人が消えてもわからない社会
神奈川県で起きた連続殺人とされているもののニュースで少し驚いたのは、遺体とされている 10人にも近い人たちがほとんどすべて十代や二十代の若い人たちなのに、捜査として追われていた事例は最後の犠牲者と思われるひとりについてだったということでした。
残る若い女性たちも、最大で2ヶ月ほども「行方不明」になっていたはずですが、それが問題になっていたわけではなかったようです。
「相変わらず、人がこの世から急にいなくなってもわからない……」と考えます。十代の方々でさえも。
昔や大昔はそういう人間の孤立が作られないような横のつながりがある程度ありましたけれど、戦後一貫してそれを消す方向で文明は進み、今の日本は世界で最も人が消えてもわかりにくい社会となったと思います。
今回は日本の失踪と関係したアメリカの記事をご紹介したいと思います。
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ちなみに、In Deep では昨年など、「行方不明」についてずいぶんと記事にしてきたことがありました。
そのきっかけは、特にアメリカで「異常な状況での失踪が多すぎる」ということを知り、非常にショックを受けて書きました記事、
・アメリカの行方不明者たちのいくつかで共通している「異常に不可解」な事実か
2016/06/23
の中で、「何千もの行方不明事件に共通する異常な事態」が事実としてあり、「何か」が背景に存在している可能性についてのアメリカでの調査をご紹介したことがあります。
その後、さまざまな側面から、「失踪事件の一部には、合意的には説明しようがない状理由によるものがあるのかもしれない」と思うようになりました。もちろん全体のほんの一部ですが、その後も、
・アメリカの行方不明研究者の事例にある失踪あるいは「消滅」の強烈な実態: 生還者たちが語る状況はまるで「異次元とのコンタクト」にも似て
2016/09/07
・世界の「行方不明」に関するいくつかの事実 : そして、年間80万人の子どもの行方不明例が発生するアメリカよりさらに多い事例が生じているイギリスの例も知り
2017/03/01
などの記事を書きましたけれど、アメリカに関しましては、下の表にあるような、もともと失踪の事例が極めて多い国ではあります(アメリカでは「毎日」 2000人以上が行方不明になっています)。
上の表は 2002年のものと古いですが、「その後も年々増えている」という現実があります。
アメリカの突出ぶりはともかくとしても、日本でも、公表される失踪の数はアメリカとは比較にならないほど少ないにしても、「日本独特の失踪の様相」を取材し続けたフランス人ジャーナリストの記事を、
・失踪の国「日本」:フランス人ジャーナリストが書いた「日本人の蒸発の現実」。そして「日本の本当の自殺数は年間7万件以上」という数値を改めて強く思う
2016/12/22
で記したことがあります。
日本は、アメリカなどと違い、力尽くで拉致されたりするような失踪は少ないですが、「自主的な失踪」の数は世界でも最大級だと考えられています。
その理由は、1年間に見つかる変死体の数が毎年 10万人をはるかに超えているからです(2005年で 13万6092人)。
つまり、日本では、「10年で 100万人以上」「30年で 300万人以上」が、この世から突然いなくなっているという現実があります。
先日、アメリカのサイトで「日本の不思議な失踪の数々」という記事を見ました。これは相当長いものなのですが、ご紹介しようと思います。
この記事で取りあげているのは、どちらかというと「不可解な事例」ですが、毎年ここにある数万倍の失踪が起きているかもしれないということでもあり、そして、多くは「失踪したことさえ誰にも知られていない」のかもしれません。
なお、記事の内容は日本の過去の報道と違う部分などもあり、それらと照らし合わせて内容を追加しています。また、実際の記事には写真なども多く載せられていますが、ここでは写真は載せません。明るい話ではないですが、これらもまた現実です。
ここからです。
Mysterious Vanishings in Japan
mysteriousuniverse.org 2017/10/31
ミステリアスな日本での失踪事例の数々
世界のどのような場所でも、古くから多くの行方不明例があるが、稀に、その中には不可解な状況を残している事例がある。それらは実に奇妙で、そして、その答えはなかなか出ない。
外国人から見れば、世界で最も安全な国のひとつでもある日本にも不可解な失踪事例はあり、それらを解決するための様々な手段が講じられてきたが、多くは謎のままで現在に至る。そのようなストーリーをいくつかご紹介したい。
松岡真也くんの失踪 1989年3月7日
1989年3月6日、茨城県に家族 5人で住んでいた松岡真也くん(当時 4歳)は、両親ときょうだいと共に徳島県貞光町にある両親の親戚宅にやって来ていた。
翌朝 3月7日午前 8時頃、真也くんの父親は、真也くんを含む3人の子どもと、いとこを連れて親戚の家の前を散歩した。朝食前だったこともあり、散歩をしたのはほんの数分だった。子どもといとこたちはみんな元気で、はしゃいで父親について歩いていた。
家に戻ったあとに、父親は抱いていた真也くんの弟を玄関で母親に渡しててから、また外に出た。その間の時間はたった約 40秒だ。
父親が外に出た時に、外に真也くんの姿はなかった。
真也くんの姿が見えないことに気づき、父親はすぐに周囲を探し始めた。しかし見つけることができなかったため、家族と親類、そして地元の消防団たちも近所を探したが見つからず、午前 10時、警察に通報した。
