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6月20日にメルマガ宇宙を存続させている生者と死者の人間たちを発行させていただきました。

人類の覚醒と真実 健康の真実

ベンゾジアゼピンにより地獄の人生を経験しているアメリカ人女性の手記

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世界で最もベンゾジアゼピンを処方されている日本では…

科学医学系のウェブサイトであるマッド・イン・アメリカにベンゾジアゼピン系の離脱症状 (ベンゾジアゼピン誘発性神経機能障害)に 6年間苦しんでいるレベッカ・クリナードさんという女性の記事が掲載されていました。

先週のメルマガで、その一部をご紹介したのですが、オリジナルの記事は非常に長いもので、今日改めて全部を読んでいまして、

「ベンゾジアゼピン被害者の体験談としては、過去最も参考になるものなのではないか」

とつくづく思ったのです。

ベンゾジアゼピンは、アメリカでは、年間 9200万件以上処方されている薬ですが、しかし、もうひとつの話として、

「日本は世界で最もベンゾジアゼピンを処方されている国のひとつ」

であり、アメリカどころではない可能性があります。

ちょっと古い統計ですけれど、世界のベンゾジアゼピンの処方の比較があります。毎日新聞に掲載されていたものです。

人口1000人あたりのベンゾジアゼピンの使用量の比較

mainichi.jp

人口 1000人あたり 54という数値は(重複処方の多い薬剤ですので、一概には言えないですが)、20人に 1人くらいは処方されていた可能性があるということなのかもしれません。

それに加えて、処方されるときに医師から「ベンゾジアゼピンです」と言って処方されることはあまりないと思いますので、自分が処方されているのがベンゾジアゼピンか、そうではないかもわからない場合も多いと思います。

ベンゾジアゼピンはたくさんありますが、日本で頻繁に処方されるあたりでは、以下のような商品名です。もちろん、他にもいろいろあります。


cocoromi-mental.jp

日本では、デパスとかソラナックスなどがよく処方されるものではないでしょうか。これらの薬は内科の分野でも処方されることがあるので、「それが抗不安剤なのかどうかもわからずに」服用している人もいるかもしれません。

私なんて二十代に処方されていたのは、上にあるレキソタン(抗不安作用:強)とリボトリール(抗不安作用:強)でしたからね。こんな強いのを長く飲んで、後に影響が出ないわけはないことが今にしてわかります。

もちろん、ベンゾジアゼピンを「長期服用した場合に問題が出る」ということであり、あくまで短期間、何らかの理由で服用することには、それほど問題はありません。

しかし、ベンゾジアゼピンは、非常に依存に陥りやすい薬ですので、かなり多くの人が長期服用となっていると思われます。

そのあたりは、以下の記事などでふれています。

ベンゾジアゼピン断薬マニュアル
In Deep 2024年11月4日

今回のレベッカさんの記事にも、

この薬は私にとって不眠症を治す薬であり、瓶に入った安らぎの薬だった。

という記述があります。不安症やパニック障害の人にとって、誰にとってもベンゾジアゼピンは「安らぎの薬」です。離脱症状を起こすまでは。

ベンゾジアゼピンは効く人にはとてもよく効きますけれど、場合によっては、その代償は大きいです。

ただ、「代替となる薬があまりない」のも事実で、何となく SSRI を処方する医師もいますけれど、こちらはもっと悪い

まあしかし、私自身の場合は、離脱症状も「自業自得」と考えていました。医師などに対しての恨みや反感はまったくなかったですね。自分が起こしたあらゆる事態は、自分に責任があると思いますし。

全然関係ないですが、前回の記事のボー・イン・ラーが言う、

> 誤りと混乱から抜け出して最終的に自分自身へと導く長く困難な道のりで私たちに課せられたすべての重荷を、自分自身のために喜んで受け入れることだ。

なんてのを読みまして、「まあ、苦痛を愛するのは無理だが、それは自分の罪と責任くらいだとは思うかもなあ」と。

これは「自分が無知だった」という罪です。だまされるということ自体がすでに一つの悪である、という罪です。

こんな話の脱線をしている場合ではないですね。

かなり長いですので、レベッカ・クリナードさんの記事をここから始めます。太字はこちらで施しています。

なお、この記事の終盤のセクションは、医療体制をどのようにするべきか、とか、医師への責任の追及などが書かれているのですが、アメリカと日本では、いろいろと違う部分もありますので、そこは短くしています。





