ハンナ・アーレント著『悪の陳腐さについての報告』(1961年)表紙より。 liberopensare.com
まるでアーリマンに導かれるように
何だかいろいろと今の世の中は「意外」なことが続くのですけれど、わりと自分が直接体験することも多いんですね。
最近…というか、今日の驚きは次のようなことでした。
先日の以下の記事でも少しふれさせていただいたのですが、テリー・ボードマン(Terry Boardman)さんというルドルフ・シュタイナーとその精神科学の研究者の方のウェブサイトから最近内容を抜粋させていただくことがありました。
5000年続いた暗黒時代の終わりに「悪魔的存在との対峙」を回避することができない今後、陰惨な性質が明らかになるウイルスとそれを操る社会に私たちはどのように立ち向かうべきか
投稿日:2021年2月7日
この方のサイトは、以前ネットで検索していたときに偶然知ったもので、今でもどんな方かはそれほどよく知らないのですが、書かれている内容はかなり強く納得できるものです。
他には、以下のような過去記事でも取りあげさせていただいています。
・シュタイナーが「悪魔的存在が人間の姿に化身して地球に生まれるのは2001年」と述べていたことを知り、そのアーリマンが表舞台に立つ2033年までの…
・悪魔的時代の出現が2021年に明確になることを、シュタイナーに関する文献と「23の数字」を見ていて…
このテリーさんのウェブサイトの文章は、過去に出版物に掲載されたものや、自らの講演の内容等を文字としているものが多いようで、どれも大変に長いものなのですね。どれも一度で読み切れるものではありません。
それで、たまにウェブサイトを訪れては、1セクションなどを読んで、またしばらくして読みに行くというような感じだったのですが、今日もふと、
「テリーさんの前の続きでも読んでみようかな」
とウェブサイトに行きましたら、以下の表示となっていました。平たくいえば、「このドメインは一時停止されています」という国際管理団体からの通達です。
テリー・ボードマン氏のウェブサイト(2021年2月10日現在)
threeman.org
以下のようなことが書かれています。
このドメイン名は ICANN の検証待ちです。
このドメインは、次の3つの理由のいずれかにより停止されました。
A. これは新しいドメイン登録であり、連絡先の名前とメールアドレスをまだ確認していません。
B. このドメインは最近移管されましたが、連絡先の名前とメールアドレスをまだ確認していません。
C. このドメインの登録者の連絡先データは変更されていますが、確認が必要です。
この ICANN というのは、全世界のインターネットのデータベースの管理を行っている団体で、ネットでドメインを持っている場合、すべての人たちにこの管理はなされていまして、たとえば私もブログを運営していますが、毎年一度、「 Whois情報 正確性確認」というメールが来て、管理者の情報が正確かどうかの確認がなされます。
確か 2016年頃から始まった管理システムだったように記憶していますが、全世界のドメインに対して行われているはずです。
ドメインというのは平たくいえば、〇〇〇.com などの 〇〇〇 の部分です。テリーさんのウェブサイトなら threeman.org のその部分がそれにあたります。
これが上のどれかの理由により「このドメインは一時停止されています」となっていたのでした。
理由が、A、B、C、 と並んでいますが、過去記事を読む限り、このサイトはかなり以前からあるもので、「新しいドメイン登録であり」の A は違いそうですし、作家であり講演会などもおこなっている著名人であるテリーさんが「連絡先データの確認」を誤っていることもないでしょうですので、C も違うはずです。
可能性があるとすれば、「 B 」だけだと思いますけれど……ただ、普通はいきなり停止されることはないと思うのですが、いろいろと変わったのですかね。
これに関しては、2日あるいは 3日程度以内にウェブサイトが復活したならば、理由はどれであったとしても、何らかの手違い等だと思いますが、仮に「ずっとウェブサイトが復活しなかったら」となりますと、
「・・・・・」
というような感じではあります。
よくわからないですね。
一昨日くらいまでは変わりなしでしたし。
それにしても、こうなった理由はわからないにしても、「テリーさんの論文が読めなくなっちまったのかよ」と、ちょっと参ったなあ…と思っていました。わかりやすくて、結構好きでしたしね。
そのようなことで、「悪魔的存在のやり方か…」(まあ違うから)と呟きながらネットを検索していましたら、「テリーさんの記事をそのまま転載しているサイト」があったのです。
そして、そこにおいて私は「今の時代がナチスの時代と似ている」ことを知ることになるのです。
今の時代こそ
そのサイトは、テリーさんの論文がすべてイタリア語に直されているイタリアのサイトでしたけれど、
