ルミナリーが語る愛
何だかこう、世の中の動きは予想以上に呆然としている感じで、今日は特に注目するような報道もなく、ボーッといろいろと見ていましたら、アメリカの元連邦アナリストであるリチャード・C・クック氏が、ボー・イン・ラー氏の別の書籍の連載を始めていました。
そのタイトルが、また、
「愛の力について」
という、やや照れるようなものですが、しかし、クック氏は、
> 憎しみと暴力の波が日々押し寄せ、世界を蝕んでいるように見えるこの世界において、これ以上に重要なテーマがあるだろうか。
と序文で述べていますので、ご紹介させていただこうかと思いました。
ただ、ここでボー・イン・ラーさんが述べている「愛」という概念は、物資的な世界に住む私たちの「愛」という概念とはずいぶんと異なることはわかります。
リチャード・C・クック氏による序文も少し抜粋しておきます。
「愛の力について」
さて、今回はボー・イン・ラーによる、極めて重要なテーマである愛についての新たな連載記事をご紹介したい。憎しみと暴力の波が日々押し寄せ、世界を蝕んでいるように見えるこの世界において、これ以上に重要なテーマがあるだろうか。
本日ご紹介するのは、『ホルトゥス・コンクルスス(Hortus Conclusus)』第19巻『High Goal』に収録されている「愛の力について」という章となる。今後、ボー・イン・ラーの『愛の書』全編を章ごとに順次掲載していく予定だ。これは、私たちによる一大プロジェクトであり、今後数週間から数ヶ月かけて展開していく予定だ。いつものように、読者の皆様に感謝申し上げたいと思う。
また、ボー・イン・ラーさんについては、以前も簡単にふれていますが、以下のような方です。
ボー・イン・ラーとは誰なのか?
ボー・イン・ラーは、1876年にドイツのアシャッフェンブルクで生まれ、1943年にスイスのルガーノで亡くなったジョセフ・アントン・シュナイダーフランケンの霊名。ボー・イン・ラーは、霊的な現実と悟りへの内なる道についての説明の中で、イエス・キリスト自身も属していた「最初の光の輝者」( Leuchtenden des Urlichts)という団体の一員であることを公然と表明した。
ルミナリー(the Luminaries)とは、地球上の全人類の霊的な運命に究極的な責任を負う人間たちを指す。彼らの地上本部はアジアの中心部に位置し、何千年にもわたって人類を導いてきた。ルミナリーの存在は、イエスが祭司であったメルキゼデクの位階への言及によって聖書の中で示唆されている(ヘブライ人への手紙7章1-28節)。
イエスやボー・イン・ラーのように、公然と公の場で活動するルミナリーは極めて稀だ。ボー・イン・ラーは、ルミナリーの活動はまだ初期段階にあると記している。
この考えは、文化的にも倫理的にも、人類が野蛮な原始状態からそれほど遠くないという認識によって裏付けられている。今日の世界の出来事は、このことを明確に示している。同時に、人類の精神的な飢えは、歴史的な宗教の流れとともに、道を指し示そうとする宗派やカルトの増殖によっても示されている。
現在、霊的な飢えを抱える人の数は相当数に上る。ボー・イン・ラーが活動していた際には、ドイツ語圏では 100万人以上が彼の著作を読んだが、第三帝国(ナチス・ドイツ)によって発禁処分となった。
今日では、ドイツ語で彼の著作を読む人がますます増えており、英語をはじめとする他の言語にも広く翻訳され、読まれている。ボー・イン・ラーは、霊的な生活を求める地球上のすべての人々が彼の著作を読み、研究する時代が来ると予言した。私たちは、米国をはじめとする英語圏の人々の間で彼の著作をより広く知らしめ、入手しやすくするために、ささやかながら貢献しようと努めている。
ボー・イン・ラーさんの著作については、これまで、以下のようなものを取り上げています。
- 『あの世についての書』(このページにすべてのパートへのリンクがあります)
- 『自由の亡霊』
- 『邪悪な個人』
- 『人間についての書』より「男と女の謎」
- 『人間についての書』より「結婚」
- 『人間についての書』より「子ども」
昨年、『あの世についての書』の連載を書いた時には、全体をまとめて PDF にした状態で公開しようかなと思っていました(今後、いろいろな状況によって、停電などになると機能しなくなる電子上の文書だけではなく、実際の書類や書籍として保存したほうがいいと思っているからです)。
しかし、その後も少しずつボー・イン・ラーさんの書を取り上げることがありまして、「これも入れたほうがいいかな。これも…」と考えているうちに、だんだん途方もない量になってきて、作業は停滞したままです。
ともかく、ボー・イン・ラー氏の『愛の力について』をご紹介させていただきます。なお、今回の文章には、文末の「!」がやけに多く、これまでは、「!」マークは入れないで訳していたのですが、今回はオリジナルのままです。太字はこちらで施しています。
愛の力について
Bô Yin Râ: “On the Power of Love”
人が愛に生きるならば、その力は実に限りないものとなる!
