地球の最期のときに

ケネディ保健福祉長官のT4作戦的発言から思い出す「エリートは優生学が大好き」という現実から垣間見えるディストピア



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ハンナ・アーレント著『エルサレムのアイヒマン – 悪の陳腐さについての報告』(1961年)表紙より。(日本語版は表紙が異なります)




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生きるに値するとは

マッド・イン・アメリカというウェブサイトがあります。最近その記事のひとつで、ブログでも取り上げることのある「 T4作戦」という言葉が出てくる記事を読みました。

このサイトには、ほとんど連日のように、抗うつ剤の SSRI の問題や、ベンゾジアゼピン系の薬についての論文が紹介されているので、よく見るサイトで、最近は、元コクラン代表のピーター・ゲッチェ氏の『批判的精神医学教科書』という長い連載も掲載されていたりします。

このピーター・ゲッチェ氏については、「処方薬が主要な死因となっている」ことについての論文をご紹介したことがあります。

アメリカでの処方薬による死亡者は、年間「 88万人」に達しており、公式な統計での死因の 1位である心臓疾患(約 70万人)や 2位のガン (約 60万人)をはるかに超えた死因となっています。これについては、以下の記事で論文を翻訳しています。

この社会の「最大の殺人集団は何か?」を教えてくれる元コクラン代表のピーター・ゲッチェ氏の論文
In Deep 2024年4月24日

このタイトルにある「最大の殺人集団は何か?」というのは、つまり、その「処方薬を処方する人たち」ということになります。まあ、医師とは書かないですが…(書いてるじゃん)、ああ書いてしまいました。

このことはともかくとして、そのマッド・イン・アメリカに、以下のタイトルの記事が掲載されていました。

・「生きるに値しない生命」:歴史的健忘、根絶、そして自閉症をめぐるレトリック

内容は、後で書きますので、お読みいただきたいとして、その記事の中に以下の下りがありました。

ロバート・F・ケネディ・ジュニア保健福祉長官が最近、自閉症の人々は「働く」ことも「納税する」こともできないため、社会の「重荷」であると示唆した発言は、憤慨するだけでなく、深く考えさせられるものだ。

「 RFKジュニア氏、そんなこと言ってたの?」と思いましたが、発言のリンク先などがなかったために探してみますと、アメリカの発達障害に関するニュースを掲載しているサイトに「ケネディ氏の自閉症に関する発言が反発を呼ぶ」という記事があり、その内容がありました。

以下のように述べていたようです。

ディサビリティ・スクープより

ロバート・F・ケネディ・ジュニア保健福祉長官が、自閉症スペクトラム障害の子どもたちは就職も野球もデートもできないだろうと発言したことを受けて、自閉症擁護団体は反発している。

自閉症率が上昇していることを示す新たなデータを受けて先週開かれた記者会見で、ケネディ氏は発達障害のある人の人生の厳しい現状を描写した。

「この子たちは決して税金を払うことも、仕事に就くことも、野球をすることも、詩を書くこともなく、デートに行くこともない」とケネディ氏は述べた。

「彼らの多くは、介助なしでトイレを使うこともないだろう。私たちは、子どもたちにこのようなことをさせていることを認識しなければならない。そして、この状況に終止符を打たなければならない」

disabilityscoop.com

ともかく、まずは、マッド・イン・アメリカの記事をご紹介します。ここに出てくる「 T4作戦」については、最近の記事でもふれましたが、T4作戦の詳細は、以下の記事の後半にあります。日本中がマスクだらけになり、ワクチン接種も始まった 2021年5月の記事です。

マスク…統制…娯楽の剥奪…。弱い者から集中的に社会から削除するパンデミック政策のメカニズム
In Deep 2021年5月19日

私が、こういう「優生学」的、あるいは「劣った種を根絶する」という思想に感情的に反応してしまうのは、こちらの記事など、書いたこともありますが、

「自分自身が粛正される対象だったような子どもだったから」

です。

何となく今は生きていますが、ナチスドイツの T4作戦で殺されていった子どもたちと、そんなに違わない境遇でした。

まあ、ともかく、ここから記事です。




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「生きるに値しない生命」:歴史的健忘、アウスメルツェン、そして自閉症をめぐるレトリック

“Life Unworthy of Life”: Historical Amnesia, Ausmerzen and the Rhetoric Surrounding Autism
Mad in America 2025/05/26

神経多様性を持つ人々の声が、ようやく彼ら自身の言葉で耳を傾けられ、評価され始めたばかりのこの時代に、公人、特に高官を目指す人々が、彼らを非人間化し、軽視する言説を復活させているのを目の当たりにするのは、深く憂慮すべきことだ。

ロバート・F・ケネディ・ジュニア保健福祉長官が最近、自閉症の人々は「働く」ことも「納税する」こともできないため、社会の「重荷」であると示唆した発言は、憤慨するだけでなく、深く考えさせられるものだ。

