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満月と「天体が示す世界的な浄化フェーズの開始」が重なる日に
今日(2月1日)は、満月の日で、まあ正確には明日 2月2日ですが、私自身は、どうも満月周辺になると、変な夢や悪夢のような夢を見る傾向がありまして、一昨日は、「地球の無数の人間たちの意志の交差」とかいう図(?)だかを誰かに見せられていて、
「考えなさい」
とか言われてしまい、考えてもわからないので、何だか睡眠不足になってしまったり、昨晩はわりと世俗的な悪夢のようなものを見たりといった感じでした。
この「満月と悪夢の関係」というのは感覚的には、「ありそう」という気もするのですが、学術的な調査で関係が示されたことはないです。
2006年の論文では、196人の夢を 111夜に渡って記録しましたが、
「満月と夢には関係ない」
という統計としての結論が出されています。
満月と悪夢に関係性が考えられないという学説的な理由については、こちらによれば、
・睡眠構造や夢の生成を変えることが知られている地上レベルの電磁場、重力、または放射線を、月の満ち欠けは変化させない。
ことや、
・これまでの研究では、月の満ち欠けがレム睡眠や臨床的に測定された悪夢の頻度に及ぼす一貫した強力な影響は見つかっていない。
等書かれています。
まあしかし…「見ちゃうものは見ちゃうんだもんね」というのが、私としての反論です(科学的じゃないなあ)。
ただまあ、人体って、ほとんど(75%)が水じゃないですか。月が地球の潮の満ち引きに影響を与えることは普通に知られていることですけれど、基本的にその身体が水である私たちも(あるいは他の動植物たちも)何らかの影響はあるのかもなあ…とか思ったりもします。
あと、これは満月とは関係ないですけれど、この 2026年2月というのは、天体的というか占星術的に「非常に強力なとき」となることが、ヴェーダ占星術師の人が述べています。以下に訳しています。
・ヴェーダ占星術の人が2月からのさらなる「世界的な浄化フェーズ」を警告する
BDW 2026年1月21日
ここには、
> これは穏やかな移行ではない。幻想が崩壊する。偽りの物語、脆弱な金融システム、崩壊寸前の銀行システム、操作された指導者、そして人工的な安定がひび割れ始める。恐怖、借金、または欺瞞によってかろうじて保たれていたものは、このエネルギーに耐えられない。
などとも書かれていまして、ちょうど昨日あたりに起こりました、貴金属市場や仮想通貨市場の崩壊的な値動きなどを思い出します。
銀市場などは「約 100年前の記録を上回る歴史的なクラッシュ」でした。
アメリカの銀行危機も迫っているかもしません。米フロリダ・アトランティック大学が、最新のレポートで、簡単に書けば、
「2026年から 2027年にかけて、米国の銀行約 2,000行が破綻の危機に瀕している」
という警告を示す指標となっていることが報じられています。アメリカの銀行は約 5000行です。
これについては、後日、記事にさせていただくかもしれません。
肉体を持ち生きている時の意志と生き方は死後も永遠に続く…らしい
いずれにしても、2月(あるいは 2月からしばらく)は、政治、経済、金融などは厳しいシーズンとなっていくかもしれないですが、今回はそれらとは関係なく、元米国連邦アナリストであるリチャード・C・クック氏が連載しているボー・イン・ラー氏の『自由の亡霊』のパート7です。
前回までの『自由の亡霊』は以下にあります。
・『自由の亡霊』(パート1)
In Deep 2025年12月29日
・『自由の亡霊』 (パート2)
In Deep 2025年12月30日
・『自由の亡霊』(パート3)
In Deep 2026年1月6日
・『自由の亡霊』(パート4)
In Deep 2026年1月11日
・『自由の亡霊』(パート5)
In Deep 2026年1月18日
・『自由の亡霊』(パート6)
In Deep 2026年1月25日
今回のものは、前回よりさらに「現実の生活、つまり生きている間の生活」についてのことが書かれていまして、読み方によっては、何だか一種のビジネス書みたいにも見えるのですが、言いたいことは、文章の締めである以下なのだと思います。
> この地球上の人間が日常生活の中で作り出す衝動と、その衝動がこの世を去ってからずっと後にしか影響を与えない結果との間に、隔壁を築くことは決してできない。
つまり、「生きている間に行うことが、死後永遠に影響する」というような感じでしょうか。