ベンゾの不意打ち:知っていさえすれば

Blindsided by Benzos: Had I Known
Rebecca Clinard 2025/05/28

何百万人ものアメリカ人に処方されている薬が、私たちの心身の健康をゆっくりと蝕んでいる。

あまりにも多くの医師が、その長期的な影響、あるいはこれらの薬の使用を中止すると、患者が容赦ない精神的・肉体的苦痛に陥り、何年も続く悪夢に陥る可能性があるという恐ろしい真実を明らかにしていない。

回復に要する時間は不確実だ。時には、生き残れるかどうかさえ疑問に思うこともある。私自身が経験したので、その気持ちはよく分かる。

ベンゾジアゼピン誘発性神経機能障害(BIND)は、ベンゾジアゼピンを服用している人、特に長期服用している人に、気づかずに発症する症状だ。

米国では年間 9,200万件以上のベンゾジアゼピン処方箋が発行されているが、医師は長期服用による深刻な結果や、離脱と回復という人生を一変させるほどの壊滅的なプロセスについて、患者に十分に説明していない。

米国で一般的なベンゾジアゼピンのリスト:アティバン(ロラゼパム / 日本ではワイパックスなど)、クロノピン(クロナゼパム / 日本ではリボトリールなど)、ザナックス(アルプラゾラム / 日本ではソラナックスなど)、バリウム(ジアゼパム / 日本ではセルシンなど)。

 

BIND とは何か

BIND とは、ベンゾジアゼピンを積極的に使用している間、または徐々に減らしているときに発現する可能性のある、あるいはベンゾジアゼピンの服用を中止した後も長期間持続する可能性のある、さまざまな症状を指す。

・認知障害:記憶、集中力、情報処理の困難。

・心理的症状:不安、気分変動、うつ病、重篤な場合には幻覚。

・身体的症状:めまい、頭痛、筋力低下、胃腸障害。

・睡眠障害:不眠症または過度の眠気。

・感覚の変化:光や騒音に対する敏感さが増す。

・運動障害:震えおよび協調運動障害。

 

知っていさえすれば

医師が患者たちには隠してきた、この衝撃的な事実について、私は 2年以上も考え続けてきた。

ただ一つ言えるのは、声を上げなければならないということだ。他の人々に警告し、意識を高めるために。これからお話しすることは信じられないかもしれないが、悲しいことに、知らず知らずのうちにベンゾジアゼピンに生理的依存をしてしまった無数の人々の心に、ゾッとするような衝撃を与えるだろう。

服用をやめた時、彼らは不意を突かれ、心身に影響を及ぼす化学的脳損傷の恐怖に突き落とされた。

 

バックトラック

20年以上前、私は睡眠障害のため、精神科医からアティバン(ジェネリック医薬品:ロラゼパム ※日本でのワイパックス)0.5mgを処方された。処方箋には、毎晩 1~ 2錠服用するようにと書かれていた。

しかし、長年にわたり、服用量は変動し、毎晩 1錠服用することもあれば、半分に割って服用することもあれば、2~ 4晩 に1錠しか服用しないこともあった。

強いストレスがかかったとき(例えば、自分の子どもが手術を受けるときなど)を除いて、日中に服用することはほとんどなかった。

当初、この薬は私にとって不眠症を治す薬であり、瓶に入った安らぎの薬だった。診察の際、処方してくれた精神科医に、この薬を長期使用しても安全かどうか何度も尋ねた。そのたびに、「長期にわたって継続して使用しても安全で効果的です」ときっぱりと言われた。

奇妙な身体の不調が現れ始めたとき、私は再び精神科医に、このベンゾジアゼピン系薬剤が原因ではないかと尋ねた。しかし、私の懸念は「ベンゾジアゼピンが原因ではありません」と一蹴された。私はその精神科医を完全に信頼していた。

何年もの間、容赦ない衰えに耐えてきた。極度の疲労、船の上で揺れているようなめまい、関節炎のような関節痛、寝汗、頭痛、奇妙な筋肉損傷、睡眠の悪化、胃腸の不調、首と背中の痛み、嚥下障害、そしてまるで歯車が噛み合わなくなったかのように思考が鈍く感じられた。

生活の質は崩壊しつつあった

血液検査、上部内視鏡検査、脳 MRI、CT スキャンなど、あらゆる検査を試みたが、私の不可解な症状の原因は明らかにならなかった。ベンゾジアゼピンが静かに私の脳と体を蝕んでいたとは、まったく知らなかったのだ。

