アメリカの政府機関で豊富な経験を持つ元連邦アナリストであるリチャード・C・クック氏という方が、ドイツの精神的指導者ボー・イン・ラー (本名:ジョセフ・アントン・シュナイダーフランケン)の著書『あの世についての書』を、連続で投稿されています。
時間のある時に、それを翻訳させていただいているのですが、これまでの記事は以下となります。
パート1:ドイツの精神的指導者ボー・イン・ラーの著書『あの世についての書』で説明される「死後の世界の真実」
In Deep 2025年5月21日
パート2:ボー・イン・ラーの著書『あの世についての書』で説明される「死後の世界の真実」
In Deep 2025年5月26日
現在は、いろいろな観点から混乱が続いていたり、あるいは今はストレートに「死の時代」ともいえますが、リチャード・C・クックさんは、そんな時代の人々のために投稿していると書いています。
今回はパート3としていますが、前回の記事で、第二部と第三部を同時に翻訳しましたので、オリジナルの記事では、第四部となります。
なお、紹介しているリチャード・C・クックさんは、『あの世についての書』のすべての投稿記事の上に、ほぼ同じ序文を書かれていますが、それについては、パート1をご参照いただければと思います。ボー・イン・ラーという人の経歴もその記事にあります。
ボー・イン・ラー 『あの世についての書』 (The Book on the Beyond) 第四部
コンテンツ
・序論
・死ぬという技術
・永遠の神殿と霊界について
・唯一の現実
・何をすべきか?
死ぬという技術(前回の続き)
来世での意識状態に備えるために、この地上での人生をどのように活用するかが極めて重要だが、信仰心の薄い不安な聖人のような人生を送らなければならないと考えるべきではない。
つまり、常に「魂の救済」を確保することに懸命な聖人、心の中では利己的で、あらゆる「罪」を恐れながらも、内心では「邪悪な世界の破滅」を確信して喜んでいる聖人のような人生を送らなければならないと考えるべきではないということだ。
人生に対して、このような態度をとれば、間違いなく、人間の妄想が自らの設計者であることを知らずに作り上げた、精神の欺瞞的な「海岸線領域」のひとつに、いつかは陥ることになるだろう。
義務を忠実に果たし、すべての生き物への愛に満ち、善と真実のために奮闘し、あなたの意志の集団に秩序を求め、あなたの喜びに洗練を求める人生、あなたの至高で最も純粋な憧れの究極の実現に対する明るい信念に満ちた人生、これこそがあなたにとって常に地上で最高の人生となるだろう。
特に、私がこの論文で「死ぬという技術」と呼んでいるものを習得しようと努めるならばなおさらだ。
確かに、私が以前にも話したように、天にはもう一つ特別な霊的な道がある。しかし、私の助言に従って人生を歩むまでは、そのような道を進むことはほとんどできないだろう。
この道を歩む者は、自分の足取りの確実さを妨げるものすべてから自由でなければならない。
「すねて」頭を垂れるのは、「世を捨てる」という空虚な行為と同じくらい非難されるべきことだ。
人間を、その「神」が自分の内に誕生できる場所へと導く道は、まだすべての人がアクセスできるとは限らないが、少なくともすべての人が、この道を知っておくべきであり、地球上で可能な限り、誰もがその道を歩む準備をすべきである。
多くの人はまだ必要な強さと忍耐力に欠けているかもしれないが、すべての霊的な力は使用を通じて成長し、忍耐力はすべての愛を行為に捧げる人にのみ与えられる。
この世界の物理的な次元におけるあらゆる思考、経験、行為は、「向こう側」の世界に継続的な影響を及ぼす。
人間が物質界で行ったすべての行為の成果は、たとえ地上での行為が物質的な目的にのみ向けられていたとしても、死後もずっと残る。
道徳的責任の可能性を前提とすると、この地上でのあなたのすべての行為において、何をするかが問題ではなく、どのようにするかが問題となる。
