地球の最期のときに

「全身全霊の悪意」に基づく冷酷性と嘲笑性に支配されているパンデミック下の世界で私たちは「単に幼稚化」され「無知を奨励」されている



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2020年12月22日からの世界

前回の記事で、ヘブライ語で 666 (六百六十六)のことを書いてから、ヘブライ語の文字と数字に興味が湧き、ヘブライ文字を眺め続けていましたら、昨日1日が終わってしまいました。

思えば、今日 12月21日は、土星と木星の結合が起きる日で(正確には22日の午前3時21分だそう)、天体学的にも興味深いものかもしれないですが、他の意味でも節目となりそうな気配は強いです。この日に何か特別なことが起きるということではなく、「これからの変化する世界」という意味で、ひとつの新しい段階に入るのかもしれません。

以下の記事では、今回と同じことが起きた 1226年からの世界の話にふれました。

太陽の逆光サイクルと呼ばれる惑星間引力の作用により 2020年代から「ミニ氷河期にほぼ100%突入する」ことを知る
投稿日:2020年12月6日

こういう気象的なことも今後の数年で顕著になるのでしょうけれど、そういう科学的なこととはまた別に、いろいろな意味がある時のようです。

先ほどのリンクしました記事「…そこから辿りつく「獣の数字」の真実」を投稿した後、メルマガの読者様からいくつかメールをいただき、読者様の方々にはいろいろなジャンルにおいてお詳しい知識をお持ちの方々がいらっしゃるんですが、「カタカムナ」という古代史伝での「 666 」の意味や、あるいは「九星気学」というものでも、この 12月22日は大きな意味がある日であることなど教えていただきました。

私はカタカムナも九星気学もどちらも詳しくないので、その内容に言及はしないですが、九星気学では、この 2020年12月22日という日は、

「年、月、日が、すべて七赤金星と重なる日」

なのだそうで、方位学などを研究している方々には重大な日だそうです。

昨日はそんなことを調べたりして終わりました。

ここからは、ここまでとは全然関係のない話とはなりますが、 In Deep の過去記事を見ていましたら、「パンデミック下の世界を支配している概念で最も近い性質」がそのまま出ている記事がありました。

サイコパスの世界

それが示されていたのは 2017年の以下の記事です。

サイコパスとその理念が世界を動かしている「悪意の時代」の中で
投稿日:2017年3月20日

これはその頃のロシアのプラウダの記事を翻訳してご紹介したものですが、内容的には、「アメリカから始まり西洋および西洋の影響を受けている国全体に広がっている現在の社会は、全体が《サイコパス的》価値観に支配されている」というものです。

サイコパスの定義はいくつかありますけれど、単純に書けば、

「自分のナルシズムを満足させるためには他人をどれだけ傷つけても、ウソをつき続けても構わないし、無慈悲で冷酷で共感の気持ちも良心もない。しかし、人をコントロールする魅力と能力を兼ね備えている人物、あるいはその気質の概念」

というような感じになるでしょうか。

このプラウダの記事では、さまざまな事例を載せていますが、自身でサイコパスだと自認しているアメリカ人女性が 2013年に偽名で出版した『社会的な告白。コントロールする心への旅』という著作には以下のようにあります。

他人の人生を台無しにするという考えは実に愉快だ。それは人ではなく食べ物のようだ。権力こそが、私の人生の中で本当に興味のあることだ。破壊的な力と知識と眼に見えない影響力。

> 他人の人生を台無しにすることは愉快

> 破壊的な力と知識と眼に見えない影響力

こういうのを読んでいますと、「今、世界を支配している概念と同様だな」と思えるのです。少なくとも、クリスマス直前に、そのホリデーを「強制的に中止」したりしているヨーロッパなどのエリートにはそれを強く感じます。これまでの 9ヶ月間でロックダウンの実効的な意味がないことが明確に示されているのにお構いなしです。

しかし、そういう人間の気質的な問題よりも、その 2017年のプラウダの記事の後半は、「未来の社会」は、これらの理念で導かれる必要があるということを、ヨーロッパのエリートが述べている部分などが記されます。

