英語教育の強制化が始まったのは
前回は、変な記事を書いてしまいまして、質問の中で「日本語の中に唐突に英語などを交ぜてみる」という試みは AI には通じなかったわけですが、そういう意味では、おそ松くんに出てくるイヤミの「おフランスではハイカラざんす」なんて言葉も AI にとっては特に面白くないんだろうなあと(それ英語が混じってるとかじゃないし)。
さて、それはともかく、今日、イタリアのルドルフ・シュタイナー系のサイトを見ていましたら、「アーリマンの言語」というタイトルの記事を見かけました。
これは非常に大ざっぱに書けば、
「英語教育の拡大は、文化植民地化と地政学的覇権という企てであり、あるいはアーリマン的(悪魔的)目的のために世界中に広げられた」
というようなことが書かれてあるものでした。
こう書きますと陰謀論風に響きますが、陰謀論というようよりも、神秘主義的な観点から語っているものです。
私も子供の頃から「なんで英語なん?」と、よく思っていたので、この記事を読みました。
たとえばですね、日本語の古文が大好きな人がいてですね。将来的に海外向けの論文を書くときにはともかく、古文の研究そのものには英語は関係ないじゃないですか。
それでも、その人が行きたい古文関係の研究を行っている大学は、そこそこ難関で、やはり「英語がよく出来ないと入れない」というようなことをよく見かけていてですね。
若い時には、人によって勉強したいものなどバラバラで、またどうしたって興味が多岐になど向かないわけですから、なんで古文が好きな人間が英語や数学をやんなきゃなんないのかとか、逆も言えますよね。数学だけが好きな人が、なんで古文とかやんなきゃいけないのか、とか。
そんないろいろはできゃせんですよ。
それでも、英語は現在の日本の高等教育の中では完全に必須であり、そして、中学時代から私たちは英語を押しつけられます。
本来は日本の日常でまったく役に立つわけではない英語なんて、学びたい人だけ学べばいいわけで、なぜ、こうも強制的に英語が押しつけられてきたのかがわからない。まして、今の世の中は、英語などマイナー言語であり、
・中国語をネイティブとして話す人口:約9億9,000万人
・スペイン語をネイティブとして話す人口:約4億8,000万人
・英語をネイティブとして話す人口:約3億9,000万人
というようなことになっています(スペイン語は、ブラジルを除く南米の人口基準が大きいです)。
ともかく、日本における強制的な英語学習について、もう 40年以上疑問を抱いていましたので、そういう中で読ませていただいた次第です。
ここから記事です。それと関連して、やや興味深いことも知りましたので、補填します。
アーリマンの言語
La Lingua di Arimane
Marcello Rossini 2026/06/23
グローバル英語の大いなる欺瞞:地政学的植民地化から良心の硬化まで
私たちは英語を世界への鍵、近代へのパスポート、グローバルなつながりを築くための公平な手段だと教えられてきた。しかし、もし英語の使用が、文化植民地化と地政学的覇権という企ての成功に過ぎなかったとしたらどうだろうか?
英語におけるアーリマンの目的は何だろうか?
主流の言説では、英語の普及はグローバリゼーションと結びついた自然現象として描かれているが、20世紀の歴史を深く掘り下げると、異なる真実が明らかになる。英語が世界を征服したのは、表現力の優位性によるものではなく、特定の制度的・精神的な経路を通じて組織的に押し付けられたからである。
戦略計画:戦後の「言語宣教師軍団」
英語が島嶼言語から世界共通語へと移行する過程は、決して自然発生的なものではない。
そのルーツは、第二次世界大戦後のイギリスの戦略立案にある。イギリスの軍事帝国が徐々に崩壊していく中で、ロンドンはかつての植民地に対する影響力を維持するためには、銃ではなく言葉を用いる必要があると悟ったのだ。
こうした背景のもと、ブリティッシュ・カウンシル(1934年設立、1940年に勅許状を取得)のような公的機関は、ソフトパワーの柱として英語を海外に輸出するという明確な使命を与えられた。
1940年代と 1950年代の歴史報告書では、英国当局者がその戦略を率直に説明している。特にロンドンのブリティッシュ・カウンシル・アーカイブに保管されている 1946年から 1955年までの年次報告書など、同組織のアーカイブ文書では、言語の拡大は「言語宣教師の軍隊」の派遣と率直に定義されている。
当時の政策文書には、海外における英語の普及促進は「長期的な商業的および政治的利益をもたらす」こと、そして英連邦内およびそれ以外の地域における永続的な優位性の基盤を築くことを目的としていたと記されている。
