地球の最期のときに

米国のウェアラブル端末の全国民装着キャンペーンから思う、ディストピア的監視社会の完成への道



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ジョージ・ルーカス監督のデビュー作『THX1138』(1971年)

人名さえも番号で管理されている近未来を描いたディステピア映画。




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このように監視社会は完成に近づいていく

トランプ政権のロバート・F・ケネディ・ジュニア保健福祉省長官が、6月の終わりに、

「すべてのアメリカ人にウェアラブル端末を着用することを推奨する」

というキャンペーンを開始することを発表したことがありました。

ウェアラブル端末というのは、手首や腕などに装着するコンピューター端末で、例えば、今だと、スマートウォッチ(時計)とか、スマートグラス(メガネ)などが、すでに実用化されていますが、そういうものです。

身体のさまざまな「健康上の数値」を常時計測し続け、それを保健当局などに送信し続けることで、「国家が国民ひとりひとりの健康状態を把握し続け、国民の健康を促進することが可能」となるという名目です。

当時、以下のように報じられていました。

報道「トランプ政権は全米人にウェアラブル端末の使用を奨励するとRFKジュニア氏が語る」より

ロバート・F・ケネディ・ジュニア保健福祉省長官は、フィットネストラッカーなどのウェアラブル機器の米国人への普及を促進するため、大規模な広告攻勢をまもなく開始すると発表した。

「これは人々が自分の健康を管理し、責任を持つことができる方法であり、食べ物が血糖値、心拍数、その他多くの指標にどのような影響を与えるかを把握し、食事、身体活動、生活様式について適切な判断を下せるようになる方法です」とケネディ氏は述べた。

「ウェアラブルデバイスは、MAHA(アメリカを再び健康にする)の
目標達成の鍵となると考えています。私のビジョンは、4年以内にすべてのアメリカ人がウェアラブルデバイスを身につけることです」

ウェアラブル端末から得られるデータのプライバシー保護に関する懸念については、ケネディ氏はこの点についての言及を避けた。

Epoch Times 2025/06/25

これについて、少し前のメルマガ(2025年06月27日のメルマガ357号)で、これについて、かつて、フランスのユダヤ人系エリートであるジャック・アタリ氏が書いた『2030年からの世界』の中と同じ世界に邁進しているなあ…というようなことを書きました。

ジャック・アタリ氏『2030年からの世界』- 「監視」より

…2050年までには、これらの機器は、「自己監視マシン」と呼ぶものに進化し、誰もが日々の生活を監視されるようになるだろう。

また、体内の皮下に装着された電子装置が、心拍、血圧、コレステロールを絶え間なく記録し、さまざまな臓器に接続されたマイクロチップが、その機能を監視するようになる。

これは、保険会社が加入者の健康リスクを知るために必要なものだ。

このような会社は冷酷になるだろう。保険会社は、喫煙者、飲酒者、肥満の人、失業、注意欠陥症、過食などにペナルティを科すことが可能となる。

ここには「体内の皮下」とありますが、現在のテクノロジーでは、そんなことをする必要はなく、腕か何かにウェアラブル端末を腕時計のようにつけているだけで、多くの健康上の数値を得られます。

「こういう世界が本当に始まっているんだなあ…」とRFKジュニア氏の発表を聞いて思いましたが、まあ、ケネディ氏自身が、どうやら「優生学大好き人間」のようですので、こういう健康追跡によって「優れた人間と、そうでない人間を振り分ける」ようなことも考えるだろうなとは思います。

ケネディ氏の最近の発言に関しての議論は以下にあります。

ケネディ保健福祉長官のT4作戦的発言から思い出す「エリートは優生学が大好き」という現実から垣間見えるディストピア
In Deep 2025年5月29日

 

 

最近、米ラザフォード研究所の代表であるジョン・ホワイトヘッド氏が、このウェアブル端末キャンペーンを厳しく糾弾する記事を発表していました。

今回はそれをご紹介しようと思います。

ジョン・ホワイトヘッド氏の文章は、最近では以下で取り上げたことがあります。

「独裁政治に入り込む夢遊病」:法を超越する怪物たち
In Deep 2025年2月8日

 

