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なんとなく疲れて、ふと見たサイトにて
今朝、イエローマジックオーケストラの高橋幸宏さんの訃報をきいて、まあご病気もありましたし、最初はそれほど感慨もなかったのですけれど、ベランダで立っていて、ふと、
「なんでこんなに次々と好きな音楽家が死ぬん?」
と急に涙が出てきて、そのまま止まらなくなってしまいました。
イエローマジックオーケストラは、15か 16歳の時に、レコード屋でジャケットを見て、「誰だか知らんけどかっちょええ」と LP を即買いして知ったものでした。以下のジャケットです。こんなにかっこいいレコードジャケットは今にいたるまであんまりないです。右が高橋幸宏さんです。
Solid State Survivor – YELLOW MAGIC ORCHESTRA (1979)
Full Album – YouTube
このアルバムによって、十代の私が電子楽器というものに初めて興味を持ち、電子楽器に興味を持ったことが、その後のあらゆる音楽体験に結びついていきました。
そういう意味で、イエローマジックオーケストラが云々というより、「イエローマジックオーケストラがなければ人生がスタートしなかった」とは言えると思います。
11月には、キース・レヴィンさんという高校生の時から最も好きなギタリストの一人だった人が亡くなり、12月には、高校生の時に、その歌詞ですでに「ヨベルの年」という言葉を聴いていたことを最近知りましたが、英国のストラングラーズというバンドのドラマーが亡くなり(高齢でしたけど)、先日は、ジェフ・ベックさんも亡くなった。
ジェフ・ベックさんは特に好きなギタリストというわけではないですが、十代の時に初めてステージでバンドとして演奏(シンセ)した最初の曲が、ジェフ・ベックさんのレッドブーツという曲でした。そこそこ難しいこの曲をわりと一生懸命、家で練習したことを思い出しますし、今でもよく聴く曲です。
去年からは他にも次々と亡くなられていて、「なんなん? これ」と現実的に思います。
現状のことなんてある程度理解していて、ワクチンのことも含めて、ずっと書いているにも関わらず、「なんなんだよこれは」という思いはあります。
最近は、二十代の時に最も貴重な音楽体験のひとつを提供してくれた GAUZE というバンドが結成 41年目にして解散しましたが、後で知るところでは、メンバーの病気が原因とのことでした。何の病気かは知りません。
他にも海外を含めて、ガンになった、病気になったと、次々です。
「もう勘弁してくれよ」と思います。
次から次へと倒れていく。
そんなことを思っていましたら、本当に泣けてきてしまった次第でした。
なんか、そんなことを思っていまして、今日は時事とかニュースは見る気も起きず、呆然といくつかのサイトを見ていましたら、以前、たまに見ていたイタリアのサイトで興味深いタイトルのものを目にしました。
人間の血液とは
そこにルドルフ・シュタイナーの 1906年の講義か著作かの資料がアップされていました。
イタリア語の PDF なんですが、このタイトルが、そのまま訳しますと、
「血液は非常に独特なジュースだ」
というものなのでした。
このイタリア語のタイトルを英語にしますと、
BLOOD IS A VERY PECULIAR JUICE
となり、PECULIAR は、「奇妙な」とか「特有の」という意味ですが、問題は「ジュース」ですね。
さすがに、日本語でのジュースの響きは、いわゆる「ジュース」しか想定できない感じで、りんごジュースとかオレンジジュースとか、大根ジュースとか(そんなのあんのかよ)、まあ、ジュースのイメージしか湧きません。
「そもそも JUICE の意味ってなんだ?」
と、おそらく初めて「ジュースという英単語を辞書で調べた」のですが、以下のようにありました。
1. ジュース、肉汁
2. 体液、胃液
3. 燃料、動力源
4. 活力、本質
5. 酒
などが書かれてありました。
「胃液もジュースであらわすことができるんだ」と初めて知りましたが、なるほど、いろいろと意味があるのですね。
ということは、先ほどのイタリア語の BLOOD IS A VERY PECULIAR JUICE は、体液をもう少し広く「液体」と解釈して、
「血液は非常に独特な液体である」