1950年代、英語教育(ELT)は世界的な産業へと変貌を遂げた。
このイギリスの取り組みは、アメリカの経済成長と完璧な相乗効果を生み出した。ハリウッド、金融、そしてインターネットの基盤が、将来の世界的支配層がアングロサクソン的な基準に基づいて思考し、交渉するようになることを確実にする上で、この流れを完成させた。
秘教的次元:アーリマン的衝動としての英語
ルドルフ・シュタイナーは、民族の精神、すなわち国家の歴史的・文化的歩みを導く霊的存在の存在について論じた。それぞれの民族は、言語、芸術、音楽、神話、そして存在を解釈する独特の感性を通して、その個性を表現する。この観点から見ると、言語の多様性は、保存すべき文化的遺産であるだけでなく、人間の意識が世界と関わる様々な方法の表れでもある。
しかし、この調査にはさらに深いレベルがあり、それは人間の意識の進化という領域にまで及ぶ。
そして、この現象を人智学とルドルフ・シュタイナーの秘教主義の視点から分析すると、すべての言語には明確な宇宙的機能があり、英語は非常に特殊な力、すなわちアーリマン的衝動に反応していることが明らかになる。
秘教的な観点では、言語はより高次の霊的存在によって形作られる。
現代、すなわち15世紀に始まった「意識的な魂の時代」において、人類は物質世界に深く没頭し、論理的な知性と個性を発展させるという課題に直面している。英語はまさにこの段階に最適な言語だ。実用的で分析的な言語であり、複雑な語形変化がなく、身体的な行動、商業、そして数値計算に適した構造を備えているからだ。
しかし、英語はその水平的な性質ゆえに、人間を機械論的な唯物論、物質の幻想、そして知的硬直性へと駆り立てる霊的存在であるアーリマンの力にとって理想的な媒体となるのである。
グローバル英語が世界に押し付けられると、言葉が広まるだけでなく、音と精神を切り離し、言葉を商品交換のための純粋な計算ソフトウェアに貶めるアーリマン的な精神構造が押し付けられることになる。
古代ギリシャとの対比
この過程は、現代英語と、ギリシャ・ラテン文化時代の言語である古代ギリシャ語を比較すると明らかになる。
ギリシャ語は生きた、柔軟な言語であり、言葉、すなわちロゴスの持つリズム、息吹、音楽性と深く結びついていた。
古代ギリシャでは、音は精神世界と人間の繊細な肉体性との重要な繋がりを保っていた。それは精神と形態の間の美と調和の表現であった。現代英語は正反対の極性を表している。抽象的な形態、慣習、そして実用主義への完全な崩壊である。
イタリア語やフランス語のようなロマンス語は、ラテン語から受け継いだ内なるニュアンス、温かさ、感情を今なお保持しており、スラブ語は未来の精神的発展の種を宿している一方で、世界共通語である英語は、あらゆるものを平等にする役割を果たしている。世界を単一の商業言語で統一することは、人々の精神的能力を麻痺させ、思考を経済という一面のみに固定化することにつながる。
英語は世界の共通語ではない。それは、帝国主義的な目的のために上から押し付けられ、アーリマンの衝動によって維持されている、特定の経済・政治システムの言語的基盤に過ぎない。
地球の言語遺産 --- 宇宙を複雑かつ還元不可能な形で認識する数千もの慣用句 --- は、表面下に静かに息づいており、アーリマンがまだ消し去っていないものの静かな証となっている。
ここまでです。
確かに、英語は実用的で分析的で「水平」な言語ですが、比較的そうではない(分析的ではなく情緒的な)日本語という言語を使っている私たちからすると、何とも味気ない言葉でもあります。
ともかく、人々を物質的、経済的な「グローバル化」に導くためには、英語を中心とする地球にしていく必要性があったと共に、それは「アーリマン的な衝動」にも沿ったものだったと。
これを読んだ後に、
「シュタイナーは、本当にこんなこと言っていたんかいな」
と思いまして、シュタイナーのライブラリーを「アーリマンの言語」で検索してみますと、シュタイナーは、「英語がアーリマン的衝動に基づく言語だとは言っていなかった」ようですが、
「アーリマンの言語」
という言葉自体は出てきます。
シュタイナー・アーカイブのナンバー GA275 「神秘の知恵の光から見た芸術」のセクション1「技術と芸術」などに出てきます。
たとえば、以下のように出てきます。
「神秘の知恵の光から見た芸術 - 技術と芸術」より抜粋
1914年12月28日 ドルナッハ
Art as Seen in the Light of Mystery Wisdom
人類の進化の過程において、私たちが現代生活と呼ぶものは常に存在していたわけではありません。それは基本的に、アトランティス時代後の第5期の初めに登場しました。
