8月14日の英国BBCの報道より。BBC
もはや法はナシ
先日、英国で警察官たちに対して「暴言を述べた」として、61歳の男性が逮捕され、そして「懲役 18カ月の判決を受けた」という報道をご紹介したことがあります(翻訳記事)。
報道の冒頭は以下のようなものでした。なかなか英語のニュアンスが難しいですので、原語も添えておきます。
報道より
英国で 61歳の男性が、ダウニング街の外で行われた抗議活動中に「アッラーとはいったい何者だ (Who The F**k is Allah)」と連呼し、警察官に「お前たちはもはやイギリス人ではない」と言ったとして、18ヶ月の懲役刑を言い渡された。
デビッド・スプリング容疑者に言い渡されたこの判決は、先月、サウスポートで 3人の少女が殺害された後に起きた暴動への対応として、英国の言論の自由の基準がいかに低く設定されたかを示す最新の衝撃的な例かもしれない。
要するに、「アッラーとはいったい何者なんだ!」という言葉を、F ワードつきの、やや暴力的な表現で述べたということで、暴力行為をしたわけでもなんでもないのですが、裁判所の判決は、
「 18カ月の懲役刑だった」
という話です。
これはもう、イギリスでは、「移民の問題については、公共の場では、それに反対するどんな言葉も言ってはならない」ことを示したというような出来事だと思いますが、今度は、
「ソーシャルネットの書き込みで男性が逮捕された」
という件が伝えられていました。
具体的には X への投稿です。
以下が、それを伝えていた記事です。
英国人男性が「反体制的な言説」を含むソーシャルメディア投稿で逮捕
UK Man Arrested For Social Media Posts Containing “Anti-Establishment Rhetoric”
modernity.news 2024/08/15
BBCは、40歳の男性が「反体制的な言説」を含むソーシャルメディアの投稿をしたとして逮捕され、刑事告訴されたと報じている。
逮捕されたウェイン・オルーク氏は、最近の英国における、反大量移民暴動を受けての言論の自由に影響を与える権威主義的ヒステリーの波の最新の例となった。
リンカンシャー警察によると、オルーク容疑者は「ソーシャルメディアアカウントからの投稿」に関連して 8月11日に逮捕された。
「ノッティンガム治安判事裁判所は、これらの投稿には反イスラム教、反体制の言辞が含まれていると申し立てられた」とBBCは報じている。
オルーク容疑者は X に約 10万人のフォロワーを抱えており、自身の逮捕を数日前に予測していた。
どうやら現在の英国では「反体制的な言説」を投稿するだけで投獄される可能性があるようだ。
報告書ではオルーク容疑者が実際に何を投稿したかは詳しく述べられていないが、「最近の暴動への支持を表明し、9万人のフォロワーに対して匿名性を保つ方法についてアドバイスを提供したとされる」という。
オルーク氏は 8月16日に、リンカーン刑事法院に出廷し、「人種的憎悪をあおるために文書をオンラインで公開した」罪で起訴される予定だ。
先日お伝えしたように、英国で 61歳の男性が、ダウニング街の外で行われた抗議活動中に「アッラーとは何者だ」と連呼し、警察官に「お前たちはもうイギリス人じゃない」と言ったことで、18ヶ月の懲役刑を言い渡されている。(※ 最初に書いた一件です)
別の男性は、フェイスブックにイスラム教徒の男性の画像とともに「あなたがたの近くの町に来る (coming to a town near you)」という言葉を投稿しただけで、2カ月間投獄された。
従来のメディアは、ネット上に不快なコンテンツを投稿した人々に科せられる罪状について、24時間体制で継続的に報道し続けており、これは他の人々への警告として機能するように思われる。
当局は、暴動が起こっているのをただ見ているだけで、デモに参加していなくても、誰かを刑事告訴するのに十分であると警告しており、12歳ほどの幼い子供たちも暴動に関連して起訴されている。
ここまでです。
コロナのときには、さまざまな国でロックダウン時代にいろいろな理由で逮捕や拘束がおこなわれていましたが、今度は「言論の問題」ということになっているようですが、最近のこのふたつの事例を聞きまして、
「ほとんど法とかに準じてないじゃん」
とは思います。
言論の自由、なんていう表現は、私は好きではないですが、この容疑者がどのような投稿を書いて逮捕されたかは定かではないにしても、今や、そんな書き込みは常に「世界中にあふれて」いるわけです。
もちろん、日本の SNS にもです。
日本の X なんてのは、どちらかというと、今は、対立と揶揄と侮蔑と差別と攻撃に綾取られている雰囲気さえあり、そのこともあって、私は X 自体はたまに見ますが、日本語の投稿を見るのは最近はやや避けています。
私は SNS に書き込むことは絶対にしない人ですので、常に傍観者ですが、傍観者にしても、あまりいい気持ちにはならないものです。
二十代などの若い時に、周囲はパンクスや社会不適合者ばかりで、その頃の私は、まったく闘争とか対立とか攻撃とかそういう世界とは無縁でした。心優しい狂気の世界しか知らないで大人になってしまいまして、ぬるま湯そのものの青春時代だったせいか、今でも人と人との争いは好みません。
まあ、それはともかく、今の SNS には、世界中がそうなのかどうかはわからないですが、十数年前の記事で取り上げました作家の山本七平さんの『ある異常体験者の偏見』(1973年)という著作の中に出てくる「詩人シナ」の概念をたまに見ます。この本は、ご自身の兵士としての従軍体験と絡めて、70年代の日本の世相を書いた著作です。
少し抜粋します。ここに書かれてあることは、コロナの時代に行われた扇動とも似ています。
『ある異常体験者の偏見』 アントニーの詐術より
原則は非常に簡単で、まず一種の集団ヒステリーを起こさせ、そのヒステリーで人びとを盲目にさせ、同時にそのヒステリーから生ずるエネルギーが、ある対象に向かうように誘導するのである。
これがいわば基本的な原則である。ということは、まず集団ヒステリーを起こす必要があるわけで、従ってこのヒステリーを自由自在に起さす方法が、その方法論である。
この方法論はシェークスピアの『ジュリアス・シーザー』に実に明確に示されているので、私が説明するよりもそれを読んでいただいた方が的確なわけだが…
…実は、私は戦争中でなく、戦後にフィリピンの「戦犯容疑者収容所」で、『シーザー』の筋書き通りのことが起きるのを見、つくづく天才とは偉大なもので、短い台詞によくもこれだけのことを書きえたものだと感嘆し、ここではじめて扇動なるものの実体を見、それを逆に軍隊経験にあてはめて、「あれも本質的には扇動だったのだな」と感じたのがこれを知る機縁となったわけだから、まずそのときのことを記して、命令同様の効果のもつ扇動=軍人的断言法の話法に進みたい。
まず何よりも私を驚かしたのは『シーザー』に出てくる、扇動された者の次の言葉である。
市民の一人 名前は? 正直に言え!