地球上での最も謙虚な仕事でも、あなたが自分の義務を忠実に、喜びをもって、能力の限りを尽くして遂行しさえすれば、世界の精神的な次元での後の人生に想像もできないほどの力の流れをもたらすことができるのだ。
まるで、宇宙全体の状態があなたの仕事の質のみにかかっているかのように。
あなた自身に対して責任があるのは、あなた自身だけなのだ。
あなたが考え、行うすべてのこと、つまり、肉体的な感覚で経験できる、この世界の次元であなたが行うすべてのことにおいて、あなたは常に、霊的な感覚で知覚される世界におけるあなたの後の運命の無意識的な創造者なのだ。
あなたが地上で「運命」と呼ぶものは、計り知れない全体性の中の、途方もなく小さな一片に過ぎない。
もしあなたがこの世で自分の運命を呪うなら、その不機嫌さは人間的な観点からすれば理解できる、あるいは許されるかもしれないが、しかし、それでもあなたは、自分に害を及ぼすからと、まだ与えられない物を愚かにも求め続ける子どものようなものなのだ。後には望むものは何でも豊かに手に入るのだから…。
霊界で高い境地に達すると、自分の運命を理解できるようになる。そして、かつて抱いていた思いを思い出すと、微笑んでしまうだろう。
そうすれば、あなたの判断を形作るために潜伏していたあなたの心の最良の理由も、同様に愚かなものであったことがわかるようになるだろう。なぜなら、あなたは暗い土から手で掘り出した根のもつれから、花の美しさと果実の甘いおいしさを開こうとしたからだ。
肉体的な感覚に頼る知覚形式から必然的に生じた、制限的なイメージから自らを解放できる者だけが、徐々に、自らが根ざし、肉体的な感覚の知識を通じて得られる手段では決して近づくことのできない、偉大な全体性について、少しは疑うことができるようになるだろう。
昔、賢者が、見たものの壮大さに圧倒されそうになったときに、次のような言葉を見つけたが、それは空虚な格言ではなかった。
「目がまだ見えず、耳がまだ聞けないものを、神はご自身を愛する人々のために用意しておられるのです」
しかし、「神を愛する」ということは、次のようなことを意味する。
「地上のあらゆる労苦と困難を「愛する」こと、それらを、あたかも、それらが私たちの人生に現れた通りに、すべてのものを望み、求めたかのように、喜んで受け入れることです」
「神を愛する」ということは、地球とそこに生きるすべてのものを、たとえそれが私たちの願いに反するとしても、あるがままに愛することだ。
「神を愛する」ということは、自分自身を愛し、誤りと混乱から抜け出して最終的に自分自身へと導く長く困難な道のりで私たちに課せられたすべての重荷を、自分自身のために喜んで受け入れることだ。
それは永遠に神の中にいることを意味する。
これらすべてから、あなたは亡くなった人々を敬う最良の方法も知るであろう。彼らは、地上での生涯であなたと親しかった人々であり、あなたの肉体の感覚では知覚できないとしても、今日も以前と同じように生きている。
これで、どのようにすれば彼らを助け続けることができるか、また、自分自身が助けを必要としている場合には、どのように彼らから助けを得ることができるかがわかるだろう。
この世を去った人々とコンタクトをとるために「心霊術サークル」を設立するのは誤った出発点だ。
参加者全員が誠実で、たとえ意図的でないとしても詐欺がないという保証があったとしても、あなたはそのような「降霊会」で発現する力についてあまりにも無知であり、その現象の本当の創造者を特定することはできないだろう。
ビジネス全体について何が真実であるかを調べるために、すべての先入観を拒否しているかどうかは問題ではない。
本物の心霊術の顕現に活動する力は、嘘、気まぐれ、欺瞞に満ちており、あなた自身の力の助けを借りて自分自身を明らかにしようと常に準備しているが、実験の対象となることに屈する気は全くない。
(交霊会での「霊媒師」とその協力者によって実行される欺瞞の多様な可能性についてはここでは触れないことにする)