こういう「国家による健康管理と追跡」は「不要な者を社会から排除する」という目的のためには、国家統制的には便利なもので、こういうことを採用する国は増えていくのかもしれません。

ウェアラブル端末とは違いますが、メキシコの大統領は最近、

「2026年までに生体認証デジタルIDをメキシコ全国民の義務とする」

と発表していますが(翻訳記事)、すごいなと思うのは、メキシコの人口は約 1億3000万人で、日本と同等くらいの人口を持つ国ですが、「生体認証デジタルIDの義務化の完了を今後数ヶ月で行う」としているのです。

今の時代、やろうと思えば、どんなことでも迅速にできるのだなあと。

日本も健康保険証とマイナンバーカードが結びつけられていますが(やっている人は少なそうですが)、こういうのも最終的に、国民の健康状態をデジタルで一元管理できる可能性を秘めています。

まあ、私みたいに、30年以上、健康診断さえ行ったことのないような行動をしていて、血圧も体重も血糖値も 10年以上計っていないような人間は、「社会に不必要な人間」として排除されていくのでしょうけれど、私はトシだから排除されても全然構わないですが(血圧や血糖値を計るくらいなら社会から排除されたほうがマシ)、若い人たちは大変ですよね。

そういえば、ケネディ氏のウェアラブル端末キャンペーンを聞いた頃、Grok に

「今の社会は『未来世紀ブラジル』よりディストピアでしょうか?」

と聞いたことがありました (回答全文)。未来世紀ブラジルは、1985年のお笑いディストピア映画で、完全な情報統制の下で生きる人たちの話です。

Grok は、

> 現代のスマートフォンやウェアラブルデバイスによるデータ収集、情報共有の状況を考えると、確かに「未来世紀ブラジル」と似た要素が見られます。

と答えていました。

前振りが長くなりました。ジョン・ホワイトヘッド氏の文章は、いつもですが、今回も長いですので、そろそろ始めます。

なお、途中、小説や映画のタイトルが次々と出てくるのですが、有名なものはともかく、あまり知られていないかもしれないというものに関しては、簡単な注釈をつけさせていただいています。




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ウェアラブルの罠:政府はどのようにあなたを監視し、評価し、管理しようとしているのか

The Wearables Trap: How the Government Plans to Monitor, Score, and Control You
John Whitehead 2025/07/15


ジョン・ホワイトヘッド氏

「国家が特定の生命を故意に終わらせることを合法化すると…最終的には、罰されることなく死刑に処せられる人々のカテゴリーが広がることになるだろう」—ナット・ヘントフ氏、ワシントンポスト、1992年

身体的自主性、つまり自分自身の身体に対するプライバシーと完全性の権利が急速に失われつつある。

議論は現在、強制ワクチン接種や侵襲的検査を超えて、生体認証監視、ウェアラブル追跡、予測的健康プロファイリングにまで広がっている。

私たちはアルゴリズムによる権威主義的な統制の新しい時代に入りつつあり、私たちの思考、気分、そして生物学的特徴は国家によって監視され、判断される。

これは、トランプ大統領の保健福祉長官であるロバート・F・ケネディ・ジュニア氏による、すべてのアメリカ人が生体認証による健康追跡デバイスを身につける未来を推進するという最新のキャンペーンの背後にある暗い約束だ。

公衆衛生と個人のエンパワーメントを装ったこの取り組みは、24時間 365日の身体監視の常態化にほかならず、あらゆる歩み、心拍、生物学的変動が民間企業だけでなく政府によっても監視される世界の到来を告げるものだ。

この新興の監視産業複合体において、健康データは通貨となる。

テクノロジー企業はハードウェアとアプリのサブスクリプションから利益を得、保険会社は(個人の健康的な)リスク・スコアから利益を得、政府機関はコンプライアンス強化と行動洞察から利益を得る。

