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5月23日にメルマガ新しい暗黒時代 - 人類は退化しているを発行させていただきました。

人類の未来 人類の覚醒と真実 日本の未来

ソーシャルメディア社会が生み出す、あらゆるものの短縮化と無思考が作り出す「文明の衰退局面」

投稿日:2025年4月26日 更新日:




 

大短縮時代

米ブラウンストーン研究所の創設者のジェフリー・A・タッカーさんが、「大短縮 (The Great Shortening)」というタイトルの記事をエポックタイムズに寄稿していました。

Uber の運転手からふいに聞いた、

「最近は誰も何かに長く集中できないのですよ。それが、社会を完全に破滅させています」

という言葉から始まる記事でした。

ソーシャルメディアなどの浸透によって、社会が「より短く、より効率よく」という方向性に非常に早い速度で向かっていることについての考察で、単なる非難とかそういうものではないですが、なかなか印象深い記事でした。

最終的には「長い本を呼んでほしい」という流れになっていきます。

この「大短縮」というの言葉は、変な日本語なんですけれど、英語の「グレート」がつく最近のさまざまな言葉は、どれも、やや変な日本語にならざるを得ません。

グレートリセットは、そのままの日本語で使われていますが、元ヘッジファンドマネージャーのデビッド・ウェッブ氏という方の著作に「グレートテイキング (The Great Taking)」というものがあり、これは、「大奪取」と訳していますが、まあ、変な日本語ですよね。

以下の記事のタイトルに出てきます。

DOGEによる「悪と詐欺の曝露」という正しい行いが結果的にアメリカの「破産」に結びつくメカニズム。それが世紀の「大奪取」につながる可能性
 In Deep 2025年2月24日

ちなみに、ご紹介するジェフリー・A・タッカーさんの主張の中に出てはこないですが、現在のスマートフォン依存気味の人たちが多い状態で、私自身が最も心配なのは、本を読まなくなったとか、そういうことではなく、

「考える時間がなくなっている」

ことです。

画面に向かって、何かを見たり反応している状態は、「反応状態」であり、何かを考えている時間とは異なります。

そして、古来より、

「何もせずにボーッと考える時間が、新しい文化や価値観の出現にとても大切だった」

ということがあります。

むかしに遡れば遡るほど、「ボーッとした時間」を持つ人たちはとても多かったと思われます。

私自身は、スマートフォンを持ちませんし、ソーシャルメディアとも関わりませんが、それでも、一日、2、3時間はパソコンを見ていますし(それプラス書く時間)。

しかし、実際には、パソコンの前にいる時よりも、はるかに長い時間をかけているのが、

「ベランダにボーッと突っ立っている時間」

です。

下手すると、1日の合計で 4、5時間いるときもあります。

以前は、散歩なんてのもしていたんですが、コロナ以来、マスクばかりの街中を歩くことに興味がなくなりました。

とにかく、ボーッとしているときにこそ、いろいろな思考がうかびあがってくるのですね。これは、情報そのものなどより、はるかに貴重なことです

若い人たちにこそ、ボーッと考える時間をたくさん持ってほしいなとは思いますが、もう難しいんでしょうね。

思考する時間が足りない状態が生み出すものは、新しいカルチャー(音楽や文学を含む)の出現の著しい衰退と、価値観の多様性の著しい弱体化だと思います。

以前、「この世にあるものが著しく似通ってきている」ことにのついて、「みんな同じなクローン社会に生きる」という記事で書いたことがありましたが、この傾向もソーシャルメディアの広がりの中でさらに拡大しそうです。

美や形への価値観も「ひとつに集中していく」というような。

味気ない社会だとは思いますが、人類がそれぞれ自らの意志で作り出した社会でもあるわけで、仕方ないのかなとも思います。

ここから、ジェフリー・A・タッカーさんの記事です。

記事の後に、少し補足させていただきます。




 


大短縮

The Great Shortening
Jeffrey A. Tucker2025/04/23


ドイツのハノーバーで、ロングボードの上に立ち、スマートフォンを手にポケモンGOをプレイする女性。

 

