2019年11月13日 太陽が出ない極夜に入る前日の南極の日没
メルマガからのお知らせと近況
何か変なタイトルをつけてしまいましたが、今回は、 In Deep メルマガに関しての二つのお知らせと、そして、「最近のメルマガで展開している内容」と、
「そこへの私の感謝」
を少しだけ書かせていただきます。
まずは、In Deep メルマガのお知らせですが、以下のふたつです。
まぐまぐ大賞2019投票よろしくお願いいたします
メルマガは、昨年始めさせていただきましたが、昨年の「まぐまぐ大賞2018」の投票においては、新人賞というものを頂きました。
今年も、「まぐまぐ大賞2019の投票が開始した」ことを、まぐまぐさんからお知らせいただき、「投票について告知して下さい」ということで、皆様に投票のお願いを書かせていただきます。
基本的には、こちらからか、あるいは以下の URL から、私のメルマガの紹介ページに行きますと、「このメルマガをまぐまぐ大賞2019に推薦する」というバナーがございますので、そちらをクリックしていただければ、ご投票されます。
https://www.mag2.com/m/0001684042.html
メルマガの読者様でなくともご投票できます。
また、期間中は、おひとり様で何度でも投票していただけるそうですので、よろしくお願いいたします。お時間があれば、投票していただけると嬉しいです。
もうひとつは、以前もふれましたが、まぐまぐさんによる「年賀状キャンペーン」についてです。
年賀状キャンペーン
メルマガ読者様限定の企画ですが、メルマガを発行している方から、読者の皆様に
「2020年の年賀状を送らせていただく」
というものです。
年賀状は、私の場合は、自らデザインしたもので、もうデザインと入稿も終わっていますけれど、どんなものかは、一応、届くまでのお楽しみということにして下さい。
その年賀状が読者の方々に2020年の元旦に届くということになります。
メルマガ以外での交流の場をまぐまぐさんが用意してくれた感じですが、一応これは、まぐまぐさんが「読者様が増えること」の手助けをしてくれているというものですので、そのために、読者様だけのサービスとなっています。
ご応募された個人情報等は、すべてまぐまぐさんが管理し、私には住所やメルマガなどの個人情報はいっさい伝わりませんので、ご安心ください。
ご応募の締め切りは11月30日です。
なお、このサービスは国内にお住まいの方限定で、海外への年賀状の発送はおこなっていませんが、In Deep メルマガは、比較的海外在住の方の読者様が多く、私個人で、
「海外用年賀状キャンペーン」
もおこなうことにしました。
キャンペーンというか、私が自分で手作業で送るというだけなんですけれど(笑)。
これも、メルマガ読者様限定となりますが、メールで受けつけています。
In Deep メルマガは、初めてご登録いただく方は初月無料で読むことができますので、無料でお試しも可能です。
年賀状キャンペーンのご応募はこちらのリンクか、以下の URL からお願いいたします。
https://i.mag2.jp/r?aid=a5db6a39bcaa9f
自分の心に従うこと
というお知らせでしたが、このように、以前に比べて、わりと積極的にメルマガについて告知していますことには理由もありまして、もちろん、いろいろな内容がありますが、今年夏頃から、
「メルマガの方向性がシンクロニシティの方向に傾き始めている」
というのがあるのです。
シンクロニシティの方向に傾き始めている、というのは妙な表現ですが、要するに、たとえば読者の方からいただく話や情報から、私自身がそれまで気づかなかったことを多数見出すことが多くなっていまして、何か楽しいのですね。
最近では、「神の存在」ということについて、「古代の日本では、女性という存在そのものに神性があった」ということから、
「女性そのものが日本の神性」
という結論に達しまして、ずっと考えていた「神の問題」の決着がついちゃったという嬉しいこともありまして・・・まあ、もちろんこれは「自分の中での決着」であり、一般論として、外に広めるようなことではないと思っていますけれど、もしかすると、もっと、こういろいろあるのじゃないかなとか。
また、まだわからないですけれど、私は最近、以前と比べると、メンタルも含めまして、体調がわりと良いことが多くて、こうなってくると、
「いろんなところに行ってみたい」
というようなことも思いまして、2020年からは、外で読者の方たちとお会いしたりしてもいいのかなというようなことも考えています。
もともと私はひねくれもので、子どもの頃から、「オレの価値観なんてわからないんだ」というような否定的な感情が強い人でしたが、メルマガを始めてから、そういうような「自分に対しての否定的な側面」も消えていきつつあるのですね。
もともと対人が苦手な私ですけれど、今なら人と会えるのかな、と。
これに関しては、まだわからないですけれど。
なお、最近、私がメルマガでよく書くことのひとつは、これからの決して楽ではない現実の中で生き抜くためには、唯物論だけの考え方から、少しでも抜けて、
「この世界は自分自身の心が動かしている」
というような、まあ、とらえどころのないような表現ですけれど、そういうことが最も大事であり、それが究極のサバイバル・テクニックだと思っているということにふれることが多いです。
金銭を含む「物だけ」にすがって救われる時代は、もうそんなに長く続かないと考える以外にはなくなっています。
そういう時代に、自分がどういう方向に生きていけばいいのかを、外部の意見や、そこにある情報から判断するより、
「自分の心に聞いて、生き方を決めていく」
ということが、本当に大事になると思います。