その部分を抜粋します。


 

プラウダ「わずらわしいサイコパスたちがこの世界を動かしている」より抜粋

Pravda 2017/03/17

イタリアの銀行家トマッソ・パドア=シオッパによる「改革」の真の意味に関する言葉は以下のようなものだ。

ヨーロッパ大陸においては、構造改革の包括的なプログラム、年金、健康、労働市場、教育は、単一の原則によって導かれる必要がある。

20世紀の中で、それらは単一ではなく仕切られたが、それにより、人々は直接苛酷さと接触することがなくなった。それにより、挫折や制裁をなくしてしまい、彼ら自身の品性の欠陥を賞賛することがなくなってしまった。

つまりは今、西洋「文明」全体が、米国のエッセイストであるマイケル・エナーによって記述された点に達しているのだと思わざるを得ない。それは以下の記述だ。

見るといい。何もかも逆さまだ。医師は健康を破壊し、弁護士は正義を破壊し、大学は知識を破壊し、政府は自由を破壊し、主要メディアは情報を破壊し、宗教は精神性を破壊しているばかりだ。

現在のこの世には「社会に隠された全身全霊の悪意」が存在する。

その悪意は、力の頂点であるサイコパスを選択しているということだろうか。

そして、「サイコパスがシステムの不可欠な部分として機能する」今の社会では、サイコパスたちが、その業績により、大衆から崇拝され、彼らの生き方が模倣されているということになるのだろうか。


 

ここまでです。

> 現在のこの世には「社会に隠された全身全霊の悪意」が存在する。

という部分の「全身全霊の悪意」という概念は、パンデミックでの世界中の当局による行動の制限やロックダウンが行われる中で、ずっと私が感じ続けていた中心的概念とまさに適合します。

全身全霊の悪意というのが何を象徴しているかというようなオカルトには今回はふれないですが、少なくとも現在の社会が示す徴候は、この全身全霊の悪意に基づくコントロールが、これからも長く続くことを示しています。

日本の場合は悪意ではないかもしれないとはいえ、年間 130万人以上が亡くなっている(2019年)この国において、毎日毎日一桁二桁単位の数を使用して人々を縛りつけている。

先ほどのプラウダにありましたイタリアの銀行家が言っていた、

> (大衆が)直接苛酷さと接触することがなくなった。それにより、挫折や制裁をなくしてしまい、彼ら自身の品性の欠陥を賞賛することがなくなってしまった。

という部分の「彼ら自身の品性の欠陥を賞賛する」という部分をお読みになりましたでしょうか。

この銀行家のようなタイプのエリートの人たちは、

「大衆は自分たちが馬鹿であると感じることを喜ぶべきだ」

と述べており、それを希望し続けていたわけです。

ヒトラーの『我が闘争』にも同じような部分がありますが、最近読んだイギリスの方の書いた記事で「そのエリートたちの希望が現実化している」ことを感じさせるものがありました。それをご紹介して締めさせていただきます。

作者は「イギリスは巨大な幼稚園のようになってしまった」と嘆いています。

 


2020年:私たちが自分自身を幼稚化させ、自ら人間性を奪った年

2020: The Year We Let Ourselves Be Infantilised And Dehumanised
Rob Slane 2020/12/17

最近、英国首相によるスピーチについての風刺記事を書いた。

その中で、首相がクリスマスシーズンのためにあらゆる種類のばかげた規則を考え出すことを想像したが、そのようなばかげたルールへの風刺の全体的なポイントは、現実に起きていることのばからしさを強調するために、実際に出されているルールの不条理のレベルをさらに 1、2段階上げるようにして風刺とする。

ところが、実際に当局から出された不条理は、すでに 10(最高レベル)を越えていると言える。このような場合、もはやこれ以上、風刺にもできない。

たとえば、私の書いたリストには「クリスマスに特定のボードゲームを屋内で親子や兄弟でプレイすることを禁止する」というばかげたルールが含まれていたが、普通なら誰でも「そんなバカな」と思うだろう。しかし、現在それは冗談ではなくなっている。それを書いた数日後、SAGE(英政府緊急時科学諮問グループ)が、クリスマス中のボードゲームのプレイに反対するようにアドバイスしたのだ。