というようにも訳せるのかなとも思いましたし、ジュースには活力とか本質という意味もあるようですので、そちらかもしれないですが。
そのルドルフ・シュタイナーの講義の資料自体は 30ページくらいある結構長いもので、最初は、ゲーテのファウストの話か何かから始まるのですが、しばらく後に出てくる以下のような表現に、「へえ」と思ったのです。太字はこちらでしています。
(シュタイナー「血液は非常に独特な液体である」より)
> ……したがって、ゲーテは「悪魔は血の敵である」という観察を行いました。つまり、血は本質的に人間の生命を高め、維持するものであり、したがって、人類の敵である悪魔は血の敵でもあり得る。
>
> さらに、当然のことながら、彼は、ファウストのサガの最も古い精緻化において、また一般的なサガにおいて、血液が同じ機能を果たしていることも指摘しています。
そして、少し先に以下のように続くのです。
(シュタイナー「血液は非常に独特な液体である」より)
> ……したがって、人間の血を所有する者は誰でも、人間自身を支配できるという独特の感覚を得るのです。 血は完全に独特の液体です。
>
> なぜなら、ある意味では、人間が、人間としての本質的な「善」または「悪」のために戦うときに、それ(血)が戦わなければならないものだからです。
>
> 人々の伝説や神話から私たちに伝わり、人間の生活に関連するすべてのものは、人間の概念全体に関して、私たちの時代に特別な変化を遂げます。
>
> サガ、寓話、神話が、人気のあるファンタジーかのように見られていた時代は終わりました。
「悪魔と戦うのは血なのかよ」
と思った次第で、あるいは、
「人間の血を所有する者は誰でも、人間自身を支配できる…」
のあたりにいろいろと思うところがありました。
同時に、この 2年間くらい、ブログのタイトルに「血」という単語がずいぶんと出ていたことにも思いが及びます。
これは全体として、「ワクチン」をイメージしたものでした。
(2021年以降の「血」がタイトルについた記事)
・人類が「究極的な汚れた血」を持つに至るまで
2021年6月8日
・血液は命のリズムそのものであり、その分子の振動は、私たちに固有の意思と感情を与えている。なら、意思と感情を強制的に変える方法は?
2021年6月9日
・「血液がかつてとはまるで違うのです」:アメリカの遺体衛生保全者たちの話から明らかになってきた、現在起きている驚異的な現実
2022年9月8日
読み返してみれば、最初にリンクしました「人類が「究極的な汚れた血」を持つに至るまで」という記事では、まさにシュタイナーの講義(1917年のもの)を載せていますが、先ほどの「血の説明」とはちがうものでした。
(1917年10月28日のルドルフ・シュタイナーの講義より)
> 大天使がアトランティス後の四番目の時代に天使と協力して人類を導いた間接的なルートを探すと、次のように言えます。
>
> これは、人間の「血」によって行われたものです。
>
> そして社会構造もまた「血」によって創造されました。それは血縁、血の絆に基づいていたからです。
>
> 大天使も天使も、いわば血の中に居場所がありました。血液は化学者が分析するためだけのものではありません。それはまた、高次の世界からの存在の居住地でもあります。
>
> したがって、アトランティス後の四番目の時代には、「血」は大天使と天使の居住地でした。
しかし、今回知った、「人間の血を所有する者は誰でも、人間自身を支配できる」という概念のほうがイメージとしては強力に思います。
ワクチン接種キャンペーン以来、どこか頭の中にこびりついていた疑念…とはちがいますが、「こんなにたくさんの人の血液に介入する理由は何なんだろう」という疑問に、曖昧ではあっても(シュタイナーの言うところを本質的に理解するのは難しいです)、答えに近い部分を示してくれているような気がしました。
「血液を支配することで、人間を支配できる」というのは、もちろんこれはオカルト的な世界での観念ですが、何となく、「なるほど」と納得した次第です。
「悪魔と本質的な戦いをするためには、人間としての血が必要」
だと。
それと同時に、
「もうあんまり多くの方々は戦えないわけか……」とも、ふと思った次第ですが…。
このシュタイナーの講義を部分的にご紹介させていただこうと思いますが、現代として、なかなか「問題のあるかもしれない」表現も多いです。
なお、文中に、
> ある動物の血液が別の動物の血液を殺す…