愛こそは、地上の人間に与えられた至高の力である!
崇高な力こそが人間の最高の価値であると称えられ、多くの人々は、高い台座の上に立つ人間の至高の威厳を夢見てきた。
だが、地上の人間が想像しうるよりもはるかに高い栄光が彼のために用意されており、その大胆な思考が捉えうるよりもはるかに遠くまで及ぶ力が彼に与えられていたのだ!
愛の炎の力が、地上に生まれた人々の心に何をもたらしうるのか、天といえどもそれを測り知ることはできない。また、獣のような人間を神聖に変容した霊的人間へと高める祝福がどこに根ざしているのか、その深淵の底を極めることもまた不可能である!
宇宙の潮の流れの中で太陽は沈み、数多の世界を道連れにして計り知れない崩壊の深淵へと没していく。しかし、人間が一時的に仮の住まいを築いた大地が足元で揺れ動き、裂け崩れようとも、人間自身の力は永遠に失われることなく、彼のもとにあり続けるのだ!
かつて高貴な光から堕ちた者であっても、なおも自らを全ての星々の上にまで高める力を内に秘めているのだ!
あなたは、かつて堕落した者たちに、なぜこれほどまでに崇高な力が与えられたのかと問う。
あなたは、宇宙創造の目に見えない王子たちの中で、彼らをより上位に位置づけるものは何かと尋ねたいかもしれない。
知っておいてほしい。言葉ではこの問いに対する究極の答えを表現することはできない。感じ取れるがほとんど理解できないものを感じ取るには、最も深い直感に頼るしかないのだ!
人間の思考を遥かに超えたものを、どうして人間の言葉で語り得ようか?!
その本質において純粋な「思考」そのものである、あの壮大な星々の力――あらゆる地上の思考を崇高なまでに超越した、この可視的世界における不可視の「神々」――でさえも決して知ることのできない永遠に秘められたもの。それこそが、深遠なる瞑想の中で、人間の魂の内なる存在だけが自らの内に体験しうるものなのだ。
愛に根ざした人間の力は、宇宙世界におけるこれら星々の神々の壮大かつ全能なる力をも超えて、さらに高く昇りゆく!
こう言われてきた。
「神は愛である。愛にとどまる者は神にとどまり、神もまたその人にとどまる」と。
しかし、あなた方にとって「愛」は、欲望とあまりに密接に結びついたものとなってしまった。
それは、欲望に満ちた感情がもたらす、心地よい感覚へと変わってしまったのだ。あなた方は「神」の中に生きる代わりに、自らの手で偶像を築き上げ、その前にひざまずいている。しかし、その偶像は、真の意味であなた方を救うことなどできない。
こうした欺瞞を見抜いた賢明な人々は、そこから背を向けた。今や彼らは、あなた方が崇める偶像の「神性」を大胆に問い、否定するがゆえに、「神を否定する者」と呼ばれている!……
しかし、私はあなた方に言う。偶像や神々からそのように背を向けた人々の多くは、彼らを非難する者たちよりも、むしろ神性(神の本質)に近いところにいるかもしれないのだ!
あなた方が「神を否定する者」と呼ぶ人々の多くは、実は神の懐にあって安らぎ、愛のうちに神を体験しているのだと、私はあなた方に言う。
たとえ彼らがあなた方のような言葉を使わず、自分たちが「愛」の中にあり、神が彼らの中に自らを現しておられることに気づいていなかったとしても!
なぜなら、「神は霊である。それゆえ、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない」からだ。
自らの内にある霊を求めようと決意しない人は、永遠において神を見出すことはないだろう!
しかし、神であり愛でもあるその「霊」は、もちろん、塵から生まれた者たちの脳内での思考によって生み出される「思考の霊」と同列に扱われてはならない!
まことに、ここで私たちが語っているのは、それとは全く別の霊のことなのだ。愛においてその霊を感じ取らない者は、どれほど神について語ろうとも、神なき者のままでいることだろう!
神性において永遠から永遠へと自らを語る「生命の言葉」を通じ、地上の人間が神に、そして自らの源である霊に到達できるのは、ただ「愛」という霊的な姿においてのみなのだ!