健康、テクノロジー、監視のこの融合は新しい戦略ではなく、長く慣れ親しんできた制御パターンの次のステップに過ぎない。

監視は常に進歩という装いで登場してきた。

GPS トラッカー、赤信号カメラ、顔認識、Ring ドアベル、Alexa スマートスピーカーなど、あらゆる監視技術の新たな波は、利便性、安全性、あるいはつながりのためのツールとして売り出されてきた。しかし、時が経つにつれ、それらは一般市民を追跡、監視、あるいは統制するための手段へと変化してきた。

自発的に始まったものが、避けられず義務的なものになったのだ。

利便性と引き換えにプライバシーを犠牲にしなければならないという前提を受け入れた瞬間、私たちは、家も、車も、身体さえも、政府の手が届かないところはない社会の土台を築いたのだ。

RFK ジュニア氏のウェアラブル計画は、このおとり商法の最新版に過ぎない。自由を売り物にして、檻として作られたものだ。

「アメリカを再び健康に (MAHA)」という全国キャンペーンの一環として推進されているケネディ氏の計画によれば、ウェアラブルデバイスが、すべてのアメリカ人の血糖値、心拍数、活動量、睡眠などを追跡することになる。

参加は当初は公式には義務付けられないかもしれないが、その意味は明らかだ。参加しなければ、データコンプライアンスが推進される社会において二級市民になるリスクを負うことになる。

大手テクノロジー企業が販売していたオプションの自己監視ツールとして始まったものが、警察国家の監視兵器庫における最新のツールになる態勢が整っている。

Fitbit、Apple Watch、血糖値トラッカー、スマートリングなどのデバイスは、ストレスやうつ病から不整脈、病気の初期症状まで、驚くほどの量の個人的なデータを収集する。これらのデータが政府のデータベース、保険会社、医療プラットフォーム間で共有されると、健康分析だけではなく、管理のための強力なツールとなる。

かつては個人の健康の象徴であったこれらのウェアラブル機器は、デジタルの家畜タグ、つまりリアルタイムで追跡され、アルゴリズムによって規制されるコンプライアンスのバッジになりつつある。

そして、それだけでは終わらない。

政府による内部領域への戦争が拡大する中、個人の人体は急速に戦場になりつつある。

心理的な「リスク」を認識し、それを根拠に個人をプロファイリングし、拘留するためのインフラはすでに整備されている。

では、ウェアラブル端末のデータがメンタルヘルスの警告を発する未来を想像してみてほしい。それは、ストレスレベルの上昇、不規則な睡眠、予約のキャンセル、心拍変動の急激な低下などだ。

監視国家の目から見れば、これらは危険信号、つまり介入、調査、あるいはもっと悪い事態の正当化となる可能性がある。

RFK ジュニア氏によるウェアラブル技術の導入は、中立的なイノベーションではない。思想犯罪、健康管理の不遵守、そして個人の逸脱行為に対する政府の戦争を拡大するための誘因だ。

これらは(健康状態を)無罪推定から診断推定へと移行する。アルゴリズムが健康だと判断するまでは、あなたは健康ではないということだ。

政府はすでに監視ツールを武器化し、反対意見を封じ込め、政治批判者をフラグ付けし、行動をリアルタイムで追跡している。そして今、ウェアラブル端末によって、新たな武器が加わった。それは、疑惑、逸脱、そして支配の場としての人体へのアクセスだ。

政府機関が生体認証による管理への道を切り開く一方で、監視国家の執行者として行動するのは、保険会社、テクノロジー大手、雇用主といった企業となるだろう。

ウェアラブルデバイスは単にデータを収集するだけではない。データを分類し、解釈し、保険の適用範囲、保険料の値上げ、就職や経済援助の受給資格など、あなたの人生に関わる重要な決定を下すシステムに送り込む。

ABC ニュースが報じているように、JAMA (米国医師会雑誌)の記事では、ウェアラブル端末は、カロリー摂取量、体重の変動、血圧などの個人の健康指標に基づいて保険会社が保険適用を拒否したり保険料を値上げしたりするために使用される可能性があると警告している。

