In Deep メルマガ 号外 2020/08/16 暗黒の時代と笑いの封殺の歴史

ここ数回ほどのメルマガについて、「ギャグやダジャレが多すぎる」というようなお叱りをいただくことがありまして、それについて書いておきたいと思うことがありました。

現実として、特にこの数回分くらいのメルマガで、下らない部分を増やしていたのは、

「意図的」

です。

それはなぜか?

みなさんに楽しんでいただきたいからでしょうか?
もちろんそれもあります。

しかし、「オールマスクの社会」から始まり、意味のない自粛や人との接触を否定する方法を見ているうちに、この世の勢力(それが何の勢力かはわからないですが)が、

「世界から笑いを消そうとしている」

ことに気づきました。

これは、海外では、いわゆる暗黒時代というものに突入する際に、キリスト教(というよりその教会システム)が使った方法でもあります。

これについては、1980年にイタリアで発表され、世界で5000万部以上売れたという『薔薇の名前』という小説があります。

これはその後、映画化され、私は映画の方だけを見ていますが、ストーリーは、14世紀の北イタリアの修道院の中で次々と起きた殺人事件を、他の修道院から来た修道士(ショーン・コネリーさんが演じます)が解き明かすというものですが、死亡した修道士たちに共通するのは、「全員、図書室に行った後に死亡している」という点が共通していました。

結局、殺人者は、その修道院の最も年老いた盲目の老修道士のひとりで、その方法は、

「ある本」

のページに毒を塗っておいて、

「その本を読むと、後に毒で死ぬ」

というものでした。

その「本」とは、紀元前の哲学者であるアリストテレスが書いた

『詩学』

の中の、「第5章 - 喜劇について」でした。

図書室を管理していたその老修道士は、このアリストテレスの「喜劇論」は決して誰も読んではいけないとして、それを読んだ者たちが死ぬように行動していたのです。

最終的に、捜査に来た修道士は、そのことに気づき、そして、図書室を管理していたその老修道士を追求します。

以下はその時の台詞です。

 

(映画『薔薇の名前』より)
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「なぜそれほど笑いを警戒する?」

「笑いが恐れを殺せば、もはや信仰は成立しなくなる。
民衆が悪魔を恐れなければ、神は必要ない」

 

「だが本(詩学)を隠しても笑いはなくならない」

「その通りだ。笑いは民衆の中に生き続ける。
だが、この本の存在が世間に知れたら、
何でも笑い飛ばしていいと公式に認めることになってしまう。
神を笑うことが許されれば、世界はカオスになってしまう。
だから、私が封印する。この内容が民衆に知られてはならぬ」

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(ここまでです)

 

この中の老修道士が言っている以下の部分。

「笑いが恐れを殺せば…」

つまり「恐怖」を殺すことができるのは「笑いだけ」だと、この老修道士も、そして、おそらくはアリストテレスも、そう思っていたのです。

そして、中世の暗黒時代には、

「これと同じ思想の行動がキリスト教会によって行われた」

と私は確信しています。

なぜかというと、このアリストテレスの詩学の中で、「喜劇」について書かれている部分だけ、「消えてしまっていて、現在まで、見つかっていない」のです。

Wikipedia には、これについて以下のように書かれています。

 

(詩学 - Wikipedia より)

『詩学』は本来は2巻構成だが、「喜劇」について論じられていたと推測される第2巻が今日まで伝わらず散逸してしまっているため、アリストテレスの「喜劇」に対する評価や、「悲劇」と「喜劇」に対する評価の差は、正確には分からない。

そこでウンベルト・エーコの『薔薇の名前』のように、「アリストテレスはひょっとしたら、「悲劇」よりも「喜劇」をより高く評価していたのかもしれない」という仮説に基づく文学作品も存在している。

 

 

アリストテレスの「悲劇について」は残されていても、「喜劇について」は消失しているのです。

先ほどの老修道士は以下のように言っていました。

「神を笑うことが許されれば、世界はカオスになってしまう」

この「神」をあらゆる言葉に置き換えてみれば、つまり、

 

「〇〇を笑うことが許されれば、世界はカオスになってしまう」

 

という状態を常に権威者たちは恐れている。

 

今、私は、

 

「世界は二度目の暗黒時代に入ろうとしている」

 

と考えています。

「入ろうとしている」というか、何らかの存在が、そうしようとしている。

その場合、最も邪魔なものは、先ほどの老修道士の言っていたことと同じです。

邪魔なものは「笑い」です。

老修道士は、「民衆が悪魔を恐れなければ、神は必要ない」と述べました。

人々が神を笑い、
悪魔を笑い、
そして、恐怖を笑う。

そのことを最も避けたいと思っている。

 

今現在の生活を見ていて、それをお感じにならないですか?