「最近は誰も何かに長く集中できないのですよ。それが、社会を完全に破滅させています」

哲学的な考えを持つ Uber の運転手から、この実に的を射たコメントを聞かされ、私は注目した。

それは私がずっと考えていたことであり、真実味を帯びていたが、見知らぬ人からこんなことを聞​​かされたことに驚いた。そこで、彼に詳しく説明してもらった。

「ソーシャルメディアです。誰もが、意味のないコンテンツから 3秒、4秒の瞬間的な満足感を得るために、スクロールして日々を過ごしています。長々と意味のある物語に我慢できなくなっています」

「長い映画のことですか?」

「私が言いたいのは、大作で重要な本、古典、構成のしっかりした本、丁寧に編纂され、時の試練に耐えてきた文学の傑作などのことです」

これに興味をそそられ、さらに考えてみた。確かに、真実味がある。

ソーシャルメディアが、程度の差はあれ、あらゆる人々にこのような影響を与えていると考えると、実に衝撃的だ。

私自身も例外ではない。何百ページにも及ぶ長編小説や、何日もかけて読むような読書に費やす時間は、ますます少なくなってきている。

ニュースサイクルが広がり、より多くの意見とリアルタイムの情報がもたらされたとき、私は興奮した。

私が生まれた頃の世界よりも、ずっと良い世界のようにも思えた。私の子ども時代は 3人のニュースキャスターが同じ大きな出来事について、ほぼ同じ原稿を読み上げていた時代だ。誰もが彼らを信頼し、私たちは人生を歩んでいた。

今では、ページを常に更新することでより多くの情報が得られると信じられているが、今、公共生活の真実を知ることになる。

もはや別の意見を否定されることはなく、別の解釈を驚くほど深く知ることができる。これは素晴らしいことであり、当然ながら改善だと私は考えていた。

それはきっとそうだろう。しかし、問題は、その代償がどれだけ大きいかということだ。

ポッドキャスト、動画、フィード、トレンドトピック、そして私たちを驚かせ、おそらくは部族意識をさらに深めてしまうような、無関係な速報ニュースなど、無限の選択肢がある情報源を巡り、あれこれと夢中になって余った時間を費やしてしまうのは、実に魅力的な誘惑だ。

コストとは何だろうか? それは、私たちが本来行っていたであろう行動だ。それは、個人的な人間関係や家族への投資かもしれない。あるいは、電源を切った状態で大きな本を手に取り、1ページ目から読み進め、物語が徐々に展開していく様子に興奮することかもしれない。

あるいは、長期的な財務計画について考え、お金に関する新しい考え方を学び、そこから得た教訓を実践することかもしれない。

こうした傾向はますます弱まっていることは疑いようがない。

20代の友人は、ここ数年で実際に本を読んだ人をたった 2人しか知らないと言っている。誰もがその事実を知っている。この事実を裏付ける実証的な証拠は様々だ。

書籍市場自体は好調に推移しているように見えるが、30歳未満の人々が、実際に質の高い本と長い時間、そして規律正しく向き合っているかどうか、そしてどの程度そうなのかは、真剣な疑問だ。調査だけでは答えは出ない。

結局何が問題なのかと、また Uber の運転手に聞いてみた。

「これは人々を、そして文化をも、完全に変えつつあります。すべては未来ではなく、今この瞬間に得られる刺激にかかっています。長期的なことを考えずに」

それがどういうことをもたらすのか?

「問題は、こうした考え方が人々を利己的にしてしまうことです。自分のことばかり考えてしまいます。他人のことは気にしません。他人の存在にすら気づきません。人々は、周囲に何があるのか​​、他人が自分にどう反応するのかを、まるで意識していないのです。ソーシャルメディアは、誰もを社会病質者(ソシオパス)にしてしまいます」

これは重大な非難だが、反論するのは難しい。

日常での些細な経験もそれを裏付ける。

見知らぬ人の荷物を持つのを手伝ってくれる人はどれくらいいるだろうか? 彼らはそれに気づいてくれるだろうか? 自分より先に誰かに食べ物や飲み物を注文させてあげたらどうだろうか? 飛行機に乗り遅れそうな人が降りる列で自分より先に並んでくれるようにしてあげたらどうだろうか?