というサイトで、一部ですが、テリーさんの「シュタイナーが語るアーリマン」についての文章が掲載されていました。
この Libero Pensare というイタリア語は、翻訳しますと「 Free Thinking (自由な思考)」という意味のようです。
このウェブサイトには、さまざまな資料、たとえば論文、本、映像などがアーカイブとして収められていまして(公的に掲載が認められているアーカイブかどうかは不明です)、その一覧を見ていましたら、冒頭の「ガスマスクをしているふたりの子どもの写真」の本の表紙が掲載されていました。
好きな感じの構図でしたので、見てみましたら、これは、1961年に出版された、ドイツ人哲学者であるハンナ・アーレントさんという方による、
『エルサレムのアイヒマン - 悪の陳腐さについての報告』
という本でした。その後、1963年に米国の雑誌に掲載され、大きな議論を巻き起こしたのだそう。
この本は、タイトルに「アイヒマン」とありますように、アウシュヴィッツ強制収容所へのユダヤ人大量移送に関わったアドルフ・アイヒマンの記録で、Wikipedia には以下のようにあります。
『エルサレムのアイヒマン - 悪の陳腐さについての報告』は、ハンナ・アーレントによるアドルフ・アイヒマンの裁判記録。
アーレント自身が、1961年4月11日にエルサレムで始まった公開裁判を欠かさず傍聴し、アイヒマンの死刑が執行されるまでを記した記録。 (Wikipedia)
その中で、ハンナ・アーレントさんは、以下のように書いていることが記されています。
彼は愚かではなかった。完全な無思想性 -- これは愚かさとは決して同じではない -- それが彼をあの時代の最大の犯罪者の一人にした素因だったのだ。
ここにある、
> 完全な無思想性
という言葉を見た途端に、私は瞬間的に反応しまして、
「今じゃん」
と思ってしまったのです。
この本は、先ほどのイタリアのウェブサイトに PDF でのアーカイブがあるのですが、367ページに及ぶイタリア語の書類を読めるわけもなく、それは諦めました。
調べますと、日本語版も出ていまして、アマゾンにもありましたが、実は最近、本の購入が多くなっていまして、「読み切れない本が、どんどん溜まってきていて、部屋で本に空間を奪われそうになっている状態」で、購入は迷っています。
このハンナ・アーレントさん(1906 - 1975年)という方は、Wikipedia には、
「全体主義を生みだす大衆社会の分析で知られる」
という思想家であり哲学者だったそうです。女性の方です。
ナチスの全体主義時代を自ら経験したハンナさんは、「悪夢と逃避」という著作の中で、以下のように記していることが書かれています。
「事実は、『ナチは私たち自身のように人間である』ということだ。つまり悪夢は、人間が何をなすことができるかということを、彼らが疑いなく証明したということである。言いかえれば、悪の問題はヨーロッパの戦後の知的生活の根本問題となるだろう…」
この、
> 悪の問題はヨーロッパの戦後の知的生活の根本問題となるだろう
というハンナさんの考えは、21世紀の現在、正確に的中していると思われます。
ハンナ・アーレントさんの『悪の陳腐さについての報告』は、調べてみますと、日本でもいろいろな報道やメディアが取り上げていまして、その中で、特に私が「タイトルを見た瞬間に感じたこと」が、2018年の東洋経済の「9割の悪事を「教養がない凡人」が起こすワケ」という記事の中に見出されました。
独立研究者の山口 周さんという方が書かれた記事です。
長い記事ですが、ひとつの部分を抜粋します。
山口 周さんによる東洋経済の記事より
悪の本質は「受動的」であること
アーレントがここ(著作『悪の陳腐さについての報告』)で意図しているのは、われわれが「悪」についてもつ「普通ではない、何か特別なもの」という認識に対する揺さぶりです。
アーレントは、アイヒマンが、ユダヤ民族に対する憎悪やヨーロッパ大陸に対する攻撃心といったものではなく、ただ純粋にナチス党で出世するために、与えられた任務を一生懸命にこなそうとして、この恐るべき犯罪を犯すに至った経緯を傍聴し、最終的にこのようにまとめています。
曰く、
「悪とは、システムを無批判に受け入れることである」と。
そのうえでさらに、アーレントは、「陳腐」という言葉を用いて、この「システムを無批判に受け入れるという悪」は、われわれの誰もが犯すことになってもおかしくないのだ、という警鐘を鳴らしています。
この部分に書かれてあることは、まさに「今」です。
すなわち、
> この「システムを無批判に受け入れるという悪」は、われわれの誰もが犯すことになってもおかしくないのだ
という部分です。
「悪とは、システムを無批判に受け入れること」であり、それは政治家や為政者だけの問題ではなく「大衆社会全体がそうなる危険性がある」ということです。
たとえば、今の日本そして世界をこんなようにムチャクチャにしてしまった原因は何か。
新型コロナウイルスでしょうか?
