誰も外で遊ばなくなった主要国そして日本の社会
アメリカで約10年間、オルタナティブ教育に携わっているハンナ・フランクマン・フッドさんという女性の方が、
「子どもたちの遊びの崩壊」
というタイトルの記事を書いていました。
それによると、今のアメリカでは、
> 現在の子どもたちが自由に屋外で遊べる時間は、1日わずか 4~ 7分
なのだそう。
あとは、さまざまな…日本でいえば塾や習い事的なことや、そして残りの時間はスクリーンタイム(スマートフォン、タブレット、パソコンなどを見て過ごすこと)です。
今回はそのハンナ・フランクマン・フッドさん寄稿文をご紹介したいと思いますけれど、これはアメリカの話ですが、日本も調査をすれば同程度なのではないでしょうか。
私の家の近所には比較的大きくてきれいな公園がいくつかありますが、小学生や中学生などがそこで遊んでいる姿を見ることは、ほとんどないです。
というより、登下校以外には、「子どもが町をうろうろと歩いているというシーン自体がほとんどない」という感じで、どこかにはいるのでしょうけれど、それは「大人の介入なしに」自由に遊べる場ではなく、塾だったり何やらだったり、あるいは家でスマホやタブレットなどに没頭しているという状態の人たちが多いのだとは想像できます。
最近、「小学生の外遊びが「45%減少」という現実」という日本語の記事を読みましたが、以下のように書かれていました。
2016年に実施された小学校高学年向けの調査によると、子どもの外遊び時間は1981年の2時間11分から、2016年には1時間12分まで減少している。35年間で外遊びの時間は
「45%減少」
した。
ということで、数字上でも、日本の子どもたちの外遊びの時間は大幅に減っているようです。
ただ、この記事で取りあげた調査の場合、「 2016年まで」のものとなっているのがちょっとアレで、小学生や中学生のスマートフォン所持率が飛躍的に上昇したのは、この 2016年のあとからなんです。
小学生、中学生、高校生のスマホ所持率の推移(2014〜2024年)

jaspcan27.jp
2016年には、10歳以上の小学生でスマホを所持していた率は 約 22%でしたが、2024年には、66%を超えています。
中学生も 2016年には、47%程度だったのが、2024年には、ほぼ 90%に達しています。
つまり、この 2016年頃から現在までというのは、「常にスマホと共にいる」という子どもたちが増え、子どもたちの生活環境が著しく変化した時でもあったのだと思います。
さらに、2020年からは「事実上のロックダウンによる家庭内への閉じ込め」がありました。これが子どもたちの生活パターンに影響していないわけがありません。何ヶ月も家の中だけで過ごしている間に生活スタイルが完全に変化して、それがそのまま定着した可能性があります。
ともかく、まずは、教育者のハンナ・フランクマン・フッドさんの記事をご紹介します。
外遊びは7分間だけ:子どもたちの遊びの崩壊
7 Minutes Outside: The Collapse of Childhood Play
Hannah Frankman Hood 2025/10/28
現在の子どもたちが自由に屋外で遊べる時間は、1日わずか 4~ 7分であることがわかった。過密スケジュールと不安が、アメリカの若い世代に大きな打撃を与えている。
研究によると、現代の子どもたちは 1日平均 4~ 7分しか外で自由に過ごせず、一方で、別の研究では、子どもたちは 7~ 8時間はスクリーンの前で過ごしている。
若者のメンタルヘルス危機も全国に広がり、不安、うつ病、自殺念慮、注意欠陥・多動性障害などの精神疾患の診断率が記録的な高さに達していることから、子どもたちの屋内閉じ込めとメンタルヘルスの問題との相関関係が単なる偶然ではないことは想像に難くない。
過度に長いスクリーンタイムが精神衛生に及ぼす影響は追跡が容易で、綿密に研究されている。
しかし、屋外で過ごす時間が不足することによる二次的な影響も同様に驚くべきものだ。自由な遊びと自由な時間は、子どもたちの幸福の基盤となるものだが、アメリカの子どもたちはそれを十分に享受できてはいない。
1日 7分 (の外遊び)では、ゲームや空想の冒険の構想や空想を思い描くのにも、やっとの思いだろう。1日 7分では、バス停から往復する時間にも満たず、ブロックを一周歩く時間より短いのだ。
子どもたちはなぜ外にいないのか?