というくだりがありますが、これはもう「輸血」というレベルで考えますと、他の動物ではなくとも成し得ることです。
別の血液型の輸血でそれがなされます。
ちなみに、すべての血液型から輸血を受けられるのは AB 型だけだそうで、また、O型は、O型からしか輸血を受けることかできませんが、その理由は、
> ABO式の血液型はA型、B型という2つの抗原によって分類され……この抗原は凝集原ともいい、凝集する性質をもともと持っています。 (kango-roo.com)
だからだそうです。
この「凝集素」というのは、「粒子を凝固する」もので、要するに「血液が固まってしまう」ということのようです。
他にも、自己免疫疾患による赤血球の凝集もあるようですが、それは別として、「別の血が入ると、人の血液は基本的に凝固してしまう」と (死んでしまうと)。
基本的には、
「人間の血は、他者の血とあまり相容れない」
という部分はあるのかもしれません。
ここからシュタイナーの講義の抜粋です。いくつか、こちらで太字にしています。
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シュタイナー「血液は非常に独特な液体である」 (1906年)より
Rudolf Steiner – Il Sangue è un Succo Molto peculiare
…植民地化の場合のように、2つの人間グループが衝突する場合、進化を知っている人たちは、外国の文明を受け入れることができるかどうかを判断できます。
その土地で育ち、その血の中でその環境が表現されている人々を取り上げてみましょう。私たちは彼らに外国の文明を移植しようとします。しかし、それは不可能です。これが、他の異なる人種が特定の地域に到着したときに、特定の元の住民が絶滅しなければならなかった理由です。
この問題は、血の観点から判断する必要があります。
血は、それがまだ耐えることができるものにのみ課すことができます。
ある動物の血液を最初の動物とは関係のない別の動物の血液と混合することによって、ある動物の血液が別の動物の血液を殺すという現代科学の発見は、古代からあるオカルトの知識です。
人間の血液と、遠く離れた類種の類人猿の血液を混ぜると、距離が離れすぎているため、絶滅に至ります。人間の血と優れた類人猿の血は、混ざり合っても互いに殺し合うことはありません。
あまりにも離れた動物種の血が混じり合うと真の死がもたらされるように、古代の人々の血が自分と関係のない人々の血と混じり合うと、原始の人たちの古代の透視能力が失われます。
今日の文化生活はすべて、血が混じり合った結果にほかなりません。
それほど遠くない時期に、血液混合物の影響も研究され、この観点から調査を開始して、人間の生活の中でそれらをさかのぼって追跡することが可能になります。
要約すると、進化の過程で遠い動物種の血が交差すると、人は殺されます。 互いに関連する動物種の血の交配では殺されることはありません。
人間の肉体は外来血との交配によっても維持されますが、透視の力は、血の混血や遠いもの同士の結婚の影響で死んでしまうのです。
人間の進化には、より高いレベルで、動物の世界に存在するものと同様のものがより低いレベルで存在します。
動物の世界では、外来血が外来血を殺します。
人間の世界では、異質の血は、血の親和性に関連するものを殺します。たとえば、ぼんやりとした薄明の透視能力などです。
したがって、現在人の明確な意識は、殺害のプロセスの結果です。
人の血の中で生きることができるものは、その自我の中に住んでいます。
肉体が物理原理の表現であるように、活力液とそのシステムのエーテル体、神経系のアストラル体であるように、血液はエゴの表現です。
物理原理、エーテル体、アストラル体が「上」、血液と自我が「中」、肉体、生命系、神経系が「下」です。
人間を所有したい場合は、彼の血を所有しなければなりません。
実用的な生活で前進したい場合は、これを覚えておく必要があります。
たとえば、植民地化を通じて、その血が耐えられないものをその血に要求することは、その外国人たちを完全に殺すことになり得ます。
実際、自我は血の中に表れています。 美と真実が人を支配するのは、血を支配するときだけです。
血は確かに非常に独特な液体です。
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