脳と意識は関係がない可能性
先日、「人間の「意識」は生きている間はどこをさまよい、そして「死後」はどこへ向かうのか」という記事を書かせていただきました。
基本的には、ユホン・ドン博士がエポックタイムズに寄稿した「意識は墓場には行かない」という記事を翻訳したものです。
このユホン・ドン博士というのは、スイスの製薬バイオテクノロジー企業ノバルティス本社の元上級医学科学専門家であった方で、ウイルス学、免疫学の専門家である方なのですが(それだけにワクチンのことについては人一番詳しい)、それとは別に、いろいろなことにお詳しい方で、過去記事を探してみますと、たとえば、「DNAを修復する方法の可能性」について言及していたこともあります。
DNA を修復する方法に、
・音
・思考
・瞑想
を取り上げていた記事もありました。
こちらの記事の後半で翻訳しています。
最近、先日の「意識は墓場には行かない」という記事が、「シリーズもの」であることに気づきまして、これはシリーズの 2本目だったようです。
それで、シリーズの最初の記事を読みますと、これがまたおもしろい。
「脳がなくても意識は存在できるのか?」というタイトルで、文字通り「事実上、脳がないのに、人一倍高い IQ を持つ人たち」のような話から始まって、量子学の世界と意識を結ぶ話へと入ります。
私も人一倍、脳が小さいですので(これはある程度本当で、脳が萎縮してしまっている)、最近は頭を振ると、頭の中でカラコロ音がしますので、今ではもう野球のボールくらいの大きさしかないのかもしれないですが(これはウソ)、それはともかく、非常におもしろい話でしたので、まず記事をご紹介したいと思います。
基本的には、「物質」と「意識」が結びつけられている話ではあるのですけれど、可能性としては非常に無限の広がりを感じます。
ここからです。太字の強調はこちらで施しています。
脳がなくても意識は存在できるのか?
Can Consciousness Exist Without a Brain?
Yuhong Dong 2024/09/28
科学者たちは、意識の捉えどころのない解剖学的相関関係を探求するために多大な努力を費やしてきた。しかし、意識の起源は依然として不明だ。
「脳神経外科医として、意識を生み出すのは脳だと教わってきました」と、深い昏睡状態にあったときの意識に関する自身の体験を詳細に記したエベン・アレクサンダー博士は、論文「臨死体験、心と体の論争、そして現実の本質」で述べた。
多くの医師や生物医学の学生は、意識について同じことを教えられてきたかもしれない。しかし、科学者たちはその理論が正しいかどうかについてまだ議論している。
子供が初めて象を観察するところを想像してみてほしい。光が動物に反射して子供の目に入る。目の奥にある網膜光受容体がこの光を電気信号に変換し、それが視神経を通って脳の皮質に伝わる。これが視覚、つまり視覚意識を形成する。
これらの電気信号はどのようにして奇跡的に鮮明な心のイメージに変わるのだろうか?
どのようにしてそれが子供の思考に変わり、その後に「わあ、象ってこんなに大きいんだ!」という感情的な反応が続くのだろうか?
脳がどのようにしてイメージ、感情、経験などの主観的な知覚を生み出すのかという問題は、1995年にオーストラリアの認知科学者デイビッド・チャーマーズ博士によって「難問」として提唱された (論文)。
結局のところ、脳を持つことは意識を持つための前提条件ではないかもしれない。
「頭はない」が「無知ではない」
ランセット誌は、 生後 6か月で出生後水頭症(脳の上または周囲に過剰な脳脊髄液がたまる)と診断されたフランス人男性の症例を記録した (ランセットの記事)。
彼は病気にもかかわらず健康に成長し、結婚して二人の子供の父親となり、公務員として働いた。
44歳のとき、彼は左足に軽い衰弱を感じて医者を受診した。医師が彼の頭部を徹底的に検査したところ、脳組織がほぼ完全に失われていることが分かった。
頭蓋骨の空間の大半は液体で満たされ、脳組織は薄いシート状になっているだけだった。
「脳は事実上、消失していた」と、この症例研究の主執筆者で 、フランスのマルセイユにあるティモーネ病院神経科のリオネル・フイエ博士は記している (論文)。
その男性は普通の生活を送っており、物事を見ること、感じること、知覚することに何の問題もなかった。
ランセット誌は、生後6か月で出生後水頭症と診断されたフランスの公務員の症例を記録した。
その後、MRI検査で側脳室、第3脳室、第4脳室の大規模な拡大、非常に薄い皮質外套膜、後頭蓋窩嚢胞が明らかになった。
正常な脳皮質は感覚と運動を司り、海馬は記憶を司る。水頭症患者はこれらの脳領域が失われるか、容積が大幅に減少するが、それでも関連する機能は実行できる。
こうした人々は、たとえ相当な脳がなくても、平均以上の認知機能を持つことができる。
英イェフィールド大学の神経学者ジョン・ローバー教授(1915- 1996年)は、水頭症の子供の 600例以上を分析した。
その中で、最も重篤な水頭症と脳萎縮を患う約 60人の子供の半数は、 IQが 100を超えており、通常の生活を送っていることを発見した。
彼らのうち、ある大学生は成績優秀で、数学で一級優等学位を取得し、 IQは 126で、社会的にも普通だった。この数学の天才の脳の厚さはわずか 1ミリだった。普通の人の脳の厚さは通常 4.5センチで、この高い IQ の大学生の 44倍もある。(※ コメント / 一般的に IQ125以上は高 IQ とされ、上位の 5%だけとされています)
ローバー教授の研究結果は、 1980年に「脳は本当に必要か?」という見出しでサイエンス誌に掲載された。
目に見えない脳
「ローバー博士に関して重要なのは、彼が単なる逸話を扱うのではなく、長期にわたる体系的な調査を行ったことです」と、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの解剖学教授パトリック・ウォール博士(1925年~2001年)は、1981年にサイエンス誌に掲載されたローバー教授の記事について論じたロジャー・ルーウィン氏の記事の中で、このように述べている。
脳のない人々の事例は、脳の構造が意識を生み出す基礎であるという従来の教えに疑問を投げかけている。重さ約 1.3キログラム、約 20億個のニューロンが約 500兆個のシナプスでつながっている私たちの脳は、意識の本当の源なのだろうか?
