瓶から脱出する
作家で投機家であるダグ・ケイシーさんのウェブサイトに、ジェフ・トーマスさんという方が、「アリから学ぶ」というタイトルの記事を書いていました。
これがとてもいい記事でしたので、最初にご紹介したいと思います。
これまで、「人々が対立して、真っ二つに割れていく」という様相については数年前から書くことがありましたが、それについてのものです。
実際には、記事に最初に引用されている「 100匹の赤いヒアリと 100匹の大きな黒いアリ」のエピソードだけで十分な気もするのですが、全文ご紹介します。
ここからです。
アリから学ぶ
Learning from Ants
Jeff Thomas
たとえば、100匹の赤いヒアリと100匹の大きな黒いアリを捕まえて瓶に入れたとしても、最初は何も起こらない。しかし、瓶を激しく振って地面に投げ返すと、アリたちは最終的に殺し合うまで戦う。
問題は、赤いアリは黒いアリを敵だと思っているし、黒いアリもまた赤いアリを敵だと思っている。しかし、実際には本当の敵は「瓶を振った人物」だ。
これがまさに今日の社会で起こっていることだ。リベラル対保守。黒人対白人。マスク賛成派対反マスク派。ワクチン対反ワクチン派。金持ち対貧乏人。男性対女性。警官対市民。など。
私たちが自分自身に問うべき本当の質問は、誰が瓶を振っているのか…そしてなぜなのかということだ。
このシェラ・スター氏による観察は改善の余地がない。
しかし、この質問に対する答えは非常に単純だが、まずはこの異常性について考えてみよう。ある特定の個体を他の個体よりも強く認識するのは自然なことだ。この傾向はホモ・サピエンスが誕生する前から存在していた。さらに、動物が家族や群れに集まる傾向も人間より前から存在していた。
私たちは、自分と同じように行動し、自分と同じ認識を持つ人々の周りにいたいと思う傾向がある。それは当然のことだろう。私たちは、自分たちが選択しないような行動をすることで私たちを驚かせたり、場合によっては自分を危険にさらしたりする可能性の低い人々に囲まれたいと願う。
これは信頼の基盤であり、グループや群れの精神に不可欠なものだ。そして、グループや群れの一員になることで、私たちはより安全になる。
それでは、私たちのグループや群れの中にいない人たちについてはどうだろうか? 私たちは彼らとどのように関わっていくのだろうか。
これはたとえば、水場の周りに集まる動物たちを特集した自然番組から、その答えが得られるかもしれない。
野生のイノシシの小集団がヌーの群れの横で水を飲んでいるのが見える。どちらの種も捕食性ではないので、一方の集団がサバンナに住む草食動物で、もう一方の集団が森林に住む採餌動物であっても、簡単に共存できることを彼らは認識し、両方の種が同時に水場を利用できる能力を高める。
ハイエナの群れが水場を利用しているのを目にすることもあるだろうが、獲物となる動物たちは皆、捕食者であるハイエナと距離を保とうとしていることに気が付く。
他の状況では天敵同士であっても、全員が同じ理由で水場にいるので、水を共有するのは理にかなっていると皆が理解している。
実際、自然界のほとんどでは、種が共存できるように相互寛容の状態に適応していることがわかる。
したがって、ホモ・サピエンスが形成段階で相互寛容の潮流に乗って、大部分においてその状態を維持してきたことは驚くには当たらない。
しかし、捕食動物が二重の習性を身につけるのも事実だ。捕食動物は水場にいるときは寛容かもしれないが、ある時点では、水場にいる隣人を食べようと考える。
そして、そうする際に、多くの種は狩りをするために同種の他の種と連携をとる。
これは人間にも当てはまる。ほとんどの人類は、他者との協力の精神で生きたいと考えている。
田舎では、人々は境界を定めるために壁や柵を建て、平和に暮らすためにはそうした境界を尊重することが得策だと考える。
都市部でも、同じ建物に寄り添って暮らす人々は、ほとんどの場合、お互いのプライバシーを尊重する。たとえ友達にならなくても、礼儀正しく接するか、お互いを無視するかのどちらかだ。
例外は常に存在するが、ほとんどの場合、人類は「仲良くする」ことを基本とした行動をとる。他の人と口論することもあるかもしれないが、ほとんどの場合、協力することが自分の利益となるため、一般的には協力が目的であるべきだと理解している。
しかし、ではなぜ先進国の多くで、人々の間の二極化が急速に進んでいるのだろうか。
スター氏の言うことはまったく正しい。相互寛容を最も望んでいる人たちが、近年、非常に二極化してしまい、休日に家族と集まることからさえも激しい口論に発展してしまうことがある。
なぜ現代の人々は二つの陣営のどちらかに固執しているのだろうか?