日本においては季節性インフルエンザよりはるかに致死数の低いウイルス感染症がこのように世界と人々の心と体を崩壊させてしまったのでしょうか。
おそらくそれは違います。
今起きていることは、ハンナ・アーレントさんが懸念していたことそのものです。
ナチスが台頭した際の全体主義の中で彼女が見ていたことと「同じ」だと私は考えます。
ハンナさんは、「積極的な悪意」ではなく「全体的な思考の停止」が、結果としての巨大な悪を生み出してしまうと見ています。
私自身は、起きたこと、そして今起きていることの影響は、何年、何十年続くと考えています。場合によっては世代を超えて。
そうはならないかもしれないですけれど、そのような懸念を持つ理由が無数にある状態を作り出してしまっています。
具体的な部分は、これまで数々書いてきましたけれど、あまりにも多岐な面にわたりますので、個々については今回はふれません。
いずれにしましても、これからの世界は、私たちが経験したことのないような恐ろしい時代となり(くどいようですが、新型コロナウイルスの存在とは関係ないです)、そして続いていく。
もちろん、そのような「最初のキッカケ」を作り出した人あるいは勢力はあることにはあるでしょうけれど、その後「全体がそれに沿って、その通りに突き進んでいる」という部分は、ナチスの時代とそれほど変わらないように思います。
今回は、昨年のメルマガの、《ヒトラーの方法論が適用されているパンデミックの中で、そのワクチンに「大量の不妊」と「大量死」を生み出す懸念》というタイトルのものの中から、その一部を抜粋して締めさせていただきます。
この文章を書いていたときに感じていたことが、ハンナ・アーレントさんという、今回初めて名前を知る方ですけれど、その方が考えていた思想の一部から確信的になりました。
ここからです。
In Deep メルマガ 第120号
2020年12月11日発行
《ヒトラーの概念を利用したパンデミックの中で》
最近、アメリカのダグ・ケイシーという人のサイトで、世界経済フォーラムについての記事を見かけました。世界経済フォーラムについては少し前の以下の記事で取りあげています。
世界経済フォーラムの目標「2030年までの私有財産廃止と自由・プライバシーの根絶」は、格差の解消という言葉と環境保護という概念を建前にして進められている
2020年12月9日
そのサイトでは、世界経済フォーラムの理念とグレートリセットを、「アドルフ・ヒトラーの理念と同等」として論じていたのが興味深かったです。
そこに、ヒトラーの『我が闘争』からの引用で、後に多くナチスの国民啓蒙として喧伝された文言が出てきます。
アドルフ・ヒトラー『我が闘争』10章より
大きな嘘には常に一定の信頼性の力があるという原則があり、それ自体は非常に真実である。なぜなら、国の多くの大衆たちは、意識的または自発的ではなく、むしろ感情的な性質であり、より深層で常により容易に堕落するからだ。
したがって、大衆の心の原始的な単純性からは、彼らは小さな問題で小さな嘘を言うことは多いが、大きな嘘に訴えることを恥じているために、大衆は小さな嘘よりも大きな嘘の犠牲になりやすい。
巨大な真実を作り上げることは決して彼ら大衆の頭に浮かぶことはなく、誰かが悪意の元に真実を歪めるための企みを持っていることを信じないのだ。それを嘘だと証明する事実がはっきりと頭に浮かんでも、なお彼らは疑いと動揺を感じ、嘘ではないかもしれないと考え続ける。
ひどく大げさな嘘は、常に痕跡を残す。
これは、この世界中の専門家たちの、嘘の芸術で共謀するすべての人に知られている事実だ。
ずいぶんと大衆を馬鹿にした言葉ではありますけれど、しかし「現在」を見ていますと、「大衆は大きな嘘の犠牲になりやすい」というヒトラーの述べていることを否定できないことにも気づきます。
いずれにしましても、今回のパンデミックが、
「複雑ではない単純で大きなウソ」
から始まり、そのままで進行しているという部分では、ナチスの時代と同様だと感じます。
この新型コロナウイルスの「脅威」というものを本気で信じている人たちが日本人の方々にも結構多いことを最近知りまして、先ほどの『わが闘争』にあります、
> ひどく大げさな嘘は、常に痕跡を残す。
ということが忠実に再現されていると思います。
