や知能に直接関係する場合もあるが、IQ の高い人と一緒にいる方が安心できるというのは、論理的な前提ではなかった。

私が安心感を覚えたのは、IQ ではなく「常識的な要素」、つまり脳脊髄液(CSF)だった。当時は、ほとんどの人が少なくとも平均的な CSF を持っているという前提を私は持っていた(※ 脳脊髄液は、脳と脊髄の周囲を満たしている無色透明の液体)

こうして人生は続いてきた。同じような人間たちに囲まれて生きてきたと思っていた。ハハハ。

しかし、私の推測が正しかったかどうかは分からないが、当時は今よりも(ほとんどの人が平均的な脳脊髄液を持っているという考えは)正確だったと思う。

なぜなら、実際、今では、ショッピングモール、路上、混雑した劇場など、私が何気なく出会う人全員が平均的な脳脊髄液を持っているとは考えられないからだ

むしろ、そうではないことは明らかだ。たとえ見た目や行動から明らかでなくても、私が出会うほとんどの人が脳脊髄液のスケールでは平均以下であることはほぼ確実だ。

この結論は、私が長年(2019年以来)かけて、人々とその行動、そしてコロナ、ワクチン、政治、世界情勢、新世界秩序の取り組みなどに関する理解の欠如を評価するために集中的に取り組んだ結果に基づいている

しかし、残念ながら、私の評価はあまりうまくいっていない。

確かに、人類が突如として何らかの宇宙放射線にさらされ、影響を受けたのか(60年代のSFスリラー映画のように)、それとも電磁波、5G、フッ化物、毒性の強い水、ワクチン、薬物全般、食品、その他何らかのものが、これほど多くの人々の精神を蝕んだのか、私には知る由もない。

あるいは、DNA 操作や脳のスパイクタンパク質への影響のように、これが最近の現象なのかもわからない(しかし、もし、それほど最近のことが原因だとしたら、そもそもなぜ人々がコロナワクチンを接種したのか説明がつかない)。

もし本当に何十年も前から影響を受けている人がいるとしたら、若い頃の私は誤った幻想を抱いていたことになる。

普段から接している大勢の人たちは「安全」だと私は思い込んでいた。おそらくは、決して安全ではなかったのだろう。しかし、テレビや映画などは、(少なくともほとんどの作品は)平均的な一般人は皆、比較的同じような存在であるという印象を与えていた。

人々は、皆、同じ恐怖、同じ欲望、同じ誤解、そして何よりも、同じレベルの常識を持っているのだと伝えられていた。

面白半分に、この現実(ほとんどの人の脳脊髄液値が許容範囲を下回っているという推測)がごく最近のことだと仮定してみよう。こう仮定することで、このすべてに取り組みやすくなる。

そうすれば、このすべてにアジェンダの手が及んでいることに気づきやすくなる。アジェンダは数十年、いや数世紀もの間(ヘビがイブにリンゴを食べさせたときからではないにしても)、一種の魔術を行使してきたが、この魔法の瞬間に、この干渉のほとんどが最近のこと、つまり過去 150年以内に起こったと仮定してみよう。

第一次世界大戦中に大規模な操作キャンペーンが始まり、20世紀を通して、そして今 21世紀に入っても本格的に続いている。

つまり、もしかしたら、このアジェンダが一般人に与える影響は、ここ 30年ほどで増大し、しかも指数関数的に「増大」していると言えるかもしれない

過去 10年間で倍増したということだ。

つまり、私が子どもの頃の大衆は、今の大衆よりも「普通」だったということだ。だから、晴れた日に道を歩いている時に、一見問題がなさそうに見えても、いざ問題が起きたらまったく無能かもしれない人に出会うようなことがあれば、「最悪の事態を想定する」理由が増えるのだ。

だから、それがどうしたかって? もしこれが本当なら、私たちは自分が思っている以上に気を張って生きていなければならないということだ

何か問題が起きた場合に備えて、常に計画を立てておく必要がある。なぜなら、街やショッピングモールで隣に座っている人が助けてくれる可能性は低いからだ。

これは悪いことだろうか? 必ずしもそうではないと彼らは伝えた。

彼らが私たちを援助している限り、私たちは危険にさらされることはないと何年も私たちを説得しようとしてきた。

誰も銃を持ち歩いたり、武器を手元に置いておく必要はないと。なぜなら、近くにいる可能性のある犯罪者は、政府の努力(警察など)によって鎮圧されるからと。

自分や家族の安全は政府が守ってくれるので、責任を持つ必要はないと。

政府が運営する医療制度は、より多くの薬、より多くの水や空気中の化学物質などで私たちをケアする方法を知っているので、自分で健康に気を配る必要はないと。

あなたは安全だと。なぜならアジェンダがあなたと環境を制御してあなたを安全にするからだと。

しかし、現実には、あなたは安全ではない。まったく安全ではない。気づき、責任を持ち、そして考える必要がある


 

ここまでです。

今回も要領を得ないような、言いたいことはわかるような、そんな文章でしたが、前半と後半では、話が変化しています。それぞれ、やはり、わかる部分もあるような、ないような。それでも、なぜかいつも気にはなるトッド・ヘイエン博士の文章ではあります。

しかし、私の観点からは、何十年も前からのアジェンダやプロパガンダとはまた別に、2021年以来の人間の変化は感じてはいます。

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  • この記事を書いた人

Oka In Deep

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