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3月14日にメルマガアメリカ帝国の崩壊を考える中で思い出す、ヒトではない知的生命体を発行させていただきました。

2025年からの世界 人類の未来 悪魔の輪郭

現在の世はサタンが支配している世だから、その地球を「完全に破壊」するためにイエス・キリストがやってくるという主張を読み

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終末をもたらす存在とその理由

私はキリスト教徒ではないですが…というか、いかなる宗教も信奉したことのない人ですけれど、キリスト教を超えた部分での「聖書」については、若い時からの因縁がありました。

あれはもう 40年近く前のことですか、当時、self23 という表現団体をやっていたのですが、その初期の頃の公演に『聖者の異常な愛情』というタイトルのものがありまして、それは、聖書に取り憑かれた老人が日本政府に対して武力闘争を「聖書に則った方法で」行うという、まあ一種の狂気に取り憑かれたジイサンの話でした。

しかし、そういう話を考えてしまった以上、「聖書を読んでみないとな」と古本屋で 100円で買ったポケット聖書を読んだのが最初でしたでしょうか。

聖書は結構長いんで、パラパラとめくっていた程度でしたが、今回ご紹介させていただくアメリカの記事で興味深かったのが、私が最も好きだったフレーズを最初に引用していたことでした。

新約聖書「ルカによる福音書」の 12章50節前後の一連の下りですが、簡単にいえば、

「私(イエス)は、この世に平和をもたらすために来たのではない。争いをもたらすために来た」

というように言っている部分です。

今の聖書の訳では、おおむね以下のように書かれています。

あなたがたは、わたしが平和をこの地上にもたらすためにきたと思っているのか。そうではない。むしろ分裂である。

しかし、私がその三十数年前に持っていた聖書は古い日本語体で、大体以下のような感じでした。

「我、地に平和を持ちきたれりと思うことなかれ。我、持ちきたれるは平和にあらずして刃(やいば)なり」

 

イエスは、友人だろうが家族だろうが、親しきもの同士でさえお互いに対立する図式を作り出すために、この世に来たのだと述べています。

「どういう意味なんだろうなあ」とは思いましたけれど、よくはわからず、そのままでした。

今回ご紹介させていただく記事の著者は、敬虔なクリスチャンのように読める方ですが、その方によりますと、

「この世はサタンが支配しているのだから、そのサタンの世を破壊しに来た」

という主張、すなわち、イエス・キリストはこの現在の地球を破壊するためにやってくるというようなことを書いています。

なんとなく、わかるようなわからないような感じですが、しかし、これを考えるには、「そもそも悪魔が好きなもの、あるいは人間をその方向へ導きたい概念は何か?」ということを考える必要があるはずです。

悪魔(サタンでもアーリマンでも何でもいいのですが)が好きなものは、基本的には以下です。

「秩序と唯物論」

です。

思いますと、今の社会、あるいは、数百年遡っても、人間社会は、この「秩序と唯物」の元に社会を運営しています。

日本に関しても、あらゆることがここに基づいています。

基本は秩序とは階級であり、たとえば、何でもいいんですよ。学歴とかどんな役職にいるかとか、家系とか何でもいいんですが、秩序と階級がこの世の人間の評価と直結している

そして、それは当たり前のことだとほとんどの人が考えている。

唯物論に関しては、もう言うことはないです。

人がお金を稼ぐことを目指す理由の大半が、何らかの物質を手に入れるためであり、それが家でも車でも何でもいいんですが、ともかく、こういう金銭が人生の第一義的な目標となっています。

もちろん、これらを非難しているわけではないです。

必要な分のお金がないと今の世の中は生きられないですからね。

私だって、そうして生きてきました。十分にサタンの配下の概念の下で生きてきています。

批判的な意味で書いているのではなく、「気づいてみれば、地球はサタンの大好きな社会になっていた」。

そこに違和感なく私たちは生きていると。

イエス・キリストは、新しい世を作るために、その「世」を破壊しにやってくると。

このような道筋で考えると、「我、持ちきたれるは平和にあらずして刃なり」という意味もわからないでもないなあと思った次第です。

 

それにしても、イエスが仮にこういう存在だとすれば、

「女神エリスと同じなんだなあ」

とも、つくづく思います。

エリスはギリシャ神話の女神で、一般的には「争いと不和の女神」とされています。

しかし、女神エリスの信奉者たちの聖典である『プリンキピア・ディスコルディア』には、「エリスは、秩序と無秩序の両方から構成される世界」の女神であり、そのために争いと不和を世に蒔き続けていると。