警察は以下の理由などから、真也くんが事件に巻き込まれたケースは考えにくいとして、周辺の捜索を徹底した。
・姿が見えなくなったのが玄関先
・現場は、道の終点付近で外からの出入りはほぼない
・失踪時に近くで農作業をしていた人たちが、車や不審な人物などを見ていない
・松岡さん一家が親戚宅に来たことを知っている人が周囲にいない
・事故の形跡がない
なお、真也くんは 4歳とは思えぬ利発な子で、自宅の住所も電話番号も家族の名前もすべて言うことができた。
警察は親戚宅の電話にテープレコーダーをとりつけたが、3月16日に1本の奇妙な電話があった。それは、徳島弁のアクセントを持つ女性の声で、「ナカハラマリコの母です」と名乗った。真也くんの母親に用事があるとのことだった。
電話の女性は次のように言った。
「成蹊幼稚園の月組のナカハラマリコの父兄です。幼稚園で見舞金を集めたのですが、どちらに送れば良いのでしょうか。もう帰ってくるんですか?」
後日、母親が幼稚園に尋ねてみると、幼稚園で見舞金を集めた事実はなく、何より「ナカハラマリコ」という名前の児童は幼稚園にはいなかった。
そもそも、仮に幼稚園の児童の母親だったとしても、茨城に住む幼稚園の父兄が、連絡先を知らない徳島県の親戚の家に電話をかけてくるというのは不自然な話だった。しかし、徳島県の人物だとすれば、真也くんの通っている幼稚園の名前を知っているのは不自然な話であり、どちらにしても奇妙な電話だった。しかし、これが何かの手がかりになることはなかった。
その後、真也くんの父親は会社をやめて、捜索の時間を少しでも作るために自営業に切り替えた。テレビで何度も情報提供を求めた結果、全国から「真也くんを見た」という目撃情報が、信憑性の高いものも含めて寄せられたが、手がかりとはなっていない。
日本には「神隠し」と呼ばれる概念があり、そのようなことを述べる者もいた。
真也くんが北朝鮮に拉致されたという可能性が述べられることもある。日本では、かつて「北朝鮮による拉致」という事象が多発したためだ。今では、北朝鮮による拉致だとわかっている事例も、当時は「謎の失踪」とされていたものが多い。
田口八重子さんの失踪 1978年6月12日
1970年代と80年代には多くの北朝鮮による拉致事件があった。
1978年6月12日、当時 22歳の田口八重子さんは、いつものように、3歳と 1歳のふたりの子どもをベビーホテルに預けてから仕事に出かけようとしていた。
しかし、その日、田口さんは子どもを迎えには来なかった。そして、そのまま彼女は行方不明者のリストに入れられることになった。田口さんは捜索でも発見されず、未解決の失踪事件とされた。
その後、何年もの間、田口さんの失踪に関しての新しい情報はなかったが、1988年1月、北朝鮮のスパイとして韓国航空機を爆破し 115人を殺した金賢姫がソウルで行った記者会見によって田口さんが北朝鮮にいることがわかったのだ。
金賢姫は会見で、「北朝鮮で、田口八重子さんという女性から日本語と日本人らしく振る舞う教育を受けた」と語った。
その後、北朝鮮は、田口八重子さんは 1986年に自動車事故で死亡したと主張したが、裏付ける証拠は何もない。
また、1977年には、当時 52歳の久米裕さんが奇妙な状況で失踪した。彼は東京都三鷹市役所の警備員をしていたが、1977年9月19日、石川県能都町の海岸で突然行方不明となった。この事例も、北朝鮮の関与が強いと見られており、2003年には、北朝鮮の幹部工作員の逮捕状が取られている。しかし、久米さんと北朝鮮との関係が確認されたわけでもなく、彼に何が起きたのかはわからないままだ。
しかし、明らかに北朝鮮とは関係のない多くの奇妙な失踪事件がある。
ふたりの十代女性の失踪(坪野鉱泉女性失踪事件) 1996年5月5日
日本の非常に奇妙な失踪のひとつに、日本で「サイキックスポットの場(肝試しの場)」と呼ばれる場所に向かい消息を絶ったふたりの 19歳の女性の事例がある。
1996年5月5日、家族に「肝試しに行く」と告げて、乗用車で家を出た富山県氷見市内の 19歳の女性二人が姿を消し、行方がわからなくなった。
肝試しという言葉から、彼女たちは十数年前に閉館した魚津市にある廃ホテルの跡地に向かおうとしていたとみられる。
このホテル跡は、若者たちの間で「幽霊が出る」と騒がれ、週末になると、暴走族などをはじめとした若者たちが集まっていた。
警察は、転落など事故、そして事件の両面から捜査してきたが、手がかりはない。
教師一家失踪事件 2001年6月
2001年6月、日本の広島県の世羅町で奇妙な失踪が起きた。52歳の山上政弘さんと妻の順子さん、そして、娘で 26歳の小学校教員である千枝さん、そして 79歳になる山上さんの母親の4人が一家揃って突如姿を消した。
この日は、山上順子さんが勤めている採石会社の社員旅行の日だったが、集合時間になってあらわれないので、社員が家を訪ねたところ、家には誰もいなかったことで、失踪が明らかとなった。
警察が家に到着した時には、ドアは施錠されていなかったが、誰かが侵入したり荒らされた形跡もなかった。
家には台所の電灯がついていた。
現金や荷物などを持ち出した様子もなく、家の中のものはそのままのようだった。しかし、パジャマとサンダルと車がなく、そして飼っていた愛犬もいなくなっていた。
ということは、一家は夜間に「パジャマ姿とサンダル履きで、犬まで連れて急に一家揃って車で外に出なければならない事態になった」とも考えられるが、一体何が?