この愛に根ざしていない限り、「神」や「神聖な事柄」についてどれほど詩篇を唱えようとも、それは単なる愚かなお喋りにすぎない。いかなる「祈り」も、この愛に根ざしていなければ無駄なものとなるだろう!
神から遠く離れた者たちのように「無駄口を叩く」のではなく、あるべき姿で「祈る」ことをかつてあなたに教えたあの方は、あなたにこの愛の中にいてほしかったのだ!
その生涯こそが、まさにこの愛を説くものだった!
自らを同じ愛の炎の中に溶け込ませ、その炎に身を委ねることをためらっているうちは、どうしてあの方を理解できるというのでしょうか――そうしてこそ、この愛の中で真の自分を取り戻すことができるというのに!
私がここで証しするこの愛は、もしあなたが依然として自分自身の外に愛の対象を求めているならば、決して完全に到達することはできない!
あなたは、ついにはその愛の中に自らを失うに至るまで、あなた自身がその愛の対象とならねばならない。そうしてあなたは愛そのものとなり、もはや対象を必要としなくなるだろう。なぜなら、かつて生じたこと、あるいは生じうるすべてのことが、その愛の中に抱かれているからだ!
もし賢明な助言が、たとえ「魂」さえも放棄せよと説くならば、そこから次のように理解してほしい。すなわち、神があなたの中でご自身を現されるその「愛」を、あなた自身の内において体験しようと望むのであれば、あなたは自分の魂でさえも愛の対象にしてはならない、ということだ!
もしあなたが、自らの最も深い「我」の内で自ずから理解を求めているものとは別の何かを、愛によって自分のものにしようと望むなら、あなたは依然として狭い地上のあり方で「愛して」いるにすぎず、神性の霊的な形態であるあの本質的な愛からは、ほど遠い場所に留まっているのだ!
しかし、あなたは愛である神を、あなた自身の内において見出すだろう。あなたは愛の中にあり、それによって神はあなたの中に、そしてあなたは神の中にあることになるのだ!
それでも、あなたは「在る」のではない。なぜなら、あなたが「存在」と呼ぶものは、自らを自覚した真の「在る」こと(真実在)ではないからだ!
あなたが「存在」と呼ぶものは、比喩的な意味でしか「在る」とは言えない。それはちょうど、あなたが「愛」と見なすものが、比喩的な意味でしか「愛」とは呼べないのと同じことだ!
あなたが「存在」と呼ぶものは、無数の条件に縛られている。それは、愛の対象に結びついたあらゆる愛が、たとえどれほど崇高なものとして掲げられようとも、絶えず外部の要因によって規定され続けているのと同様だ!
私はあなたを、これらすべてを超え、より高い次元へと導かねばならない。あなたの神があなたの中で生まれ、あなたもまた神の中で生まれることができる、あの「愛」へとあなたを導くために……。
自らの内において「立ち上がり」、自らを卑しめる状態へと縛り付けようとするあらゆる卑俗なものに抗う者だけが、高みへと昇ることができるのだ!
愛の「対象」を求めること、それは実に、あらゆる卑俗なものに対する蜂起にほかならない。なぜなら、卑俗なものを克服しようとするならば、それに抗わねばならないと直感的に感じているからだ!
しかし、愛の「対象」を外に求める限り、あなたは決して自分自身の内に自らを確立することはできない。なので、当面の間は、あなた自身を愛の「対象」としなさい!
そうして自分自身の内に自らを確立できたなら、この最後の拠り所を捨て去り、自分自身に対して「立ち上がる」ことも容易になるかもしれない。やがてあなたは、高低の区別なき境地へと至るだろう。そこではあらゆる空間的な比較が消え失せ、比類なきものが「出来事」として立ち現れるのだから!
見よ。自らの「生得の権利」を決して手放そうとしない人には、何が用意されていることか――それは天さえも測り知れぬものだ!
実に、あらゆる存在が、永劫の時の果てに、やがては「至福」に達することだろう。
しかし、誰もが手にしうるその「至福」も、あなたが地上の姿をまといながら自らを高めようとし、幾千、幾万もの永きにわたってあなたを縛りつけうる宇宙の強大な力による束縛から解き放たれたときに到達できる、あの崇高な境地と比べものにはならない!
「最後の一銭に至るまで支払いを済ませる」までは、誰も解放を見出すことはできない――そう言われてはいるが……。
それでも今日、あなたにはまだ、その束縛から逃れる機会が残されている!
今日、あなたは真に自らの運命の主(あるじ)となることができるのだ。
すでにその境地に達した地上の兄弟たちは、あなたを助けること以上に大きな喜びをしらない……。
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