私たちは、このほぼ 9か月間、まったく無礼に扱われてきた。かつては自由だった人々がいるかつての偉大な国(英国のこと)は、哀れで幼稚なスローガンに支配されるレベルにまで堕ちてしまった。

何らかの理由で、私たちは自分自身を幼児化することを許したのだ。

私は、これらのばかげたスローガンに市民の人たちが苦笑で応答するのではなく、政府から紹介されているこれらのスローガンへの国民の実際の対応について完全に困惑している。

「警戒を怠らないこと。ウイルスを抑制しよう。それが命を救います」

これは一体何を意味するのか?

警戒を怠らない? どのように? 大きさが約 120ナノメートル(※ ナノメートルは 10億分の 1メートル)つまり人間の髪の毛の幅の約 1,000分の1のウイルスを警戒する? どこでも誰もが電子顕微鏡を持ち歩いているのならともかく。

私のお気に入りの標識の 1つは、オフィスへの通勤で車の中から時々目にする電子標識だ。

それはある日には、

「警戒を怠らないでください。ウイルスを制御してください」

とあり、他の日には、こうある。

「警戒を怠らないでください。自転車に乗っている人に気をつけてください」

ウイルスを制御する? 何だって? つまり、彼らは実際に、空中や表面にある小さな目に見えない 120ナノメートルのウイルス粒子を実際に制御できるスキームを持っている? 多くの人たちが、そんなことを真剣に考えられると思うほど愚かになってしまっているというのだろうか。

しかし残念ながら、どうやら全体的にそうなってしまっている。

命を救う? どのように努力すれば、感染していない人たちがウイルスの拡散を止めることができるというのか? 一枚の布で気道を覆うことが 120ナノメートルのウイルス粒子の拡散を防ぐ?

最近では、当局も、そのスローガンのレベルが少し高すぎる可能性があることに気づき、さらに単純化する必要があると判断したのかもしれない。今はさらに単純だ。

「屋外で話をしないでください」

私は、イギリスが突然最大の幼稚園に押し込まれたような不気味さを感じている。これらのスローガンは、人々の存在が本当に愚かであるかのようなものだと主張しているようなものだ。

しかし、国民全体の幼児化は、彼らが私たちに行った「最悪」のことではない。

はるかに悪いのは、何百万もの人々の「非人間化」であり、それは多くの非常に破壊的な方法によって行われてきた。

その根底の主要なテーマは、「私たち人間全員がお互いを避けなければならない」という考え方だ。

これがどれほど破壊的な結果につながるかを考えることすらできない。

通常の社会では、あなたや私が特に厄介な季節性の呼吸器疾患の症状を持っている場合、普通、私たちはお互いに避けるだろう。しかし、まったく何の症状もない完全に健康な人々がお互いに避けるという考えは、これまでに想像もしたことのない最もばかげた概念の 1つとして認められなければならない。

そんなことは不必要であるだけでなく、私たちがお互いを見る方法、私たちがお互いに関係する方法、私たちがお互いの周りで行動する方法にこれから長期的な結果をもたらすに違いない。

人と人との接触の回避は、心理的および社会的観点から非常に破壊的であるだけでなく、非常に残酷でもある。祖父母が子どもたちや孫と接触できないという考えは醜悪でさえある。

しかし、それを行うことを私たち自身が許可したことを忘れないでほしい。

リスクは非常に低かったにもかかわらず、恐怖の物語を続けるために、新型コロナウイルスのマーケティングチームと彼らの「人間の幼児化」スローガンによって屈辱を与えられた何百万もの人々。

世界で何千万人もの人々が、顔を覆い、笑顔を覆い、思いやりを覆い、人と人との接触を断つことで人間性を奪われている。

2020年は、そんな中に私たちが生きた年だった。

2021年は、人々がこの幼稚園から脱出し、人間に戻ろうとする年になることができるだろうか。

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