警察は、金銭トラブルなどによる突然の失踪も考えたが、調べると、一家には 2000万円を超える預金があり、借金もゼロだった。家族の誰にも犯罪歴はなく、どこから見ても幸せな一家にしか見えなかった、
車は夕方には家にあったことが確認されているが、郵便配達員が早朝 4時30分に家に来たときにはなかったというので、夜間に車を出したとみられる。
まったく失踪の原因がわからないまま 1年経った時に、動きがあった。
失踪から約 1年後の 2002年9月7日、世羅町にある京丸ダムの湖底に車が裏返しになっているのを通行人が発見した。
車のナンバーから山上さん所有の車と判明し、車内から 4人と愛犬の遺体が見つかった。雨不足によって水位が減少したことが車の発見に繋がったと考えられる。
警察は、遺体に目立った外傷がないことや、車のキーがささったままであること、転落したと思われる場所には車止めがあり誤って進入する場所ではないことなどから無理心中と判断した。
しかし、何のトラブルもない平和な一家が、真夜中に突然、パジャマ姿で、愛犬を飼えたまま車でダムに向かい、そこで無理心中をおこなう……というのは何か奇妙過ぎはしないだろうか。
あるいは、誰かによって家族全員が殺されたのではないかとする考えもあったが、そのような状況も動機も思い当たる人物もなく、その線はないとされている。
大西有紀ちゃんの失踪 2005年4月29日
最近の日本の失踪事件の中で最も記憶が長引いているのは、2005年におきた 5歳の女の子の失踪事件だ。4月29日は、日本の昭和天皇の誕生日であり、現在は「昭和の日」という記念日となっている(2005年の時点では「みどりの日」)。
2005年4月29日午後、香川県坂出市の竹林でおこなわれていた、タケノコ掘りのイベントの開催中に、当時 5歳の大西有紀ちゃんの行方がわからなくなった。
警察や消防団などが夜まで現場周辺を捜索したが見つからなかった。このイベントには 60人以上の人が参加しており、その中で起きた。
有紀ちゃんはこの日、母親と姉の 3人でタケノコ掘りに参加し、タケノコを掘っていた。
午後 1時頃からタケノコ掘りをはじめ、午後 1時40分頃に 4本目のタケノコをとった有紀ちゃんは、「もう 1本とってくる」と母親に告げた後、一人で走っていき、それが有紀ちゃんの姿が見られた最後となった。
有紀ちゃんが戻ってこないので、母親と他の参加者が周囲を探すが、見つからず、午後 3時に警察に連絡。
警察と地元消防団は、当日そして翌日からも 100人から 200人の体制で捜索をおこなった。延べ 3000人を動員した捜索では、その捜索範囲を広めていったが、手がかりは見つからなかった。
身につけていた帽子や靴、手がかりになるような遺留品も見つかっていない。
一匹の警察犬が、有紀ちゃんの持っていた水筒の匂いを頼りに行方を追っていたが、ある場所でぴたりと足を止めて、そこから動かなくなってしまった。翌日は 4匹の警察犬を投入したが、4匹とも昨日の警察犬と同じ場所で止まってしまったという。
この不思議な状況から、ワシなどの大型の鳥類にこの場で捕まれて連れ去られたのではないかという説もあるが、証拠はない。
これらの事例の謎が解明されるかどうかはわからないが、このような不可解な失踪の事例は世界中のあらゆる場所で起きている。
どの国の外国人から見ても、日本という国は安全そのものだが、このような奇妙な出来事はその安全さとは関係なく起こってしまう。
消えた人々はどうなってしまったのだろうか。そして、この謎はどのようにすれば解けるのだろうか。