これが職場の評価、信用スコア、さらにはソーシャルメディアのランキングにまで影響を及ぼすであろうことは想像に難くない。

雇用主はすでに「自発的」な健康状態追跡に対して割引を提供し、未参加の従業員にはペナルティを課している。保険会社は健康的な行動に対してインセンティブを与えるが、不健康な行動には罰則が必要だと判断するまでは、そのインセンティブは適用されない。

アプリは歩数だけでなく、気分、薬物使用、生殖能力、性行為なども追跡し、常に需要のあるデータ経済に潤いを与えている。

このディストピア的な軌跡はずっと以前から予見され、警告されてきた。

オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』 (1932年)では、人々の服従は暴力ではなく、快楽、刺激、そして化学的な鎮静剤によって維持される。人々は安楽、快適さ、そして気晴らしと引き換えに、監視を受け入れるように条件付けられる。

(※ 訳者注)『すばらしい新世界』は、1932年に発表されたディストピア小説。機械文明の発達による繁栄を享受する人間が、自らの尊厳を見失うディストピア社会を描く。

THX 1138 (1971)では、ジョージ・ルーカスは、生体測定による監視、気分を調節する薬物、心理的操作によって人々を感情のない従順な生物学的単位に貶める企業国家体制を描いている。

(※ 訳者注)『THX 1138』は、ジョージ・ルーカス監督のデビュー作。人名さえも番号で管理されている25世紀の話。

ガタカ(1997年)は、遺伝子や生体認証のプロファイリングによって人の運命が決定され、公衆衛生と社会の効率性の名の下にプライバシーと自由意志が排除される世界を描いている。

(※ 訳者注)『ガタカ』は、1997年の映画。人類が人工授精と遺伝子操作により優れた知能・体力・外見を持った「適正者」と、自然妊娠で生まれた「不適正者」に分けられている近未来の話。

ウォシャウスキー兄弟が脚本と監督を務めた『マトリックス』 (1999年)では、人間はシミュレートされた現実の中に閉じ込められ、エネルギー源として利用される。これは、私たちの肉体を監視し、金銭化し、操作するシステムにますます閉じ込められていく私たちの現状と、不安を掻き立てるほど似ている。

スティーブン・スピルバーグ監督の『マイノリティ・リポート』(2002年)は、生体認証データを用いた犯罪予防監視体制を描いている。市民は公共の場で網膜スキャンによって追跡され、パーソナライズされた広告のターゲットにされる。つまり、身体そのものが監視パスポートと化しているのだ。

『トワイライトゾーン』にインスピレーションを得たアンソロジーシリーズ『ブラックミラー』は、こうした警告をデジタル時代に持ち込み、行動、感情、アイデンティティを常に監視することで、いかにして同調、判断、恐怖が生み出されるかをドラマチックに描いている。

(※ 訳者注)『ブラックミラー』は 2011年から放送されている英国のテレビドラマ。新しいテクノロジーがもたらす予期せぬ社会変化を描くSF的作品。

これらの文化的試金石を総合的に考えると、ディストピアは一夜にして到来するものではないという厳しいメッセージが伝わってくる。

マーガレット・アトウッドは『侍女の物語』で「物事は瞬時に変化することはない。徐々に温まっていく浴槽に入れば、いつの間にか茹でて死んでしまうだろう」と警告している。アトウッドの小説は生殖管理に焦点を当てているが、そのより大きな警告は深く関連している。妊娠登録や生体認証モニターなどを通じて国家が身体に対する権威を主張するとき、身体の自律性は条件付きで脆弱になり、簡単に取り消されるようになる。

(※ 訳者注)『侍女の物語』は 1985年の小説。すべての女性が国家によって自由と財産を奪われ、出産のためだけに生存を許されている世界を描く。

『侍女の物語』は、ツールは異なるかもしれないが、支配の論理は同じだ。

アトウッドが生殖管理として描いたものに、私たちは今、より広範でデジタル化された形で直面している。それは、常時監視の常態化による自律性の静かな侵食だ。

政府と企業の両方が私たちの内面生活にアクセスできるようになると、個人に何が残るのだろうか?