私はもともと自分の知能には自信があった。テクノロジー分野で成功したキャリアを持ち、生物科学の学士号を取得し、おおむね健康的なライフスタイルを送ってきた。

定期的に 2~ 3マイル歩き、お酒はたまに飲む程度で、20代以降は嗜好品としてのドラッグには手を出していない。しかし、どういうわけか、悪化の一途を辿る健康問題と、あの小さくて一見無害な錠剤との関連性に気づけなかった。

急性離脱症状という容赦ない悪夢に陥って初めて、私は真実に気づき始めた。同じ苦しみを経験した人々の体験談をインターネットで読むうちに、ようやくすべてが理解できたのだ。

私は愕然とした。打ちのめされ、恥ずかしくさえ思った。怒り狂い、そして胸が張り裂けそうだった。不意を突かれたのだ。

 

不意打ち

悲しいことに、ほとんどの人たちは、私のように、ベンゾジアゼピン耐性離脱または急性離脱のどちらかの段階に達するまで、何が起こっているのか気づかない。

その頃には、絶望し、処方医が教えてくれなかったことを見つけようとインターネットをくまなく探し回り始める。そして、私たちを悩ませる疑問への答えを探し求める。

なぜ私の体は衰えていくのだろう? 何か恐ろしい病気で死にかけているのだろうか? 私は気が狂ってしまったのだろうか? というように。

そして、服用しているベンゾジアゼピン系薬剤の名前を入力すると、40年以上も遡った膨大な情報が見つかる。

公開された警告、ケーススタディ、ホワイトペーパー、医学雑誌、そして BenzoBuddies (ベンゾジアゼピン離脱症状を抱える人々を支援しているフォーラム)のようなフォーラムに寄せられた何千もの患者体験談…。

不気味なほど似た体験談を語るオンラインフォーラムがいくつもあり、何百万人もの人々がその体験談を読み、生き延びる希望を託している。

その時、真の恐怖が始まる。この悪夢はまだまだ終わらないのだ。多くの場合は、人生が良くなる前に、さらに悪化するだろう。この症候群は何年も続くことがある。心身は回復するために、恐ろしい症状に耐えなければならない。

ついに、これらの薬を完全に断つこと、それも極めてゆっくりとした減薬によってのみ(症状の軽減が)可能となること、そして想像を絶する苦しみが襲ってくるという、衝撃的な真実を理解した時、私はショックを受けた。

こんなことがあってはならないと思った。こんなことが私に起こるはずがない、と。

何しろ私は医師の指示に従っており、適切な質問もした。しかし、医師は私に何も教えてくれなかった。この薬を乱用したわけではないし、私は薬物中毒者ではない。

そして、「地獄を通り抜けることこそが唯一の出口である」という恐ろしい認識に至った

ベンゾジアゼピンは、ヘロイン、アルコール、ニコチンよりも離脱症状がひどい薬物の一つだ

私たちは、重度の離脱症状といえば、違法薬物、アルコール、鎮痛剤 (※ オピオイドのことを述べていると思います)を思い浮かべがちだが、実はこのベンゾジアゼピン症候群は、健康保険に加入し、医師の指示に従った一般の人にも起こるものなのだ。そして、しばしば彼らは、路上の薬物中毒者よりも深刻な状態に陥る。

現在公表されている統計によると、ベンゾジアゼピン系薬剤を中止した人のうち、離脱症状に苦しむのは少数派であるという。

しかし、これは正確ではないと私は考えている。データを精査する必要がある。明らかな原因がないのに救急外来を受診する患者には必ず、「あなたはベンゾジアゼピン系薬剤を継続的に服用していますか、あるいは服用していましたか?」と尋ねるべきだ。

自殺のケースでは、人生の最後の数年間にベンゾジアゼピン系薬剤への依存があったかどうかを調べる必要がある。

継続的な問題の根本原因を特定できないかかりつけ医には必ず、他の医師が患者にベンゾジアゼピン系薬剤を処方したかどうかを尋ねるべきだ。薬局は、ベンゾジアゼピン系薬剤を継続的に服用している患者の割合を正確に報告する必要がある。

体がベンゾジアゼピンに反応しているかどうかを確実に判断できる医学的検査は存在しないため、疑問点や調査が必要だ。さらなる研究が必要だ。そうすれば、ベンゾジアゼピンを服用している人の大多数が、何らかの離脱症状に苦しんでいることが明らかになるだろうと私は考えている。ベンゾジアゼピンの使用と離脱は、世界中で静かなパンデミックとなっていると私は考えている。