これはインターネットの普及のせいなのだろうか。そうではない。インターネットは、さまざまな意見や認識の源となっている。そして、人々を「A」と「B」の二極化した選択肢に閉じ込めるだけでなく、インターネットは公共の議論を広げる役割を果たしてきた。
もちろん、ほとんどの人はメディア、特に「ニュース」を扱っているとされるネットワークに対して不信感を抱いている。今日ニュースとして流布されているものは、視聴者が自由に評価できる客観的な情報からは程遠いものだ。
あるネットワークでは、ある政党に対する絶え間ない非難を目にする。そして、チャンネルを変えると、反対政党に対する絶え間ない非難を目にする。
ニュースをつけると「教化センター (Indoctrination Central)」にたどり着く。
しかし、客観的に本当に注意を払ってみると、同じ番組がふたつの対立軸を私たちに与えていることがわかる。
彼らはまた、私たちを破滅させようとする者たちから私たちを守るために戦争が不可欠であるとか、戦争そのものが私たちを破滅させるだろうという相反する信念の源でもある。
実際、スター氏の懸念の根源はすべてメディアにある。
「誰が瓶を揺らしているのか…そしてなぜなのか?」と問うと、メディアをコントロールする人々が、特に先進国における人々の分極化の根源であることがわかる。
「なぜ?」という問いに対する答えはあまりにも単純なので、見落とされがちだ。アリと同じように、人々が互いに戦えば戦うほど、人々を征服することは簡単になる。
そして、人々を二極化させる取り組みがあまりにも大規模になっていることから、最終目的は、異常に短い期間で、はるかに高いレベルの支配を実行することであると結論づけるしかない。
リベラル対保守。黒人対白人。男性対女性。それらを分断して征服する。
このような社会政治的な状況では、冷静さを保つことが課題となるだろう。毎日のように状況が揺れ動く中、メディアをコントロールする人々が豚とヌーの戦争を引き起こしていることを認識することが極めて重要となる。
これはどちらの種族も望んでいないことだが、ヘルマン・ゲーリング(ナチスの最高幹部)が「もちろん、国民は戦争を望んでいません」と述べたように。しかし、仕掛け人がより一層の征服を達成したいのであれば、国民を戦争に駆り立てなければならない。
今後数年間、この傾向は現在よりもはるかに悪化することが予想される。
課題は、可能であれば「瓶から脱出すること」だ。戦争状態がそれほど顕著でない場所を見つけるか、それが不可能な場合は、「瓶の中で争いから離れた場所」を探してほしい。
餌に引っかかる人々、つまり、ある政党を熱狂的に支持するようになったり、特定の人種全体に対して怒りを覚えたり、特定の性別全体に対する憎悪に騙されたりする人々は、征服の最大の犠牲者となるだろう。
ここまでです。
アメリカにおいての「分断工作」については、心理戦についての専門家であるジェームス・スコット氏のインタビューを以下の記事に掲載したことがあります。6年前の記事です。
・アメリカの現在のカオスは自然でも偶然でもなく、「作戦計画」として仕掛けられ続けている。そのアメリカの行く末は国家の完全な分裂かそれとも…
In Deep 2018年6月30日
ご紹介した記事のタイトルは「数々のカオス作戦が、アメリカのイデオロギー破壊のために行使されてきた」というものでした。
人間は本来は対立し合わない存在でいられる
ところで、先ほどの文章を書いたジェフ・トーマスさんは、投資の長いキャリアを持つ一般人であり、オカルトやスピリチュアルとはまるで関係ない方ですが、これを読んで、ふと、ルドルフ・シュタイナーの著作『悪の秘儀』にあった以下の一文を思い出しました。
『悪の秘儀』 P118より
アーリマンが用いる第二の手段は、「あらゆるものを扇動することによって、現代の人間を互いに反目し合う小さなグループへと分裂させること」です。
また、これも関係ないジャンルの話ですが、2020年にメルマガで取り上げましたロシアの女性占星術師が述べる「 2020年からの世界」でも、今後、人々は国家も個人も関係なく、
「大きな断絶と対立に向き合うことになる」
ことが述べられていました。
これは、「みずがめ座の時代と悪魔的時代の同居のときに」という記事で、メルマガ全文を抜粋しています。
そのロシア人占星術師のタチアナ・ボルシュさんは、インタビューで以下のように述べています。
ロシア人の占星術師の2020年のインタビューより
新しい時代には、常に世界的な衝撃や、文明の危機、経済的および文化的革命、そして宗教的概念に対する新しい見方が生じます。