たった半年くらいのあいだに、日本を含めて、世界全体で「笑いの絶対量」がものすごく減ったはずです。

昨年、以下の記事でも、古代秘教では「笑いを重視していた」ことにふれました。まだ(作られた)パンデミックなんて始まっていなかった頃の記事です。

創造神Jamに16歳で救われた私が40年後に気づいたこと
投稿日:2019年11月23日

そこに、雑誌 Jam のブレーンだった編集者の美沢真之助さんという方が、雑誌に寄稿していた、『古代ローマの農神祭「サトゥルナリア」に関しての「嘘の持つ役割と可能性」』という文章から抜粋しました。

これは、「エイプリルフールの始まり」についてですが、そこでは書かなかったこととして、非常に重要なこととして、もともと、

「エイプリルフールとは嘘をつきたい人だけがウソをついて笑う日ではない」

ということです。

 

「全員が笑いに参加しなければならない《笑いが義務化された》日」

 

として設定されていたのです。

その部分を抜粋します。

 

(1982年のエッセイより)

サトゥルナリア(古代イタリアの農耕と律法の神への祭)の儀礼は、イスラムのスーフィー(イスラム神秘主義者)たちに、発達的に継承された。霊性の発達に関する共同体の重要性を認識していたスーフィーたちは、月に一度、「嘘つきの日」を設けたのである。

この日には、嘘をつくことが許されているのではなく、修業として、一日中嘘をつくことが強制された。

「正直であれ」という倫理的な名分は、何が正直であるのかに関する個的な妄想によってすぐさま歪められてしまい、人々はこの個的な妄想のパターンについては無自覚である。

だから、よき意図を持っても、肉体が意識が変化しないかぎり、その意図は実現されない。

ところが、意識的に嘘をつくことによって、無意識に語っていた嘘が露呈して、自己の隠された心理的なパターンを自覚することができるのである。

スーフィーの「嘘つきの日」にこめられた秘教的な行為を、日常的な生活の中で体験したいのなら、「冗談」を観察するのがいちばんいい方法である。冗談の大半は内的な感情の表現である。人々は、冗談で本当のことを喋っている。

 

ここに、

> 修業として、一日中嘘をつくことが強制された。

とあるように、霊性の発達のために、そして、人々が「自分の中の真実」を見つめることができるように、あるいは、

「悪魔を恐れないために」

笑いは義務化されていたのです。

もちろん、この場合はそのエイプリルフールの日だけの話ですが、暗黒時代に入ろうとしている今、この、

「笑いの義務」

は、もっと日常的になるべきだと私は思っています。

本来、悪魔的な存在は「笑いを理解できない」ということがあります。

 

あるいは、エドワード・スノーデンさんとか、元世界銀行の上級職員のカレン・ヒューズさんなんかは、「地球の地下に人類ではないヒト科の存在がいる」ことについて述べていますが、彼ら地底人にも、「笑いや悲しみといったような感情はない」ようなんですね。

彼らは「理論だけで動く」存在です。

エドワード・スノーデンさんは、インタビューで以下のように述べています。

(エドワード・スノーデン氏の証言)

> 「彼らの視点から私たち(人間)への見方として、一般的な感情は蟻(アリ)に対してのもののような感じですので、彼らが私たち人間に共感したり、あるいは、私たち人間とコミュニケーションをしようとする可能性はありません」

 

元世界銀行のカレン・ヒューズさんは以下のように述べています。

(カレン・ヒューズ氏の証言)

>「私たちの地球の国家は一枚岩ではありません。この世界をコントロールしているネットワークの背後にあるグルーブのうちのひとつはイエズス会であり、その背後にいくつかのグループがあります」「そして、それらの中のひとつのグループは、ヒト科ではあるが、人類ではない者たちによるグループです。彼らは非常に頭が良いですが、創造的ではなく、数学的な思考をします」

 

 

こういう地下にいるヒト科の存在は、とても頭がいいのですが、「人間のような感情はない」ようなんです。

なので、笑いとか悲しみとか、そういうことはよくわからない

 

仮に、彼らが人類を支配・統制したいのなら、

「できるだけそういう感情を人類から剥奪したい」

と考えているはずです。

あるいは、理論的なものと一日中向きあうような生物となってほしいとか。

たとえば、一日中、スマホを手にして、情報を取得し続けて、気づけば、笑うことなく一日が過ぎていたというような人たちとか。

悪魔的存在も地底人も人類の「感情の摩耗」を希望しているはずです。

 

なお、上のことを書いた記事は、7年前とか古い記事ですが、以下にあります。

エドワード・スノーデン氏かく語りき:「地球の地下マントルには現生人類よりさらに知的な生命が存在している」
2013年07月10日

この世界の正体:世界銀行元上級職員カレン・ヒューズさんが語る「地球のお金と宗教をコントロールする"人類ではない種族"」
2014年04月03日

そんなような感じで、中世のヨーロッパにおいて「悪魔的存在が達成した暗黒時代」を、今度は、

 

「全世界レベルで達成したい」

 

というような気持ちはあるようには思います。

なんだかんだ言って、私も半分地底人ですから彼らの気持ちはわりとわかります(意味不明)。

 

そんなわけで、現在、悪魔的存在が行いたいと思っていることのひとつには、

 

社会からの笑いの抹殺(恐れ続けている人のほうが統制しやすい)

 

があると思っています。

支配者たちが大衆に望んでいるのは、「笑いではなく、恐れを持つこと」です。

 

だからこそ、ある程度、私たちは。古代イスラム神秘主義者たちと同じように立ち向かわなければならないのかもしれないとも思います。

そのために重要なことは、笑いはともかくとしても、

「人間としての感情を摩耗させないこと」

です。

悪魔的存在にも地底人にも恐怖以外の感情は理解できません。

そんなわけでして、今の時代に何が重要かということについて、あくまで私見ですが、述べさせていただきました。

投稿日:2020年8月16日 更新日:

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