オーロラの中での新年を祝う花火 スウェーデン
2017年になりました。
今日、ふと、「今年はこのことを強く認識していこう」と思ったことがありまして、それは本に書かれてあった一部なのですが、今回はその部分の抜粋を載せていただこうと思います。
それは、ルドルフ・シュタイナーが、戦争と自然災害を「カルマ」の観点から語った 1922年頃の講演の内容です。
私は最近、この「カルマ」という概念を曖昧ではありますけれど、強くおもう時がありまして、そして、おそらく今年、戦争はともかく、自然災害はさらに拡大していくと考えざるを得ないのですが、シュタイナーは、
「自然災害が起きた時はに、それはいかに準備されて起きたのか」
ということを「考えなさい」と言っています。
「どのように」というのは、自然災害が自然世界の摂理からなるという自然科学のほうの話ではなく、精神科学的なほうの「人間の活動のカルマによって自然災害は準備される」というほうの概念です。
シュタイナーの言うことを、まるごと信じるのは無理がありますが、しかし、あまりに混沌としていく一方の最近(あるいはこの 2000年間くらい)を見ていますと、そういう考えを持つことが必要な時に来ているのかもしれないとも思うことがあるのです。
というわけで、一部を抜粋します。
これは、シュタイナーの講演や著作などをまとめた『天地の未来: 地震・火山・戦争』に収められています。
地震の深層「戦争と自然災害」より
単なる情動的な文化衝動をとおして精神世界に持ち込まれるものや、本来錯綜した地上的意識から発生したにすぎないものが火山噴火・地震へと変形して、地球内部から上方に燃え上がります。
このような前提から、私たちは地球のカルマ、民族のカルマ、そして、(民族のカルマと地球のカルマに結びついた)個人のカルマについて問いを発することを学びます。
古い文化が人間の情動によって破壊され、野生の本能が空想的に新しいものを創造しようとしながら破壊的にしか作用できない地域におけるルシファーの働きのなかに、私たちは原因を探す必要があります。
そして私たちは、「いま人間の乱暴な情動のなかで燃え上がるものが、地上のどこで」大地を波打たせながら現れ出るのか」と考えてみなければなりません。
数多くの自然災害を目撃すると、「いつ、この自然災害は準備されたのか」という問いを立てることができますし、立てねばなりません。自然災害は戦争の戦慄、戦争の残虐、人類文明の進歩のなかに現れたその他の残虐のなかで準備されたのです。
このように考察すると、生起するさまざまな出来事は別々のものにとどまってはいません。それらの出来事は大きな宇宙関連のなかに現れます。
人類進化に結びついている神々がいます。彼らの課題は、このようなかたちで起こったことを、ふたたび有益なもの、人間の運命を促進するものに変化させることです。
人間の運命は、ルシファーの翼とアーリマンの鉤爪から救い出されます。神々は、善良だからです。アーリマンとルシファーが世界の背後で築いた不当なものは、よい神々によって正義の軌道へと導かれ、最後にはカルマの関連が善良で正しいものになります。
ここまでです。
この中の、
> 自然災害は戦争の戦慄、戦争の残虐、人類文明の進歩のなかに現れたその他の残虐のなかで準備された
という部分を、少なくとも心情的には最近否定しきれないのです。
ちなみに、ルシファーとかアーリマンとかの言葉が出てきますが、ルシファーは、いわゆる悪魔(サタン)で、アーリマンは「ゾロアスター教の悪神」という似たようもので、どちらを選んでも壊滅的な違いにはならないという意味では、赤いきつねと緑のたぬき程度の違いかもしれません。
それでは、今は元旦の夕方ですが、これから親戚参りに行ってまいります。