これを連載しているリチャード・C・クック氏も、コメントで以下のように書いています。
パート7に関してのリチャード・C・クック氏のコメントより
ボー・イン・ラーの人生観を理解するには、彼の説明が、地上における動物の体(肉体を持った人間という意味)での比較的短い生涯をはるかに超え、この世に生まれ、永遠の命に至るまでの長い期間を包含していることを理解しなければならない。特に、死とともに人生が終わると考えることに慣れている人にとって、ボー・イン・ラーの説明は、私たちの意思決定と行動をより深刻なものにする。
そして、今回の文章を読む限り、
「人それぞれにはそれぞれの特性があり、それ以外の人たちと優位性を競っても、何の意味もない」
ということのようです。現在の社会は特に「他人との比較社会」ですので、「人にはそれぞれ、自分だけの特性と優れた部分がある」という概念はわりと重要なのかもしれません。
ここからボー・イン・ラー氏の文章です。
時折、意味がわかりにくいのは、相変わらずです。
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ボー・イン・ラー『自由の亡霊』 — 全12部構成の第7部
Bô Yin Râ: “The Specter of Freedom”–Part 7 of 12: “Competition”
Richard C. Cook
コンテンツ:
1. 蜃気楼
2. 必然性
3. 共同体性
4. 権威
5. 仲間との結びつきへの衝動
6. 失敗した経済
7. 競争
8. うたい文句への熱狂
9. 自己実現
10. 宗教
11. 科学
12. 現実の意識
—
パート7 :競争(Competition)
同じ種類の貢献が異なる人々によって提供される場合、異なる品質に注意を払い、より優れたものを好むのであれば、そのような貢献を評価する人を非難することはできない。
ここで、私たちが何らかの活動とその成果、つまり些細なサービスや取るに足らない事柄についてのみ話しているのか、それとも専門的な能力や崇高な仕事を念頭に置いているのかは、問題ではない。
人間の能力のあらゆる向上は、才能の巧みな使用や賢明な配置から最も崇高な芸術的創造性に至るまで、常に不完全なものより完全なものを優先することによって大きく左右される。
貢献またはその成果が日常的な使用に役立つ場合、個人保護はすでに最善のものを選ぶように人を駆り立て、貢献がより高いニーズに向けられている場合、他の人が達成した品質についての知識はそれ以下のものでは満足できないだろう。
この永続的な選択の結果、寄与の提供者の間で、寄与を必要とする人々の好意と選択をめぐる競争が起こる。
この点で、競争は必要性に根ざしており、現実から生まれた自由の表現だ。
あなたは、自分に役立つもの、ある一定の対価と引き換えに獲得したいものを自由に選択できる。同様に、提供する貢献を市場の要件に適合させる自由も残っている。
選ぶ人が、もっと良いものを見つけることができるからという理由で、あなたの「貢献」、つまりあなたの「仕事」を無視したとしても、あなたは不正の被害者にはならない。
あなたにも、利便性を優先して、より少ない貢献で妥協するか、最大限の貢献で妥協するかという選択肢がある。
しかし、あなたが自発的に、あるいは必要に迫られて、最善を尽くそうと決心するなら、まず自分が貢献できる範囲を認識しているかどうか、つまり、正しい基準を自分に当てはめることができるかどうかが明確でなければならない。
あなたは「失敗」について不平を言い、自分に対して行われたと思う「不正」に対して辛辣な言葉を投げかけるかもしれない。しかし、あなたは、自分が絶対にできない貢献を申し出ることが僭越ではないかと問うことはない。
あなたは自分の能力の範囲内で最善を尽くせるかもしれないが、本来はるかに大きなことを成し遂げられる人と競争するときには、優位に立とうと無駄な努力をするだろう。
そのため、非常に多くの人が、自分は「不幸に悩まされている」と考え、自分よりも優れている他の人々を羨望の眼差しで見つめる。なぜなら、彼らは、自分たちの貢献に匹敵するほどの需要があることをより強く認識しているからだ。
多くの人が難破するのは、良い船を持っていても、大洋を渡るには小さすぎるためであり、大胆に外洋に航海に出ようという野心を抑えることができないためだ。
競争を望む者は、何よりもまず、同じ競争相手を知るべきだ。まったく異なる基準で評価される者たちに匹敵しようとしてはならない。
自分より能力があるというだけで、競争相手を「敵」とみなしてはいけない。