21世紀は、子どもたちを屋外から遠ざける悪条件がいくつも重なってきた。スクリーンは魅力的で、外は「危険」だと。そして親たちは、子どもたちに「自分のため」とばかりに座りっぱなしの活動を勧める。数学オリンピックだったり、フランス語の個別指導だったり、放課後のクラブだったり。
親たちは屋外の危険を恐れている。現代社会では、犯罪統計から都市設計そのものに至るまで、あらゆる要因が親を子どもに厳しく躾けさせている。そして、都市部には自由に遊べる場所がほとんどない。
公園、遊び場、その他の子ども向けの屋外スペースは奇妙なほどまばらで、まるで都市設計者が子どものいない世界を望んでいるかのようにさえ見える。アパートの団地には、遊び場よりも犬の洗い場が設置されていることが多い。
現代社会は、子ども時代とは何かを忘れた人々によって築かれたように思われ、犯罪への恐怖から、親たちは、子どもたちが自由に使える空間を使わせることに不安を感じている。
子ども中心の空間の有無とは別に、子どもたちは忙しい。増え続ける学校の課題、組織化された課外活動、そしてもちろん、常につきまとうスクリーンタイムの誘惑に日々追われている。郊外の広い裏庭のある地域でさえ、子どもたちはほとんど外に出ないほどだ。
その結果として、子どもたちは 1日あたり 7~ 8時間スクリーンを見ることになるが、それと共に、今では、子どもたちが外で自由に過ごせる時間はわずか 4~ 7分しかなくなった。この外遊びの時間は、私たちの祖父母の世代の人々にはまったく想像もできなかったことだ。
これを考えるには「構造化されていない」という部分(※ 同じ屋外でも「管理下でやらなければならないこと」と「自由な外遊び」では後者が重要だという意味だと思います)が重要で、「屋外で過ごす時間」という漠然とした意味では不十分だ。サッカーの練習で 1時間フィールドで過ごすことは、子どもたちに新鮮な空気、太陽の光、そして体を動かすことの恩恵を与えるが、自由な遊びがもたらす心理的な恩恵は得られない。
非構造化とは、大人のルールや指示から離れた時間と空間を意味する。それは、子どもの奔放で気まぐれな世界に完全に存在する。
自由で、何の妨げもなく、子ども主導で、しばしば豊かな想像力に満ちている。体育の授業やスポーツクラブにあるような、定められた目標はそこにはない。それは純粋で束縛のないものであり、子どもの発達にとって生物学的に備わっている欲求なのだ。
小児期のメンタルヘルス危機
親たちは外の世界の危険を心配いるが、スクリーンの世界の危険についてはどうだろうか。スクリーンの世界では、グルーミング (※ 子どもを手なずけること)や搾取が日常茶飯事で、画面の向こうの大人たちが他の子どもたちのふりをして、何に注意すべきか分からないほど世間知らずの若者たちに話しかけるのだ。
では、座りっぱなしの生活がもたらす身体的な危険についてはどうだろうか?
17歳から 24歳までのアメリカの若者の 77%は兵役に就くことができない。17歳から 24歳のうち 33%は肥満のために兵役に就くことができない。
体重要件を満たしている若者のうち、さらに 25%は体力基準を満たしていない。その他の身体的疾患や精神疾患も、兵役に就けない主な原因となっている。
アメリカの若者の健康状態の悪化には、多くの要因が絡んでいる。食生活の乱れ、環境毒素への曝露、慢性疾患の増加、その他数え切れないほどの要因だ。しかし、 小学校の 30%が毎日の休憩時間を義務付けなくなり、28州では休憩時間に関する規定がまったくないため、学校も保護者も、子どもたちの自由な屋外時間を一貫して擁護できていない。
では、外で遊ぶ時間がないことによる心理的な危険性はどうだろうか?