10年も待たずに、そういうことが最も大事な世の中になると思っています。
それ以外では、肉体的にも精神的にも生き残ることができないような時代になるとさえ思います。
雲を掴むような概念に聞こえる場合もあるかもしれないですが、この数カ月から1年くらいの私自身の「変化」を考えてみても、この社会を美しく認識して生きていくためには、そうするしかない時代がやってきます。
今回は、11月1日に発行したメルマガから、シンクロニシティという言葉が出て来る部分を抜粋して締めさせていただこうと思います。
2019年11月01日の In Deep メルマガ《シンクロニシティの中に生きること。あるいは「自らの内的世界」を見つめることが必要な時代へと》より
この「共時性の波」というのは、確かに存在しているようで、そのようなものが、一部と一部の人たちだけのものなのか、本当は、もっと人類的に大きく広がっているものなのかはわからないですが、
「それはかなり確実にある」
と思います。
というよりも、実際には、ブログ In Deep というものそのものが、最初からシンクロニシティの連続だったことは確かです。
そのことについては後で書かせていただきますが、なぜ、今回、シンクロニシティなどという概念にふれているかといいますと、
「シンクロニシティに素直に生きる」
ということ自体、これからの時代はとても大切だと思うのです。
これからの時代というのは、実際には、とても大変な時代になると思います。
経済も自然も環境もすべてにおいて、いろいろな意味で大変になることは避けられないとも思います。
そういう世の中では、一般的には、「情報に敏感になれ」というようなことが言われますが、私は、あまりそうは思わないのです。
ある程度以上の「状態」の世になった場合、
「最も自分を助けるのは、自分と、自分に生じるシンクロニシティだけ」
だと考えています。
もし、外部の情報が必要であるならば、シンクロニシティは、外部の情報に目を向けるように促すはずです。しかし、現実的には、今の世の中は、「外部からの情報に意識全体を依存している」人たちが多いです。
自分の「内なる声」をあまり聞こうとしない。
そのように、
「自分の内なる声と、偶然という名の必然を無視」
し続けると、自らを助けることも叶わなくなる気がするのです。
2011年3月11日の大震災の後、私は意図的かどうかはわからないですが、ほとんどの報道の情報をシャットアウトしました。そして、3月11日の震災の後は、毎日、自分の街とその周囲を3時間も4時間も歩いていました。
何か月もの間、ただ風景を見続けました。
地震と、あるいは原発事故などについての情報は、ほぼ知らないまま、ただ、自分の暮らしてきた風景を見続けて暮らしました。
実際当時の In Deep には地震の情報は、震災後、何か月も書かれていません。
当時住んでいた近くにあった善福寺公園という公園や、井の頭公園という公園に毎日のように行き、大体、朝からお酒を飲んで、木や鳥や、そして、公園にいる人々を見ていました。
そして、散歩している中で考えついたことを、当時のブログに夜書きました。
その頃から、ブログの質も内容も変化し始めました。
良くなったか悪くなったかはわからないですが、「変化した」のです。
あのような未曾有の災害の後だからこそ、外部の情報で動いたり考えるのではなく、
「自分の中の情報で動いたり考えたりしよう」
と思っていたのかどうか今でも不明ですが、何か月もの間、震災関係のニュースは、インターネットのニュースさえ見ませんでした。
すでに災害は多いですが、今後の世の中では、さらに厳しい状態が現出すると思わざるを得ません。。
ニャン!とか言ってる場合じゃないんですよ(言ってるやないけ)。
まあまあ、そのくらいは言ってもいいのかもしれないですが、どう考えても、現実的な社会は、相当厳しいことになっていくと思います。
そういうような中で、
「物質的・現実的な部分だけに属した人生観だけだと、生きていられなくなる」
というような状態にまで突き進む可能性さえあると思うのです。
そういうような時、そういう社会の中でも、
「何とかなる」
というようにしていくには、「生きる上での最重要事項」を、
「表面的な物質的な部分から、少しずつ自分の内部にある何らかの部分」
に移行していってもいいと思うのです。
この「何らか」の部分は、うまく日本語にできないですけれど、スピリチュアルというのとは違いそうですし、まあ、ともかく、
「自分の内部を世界の中心だとして見る生き方」
というものを、思考に取り入れるというのか。
別に、現実の生活で、変な現実感のないことを行ったりする必要はないですし、必要以上に精神的であったり宗教的である必要もないと思いますが、
「そういう《自分の内部にある何らか》の存在は大きい」
と自分で多少思い込むことで「強くなれる」気がするのですね。
そういう「何らか」の中のひとつに、シンクロニシティという存在もあると思うのです。
このシンクロニシティを合理的な科学で説明するのは難しいですが、これだけ多くの人が、そのような概念を体感していて、「現実としてそれが起きている」ことは否定しようがないのです。
抜粋は、ここまでとさせていただきます。
自分の心の声を聞き取るということを、日常の訓練だと思うくらいに考えて生きていくことも悪くないと思うことがあります。
今後の現実の社会は、熾烈なほど激しいものになっていて、あるいはすでにそうなっているかもしれないですが、狂気と憎悪と良心の荒廃がすべてに蔓延しています。そんな世の中を「美しい」と思えるにはどうするべきか、というようなことを考えるということですかね。
何か変な書き方になってしまいましたが、現在の In Deep メルマガは、このような感じとなることが多いです。
そのようなわけで、よろしくお願い申し上げます。