望むべきは、同時に彼とともに勝利を目指して努力する者たちと彼の力が匹敵する勝利だけなのだ。
最も限られた分野で完ぺきを達成する方が、不十分な手段で競争し、最大の個人の力だけが勝利の資格となるよりも、間違いなく良い。
誰もが、自分に本当に合ったあらゆる活動分野で完ぺきを達成する力を内に秘めている。
誰でも、自分の力を注意深く開発しようと努めれば、その力が増大することを実感できる。
しかし、あなたが頼ることができるのは、あなた自身の「所有物」としてあなたに授けられたものだけなのだ。
たとえあなたが追加で限られた量を獲得できたとしても、あなたの生来の力の性質と強さによって、何があなたにふさわしいのか、何があなたの手の届かないところにあるべきなのかが厳密に決定される。
したがって、自分の限界を知り、勝ちたいという欲求だけで限界を恣意的に広げられるという妄想に抵抗した場合にのみ、競争で勝利することができる。
競争相手の中で優位性を競うことは、いかなる意味においても「戦い」になる必要はない。
日常生活のあらゆるところで生まれる貢献の必要性を、ここで自分たちにインスピレーションを与えよう。
そこでは、競争の「戦い」は確実に回避できる。
これらの言葉は、まさにこの戦いに携わるすべての人々の顔に、疲れた笑みを浮かべさせるだけだとわかっている。しかし同時に、意志さえ変われば、多くのことは一部の人が考えるよりも早く変えられるということもわかっている。
今日、すでに「競争的な戦い」で血を流しているほとんどの人々は、戦いに費やされるエネルギーをより有効に活用できることをずっと以前から認識しているため、自分の意志に反して戦っていると主張することは、ほとんど危険ではないだろう。
ここでも、自由というつかみどころのない亡霊は自由そのものとみなされ、多くの人を計算の砂漠へと誘い込み、そこでは乾ききった魂によってミイラと化し、その上に金の砂をいくら積み重ねても、魂の自由な生活を取り戻すことはできない。
しかし、魂に権利を認める場合にのみ真の自由が生まれるということを改めて認識すると、亡霊は無力になる。
相手の好意を求める者が、動物の貪欲さに巻き込まれ、競争相手を経済的に破滅させたり、何の恥も感じずにこの目的を達成しようとしたりするのは、哀れであり、人間として絶対に不名誉なことである。
競争が、虚偽を恐れず、その不快な糸で輪を編んで競争相手の首を絞めるようなやり方で行われるのは哀れなことだ。
他人が築き上げてきたものをすべて破壊することによってのみ個人的な成功を達成しようとするのは、価値がなく、同時に愚かなことだ。
あなたは、かなりの成功はこの種の行動を通じてのみ可能になった、そしてこのようにして得られたものは今日でも「しっかりと確立」されていると言うかもしれない。
この状況は確かに私にとって馴染み深いものだが、私は異なる時間の概念に従って計算しており、めったに急いで実行されないより確実な法則を知っている。
自らの成功を手に入れた個人と、その代償を払ってその個人に仕える人々だけがこの法の執行から逃れられないのではなく、その個人の行動が国全体や大陸全体の繁栄を危険にさらすのだ。
株式市場の暗い日が、魂のない貪欲が正直に積み上げた備蓄の瓦礫の上に築こうとしたものを破壊するとしても、それは決して最悪の事態ではない。
人間社会が人間の魂を冒涜するものを抑制しなかった場合、たとえ影響を受けた人の先祖でなくても、個人がかつて負った罪に対して孫やその子孫が重い代償を払うことになるだろう。
しかし、そのような恐ろしい罪悪行為から逃げなかった人々は、たとえ死の床で自分たちが勝利者であると感じていたとしても、この地上での罪悪感の結果がすべて消滅するまで、永遠に彼らに同情する人は誰もいないだろう。
神によって広められた愛は、罪悪感自体が愛の結果であった場合にのみ許しを与えることができるのだ。
動物によって条件付けられた「愛」が人を「罪」に陥れた場合、「神の愛」は、自らに罪をもたらした者が同じ罪を共有する者によって解放されれば、すぐにその罪を取り去るだろう。
しかし、利己的な利益が誰かを罪悪感に導いた場合、罪悪感から解放されるには、自分自身でそれを取り除くしかない。
惑わされ、利己主義に隷従する者たちは、地球上で自らの本能を満たすために生み出したものが尽きるまで、自らの行為の結果から逃れることはできないのだ。
この地球上の人間が日常生活の中で作り出す衝動と、その衝動がこの世を去ってからずっと後にしか影響を与えない結果との間に、隔壁を築くことは決してできない。
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