これらは些細なことだが、確かに、かつてほど社会的な敬意を払い合うことが減っているようには感じる。実際、かつては基本的なマナーを当然のことと考えていた。今では、どんな状況でも各自が自分の利益を追求するしかないように思えて仕方ない。

もちろん、どの世代も過去の時代を懐かしみながら、時代の腐敗を嘆くものではある。これは淘汰から生じる偏見だ。時が経てば経つほど、良いことは覚えて悪いものは忘れやすくなる。そして、良いことを深く掘り下げるよりも、周囲の悪いものに意識を向ける方が楽なのだ。

それ(誰でも過去を良いものと懐かしむこと)は本当だ。

しかし、ソーシャルメディア、ユニバーサルなポケットメディアディスプレイ、パーソナライズされたイヤホン、そして無限のコンテンツ選択肢の出現は、どれも非常に新しいものだ。

そして、それらは消え去ることもない。もしそれらが私たちという人間と文化を変えたとしたら、それは永遠に続くのだろうか? 私たちはそれに抵抗できるのだろうか?

私の主張は、大学の教授よりも一般労働者の観察をより真剣に受け止めるようになったということであり、これによって、私たちの時間的視野が短縮されてきた他のあらゆる方法についても考えるようになった。

かつては一世代も持ちこたえた家電製品が、今では 2、3年で壊れてしまうことが、徹底的に記録されている。

私たちは携帯電話やパソコンといった高価な商品を、未来への投資という意識を持たずに購入している。新しいものを買うまで、2、3年は使えると確信している。

靴も同じだ。150ドル (約 2万円)も出して、見た目は良いのに 6ヶ月も履くと、もうゴミ箱行きだ。

ほとんどの服も同じだ。スーツを子どもに譲るなんて考えられない。数回着るだけでボロボロになる。お店では素敵に見えたセーターも、シーズンが終わる頃にはあちこち破れてしまう。

ほとんどの衣類は使い捨てになった。デジタル世界のほぼすべてのものがそうであり、現実世界の製品がデジタル化されるほど、その寿命は短くなっている。もはや修理できるものはほとんどなく、ほとんどの場合、捨てて新しいものを買った方が得策となってしまっている。

何年も続くインフレのせいで、貯蓄するよりも今使うように促されている。なぜなら、貯蓄しても報われないからだ。せいぜい損益ゼロになるくらいなのだから、将来のことを考えるよりも「体験」を買うために借金をする?

経済学者アーヴィング・フィッシャーは、金利を説明するために時間選好の概念を提唱した。彼は、時間選好度が低いということは、人々が貯蓄によって今日の消費を犠牲にする意思があることを意味すると述べた。これにより、貸出可能な資金が増え、金利が低下する。

逆もまた真なりだ。

時間選好度(将来の計画を立てるよりも今すぐ消費したいという強い欲求)が高まると、貯蓄が減少し、資本拡張のための資金が枯渇する。他の条件が同じであれば、金利は上昇する。

マレー・ロスバードの考えを辿るのは興味深い。彼は時間選好理論に社会の興亡の大きな説明を見出していた。より発展した文明は、投資、長期的な思考、倹約、そしてより良い明日のために今日の喜びを先延ばしにするといった、より低い時間選好の結果であるという。

発展途上の社会はそれとは正反対で、誰もが今日をなんとかやり過ごすという自然状態へと突き進む。

私たちは今、「大短縮化」とも言える時代を生きているのかもしれない。時間への選好は高まり、注意力の持続時間は短くなっている。

社会における自分の立場に対する私たちの視野や考え方は、長期的に見て、家族、地域社会、そして社会にとって何が良いかを考えるよりも、今自分にとって良いことを得ることに特徴づけられている。瞬間的な満足感こそが文化的な生活の特徴であり、どこにでも見られるものだ。