科学者たちの中には、脳の奥深くにある目に見えない構造が、重度の水頭症であっても正常な認知機能を説明すると提唱する人もいる。
これらの構造は、従来の脳スキャンや肉眼では簡単には見えないかもしれない。しかし、すぐには見えないという事実は、それらが存在しない、または脳機能にとって重要ではないという意味ではない。
ウォール博士は 1981年の論文で以下のようにコメントしている。
「何百年もの間、神経学者は自分たちにとって大切なことはすべて皮質によって行われていると想定してきたが、皮質の唯一の領域であると想定されている機能の多くは、脳の深部構造によって実行されている可能性もある」
米ハーバード大学付属ベス・イスラエル病院の神経学者ノーマン・ゲシュウィンド博士(1926年~1984年)は 1981年の論文で、これらの未知の深部構造は「多くの機能にとって間違いなく重要である」と述べた。
さらに、深層構造は「現在考えられているよりも間違いなく重要だ」と、英国リバプール大学の神経生理学教授デビッド・ボウシャー博士は同じ論文で述べている。
意識の源は、私たちがまだ探究していない領域に存在するかもしれない。医学理論で謎を解けない場合、物理学、特に量子物理学が、どんでん返しで介入するかもしれない。
ニューロンを超えて
「意識を理解するには、ニューロンだけを見るのでは足りないのです」とアリゾナ大学意識研究センター所長のスチュアート・ハメロフ博士はエポックタイムズに語った。
ゾウリムシのような単細胞生物でさえ、単一のシナプスを持たず、神経ネットワークの一部でなくても、泳ぐ、障害物を避ける、交尾する、そして重要なことに、学習するなどの目的のある行動を示す (論文)。
ハメロフ氏によると、これらの知的で意識的な行動は ゾウリムシ内部の微小管によって媒介される。同じ微小管が脳のニューロンやすべての動物細胞、植物細胞に見られる (論文)。
微小管は、その名前が示すように、細胞内の小さな管だ。細胞分裂、運動、細胞内輸送に重要な役割を果たしており、 ニューロンの情報伝達媒体であると考えられている 。
微小管(チューブリン)を構成するタンパク質は「脳全体で最も一般的、または最も豊富に存在するタンパク質」だとハメロフ氏はエポックタイムズに語った。同氏は、微小管が人間の意識において重要な役割を果たしているという仮説を立てている。
「ニューロンの内部を見ると、微小管がすべて周期的な格子状になっているのがわかります。これは情報処理と振動に最適です」とハメロフ氏は述べた。
微小管はその特性によりアンテナのように機能する。ハメロフ氏は、微小管は量子次元から意識を伝達する「量子デバイス」として機能していると述べている。
量子デバイス
イギリスの物理学者、数学者、ノーベル賞受賞者のロジャー・ペンローズ卿とハメロフ氏は、量子プロセスが意識を生み出すという理論を提唱した (論文)。
量子とは、微視的レベルのエネルギーや物質の小さな単位を指す。そのユニークな特徴は、現在の科学では説明できない多くの事柄を理解するのに役立つ。
簡単に言えば、微小管は量子の世界と私たちの意識をつなぐ橋渡しの役割を果たす。微小管は量子信号を受け取り、増幅し、整理し、私たちが完全に理解していないプロセスを通じて、何らかの方法で、私たちの意識を構成する感情、知覚、思考に変換する。
微小管は脳に関する驚くべき事実を説明することができる。ハメロフ氏は、水頭症を持って生まれた人の脳は、微小管が神経可塑性を制御し、脳組織を再編成することで適応できると仮定している。
「つまり、時間の経過とともに、脳内の微小管は意識と認知を維持するために適応し、再配置されるのです」とハメロフ氏は語った。
したがって、ハメロフ氏によれば、私たちの脳は情報プロセッサのような役割を果たし、宇宙からの信号を受信してそれを意識に形成する。
脳は、それぞれ異なる周波数で振動する複数のスケールで情報を処理する。脳波は 0.5~100 ヘルツ (Hz) でゆっくりと振動する。
個々のニューロンは 500~ 1000 Hzでより速く発火する。ニューロン内部では、微小管がメガヘルツの範囲ではるかに速く振動する。最も小さな量子スケールでは、周波数は信じられないほど高いレベルに達し、理論的には 10^43 Hz に達する。
他の科学者たちも、精神活動を説明するために代替量子理論を使用している。
Physical Review に掲載された研究では、ミエリン鞘(神経細胞の軸索のまわりを包み込む膜構造)内の脂質分子の振動により、量子もつれ光子のペアが生成される可能性があることが示されている (論文)。