問わなければならない。監視が雇用、教育、医療といった現代社会への参加の条件となった時、私たちは依然として自由と言えるのだろうか? それとも、あらゆるディストピアの警告にあるように、抵抗するのではなく従うように条件付けられてしまったのだろうか?

これが、こうしたテクノロジーの利便性の隠れたコストだ。今日の健康追跡ツールは、明日の企業の鎖となるのだ。

身体データが収集・分析される社会では、身体そのものが政府や企業の所有物となる。身体は証言の一形態となり、生体認証データは証拠として扱われる。私たちが記録してきた身体への侵害のリスト — 強制的な大腸内視鏡検査、採血、DNA検査、体腔内検査、呼気アルコール検知器検査 — は増え続けている。

このリストに、より巧妙だがより陰険な形の侵入、つまり生体認証による同意の強制が加わった。

健康状態の記録が雇用、保険、あるいは社会参加の事実上の必須要件となれば、罰則なしに「オプトアウト」(※ 拒否を選択すること)は不可能になる。抵抗する人は、無責任、不健康、あるいは危険人物とみなされる可能性がある。

これがどこへ向かうのか、すでに恐ろしい兆候が見えている。中絶を規制する州では、生理周期追跡アプリ、検索履歴、位置情報データなどを活用したデジタル監視が、中絶を求める個人を追跡・起訴するための武器として利用されている。

身体の自律性が犯罪化されると、私たちが残すデータの痕跡は、国家がすでに決定した訴訟の証拠となる。

これは単なる医療の拡大ではない。健康を統制のメカニズムへと変容させることであり、監視国家が最後の私的フロンティアである人体の所有権を主張するためのトロイの木馬なのだ。

結局のところ、これは単なる監視の問題ではなく、誰が生き残るかという問題だ。

こうした議論は往々にして、安全か自由か、健康かプライバシーか、コンプライアンスか混乱か、という二者択一の結論しか考えられないと誤解されがちだが、しかし、これらは幻想だ。真に自由で公正な社会は、身体の自律性や人間の尊厳を犠牲にすることなく、公衆衛生を守ることができる。

私たちは、安全と引き換えに全面的な屈服を要求する物語に抵抗しなければならない。

健康主導の監視経済において生体認証データが通貨になれば、そのデータを使って誰の命に投資する価値があり、誰の命に投資する価値がないかが判断されるのは時間の問題だ。

私たちは以前にもこのディストピアを見たことがある。

1973年の映画『ソイレント・グリーン』では、資源が枯渇すると高齢者は使い捨てにされてしまう。私の良き友人であるナット・ヘントフは、人命軽視に警鐘を鳴らす、早くから信念を持って声を上げてきた人物であり、数十年前にこの警鐘を鳴らしていた。

かつては中絶賛成派だったヘントフは、医療倫理の崩壊、特に中絶、安楽死、そして選択的医療の容認拡大が、制度化された非人間化の土壌を築いていると考えるようになった。

ヘントフが警告したように、政府が特定の人々の命を意図的に終わらせることを認可すると、事態は危険な道に陥る可能性がある。つまり、最終的にはより広範囲の人々が使い捨て可能とみなされるようになるのだ。

ヘントフはこれを「むき出しの功利主義、つまり最大多数の最大善を追求する。そして、邪魔になる人々、たとえば、貧困層の高齢者は、排除されなければならない。もちろん殺すなどあってはならない。ただ、彼らが死ぬまで、計画的に快適に過ごせるようにするだけだ」と述べた。

その懸念はもはや理論的なものではない。

1996年、ヘントフは最高裁判所による医師による自殺ほう助の検討について執筆し、国が「自らの利益のために」誰が死ぬかを決定すれば、「絶対的な制限はない」と警告した。

彼は、貧困層、高齢者、障害者、慢性疾患患者が、寿命よりも効率性を重視するシステムの標的になるのではないかと懸念する医療界の指導者や障害者支援団体の言葉を引用した。