ベンゾジアゼピン系薬剤はすぐに効力を失い、不眠症、不安症、その他数え切れ​​ないほどの矛盾した反応など、処方された症状そのものを引き起こすことはよく知られている。

(※ 訳者注)この「処方された症状そのものを引き起こす」というのは、たとえば、パニック障害でベンゾジアゼピン系を処方された人が、パニック発作がむしろ悪化するとか、そういうことです。

さらに私にとって驚きだったのは、ベンゾジアゼピン系薬剤が強力な筋弛緩剤であるということだ

そのため、体が 3つの離脱段階のいずれかに陥ると、筋肉が痙攣し、収縮し、強直し、容易に損傷が発生する。ベンゾジアゼピン系薬剤を服用してわずか数週間で、人生は崩壊し始めるが、その損傷は、まるで生きたまま水の中でゆっくりと茹でられるカエルのように、気づかれることなく進んでいく。

 

ベンゾジアゼピン離脱の段階

耐性離脱は、ベンゾジアゼピンを服用している間に起こる。脳がベンゾジアゼピンの存在に適応すると、神経系や筋緊張などを調節する GABA 受容体のダウンレギュレーションを引き起こす。

ベンゾジアゼピンは脳のホルモンバランスを化学的に乱し、自然な同期性を変化させる。中枢神経系が弱まり、正常に機能するために薬剤への依存度が高まるにつれて、服用間隔が長くなると、脳内の薬剤が不足し、正常に機能するためにさらに薬剤が必要になる。奇妙で一見ランダムな症状が現れ、生活の質を徐々に低下させていく。

急性離脱は、ベンゾジアゼピン系薬剤の完全断薬後(通常は数日から数週間以内)に始まり、脳と身体が混沌とした機能不全状態に陥る。

GABA 受容体は深刻な障害を受け、神経系を制御できなくなり、脳の興奮性神経伝達物質であるグルタミン酸は結合する場所がないため、大量に放出される。この化学反応の嵐は身体のバランスを崩壊させ、神経系全体を生々しく過活動な苦痛状態に陥れる。その影響は、つま先から頭皮まで、あらゆるところに及ぶ。この段階は、まさに拷問としか言いようがない。

急性期に続いて、数週間、数ヶ月、あるいは数年にわたって続く長期離脱症状が現れる。最も激しい症状は治まったとしても、依然として深刻な障害が残り、基本的な機能を維持するのが困難になる。急性症状は予測不能に変化し、束の間の安堵感と圧倒的な苦痛の波の間を移り変わる。この間、神経系は危険なほど脆弱な状態のままであり、容易に壊滅的な後遺症に陥りやすくなる。

これは、知らないうちにベンゾジアゼピン依存症になった人々が直面する厳しい現実だ。

何が起こっているのか完全に理解する前に、私は激しい離脱症状に陥っていた。

私の気が狂ったのか、精神崩壊を起こしたのか、あるいは致命的な病気にかかっているのか、あるいはそのすべてなのか、とさえ思っていた。2022年12月、私は言葉では言い表せないほどの地獄へと急速に堕ちていった。それでも、何とか言い表してみたいと思う。

まるで誰かが飲み物に LSD を混ぜ、暗くて恐ろしい遊園地に閉じ込められたかのようだった。

点滅する光、歪んだ鏡、そしてコンセントに繋がれた私の体は、耐え難い筋肉痛と神経痛の脈動と、終わりのない船酔いのような感覚で吐き気を催す。あらゆる光、あらゆる音が、神経系を焼き尽くす稲妻のようだった。感覚過負荷で吐き気を催さずにテレビ画面を見ることはできなかった。フォークが床に落ちる音で、体が震えた。

エネルギーは完全に枯渇し、ベッドで携帯電話を持ち上げるのもやっとというほど私は衰弱していた。容赦なく続く、拷問のような不眠症は、すべてを蝕む化学的な恐怖と重なっていた。

何晩も、汗だくになりながら胎児のような姿勢で丸くなっていた。またある晩は、無力で、絶え間なく続く必死の動きを止めることができない。不合理で、邪魔で、繰り返し襲ってくる不安が、あらゆる思考を支配していた。

当時の私は 49歳で、人生で一度もパニック発作を経験したことがなかった。しかし今は、何時間も、時には 7時間以上も続く、恐ろしいパニック発作に囚われている

今にも倒れてしまいそうで、胸が内側から震え上がるような、深い内的震えが走る。頭が爆発しそうで、耐え難い圧迫感に襲われる。一日に何度も空嘔吐を繰り返す

指先や顔の筋肉が制御不能に痙攣し、耳鳴りの甲高い音が耳の中で響き渡った。眠ろうとしたり、目を覚まそうとしたりするたびに、鋭い電撃が全身を駆け巡った。まるでテーザー銃 (スタンガンの一種)で撃たれたかのようだった。