アメリカの 12歳から 17歳の青少年の 20%が過去 2週間に不安症状を経験し、18%がうつ病の症状を報告している。
高校生の 40%が、持続的な悲しみや絶望感を訴えている。2023年のアメリカ疾病対策センター(CDC)の調査によると、青少年の 9%が自殺未遂を経験している。
もちろん、これらすべてが屋外で過ごした時間やその不足に起因するわけではないが、しかし、私たち大人が子どもたちの発達の根本的な部分を奪っているため、こうした外遊びの不足は、結果として生じる悪影響の少なくとも一部に責任があるかもしれない。
子どもたちは屋外で自由に遊ぶ必要がある
研究者で心理学者のピーター・グレイ氏は、「子どもは本来、大人に頼らずに自分で遊び、探検するようにできている」と述べている。
グレイ氏は、子どもの遊びに対する生理的、心理的欲求を熱心に擁護しており、著書「Free to Learn」では 、子どもの発達にとって自主的な時間を持つことが学業成績から人生の結果まであらゆることに波及効果をもたらす重要性を主張している。
グレイだけではない。レノア・スケナジー氏が著書『Free Range Kids』で主張するように、まさに「フリーレンジ」という言葉が示す通り、子どもたちに必要なのは、四方の壁と大人の監視という檻に閉じ込められるのではなく、自由に走り回る能力なのだ。
スケナジー氏は 10歳の娘をニューヨーク市の地下鉄で一人で帰宅させたことで、全国的な話題を呼んだ。これは、誰にも監視されず、自由な屋外時間の最高の例だった。
しかし、その見出しは決して良いものではなかった。記者たちはすぐに彼女を「アメリカ最悪の母親」と呼び、メディアは猛烈な批判を浴びせた。ほんの数十年前までは当たり前だった、見守られていない子どもがスキャンダルになった。しかし、スケナジー氏は息子に、多くの子どもたちがその欠乏症に苦しんでいるもの、つまり自由を与えていたのだ。
子どもたちに屋外で過ごす時間を与えるのに、ニューヨークの街を自由に歩き回らせるといった極端なことは必要ない。ほとんどの親がそれに抵抗するのは当然だろう。
しかし、「ニューヨークの街を一人でぶらぶら歩く」ことと「まったく外に出る時間がない」ことの間には、実に様々な選択肢があり、その中間に位置する親がほとんどいないのが実情だ。
キャンパス内に庭園のある私立学校、森の学校、自然の中で過ごすことに重点を置いたホームスクールのグループなど、子どもたちに屋外で過ごす時間を与えるプログラムでさえ、それぞれ軽薄、奇妙、過激だと見なされる。
米国小児科学会は、 2歳以下の子どもには最低 30~ 60分の屋外での自由遊びを推奨している。
CDC(アメリカ疾病対策センター)は、3歳から 5歳までの未就学児には、少なくとも 3時間の計画性のない活発な自由遊び(そのうち少なくとも 1時間は屋外で過ごすこと)を推奨している。また、6歳から 17歳までの学齢期の子どもには、少なくとも 1時間の活発な運動(できれば屋外で)を推奨している。
これらはすべて、アメリカの最も主流の保健当局が推奨する基準値だ。多くの独立した心理学者、発達専門家、教育研究者は、これらの数値が最低限の基準値であると考えている。
19世紀のイギリスの教育者であり、その教育法が今日でも多くのホームスクーラーに使われているシャーロット・メイソンは、子どもたちは可能な限り 1日 4~ 6時間を屋外で過ごすべきだと主張し、こう述べた。「外に出られるときは、屋内にいてはいけない」
メイソンは、屋外での時間を「休憩時間」ではなく、それ自体が子どもの教育の基本的な一部だと捉えていた。
幼少期においては、屋外での時間を正式な指導よりもさらに重要だと考え、子どもたちの注意力、好奇心、観察力を育むのに役立てた。彼女は自然散策、天候や野生生物の観察、自然日記のつけ方、そして途切れることのない長時間の自由遊びを推奨した。
この自由な遊び時間は、子ども時代の気まぐれな時間の一部であると同時に、非常に重要な役割を果たす。
自由な遊びは、子どもの認知発達、想像力、そして実行機能をサポートする。身体活動は、筋力、協調性、そして運動能力を発達させ、不安を軽減することが示されている。
研究によると、土の中の微生物叢に触れることで免疫システムが強化され、ストレスが軽減されることが示唆されている。自然光を浴びることは、子どもの自然な概日リズムを整えるのに役立つ。
そしてもちろん、日光に当たるとビタミンDレベルも向上する。ビタミンDが不足すると、疲労感や免疫力の低下から、ご想像のとおり、不安やうつ病まで、あらゆる症状を引き起こす可能性がある。
子どもたちは、自由に遊んだり、屋外で過ごしたりする機会がないため、肉体的にも精神的にも苦しんでいる。
新鮮な空気と自由は、たとえどれほど当たり前のことのように思えても、子どもたちの健康と成功にとって不可欠であり、空気や水のように生存に不可欠であると同時に、健康にも不可欠なのだ。
私たちの両親や祖父母は、このことを直感的に知っていた。私たちの先祖は、それが疑問になることさえ考えたことがなかったが、私たちの文化は、これを徐々に蝕み、今では、新鮮な空気と自由な遊びは、子どもたちの生活のほんの一部でしかなくなった。
ここまでです。