この量子もつれは脳の活動を同期させ、意識に関する洞察を提供するのに役立つ可能性があることを示唆している。
量子オーケストラ
ハメロフ氏は以下のように説明する。
「脳は単純なニューロンのコンピューターではなく、量子オーケストラです」
「なぜなら、音楽と同じように、さまざまな周波数で共鳴や調和、解が存在するからです。そのため、意識は計算というよりも音楽と似ていると私は思っています」
ここまでです。
印象的だったのは、話の最初が「なぜ人は視覚としてモノが見えるのか」で始まるところでした。
> 子供が初めて象を観察するところを想像してみてほしい。光が動物に反射して子供の目に入る。目の奥にある網膜光受容体がこの光を電気信号に変換し、それが視神経を通って脳の皮質に伝わる…
私がこのことについて、最初に真剣に考えたのは、
「なぜ私たちは、赤は赤、緑は緑と見えるのか」
ということでした。
実は、科学の世界でも、「どうしてその色をその色だと人間は感じるのかは、永遠の謎」なんです。
私たちはモノの表面から反射する光などを目に受け、それを色と感じたり形と感じたりするのですけれど、つまり、人間は「波長に色や形を感じている」わけです。
「物体を見ているというより、反射した光(電磁波)を脳が感じているだけ」とも言えます。
波長に色などはついていません。それなのに、私たちはそれを「色」と認識します。この理由はわかっていませんし、永遠にわからないことだと思います。
これについては、10年近く前の記事ですが、以下にもあります。
(記事)植物が「緑色」であり続ける理由がわかった! そして人間の生活システムの完成は「植物との完全な共生」にあるのかもしれないことも
In Deep 2015年07月06日
先ほど、「反射した光を脳が感じている」と、「脳」という言葉を使いましたけれど、ユホン・ドン博士の記事にありますように、
「脳のない人たちも日常を普通に送っている」
わけです。
おそらくは、脳のある人と同じように、赤いものは赤く見え、緑のものは緑に見えるでしょう。大きさや質感も他の人々と同じように感じているはずです。
しかし、その根本の器官とされている脳はほとんどない。
ともかく、「意識」というのは、これまで単純に考えられてきたより、はるかに複雑で深淵なものなのかもしれません。いや、あるいは、複雑ではなく、単純なことなのかもしれないですが。
このユホン・ドン博士の記事では、「意識と物質」が常につなげられて表現されていますが、しかしですね、この、
「物質」
というのがまた、くせ者なのですよ。
物理の世界の大原則として「物質不滅の法則 (質量保存の法則)」というものがあり、ごく簡単にいうと、
「物質は、消えることもなければ、出現することもない」
という大原則です。
今ではいろいろと例外もあるとされていますが、基本はそうです。
モノというのは、出現するものではないし、消えるものではないと。
仮に、意識が何らかの物質と強くつながっていたとしても、いやむしろ、そうであるなら、「意識も物質不滅の(ような)法則から外れない」とも言えそうな気もします。
この世には、「消えるモノはない」のですし、「新たに生まれるモノもない」のですから。
この物質不滅の法則というのを知ったのは、12年くらい前で、当時、小学生だった子どもと図書館に行った際、子ども科学本コーナーで田中実さんという、おそらく物理学者の方が書かれた 1957年が初版の『原子の発見』という本で以下の下りを読んだことがキッカケでした。
『ちくま少年図書 原子の発見』 131ページより
生きているとはどういうことか。人間も動物も、そして、植物も生きている。生きているものと、生きていないものとは、どこがちがうのか。生きているものが死ぬとは、どういうことなのか。
生命という現象には、まだたくさんの解しきれない秘密がある。しかしそれは自然科学の力によって、しだいに解決されてゆくはずである。
どんな生物も物質から出来ているのだから『物質不滅の法則』に外れるような現象は起こるはずがない。
この本を手にしたいきさつについては、2012年9月のこちらの記事にあります。
この科学者の方は、暗に「生と死の違いは何か」ということをここで書いていらっしゃいます。
物質不滅の法則から見れば、生と死に違いがあるとは考えられないと。
そして、私自身は、意識も物質と同じように「消えないし、生まれない」ものだと確信しています。
それが人間の意識が永遠だと考える理由です。
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