カオスの女神なんですね。

そのあたりは、以下の記事で書いたことがあります。

殺戮の中で地球に笑顔と自由が定着する日までの道程を、秩序と無秩序の同居を主張する「不和と争いの女神」エリスの言葉から知る
In Deep 2023年12月5日

女神エリス、私は好きでして。知ったのは、つい 2年ほど前ですが(小説『イルミナティ』で詳しく知りました)、信奉者が多いことも頷けるカオスぶりの女神です。

話が逸れましたが、終末感漂う昨今の世、そして最終的に来る終末をもたらすのはイエス・キリストかもしれないと考えるのも何だかエキサイティングなことではあります。

ちなみに、最初のほうに書きました表現団体の公演で使用した聖書は、舞台が血まみれになった時に血で染まってしまいましたが、血まみれのまま今でも本棚に鎮座しています。

アメリカの記事をご紹介します。

非常に長い記事で、ご紹介している部分でも全体の3分の1くらいなんですが、全部紹介すると、聖書研究ブログみたくなっちゃっても困りますので、前半の部分のご紹介です。




 


イエスは世界を「より良い場所」にするために来たのではないと言った – 世界は破滅し、生き残るのはほんのわずかだ

Jesus Said He Did NOT Come to Make the World a “Better Place” - World Destruction is Coming and Only a Few Will Survive
Brian Shilhavy 2025/02/08

イエス・キリストは歴史上最も著名な人物の一人であり、世界中で多くの人々が彼の教えに従っていると主張されている。

イエスに関する最も一般的な信念の一つは、イエスは他者に奉仕することによって「敬虔な人生」を送る方法の模範を示し、世界を「より良い場所」にするために来られたというものだ。

本当に悲劇的なのは、イエスの生涯と教えの記録が、新約聖書部分のギリシャ語原文から今日、世界のほとんどの言語に翻訳されているにもかかわらず、イエスが実際に言ったことを時間をかけて読む人が今日非常に少ないことかもしれない。

牧師のような「専門家」がイエスが教えたと主張することを聞いたり読んだりするのではなく、実際にイエスが教えたことを読んだ人が、イエスが世界を「より良い場所」にするために来たという信念を持つことができるとは思えない。

実際、イエスは全く逆のことを教えた。新約聖書のルカによる福音書からの一例を次に示す。

ルカによる福音書 12章49 -53節

わたしは、火を地上に投じるためにきたのだ。火がすでに燃えていたならと、わたしはどんなに願っていることか。

あなたがたは、わたしが平和をこの地上にもたらすためにきたと思っているのか。

あなたがたに言っておく。そうではない。むしろ分裂である。

というのは、今から後は、一家の内で五人が相分れて、三人はふたりに、ふたりは三人に対立し、また父は子に、子は父に、母は娘に、娘は母に、しゅうとめは嫁に、嫁はしゅうとめに、対立するであろう」。

イエスは弟子たちに「世界をより良い場所にしなさい」とは決して教えなかった。

イエスは、その代わりに、神の王国が地球を侵略し、サタンの王国を混乱させていると教えた。

イエスの信奉者の人生は、イエス自身とイエスに従った人々の人生によって、新約聖書の文書の中で、絶え間ない闘争の人生、サタンが支配する世界システムと対峙し、それに対抗する霊的な戦いとして生き生きと描写されている。

イエスは世界をよりよい場所にする必要があるとは決して教えなかった。イエスは世界を侵略し、それに反対することを教え、イエスは世界を破壊するために戻ってきた。

ペテロのような彼の弟子たちも同じことを教えた。

ペテロの第二の手紙 3章2-7節

それは、聖なる預言者たちがあらかじめ語った言葉と、あなたがたの使徒たちが伝えた主なる救主の戒めとを、思い出させるためである。

まず次のことを知るべきである。終りの時にあざける者たちが、あざけりながら出てきて、自分の欲情のままに生活し、

「主の来臨の約束はどうなったのか。先祖たちが眠りについてから、すべてのものは天地創造の初めからそのままであって、変ってはいない」と言うであろう。

すなわち、彼らはこのことを認めようとはしない。古い昔に天が存在し、地は神の言によって、水がもとになり、また、水によって成ったのであるが、その時の世界は、御言により水でおおわれて滅んでしまった。

しかし、今の天と地とは、同じ御言によって保存され、不信仰な人々がさばかれ、滅ぼさるべき日に火で焼かれる時まで、そのまま保たれているのである。

イエスは、サタンの世界システムの中で繁栄や名声を求めるべきではなく、むしろイエスが戻ってきて地球を滅ぼす日を待ちながら「用心深く」生きるべきだと明確に教えた。

ルカによる福音書 12章35 -40節

腰に帯をしめ、あかりをともしていなさい。主人が婚宴から帰ってきて戸をたたくとき、すぐあけてあげようと待っている人のようにしていなさい。

主人が帰ってきたとき、目を覚しているのを見られる僕たちは、さいわいである。よく言っておく。主人が帯をしめて僕たちを食卓につかせ、進み寄って給仕をしてくれるであろう。