ふと、自分の小さなときのことなどを思い出します。余計な部分となりますが、少し書いてみたくなりました。
自分の幼少期。そして「葉隠」
確かに思い出せば、私たちの世代の子ども時代を考えてみると、「外で遊ばない」ということは、あまり考えられないことでした。
そして、その世界は大人が介入してこない世界で、子どもたちだけで、あるいは自分ひとりで考えて、遊びにしていかなければならない。
幼少の頃住んでいた北海道の田舎は、確かに自然が多く、夏は虫取りや川での釣り(そのあたりの何でもない小川でも釣れました)、冬は雪の中で遊ぶわけですが、いろいろと「リスク」も学んでいくわけです。
たとえば、のどかな遊びの代名詞である「雪合戦」なんてのも人生を考えさせるもので、最初は子どもたち同士で普通にやっているんですけれど、誰かが「雪の中に石を入れて投げつけてくる」という試みを始め、今度は他の子どもたちもそれを模倣したりする。
場合によっては、怪我か流血の世界に発展してしまう。
単なるのどかな雪合戦が「本気で逃げて、本気で相手を倒すための戦い」に発展していく…という修羅場と化していく。
夏は夏で、奥深い森林とか、自分がもはやどこを歩いているのかわからない草原だとかを歩き続けていました。
大人がいれば必ず「そんなことはやめなさい」と言うはずです。でも、大人はいない。そこは、子どもの領域なんです。
私は男の子ですから、周囲も男の子で、男の子は危険なことが好きな面はあるのかもしれません。しかし、それで「痛い目に遭って」痛みというものを学んだりする。
そういえば、作家の三島由紀夫さんの『葉隠入門』という本があり(Amazon)、これは、江戸時代に書かれた、いわゆる武士の心得としての書物「葉隠」を解説しているものですが、その中に、「子供の教育」という項目があります。
その本自体が今すぐは見当たらないですので、Wiipedia や AI で、その部分を思い出していたんですが、「子どもはとにかく自主的にのびのびと育てることが重要」だと書かれています。
この場合は「葉隠」ですので、武士の子どもを対象にしたものですけれど、どんな子どもにも当てはまることかもしれません。
Geminiによる『葉隠入門』の解説
『葉隠入門』に基づく教育の主な特徴
・子供の世界を尊重する: 子供は子供同士の遊びや世界の中で、自主的にのびのびと成長させるのが良いとされています
・自然への畏怖: 自然に対する畏怖や恐怖心を通じて、生きるための本能的な感覚を養うことを重視します。
・現代的な視点: 三島由紀夫は『葉隠』を通じて、死を意識することで逆に生を肯定し、強靭な精神を育むことを説いています。
この教育観は、過保護にせず、ある程度の自己責任の中で失敗から学ばせる現代の子供のメンタル強化法にも通じる点があります。
Gemini
しかし…こんな堅苦しいことを言わずとも、かつての日本人の子どもは、いろいろな点で大変に輝いていたようです。
以前、作家の渡辺京二氏の著作『逝きし世の面影』(Amazon)を何度か取りあげたことがありました。
その第十章「子どもの楽園」などを読むと、幕末や明治の初めに来日した外国人たちが、驚きと共に日本人の子どもたちを賞賛していた記録がたくさん紹介されます。これは、今から 11年ほど前の In Deep の記事「革命(3) - 革命的行動の最上位は「子どもたちへの無条件の愛」を獲得した社会に戻すこと」などにあります。
その中から、1899年(明治22年)に来日したイギリス出身の新聞記者であるエドウィン・アーノルドという人の手記から抜粋して締めさせていただきます。
来日した外国人たちから見ると、当時の日本人の子どもたちは、おおむねこんな感じに映っていたようです。もちろん、これは 100年以上前の過去の日本の話です。
『逝きし世の面影』 - 子どもの楽園より
エドウィン・アーノルドは 1899年(明治 22年)来日して、娘とともに麻布に家を借り、1年2ヶ月滞在したが、「街はほぼ完全に子どもたちのものだ」と感じた。
こう書いている。
「東京には馬車の往来が実質的に存在しない。… 従って、俥屋(くるまや)はどんな街角も安心して曲がることができるし、子どもたちは重大な事故をひき起こす心配などはこれっぽっちもなく、あらゆる街路の真っ只中ではしゃぎまわるのだ」
「この日本の子どもたちは、優しく控え目な振る舞いといい、品のいい広い袖とひらひらする着物といい、見るものを魅了する。手足は美しいし、黒い眼はビーズのよう。そしてその眼で物怖じも羞かみもせずにあなたをじっと見つめるのだ」
子どもたちが馬や乗り物をよけないのは、ネットーによれば「大人からだいじにされることに慣れている」からである。彼は言う。
「日本ほど子どもが、下層社会の子どもさえ、注意深く取り扱われている国は少なく、ここでは小さな、ませた、小髷をつけた子どもたちが結構家族全体の暴君になっている」
モースは言う。「私は日本が子どもの天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子どもが親切に取り扱われ、そして子どものために深い注意が払われる国はない。ニコニコしているところから判断すると、子どもたちは朝から晩まで幸福であるらしい」
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