夜、ベッドに横たわり、自分の影に怯えていたのを覚えている。手を上げるだけで壁に暗い影が浮かび上がり、恐怖が全身を駆け巡った。

体温調節能力もまったく失われていた。熱湯の風呂に入り、熱湯のシャワーを浴びても、骨まで凍るような寒さは拭えなかった。血糖値が急激に下がり、圧倒的な不安と、無性に食べたいという衝動に駆られた。ナトリウム値も危険なほど低く、今にも失神しそうになるか、発作寸前になるかのような感覚に襲われた。

まっすぐ歩くこともできなかった。

まるで酔っているかのようによろめいた。物を置く場所を間違え続け、床に落としてしまうこともあった。

まともに考えることも、情報を記憶することもできなかった。料理をしようとしても、ただ見つめるだけで、材料を何の順番で準備すればよいのか理解できなかった。

言葉も忘れてしまい、簡単な会話も理解するのに苦労した。筋肉は硬直し、まるで生きながらにして死後硬直が始まったとしか言いようがなかった。

身体の奥深くに走る痛みは、まるでブードゥー人形に針を刺すかのように、容赦なく、絶えず変化していた。ある瞬間、肘が折れたように感じ、次の瞬間には膝、そして股関節が折れた。横になっていても、ズキズキと脈打つような胸の痛みに襲われた。

私の体はまるで拷問部屋と化したようだった。

この拷問で本当に死ぬかもしれないという思いから、この拷問を生き延びたくないという思いへと、心が揺れ動いた。絶望と恐怖で胸が張り裂ける思いで、この苦しみを終わらせて安らかに死にたいと考えたが、子どもたちのことを考えると、行動には移せなかった。

痛みと苦しみを和らげるために、あらゆることを試した。ある時、マッサージ師に診てもらったのだが、彼女は私(震える手足、青白い顔、黒い目のクマ、そして恐怖に満ちた表情)を一目見て、「イエスに祈る必要があります」と言った。

文字通り彼女はそう言った。私はとてもスピリチュアルな人間だが、それほど信心深いわけではない。しかし、すぐに「はい」と答えた。もしそれで癒されるなら、輸血を受けながら洗礼を受けていただろう。

認知能力の低下もまた恐ろしいものだった。何も理解できず、今日が何曜日なのかさえ分からなくなっていた。最初は、周りの人が私の言っていることを理解できないので、周囲が馬鹿になったのだと思っていたが、やがてそうではないことに気づいた。

言葉をでっち上げ、忘れ、正しく発音できず、自分の本当の気持ちを説明できないのだ。脳に永久的な損傷が残ってしまうのではないかと、ひどく不安になった。

私はかろうじて生き延びた。研究でこのような恐ろしい結果が証明されているにもかかわらず、どうして医師たちはこの薬を処方できるのか、ずっと疑問に思っていた(今でも疑問に思っている)。

 

なぜ医師から知らされなかったのだろうか

徹底的な調査と否定できない証拠を武器に、私は処方箋を出してくれた精神科医に連絡を取った。答えが欲しかった。

何よりも希望が欲しかった。

この苦しみがいつ終わるのか、明確な時系列が知りたかった。ところが、またしても私は無視された。医師は「こんな離脱症状を経験した患者さんの話は聞いたことがない」と言い放ち、冷たく「もっと早く連絡してほしかった。この症状を和らげる薬は他にもあるのに」と付け加えた。

とんでもないことだ。すでに感じている悪夢を隠すために、なぜまた別の潜在的に有害な薬に頼る必要があるのだろうか? 「こんなに長く離脱症状を経験する人はいない」と彼が言うのに、なぜさらに薬を勧めるのだろうか?

彼が勧めてくれた他の薬に私が食い付かなかった時、彼は私の質問をかわそうと身をよじり、言い訳しようした。

「薬局で処方箋のパッケージに貼ってある警告を読んでいないのですか?」 と。

どうやら 2020年(私には18年遅すぎたが)になって、処方箋の袋にホチキス止めされた黒枠の警告(※ 米国で処方薬に黒枠と共に表示される警告分)が出てきたという。

ずっと服用している薬と一緒に、こんな書類をわざわざ読む人がいるだろうか? リスクや副作用などについては、処方医が説明するものではないというのだろうか?