ある意味、5年前のロックダウンは共同体意識を粉砕し、ある種の短期的な利己主義を助長した。

そして、私たちがまさに求めているもの、つまり未来への啓蒙や思索よりも、今この瞬間の活気と活力を与えてくれるテクノロジーによって、この状況はより強化された。未来への希望が薄れれば薄れるほど、今この瞬間だけを生きることがより理にかなっていると思うようになった。

これは「大短縮」なのだろうか? そうかもしれないが、それに甘んじる必要はない。

最近、3日間かけて素晴らしい本を読み進め、一語一句を夢中で読みふけった。ローラ・デラノの『Unshrunk』という本だが、自伝でありながら非常に長いストーリー展開を描いている点が素晴らしかった。

この作品を取り上げたいのではなく、私が言いたいのは、皆さんに一冊、できれば紙の本を手に取っていただきたいということだ。

ビクトリア朝文学の古典でも、読むべきだと思いながらもなかなか読めなかった名作でも構わない。3日間じっくりと時間をかけて読んでみてほしい。そうすれば、私の言いたいことがはっきりと分かるだろう。

それがあなたの心と精神にもたらすものに、あなたは衝撃を受けるかもしれない。

社会秩序や文化を変えることはできないが、「今この瞬間のことだけを考えるよう促すシステムに操られることはない」と心に誓うことで、自分自身を大切にすることができる。

私たちは皆、自らの利益のために、偉大な精神と人生を築くために何が必要かを思い出すために、それぞれの役割を果たすことができるのだ。


 

ここまでです。

現在のアメリカ人の読書量の少なさについてふれられている部分がありますが、2024年の調査では以下のようになっています。

2024年の調査より

statista.com

1年間で 1冊も本を読まなかった人が、46%となっています。

しかし、日本はもっとひどくて、2023年度の調査では、以下のようになっています。

> 漫画・雑誌を除く書籍を 1冊も読まないと回答したのは62・6%

以下に毎日新聞の記事があります。

日本の「月に1冊も読書しない」人の割合が6割超であることが調査で判明
 BDW 2024年9月17日

先ほども書きましたけれど、本を読むことが重要かどうかはともかく、「ボーッと考える時間も同じように、さらに減っている」のだと思われます。

それ以前の話として、アメリカでは、「子どもたちの 3分の 2は字が読めない」という調査結果もあります。以下の記事にあります。

現在のアメリカの子どもたちの3分の2は字が読めない」という米国報道
 BDW 2023年12月13日

ボーッと考える時間もなければ、文字も読めない、というのでは、新しい価値観が若者たちから出てくることは難しい気はします。

結局、現在、「文明は衰退局面にある」と言えるのだと感じます。新しい文化や価値観が生まれてこそ、新しい文明ですから、それが出てこないというのは、もはや文明は先には進めない状態となっていると考えます。

それでも、これは人類自身が選択した社会の姿ではありますので、仕方ないのかもしれません。

 

ところで、先ほどのジェフリー・A・タッカーさんの寄稿文に「家電でも衣服でも、使い捨てのようにサイクルが早くなった」とありますが、これは、私の生活では逆には感じます。

最近のパソコンは 30年前などと比べると、飛躍的に壊れにくくなっていて、何台かパソコンを持っていますが、つい最近までメインで使っていたもの(Mac)は、製造年が 2011年のものでした。14年近く稼働してくれていたのですね。さすがに新しい OS をインストールできなくなって、昨年買い換えましたが、それも 2016年製です。とにかく壊れない。

テレビも、確か震災の年に購入したはずですので、2011年製ですが、いまだに壊れる気配もありません。ジャパネットたかたと吉田類の酒場放浪記くらいしか見ませんので、これで十分です。

衣服にしても、私の場合、10年、20年着ている服は、特に上着にはたくさんありまして、中には「 35年間着ている」というようなものもあります。ものによるのでしょうけれど、衣服もまたよくもちますよ。

私は古い生き方しかできない人間ですが、それでも、周囲はどんどん変化していきます。

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