これは単なる軽率な発言ではなく、より根深く、より陰険な問題を象徴している。歴史がすでに致命的であることを露呈した論理が再び現れているのだ。

こうしたレトリックの重大さを理解するには、20世紀で最も冷酷なイデオロギー的かつ官僚的なプログラムの一つであるナチス・ドイツの T4 作戦を振り返る必要がある。

1939年から 1945年にかけて、国家公認のこの「安楽死」プログラムは、「生きるに値しない生命」とみなされた人々を標的とした。

犠牲者は兵士でも犯罪者でも政敵でもなかった。障がいのある子ども、神経発達障害のある人、精神疾患や知的障害のある人々、つまり冷徹な政権の判断において経済的または生物学的な「適応性」の基準を満たさない人々だった。

アウシュヴィッツとソビボルのガス室、そして工業化された社会主義体制による数百万人の虐殺以前には、ドイツの病院における不妊手術クリニックと「安楽死」が存在した。

これらの初期の残虐行為は、憎悪や復讐ではなく、経済的な理由によって正当化された。ナチス政権は、障害者や神経発達障害を持つ人々の存在を国家の財政負担と位置付けた。

内部文書やプロパガンダでは、彼らへの継続的なケアは無駄で非効率であり、生産性の高い大多数にとって不公平であるとされた。「根絶する」を意味するドイツ語の「 Ausmerzen (アウスメルツェン)」は、この静かに組織的に排除する政策を表すために使われた。

死の機械は、銃弾やガスではなく、思想から始まったのだ。そして演説から。誰が社会に「貢献」し、誰が貢献しないかという常態化した会話から始まった。

そして今、ほぼ 1世紀が経ち、私たちは同じ論理のかすかな、しかし紛れもない反響を聞いている。

 

人間の価値を測る生産性の問題

人間の価値を経済貢献に還元できるという考えは、単なる還元主義にとどまらず、極めて危険だ。それは人間を商品へと変容させる。

そして、そのような世界観においては、従来の労働力から外れた人々、つまり高齢者、障害者、神経多様性を持つ人々、慢性疾患を持つ人々は、使い捨てにされてしまうのだ。

新自由主義的な経済枠組みと極右イデオロギーがしばしばこの交差点で交わるのは偶然ではない。

どちらも、人々をコミュニティ、文化、そしてケアに根ざした複雑で相互依存的な存在としてではなく、生産性の単位として捉えがちだ。この枠組みの中で、自閉症の人々は、支援され、エンパワーされ、称賛されるべき人々ではなく、解決すべき「問題」とみなされてしまうのだ。

しかし、自閉症の人たちは負担ではない。彼らは芸術家であり、プログラマーであり、教師であり、友人であり、介護者であり、科学者であり、そしてリーダーだ。

言葉を話せる人もいれば、話せない人もいる。一般的な仕事に就いている人もいれば、納税申告書や人事評価では計り知れない方法で地域社会に貢献している人もいる。彼らは、規範に挑戦し独自の視点を提示し、人間の経験の広大さを思い起こさせるような人生を送ることで、社会構造を豊かにしている。

その価値が雇用や納税に左右されるとする主張は不正確であるだけでなく、倫理的に受け入れられない。

 

リーダーシップ、記憶、そして道徳的明晰さ

歴史的に分断によって二部されてきたコミュニティで教育者、そして若者のリーダーシップ育成に携わるファシリテーター (グループや組織がより協力し、共通の目的を理解し、目的達成のための計画立案を支援する人のこと)として、言葉が他者化、周縁化、矮小化へと向かう時、どれほど危険であるかを私は知っている。

リーダーたちが排他的な話し方をすると、若者たちは耳を傾け、学ぶ。そして、誰が大切にされているのか、誰が所属しているのか、誰が重要なのかを学ぶのだ。

歴史は、残酷さはしばしば常識という言語をまとって現れることを教えてくれる。

T4作戦の立案者たちは地下室の狂人ではなかった。彼らは医師であり、政策立案者であり、官僚であり、教授でもあった。

彼らは会議を開き、その正当性を主張する声明を発表し、致命的な決定を下しながらも、静かでプロフェッショナルな口調を保っていた。ハンナ・アーレントが書いたように、悪はしばしば平凡なものに見える。システムやプロセスに埋め込まれ、行政用語に覆い隠されているのだ。

(※ 訳者注) ハンナ・アーレント氏は、アウシュヴィッツ強制収容所へのユダヤ人大量移送に関わったアドルフ・アイヒマンの裁判の記録を『エルサレムのアイヒマン – 悪の陳腐さについての報告』という本にまとめた方です。2021年2月の In Deep の記事でふれたことがあります。

今日、私たちはそのような考え方から逃れられると勘違いしてはならない。著名人が、神経多様性を持つ人々の経済的な成果に基づいてその価値を問うことは、単に非難されるだけでなく、歴史がすでに徹底的に非難してきたイデオロギーを目覚めさせるリスクを負うことになるのだ。

 