シナ シナだ。本名だ。
市民の一人 ブチ殺せ、八つ裂きにしろ、こいつはあの一味、徒党の一人だぞ。
シナ 私は詩人のシナだ、別人だ。
市民の一人 ヘボ詩人か、やっちまえ、ヘボ詩人を八つ裂きにしろ。
シナ ちがう。私はあの徒党のシナじゃない。
市民の一人 どうだっていい、名前がシナだ・・・やっちまえ、やっちまえ・・・
こんなことは芝居の世界でしか起こらないと人は思うかも知れない…
…しかし、「お前は日本の軍人だな、ヤマモト! ケンペイのヤマモトだな、やっちまえ、ぶら下げろ!」、「ちがいます、私は砲兵のヤマモトです! 憲兵ではありません」、「憲兵も砲兵もあるもんか、お前はあのヤマモトだ、やっちまえ、絞首台にぶら下げろ」といったようなことが、現実に私の目の前で起こったのである。
これがあまりに『シーザー』のこの描写に似ているので私は『シーザー』を思い出したわけである。新聞を見ると、形は変わっても、今でも全く同じ型のことが行われているように私は思う。
一体、どうやるとこういう現象が起こせるのか。扇動というと人は「ヤッチマエー」、「ヤッツケロー」、「タタキノメセー」という言葉、すなわち今の台詞のような言葉をすぐ連想し、それが扇動であるかのような錯覚を抱くが、実はこれは、「扇動された者の叫び」であって、「扇動する側の理論」ではない。
すなわち、結果であって原因ではないのである。
ここまでくれば、もう先導者の任務は終わったわけで、そこでアントニーのように「…動き出したな、…あとはお前の気まかせだ」といって姿をかくす。
というのは、扇動された者はあくまでも自分の意志で動いているつもりだから、「扇動されたな」という危惧を群衆が少しでも抱けば、その熱気が一気にさめてしまうので、扇動者は姿を見せていてはならないからである。(略)
…従って、扇動された者をいくら見ても、扇動者は見つからないし、「扇動する側の論理」もわからないし、扇動の実体もつかめないのである。扇動された者は騒々しいが、扇動の実体とはこれと全く逆で、実に静なる理論なのである。(略)
…これをやっていくうちにしだいに群衆のヒステリー状態は高まっていき、ついに臨海地に達し、連鎖反応を起こして爆発する。…ヤッチマエー、ぶら下げろ-、土下座させろー、絞首台へひったてろー、…から、ツツコメ、ワーまで。
ここまでです。
現在は、このようなことが、「対立するどちら側の主張のほうにも存在する時代」だと感じます。冷静な概念を吹き飛ばしてしまっている。
少し前に、「太陽活動とサイクルを共にする「アナーキー・イン・ザ・UK」を見て」なんていうタイトルの記事を書きましたが、暴動そのものもにも、同じような扇動の理論が当てはまる場合が多いでしょうが、「反逆者側にも体制側にもどちらにも同じ要素がある」のが今の時代だと思います。
そして、結局は、
「どちらも無法になっていく」
しかなくなる。
今回の英国の逮捕や懲役刑は、まともに考えれば、普通の法治国家で起きるような出来事ではないですが、実際に起きている。
まあ、これについては、英国などで実際に SNS などをなさっている方は、英語での書き込みには注意すべきかと思いますが、それはともかくとしても、こういう手段は、「やろうと思えば、どんな国でもできる」ということも事実のように思います。
なお、今回のタイトルには「無法の英国」なんていう言葉をつけましたけれど、これもまた、ロンドンのパンクバンドの曲名なんですよね。
正確にはハードコアパンクですけど、カオスUK という英国のバンドで、彼らの 1984年のアルバムの最初の曲が、Lawless Britain (無法の英国)という曲でした。たまに聴いていました。
Sex Pistols だとか、Chaos UK だとか、英国のパンクの名前が最近続けざまに出ますけれど、これも太陽のせいかなあ(適当な責任回避)。
ともかく、黒点最大期らしい社会情勢の中で、ディストピア傾向がさらに高まっているようです。
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