医師の大脇幸志郎さんの著作『「健康」から生活をまもる 最新医学と12の迷信』にもまた、ヒトラーの『我が闘争』からの抜粋がありますが、それはナチスの優性学(優れた人種だけを作り、それを残す)的な側面にふれている部分ですが、大脇医師は著作のその章の最後で、新型コロナウイルス対策の渦中にある現在の世界について、
> ナチスを反省したはずの世界が、なぜこんなことになっているのだろう。
と記しています。(略)
欧米だけではなく、アジア諸国も、今の方法の中では、それに従い続けるでしょう。
最も希望的な解決策のひとつは、「なるべく早く、これが大きなウソだと多くの人たちが気づく」ことです。コロナウイルスの存在がウソということではなく、それに伴って語られている「ひとつの大きなウソ」です。
しかし、どの方々にしても、ご自身で気づかない限りはどうしようもないことでもあります。
それでも、何かがキッカケとなって、多くの人たちが気づくときがきっと来ると思います。
そうでなければ、次は「ワクチンの段階」に至ってしまう。
ほとんどリスクが検証されていない mRNA ワクチンの段階が近づいていて、すでに英国などでは接種が始まっているようです(※ 書いたのは 2020年12月初旬です)。
もしかすると、そのような支配を願っている人たちは、「本気で人類の大量死と人口削減を企てているのではないか」とさえ思われる部分を最近感じます。
ここまでです。
この後は、ワクチンについてのことを書いていますが、このメルマガを書いた昨年 12月頃は、前回の以下のブログ記事で書いた「永続的な懸念」などについて考えることはありませんでした。
ウイルスは病原体だという認識は間違っている。それよりもウイルスこそ私たちの遺伝子を構成している存在と考えると、内在性ウイルスに介入している可能性がある現状が導く人類の未来は
投稿日:2021年2月9日
ほんのこの 2週間くらいの間で、1980年代に HIV が人工であることに結論が至ったドイツ人科学者のヤコブ・ゼーガルさんの『悪魔の遺伝子操作』を読み、その後、東京大学名誉教授でウイルス学者の山内一也さんの『ウイルスの意味論』を読んで、それまで知らなかったウイルスの世界をさらに知ることができました。
そういえば、『悪魔の遺伝子操作』のヤコブ・ゼーガルさんもナチス政権下の社会から逃れた人で、共著者である奥さまのリリー・ゼーガルさんはその後、ナチスに捕らえられ、アウシュビッツ強制収容所に送還されています(後に脱走して生還)。
そういう意味では、ナチスについて考え続けていた先ほどのハンナ・アーレントさんと似た部分はありそうです。
また、山内一也さんの『ウイルスの意味論』の中には、「天然痘の人工合成の歴史」についての詳細な記述があり、歴史上では、一部の科学者たちは、常に「危険なウイルスの合成を続けていた」という事実があります。
現在の進んだ技術の下では、ほとんどの場合「成功」します。
これらのことと今回書かせていただいた「悪とは、システムを無批判に受け入れることである」が直接関係するわけではないです。
しかし、今回の場合、その「ウイルス」という存在を理由に全体主義が進められ、そして、
「世界も人々もそれを無批判に受け入れてしまった」
のです。
その結果、世界は基本的に壊れました。
今後多くの生命と精神がさらに壊れていく可能性があります。
生命と共に「精神の破壊」については、ストレスなどの問題だけではなく、最近のさまざまな論文から、現時点の「直接的で物理的なメンタル・クラッシャー」を想定することが可能となっています。
これはちょっとコワイ話かもしれないですので、それにふれることはないと思いますが、いずれにしましても「思考が停止した社会」が作り出す結果が、こんなにすさまじいものだということを、私は自分の生きてきたこの人生で学びました。
私が今の世で生きている間に社会が正常化することはないでしょうが、仮に次に、何かの場所で生きる機会があれば、このことを強く思っていたいとは思います。
それと共に、シュタイナー研究家のテリーさんのウェブサイトの停止が早く解消されることも願っています。今の時代には彼の主張はとても重要です。
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