私は医師に、こう質問した。

「その添付の黒枠警告について私に知らせてくれなかったのはなぜですか? なぜ診察の際にクリフノート(※ 要点がまとめられたもの)を渡してくれなかったのですか? なぜ FDA の承認期間が 2~ 4週間しかない薬を、過去 20年間ずっと処方し続けてきたのですか? なぜ、これらの文書化された副作用について私に知らせなかったのですか?」と。

すると彼は「あなたは私をあなたの主治医として信頼していますか?」と質問して、話をそらした。

まったく答えが得られず、ますます気分が悪くなり、見捨てられたように感じた。私は、この Zoom のやり取りを録画した。

その後、彼は 5ヶ月前の日付が記された専門的な手紙を郵送で送ってきた。それは私がこれらの薬の服用を中止したいと伝えた日付と一致していた。この手紙は今でも持っている。彼は情報収集のために「他の」医師に相談したと述べており、「症状の治療にいかなる種類の薬も使うことに躊躇している」という私の気持ちを認識していると述べた。

これらの薬をやめたいと言った時、私はアシュトンマニュアルの減薬法について医師に説明しなければならなかった。

(※ 訳者注)アシュトンマニュアルとは、「ベンゾジアゼピン系をやめるためのマニュアル」で、英ニューカッスル大学神経科学研究所の名誉教授ヘザー・アシュトン氏が 20年以上前にまとめたものです。これは日本語にもなっています。こちらにあります。

彼はマニュアルの PDF を送ってくれたが、その後は私に自由に減薬を任せてくれた。マニュアルの例はどれも私の現在の用量に合わなかったので、私は行き当たりばったりで減薬せざるを得なかった。そして、後になって(これも処方した医師ではなく、インターネットで調べた結果だ)、減薬が速すぎたことに気づいた。

医師は知っていた。私も知っていた。彼は私が知っていたことを知っていた。真実は否定できないものになっていた。医師は 20年以上も嘘をつき続けてきたのだ。

薬を減らしたり止めたりするように言われたことは一度もなかった。

ただ、結果を顧みずに、ただ延々と薬を処方されただけだった。彼は私が自分の虜になっていることを知っていた。ベンゾジアゼピンと彼の診療所に、生涯を捧げることにしたのだ。

私の話は決して稀なケースではない。何百万人もの人々が、FDA(アメリカ食品医薬品局)の長期使用承認を受けていないベンゾジアゼピン系薬剤を継続的に服用している。

しかし、ベンゾジアゼピン系薬剤は依然として長期使用のために処方され続けている。私たちは患者ではなく、被害者であり消費者であり、私たちの苦しみから利益を得るシステムに囚われているのだ。

 

長期にわたる減薬

急性離脱症状の後に続くのは長期離脱症状で、回復には何年もかかることがある。これは長引く衰弱症状であり、生きることさえ不安にさせる。数日間は順調に生活し、人生が軌道に戻ったと思って過ごしているのに、次の瞬間には世界が狂い始め、痛み、吐き気、震え、薬物恐怖、寝たきりの疲労感/脱力感、めまいなどにより、日常生活がままならなくなるのだ。

私はまだ長期離脱症状が続いている。

まともに歩くことさえできない日もある。仕事もできない。頑張ってみたけれど、自分の面倒を見るのもやっとの体力だ。

毎日、宇宙に完全回復を祈っている。

知らず知らずのうちに、医師の処方箋によって、うっかり自分の健康を損なってしまったという事実を、人はどうやって受け入れればいいのだろうか? この現実を受け止めるのに、まだ苦労している。

私の人生がどれほど取り返しのつかないほど破壊されてしまったのか、あるいはこれから破壊されていくのか、考えさせられる。しかし、今のところ、まったく見当もつかない。私の人生は、事実上、無期限に停止状態にあるのだ。

実際に体験したり、直接目撃したりしない限り、これを理解したり信じることはできないだろう。

人々が自らの体験を声高に語れば語るほど、より多くの人々が耳を傾け、ベンゾジアゼピンを継続的に服用した場合に何が起こるのかを信じてくれるようになるだろう。

そして最終的には、数え切れないほどの人々が同じような恐ろしい経験を繰り返さないようにすることにつながるだろう。私たちはこの病気について医師から学ぶべきだが、それまでは、意識を高めるために個人的な体験を共有する必要がある。

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Oka In Deep

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