より多くの国際的な対立、悪化する貿易戦争、おそらく世界中にある、対立が続く場所での武力の行使さえも見るでしょう。
全体として関係は疎外され、人々は「友人か敵に分かれる」と予測しています。これは、国際関係だけに当てはまるものではなく、世代間の「永遠の紛争」が発生することも予想され、家族にも影響を及ぼします。
「人々が、友人か敵に分かれる」わけですね。
これは今でもすでに、先進国の人々全体に言えることのような気がしますが、この「対立の時代」は、(地球が数十年以上続くなら)、うお座からみずがめ座に移行していく時代、すなわち今後数十年以上は続くと見られます。
私自身は、たとえば、社会のイデオロギーなどが「ふたつに割れた」という場合でも、若い時から「どちらかに寄り添うことはない」人でした。
これは中立という意味ではありません。
「どちらにも属さない」という意味のほうが強いです。
モノに依存する思想に関しては、まあ、たとえばマスクだとかワクチンだとか、そういうようなものに対しては、どちらという立場は非常にはっきりとしていますが、「イデオロギー自体」は、どちらにも寄り添うことはないです。
マスクやワクチンに関しては、「生体としての人間にしていいことと、してはいけないことがある」という単なる良識の範囲の問題であり、どちらが正しいという選択はないです。
ちなみに、私は本来的には人間には(あるいは一部の民族には)「対立や敵対といった概念はなかった」と考えています。
先ほどの文章でのサバンナの動物たちの様子の一部にあらわれているように、想像でしかない部分はありますが、縄文時代の縄文人とか、アメリカの先住民たちの集団には、基本的には対立や敵対といった概念はなかったと考えます。
たとえば、コロンブスがアメリカ大陸を発見し上陸してからコロンブスが書いていた日誌には以下のようにあります。
コロンブスの日誌より
彼らは武器を持たないばかりかそれを知らない。私が彼らに刀を見せたところ、無知な彼らは刃を触って怪我をした。
彼らは鉄を全く持っていない。彼らの槍は草の茎で作られている。彼らはいい身体つきをしており、見栄えもよく均整がとれている。
彼らは素晴らしい奴隷になるだろう。50人の男達と共に、私は彼らすべてを征服し、思うままに何でもさせることができた。
…原住民たちは所有に関する概念が希薄であり、彼らの持っているものを「欲しい」といえば彼らは決して「いいえ」と言わない。逆に彼らは「これはみんなのものだ」と申し出るのだ。
このあたりは、コロンブス - Wikipedia に書かれて……いないぞ!
このことは、10年ほど前の以下の記事に抜粋していますが、この時に Wikipedia から引用した際には、上の文章もありましたし、コロンブスたちのもっとひどい行いを、同行した宣教師が書いた文章も掲載されていましたが、今はそれもないですね。
・虐殺の祝日コロンブス・デー:彼らは「理想的な人類像」を破壊し、そしてそれは「4回続く皆既月食」の渦中で起きた
In Deep 2014年10月14日
英語版の Wikipedia のほうには、ほんの少しふれられていました。日本語版のほうは、この 10年間でいろいろと書き換えられたようです。
それはともかく、
・武器を知らない
・個人所有という概念がない
のがアメリカ先住民だったようで、おそらく古代の民族には同様の民族が数多くいたと思われます。
世界中がこういう、かつてのアメリカ先住民のような人ばかりなら、
「対立も戦争もイデオロギー闘争も宗教紛争も領土紛争も起こらない」
はずです。
それでは困る人々がいる。
なので、「誰かが瓶を振らなければならない」。
長い歴史の中で、世界中でさまざまな瓶が振られることで、本来は争うことも対立することもなかったような人々のあいだに争いや対立が生じるようになり、「そのまま現在にいたる」というのが、この数千年か数百年かわからないですが、人類の歴史だと思われます。
そして、現在は「人々の対立の頂点の時代」となり始めていますが、ジェフ・トーマスさんが述べていましたように、
> 今後数年間、この傾向は現在よりもはるかに悪化することが予想される。
ということについては、私もそう思います。
太陽活動と暴力の相関性の観点からもそう思います。
今後は、振られる瓶の中にできるだけ入らないように生きることも、ひとつのサバイバルの方法なのかもしれません
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