あなたが「彼方」の力が働いているのを見ていると思うデモンストレーションは、地上の欺瞞を除けば、物理的世界のほとんど未知の領域から来た目に見えない存在が行うゲームに他ならない。
霊的に真に「目覚めた」人々、つまり、この世の物理的に知覚できる領域で地上の肉体に宿りながらも、意識を持つ存在として、すでに「あの世にいる者」の一人と数えられるような人々は、稀に、私たちが言及したこれらの存在を、他の利用可能な援助源を利用するのと同じように利用することは可能だ。
しかし、霊的に「目覚めた」人々の中に、降霊会の参加者を楽しませたり、試みられている実験を面白くしようとしたりすることは決して思い浮かばないだろう。
たとえ「間違いなく」亡くなった人のエンテレキーと関わっているという印象を受けたとしても、レムロイドの存在による欺瞞の危険性は、本物のコミュニケーションの可能性をはるかに超えているため、「心霊術」現象につながる道に進むことについて、いくら強く警告してもしすぎることはない。
(※ 訳者注)ここに出てくる「エンテレキー」というのは、いろいろな意味があるようなのですが、以下を抜粋しておきたいと思います。
> 哲学用語の一つ。 これはアリストテレスによって提唱された言葉であり訳語としては「完成態」、「完全現実態」、「終局態」、「終極実現状態」が割り当てられてきた。完成された現実性という程度の意味から、生活する人の活力の一つの種類として、精神や霊魂などと同じ様に見られるようになった。 wikipedia.org
「レムロイド」というのもよくわからないですが、「霊長類 キツネザル上科」と出てくるのですが…。どう訳していいのかわからないですので、レムロイドのままにしています。
ここで警告の言葉を述べている人は、自分自身の確かで豊富な経験から、「心霊術」の領域で起こりうるあらゆる現象を熟知している。
しかし彼は、いわゆる「心霊術師」の幽霊たちが居心地よく感じる、目に見えない物理的な中間世界についても同様に熟知している。
必要に応じて、彼はこれらの存在や力を、乗馬に馬を使うのと同じように、あるいは獲物を追跡するのに猟犬を使うのと同じように利用することができる。
霊的に力を与えられた者は、最初に「霊媒師」や「降霊術師の降霊会」のサービスを必要とせずに、必要なときにこれらの存在の力を利用する。
彼は、純粋に精神的な世界内を移動するときと同じ確信を持って、これらの薄明かりの存在の領域に入る。
確かに、これらの存在に近づくのは決して楽しいことではない。自分の意志でそれらを運用できる者は、必要でない限り決してそうしない。常に嫌悪感を克服しなければならないのだ。
こうした生き物たちと接触するのは、地上で言えば南の海のクラゲのようなものかもしれないが、通常、クラゲとは違って物理的には知覚できず、純粋に物理的な力を持つため、あなたが「亡くなった愛する人」とコミュニケーションを取っていると想像しているときがほとんどだろう。
ただし、こうした目に見えない物理的な生き物たちと同じ領域からやってくるあなた自身の未知の力が、自らデモンストレーションを起こし、あなた自身が知らず知らずのうちに幽霊劇を演じているのかもしれない。
しかし、あなたの精神的および肉体的な幸福にとって、この無意識の自己欺瞞は、ここで説明されているレムロイドの存在との実際の接触よりもはるかに運命的ではない。
なぜなら、彼らはヒルのようにあなたの力を吸い取り、彼らがあなたから吸い取ったエネルギーの助けを借りてのみ、「心霊術師の降霊会」で想定される「奇跡」を生み出すことができるからだ。
こうした現象にただの観察者として遭遇する、最も偏見のない研究者であっても、目に見えない形で自分を巻き付ける触手の力から逃れることはできない。
彼がどれほど「状況の上に立っている」と思っていても、彼は自分の興味を惹きつけながら、目に見えない寄生虫によって自分に危害が加えられていることにさえ気づかず、自分の最も秘密の力を奪われずにはいられないのだ。
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