学術界と専門家コミュニティへの呼びかけ

教育者、研究者、心理学者、ソーシャルワーカー、医療専門家、そしてリーダーとして、私たちはこの瞬間を明確な視点で捉えなければならない。

人間を経済単位に矮小化する言説は拒絶しなければならない。

包摂的 (あるものを包み込んで取り込むことを意味する言葉)な社会は、収益性の尺度ではなく、尊厳、公平性、そしてケアの原則に基づいて築かれることを忘れてはならない。

また、私たちは、神経多様性を讃え、偏見に挑戦し、自閉症の人々自身の生きた経験を中心とする対話を促進する必要がある。研究や慈善活動の受動的な対象としてではなく、彼ら自身の力で変化と洞察を生み出す主体として。

これは政治的正しさの問題ではない。歴史の読み書き能力の問題だ。道徳的な誠実さの問題だ。古くて危険な思想に、新しく立派な装いをまとうことを拒むことの問題だ。

自閉症の人々の命は、標準的な経済的期待に従わないかもしれないという理由で軽視されていると考える人たちに、私はイデオロギーからではなく歴史から得た教訓を述べている。

以前もこのように始まったのだ。


 

ここまでです。

 

広がりつつある優生思想

先日書きました「西側諸国に広がる政府による自殺幇助という名の21世紀のT4作戦」という中で、カナダの安楽死法が、

「子どもや赤ちゃんにまで適用が拡大されようとしている」

ことにふれました。

2022年12月のデイリーメールより

カナダ政府は、その安楽死法を精神障害者、さらには潜在的に子どもにまで拡大しようとしており、ケベック医科大学は重病または障害のある新生児の安楽死を合法化するよう求めている。

こういうことは、T4 作戦もそうですが、このように「対象が拡大していく」傾向にあるようで、その場合、「社会に貢献できる人間どうか」だけが判断基準となり、それ以外の人たちはどんどん根絶されていく。

以前、科学的に非常に見識の高い人たちの多くが「強い優生学思想」を持っていて、実際に著作やインタビューで語っていることを以下の記事でご紹介しました。

フレッド・ホイル卿…ニコラ・テスラ氏…ジャック・アタリ氏…共通するのは、皆が優生学指向で「人口削減推進派」であることだったり
In Deep 2022年11月4日

上の記事に、それぞれの主張を長く掲載していますが、このタイトルに出てくる人たちは、以下のように述べていました。

ニコラ・ステラ氏の文章より

2100年には、優生学が普遍的に確立される。過去の時代、適者生存を支配する法則は、あまり望ましくない菌株を大まかに排除していた。その後、人間の新たな哀れみが自然の冷酷な働きを妨害し始めた。その結果、私たちは生き続け、不適格な人間を繁殖させ続けている。

…望ましい親でない者が子孫を残すことは許されるべきではない。

indeep.jp

 

ジャック・アタリ氏のインタビューとされるものより

将来的には、人口を削減する方法を見つけることが課題になるだろう。人口削減はまず高齢者から始める。なぜなら、60〜 65歳を超えると、人々は生産性がない状態で長生きし、それは社会に多大なコストがかかることになるからだ。

次に弱者、次に役に立たない者たち。彼らは数は増えるが、社会の役に立たない。そして何よりも最終的には、愚者が対象だ。

これらのグループを対象とした安楽死をおこなう。安楽死というものは、すべての場合において、私たちの将来の社会において不可欠な選択肢でなければならない。

indeep.jp

こういう思想は、わりと多くのエリートの人たちが持つものだとも知りますけれど、それが良いことか悪いことかはともかく、どうしても感情的に反応してしまうのは、先ほども書きましたけれど、「私自身が社会に役に立たない子どもだったから」ということもあるのでしょうね。

そんなこともあり、幼稚園くらいの時から「殺せるものなら殺してみやがれ」と考えながら生きていたわけですけれど、社会の役に立たない存在であることは、その後も大人になるまでずっと同じでした。

確かに、特に重い障害を持つ子どもに関しては、その家族にしても周囲にしても、もちろん本人にしても、大変な苦労があるでしょうけれど、その顛末を判断するのも、やはり親や本人であり、決して政府や政策によってではないとは思います。

政策によってカナダの安楽死法のようなものが規定されれば、それはどんどんと拡大して、「それが当たり前の社会」となっていってしまう

ナチスドイツの T4作戦の時代を見ても、社会と民衆の観念は、あっという間に変わります。長い年月など必要ない。T4作戦で積極的に子どもを殺害していたのは、主に看護師たちでした。

私自身はわりとドライな人間でもありますけれど、ただまあ、やっぱり子どもができてから、考え方も変わりましたね。今は大学生ですが、長く学校に行けない時期が続いたり、そもそも 3歳まで発語がなかったような子どもでしたから。

周囲や親戚などでも、精神的、神経的に参っている子どもたちや若い人たちをとても多く見聞きするようになりました。今後も増えそうな気もします。

それだけに、あまりにも社会が優生学に傾いていくと、過去のディストピア的な社会が再び蘇ってしまいかねません。

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