…そして、人々がこのように近代について語るとき、彼らはアトランティス時代後の第5期から始まった時代について話しているのです。それは、人々が自然を観察する古い方法から脱却し、抽象的な法則のみに従って公平に自然を観察するようになった時代でした。
そして、この自然法則の知識を通して、自然科学は自然の力を制御する可能性を開き、よく耳にするように、前例のない方法で制御できるようになったのです。
しかし、これこそが現代のテクノロジーなのです。そして、現代技術の特徴は、人間が自然法則に関する知識を獲得し、その自然法則に従って物質世界を用いて機械を作り上げ、それらの機械によって現代生活を自然と生命に還元し、独自の技術的環境、すなわち現代生活の本質と機能を創造することによって生じたのです。
このように、真の自然科学と、それによってもたらされる自然とその力に対する支配を確立したのは、まさに現代であると言えます。
人々はよくこのように話します。
しかし、このように話すということは、アーリマンの言語を使っているということです。では、このアーリマンの言語を、私たちが霊的科学によって再び獲得しようとしている真の言語に翻訳できるかどうか見てみましょう。
真の言語とは、言葉が外界の自然を観察することによって与えられる意味だけでなく、宇宙全体、つまり自然と霊的生命の両方を考察することによって与えられる意味も獲得する言語です。
…人間が真に人間らしく生きるために必要な繋がりを得るには、内なる生活の中でそれを求め、魂の奥底まで深く潜り込み、宇宙の精神と繋がる力に到達する必要があります。
宇宙の精神とは、人間が生まれ、その中に埋め込まれているが、同時に分離することもあるものです。感覚と知性において既に分離が生じており、現代生活の中でアーリマン的な存在に満たされることで、再び分離が生じています。
…精神性への信仰は、言語全体に存在します。
そして、少なくとも言語における精神性とのつながりに対する感覚は、第4次ポスト・アトランティス時代から15世紀、16世紀に至るまで、ヨーロッパのすべての民族の魂の傾向の中に確かに存在していました。
この事実を知らなければ、ヨハネによる福音書の冒頭を正しく理解することはできません。ヨハネによる福音書の冒頭の言葉「初めに言葉があった」は、実際には、言葉が人間の全体的有機体と生命の中で果たす役割が、まず第一に根源的な精神性を通して、感覚の世界の背後にある全世界と人間を結びつけるという意識から生まれたのです。
ここまでです。
全体は非常に長く、相変わらず、やや意味不明ですが、要するに、
「本来、言語というものは、人間や自然や宇宙の中で果たす大きな役割を持っているが、アーリマンの言語はそれを阻害する」
というようなことでしょうかね。
言語の多様性が失われている共に、実は人類は「同じ言語」を話しているという事実も
最初にご紹介した文章によれば、「アーリマンの言語」とは「英語」であるわけですが(シュタイナーは英語だとは言っていません)、仮に英語がアーリマンの言語なら、それは人間と全世界を結びつける役割を「弱める」というような感じなんでしょうかね。
私には、英語もドイツ語もロシア語もその(文法上の)違いはよくわからないですが、日本語や韓国語などのように、並外れて「違う」言語もこの世界には多く存在します。
あまり関係ないですが、もう 15年も前の記事に「人間は生まれた時に「音」で世界の形を学習していた (In Deep 2011/07/12)」という研究を書いたことがありました。
アメリカ科学的心理学会のプレスリリースをご紹介したものです。
あと、「地球のほとんどの人類は『実は同じ言語を話している』」という記事もご紹介したことがあります。
「地球の人類はみな同じ言語を話している」 : 国際的研究で判明したこの衝撃の事実から、むしろ浮かび上がる「日本語」という存在の奇妙さ
In Deep 2016年9月14
この記事で取りあげた文章には、
> この研究で科学者たちは、異なる 3700の言語のそれぞれから 100の基本的な単語の分析を行うプログラムを作成した。3700 という数は、既存の言語の 62%にあたる。
>
> 分析の結果、世界のすべての言語には隠された共通のルーツがあることを示した。
と書かれていました。
大半の言語で、言語のルーツが同じである可能性が高いことを研究は示していました。
いずれにしても、日本の英語教育の強制化が解かれる日は、しばらくは来ないでしょうし、子どもたちは今後も、アーリマンの言語を崇拝し続けながら生きていかなければならないのでしょう。
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