主人が夜中ごろ、あるいは夜明けごろに帰ってきても、そうしているのを見られるなら、その人たちはさいわいである。

このことを、わきまえているがよい。家の主人は、盗賊がいつごろ来るかわかっているなら、自分の家に押し入らせはしないであろう。

あなたがたも用意していなさい。思いがけない時に人の子が来るからである」。

私たちはサタンの世界のシステムの中で生きているので、この人生で名声と富を求める人は、突然それを失うだろう。

ルカによる福音書 12章15 - 21節

それから人々にむかって言われた、「あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい。たとえたくさんの物を持っていても、人のいのちは、持ち物にはよらないのである」。

そこで一つの譬を語られた、「ある金持の畑が豊作であった。そこで彼は心の中で、『どうしようか、わたしの作物をしまっておく所がないのだが』と思いめぐらして

言った、『こうしよう。わたしの倉を取りこわし、もっと大きいのを建てて、そこに穀物や食糧を全部しまい込もう。そして自分の魂に言おう。たましいよ、おまえには長年分の食糧がたくさんたくわえてある。さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ』。

すると神が彼に言われた、『愚かな者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。そうしたら、あなたが用意した物は、だれのものになるのか』。

自分のために宝を積んで神に対して富まない者は、これと同じである」。

私たちは、サタンの世界体制の中で異邦人として生きながら、「より良い世界」やこの世での成功を求めるのではなく、神の王国を求めるべきだ。

マタイによる福音書/ 06 25 - 34節

あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。

そんな小さな事さえできないのに、どうしてほかのことを思いわずらうのか。

野の花のことを考えて見るがよい。紡ぎもせず、織りもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

きょうは野にあって、あすは炉に投げ入れられる草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。

あなたがたも、何を食べ、何を飲もうかと、あくせくするな、また気を使うな。

これらのものは皆、この世の異邦人が切に求めているものである。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要であることを、ご存じである。

ただ、御国を求めなさい。そうすれば、これらのものは添えて与えられるであろう。

恐れるな、小さい群れよ。御国を下さることは、あなたがたの父のみこころなのである。

自分の持ち物を売って、施しなさい。自分のために古びることのない財布をつくり、盗人も近寄らず、虫も食い破らない天に、尽きることのない宝をたくわえなさい。

あなたがたの宝のある所には、心もあるからである。

もちろん、私たちがこのように、地球上のよそ者や異邦人として、地球を破壊するイエスの再来を待ちながら生きるとき、私たちは少数派、変わり者、狂人、陰謀論者などになる。なぜなら、私たちは群衆に逆らうことになるからだ。

私たちの唯一の真の「羊飼い」であり「牧師」であるイエスは、私たちを「小さな群れ」と呼び、恐れるなと励ましてくださっている。なぜなら、たとえ私たちの数は少なくても、神の王国は私たちのものだからだ。

ルカによる福音書 10章21 - 24節

そのとき、イエスは聖霊によって喜びあふれて言われた、

「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。父よ、これはまことに、みこころにかなった事でした。」

「すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子がだれであるかは、父のほか知っている者はありません。また父がだれであるかは、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほか、だれも知っている者はいません」。

それから弟子たちの方に振りむいて、ひそかに言われた、

「あなたがたが見ていることを見る目は、さいわいである。あなたがたに言っておく。多くの預言者や王たちも、あなたがたの見ていることを見ようとしたが、見ることができず、あなたがたの聞いていることを聞こうとしたが、聞けなかったのである」。

そして、たとえ私たちは少数派であっても、地上におけるイエス・キリストの代表者としてイエス・キリストの力と権威を持っており、その権威と力は、世界のシステムを運営するサタンとその悪魔たちよりも強いのだ。

ルカによる福音書 10章16 - 19節

あなたがたに聞き従う者は、わたしに聞き従うのであり、あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのである。そしてわたしを拒む者は、わたしをおつかわしになったかたを拒むのである」。

七十二人が喜んで帰ってきて言った、「主よ、あなたの名によっていたしますと、悪霊までがわたしたちに服従します」。

彼らに言われた、

「わたしはサタンが電光のように天から落ちるのを見た。わたしはあなたがたに、へびやさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けた。だから、あなたがたに害をおよぼす者はまったくないであろう。しかし、霊があなたがたに服従することを喜ぶな。むしろ、あなたがたの名が天にしるされていることを喜びなさい」。

しかしながら、この地上で少数派の信者として狭い道に従うということは、イエスの弟子の一人となるために払う高い代償として、この世が提供するすべてのものを失う覚悟をしなければならないことを意味する。

ルカによる福音書 14章33節

あなたがたのうちで、自分の財産をことごとく捨て切るものでなくては、わたしの弟子となることはできない。

これはイエスの教えが非常に明確である点の一つだ。

ルカによる福音書 11章23節

わたしの味方でない者は、わたしに反対するものであり、わたしと共に集めない者は、散らすものである。

あなたがたはサタンとこの世のシステムに仕えるか、そのシステムを離れて迫害されている少数派に加わり、イエスに仕えて彼のために働くかのどちらかだ。

他に選択肢はない。

これは戦争だ。この非常に困難な道を一度歩み始めると、後戻りはできない。

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