今日では、ウェアラブルデバイスを通して収集されるデータ(心拍数、気分、移動、コンプライアンスなど)が、保険、治療、そして平均余命に関する意思決定に影響を与えている。

アルゴリズムが、誰の苦しみがあまりにも高額なのか、誰のニーズがあまりにも不便なのか、誰の身体がもはや救う価値がないのかを静かに判断するようになるのは、いつ頃のことだろうか。

これは左派か右派かの問題ではない。

非人間化、つまり個人または集団から尊厳、自律性、道徳的価値を剥奪するプロセスは、政治的スペクトル全体に及んでいる。

今日、非人間的な言葉や政策は、一つのイデオロギーにとどまらず、政治的分断を超えて武器として利用されている。著名人が政治的反対者、移民、その他の周縁化された集団を「非人間的」と呼び始めている。これは、歴史を通じて残虐行為を正当化してきたレッテルの不穏な反響だ。

マザー・ジョーンズの報道によると、JD・ヴァンス(米副大統領)は、インフルエンサーのジャック・ポソビエックとジョシュア・リセックによる、「非人間」を害獣のように撲滅することを提唱する本を支持した。

こうしたレトリックは抽象的なものではなく、重要なものだ。

集団全体の人間性を軽視し、市民社会の根本であるべき道徳的価値を剥奪する政党が、どのようにして「プロライフ」であると信憑性を持って主張できるのだろうか?

国家とその同盟企業が人々をデータとして、コンプライアンスの問題として、あるいは「価値のない者」として扱うとき、彼らは平等な人間の尊厳という概念そのものを解体するのだ。

そのような世界では、身体の自主性、医療、さらには生命そのものの権利を含む権利は、「価値のある」人だけに与えられる特権となる。

だからこそ、私たちの闘いは政治的かつ道徳的であるべきなのだ。すべての人間の平等な人間性を守らなければ、身体の主権を守ることはできない。

弱者の非人間化は政治の垣根を越えている。

それは予算削減、義務化、指標といった形で現れるが、結果は同じだ。もはや人間ではなく、データ点としてしか見ない社会が生まれるのだ。

物理的な空間(家、車、公共の広場)の征服はほぼ完了している。

残るは、私たちの内なる空間、つまり生物学、遺伝学、心理学、感情の征服だ。予測アルゴリズムがより洗練されるにつれ、政府とそのパートナー企業は、それらを用いてリスクを評価し、脅威を警告し、リアルタイムでコンプライアンスを強制するだろう。

もはや目標は、単に行動を監視することではなく、行動を再構築すること、つまり、反抗、逸脱、あるいは疾病が発生する前に予防することだ。

これは、 スピルバーグの『マイノリティ・レポート』のような警察活動、犯罪予防のためのメンタルヘルス介入、そして AI を活用した脅威評価の推進力となる論理と同じだ。

もしこれが「健康の自由」の未来であるならば、自由はすでにアルゴリズムへの服従として再定義されていることになる。

私たちは、自分自身の内面と外面の監視に抵抗しなければならない。

安全のためには完全な透明性が必要だとか、健康には常時監視が必要だといった考えは捨て去られなければならない。人体の神聖さを、データポイントとしてではなく、自由の空間として取り戻さなければならない。

ウェアラブルデバイスの普及を推進する理由は健康のためではなく、習慣化のためだ。

その目的は、政府と企業が私たちの身体を所有することを受け入れるよう、私たちを巧妙かつ体系的に訓練することだ。

私たちの国(アメリカ)は、すべての人間は平等に創られ、「創造主によって、生命、自由、幸福の追求といった奪うことのできない一定の権利を付与されている」という根本的な理念に基づいて建国されたことを忘れてはならない。

これらの権利は、政府やアルゴリズム、あるいは市場によって付与されるものではない。それらは固有のものであり、不可分だ。そして、それは私たち全員に適用される。しかし、場合によっては、これらの権利は近いうちに誰にも適用されなくなるだろう。

建国の父たちはこの部分を正しく理解していた。私たちが共有する人間性に対する彼らの主張は、これまで以上に重要になっている。

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