悪魔教会創始者アントン・ラヴェイ(1930-1997年)
・INVERSE
悪魔教会 - Wikipedia
悪魔教会は、アントン・ラヴェイが1969年に著した 『サタンの聖書』に表明されているように、人間の肉欲的自己を是認することを使命とする団体である。悪魔教会は、1966年4月30日のヴァルプルギスの夜にアントン・ラヴェイによってカリフォルニア州サンフランシスコにて設立された。
アメリカに「悪魔教会」というものがあり、これは、上の写真のアントン・ラヴェイという、作家でありオカルティストであった人物が開祖した、いわゆるサタニズムの団体なんですが、これが誕生したのが 1966年で、今年 2016年は、開祖 50年目の節目の年ということになります。
人間やこの世は物質か精神か
ちなみに、「悪魔教会」というのは、いかにもおどろおどろしい響きですが、この開祖の人はつまりは思想家で、この悪魔教会の最大の目的とするものは、
「物質主義的な快楽主義と個人主義」
を追求したもののように思えます。
つまり、シュタイナーや、あるいはロシア宇宙主義のチジェフスキー博士などが主張していた人間社会の理想などの《正反対》に位置する理想ということも言えそうですが、しかし、「悪魔」という名のつくものだから単純に非難するというようなものでもなさそうです。
人間の思想や理念は、それが真実ではないと思われることでも、そこには思想の自由があります。
先ほど「正反対」と書きましたが、そのアレクサンドル・チジェフスキー博士(1897 - 1964年)などが所属していた 20世紀初頭の「ロシア宇宙主義」と呼ばれた科学者たちの目指していた「科学の最終目標」は以下のようなものでした。
・宇宙の現象と人類の感情の関係を物理的に把握すること
・精神的社会の意識での新しいタイプの社会組織を作ること
・死を克服し、人間の肉体的な自然性を変容させること
・宇宙のなかで不死の生命を永遠に作り出していくこと
・生きている人間も死んだ人間もこれから生まれてくる人間もつながっていることを把握すること
チジェフスキー博士
・Google
これらについては、過去記事、
・私たちに残されたかすかな「破局の回避」の可能性のために(1): 「人類のひとりと宇宙は同一のもの」…
2013/03/24
・私たちに残されたかすかな「破局の回避」の可能性のために(2)…
2013/04/05
などにありますが、つまりは、こういう「精神的社会の意識」とか「永遠の不死の生命」、あるいは「すべての人はつながっている」というような概念に「対抗する思想」が悪魔教会ということで、つまりは悪魔主義とは「人間やこの世は精神的ではなく物質的」であり「すべての人がつながっているのではなく、個人はどこまでも個人」というようなことになりそうで、そういう意味では、「物質主義」と「個人主義」がこの世であると述べているのが悪魔教会なのだとしたら、何とのことはない、現代社会の多くがこの悪魔教会と同じ思想の中で生きているということで、特に奇異な目で見るようなものではないとは思います。
それでも「悪魔」という名前はついているわけで、今年はそういう教会が誕生してから 50年目のメモリアル・イヤーであります。
確かにそれに相応しい悪魔的な事象が毎日のように起こっていて、特に殺人や傷害など「人を傷つける出来事」は、まさに容赦ない無慈悲が世界的に蔓延しているような気がします・・・しかし・・・。
この「悪魔教会」にある「悪魔主義者(サタニスト)の11のルール」というものがあるのですが、それを最近知った時に、ふと思ったのです。
今の私たちは、
「悪魔教会の理念にさえ劣っている」
と思わざるを得ないのです。
悪魔教会には、
・悪魔主義者の11のルール
・悪魔主義の9か条
・悪魔主義にあける9つの罪
というものがあります。
それをじっくりと見ていますと、今の私たちの社会はこの悪魔主義が定めたルールよりもずっと「ダメ」であることがわかります。
悪魔主義者の理念「以下」で暮らしていることがわかるのです。
その悪魔教会が定めたルールを記しておきたいと思います。
悪魔主義者の11のルールが書かれたもの
・GREAT CAESAR'S GHOST
地上におけるサタニズムの11のルール
The Eleven Satanic Rules of the Earth
1. 求められてもいないのに意見や忠告を他人に与えないこと
2. 他人が聞きたくないようなあなたのトラブルを話さないこと
3. 他人の家に入ったら、その人に敬意を示すこと。それができないならそこへは行かないこと
4. 他人が自分の家で迷惑をかけたなら、その相手を情け容赦なく扱うこと
5. 結婚の徴候がない限りセックスに誘う態度を見せないこと
6. その人にとって重荷になっていて楽になりたいと求めているのではない限り、他人のものに手を出さないこと
7. 魔術を使って願望がうまくかなえられたときは魔術の効力を認めること。うまく魔術を使えても、その力を否定すれば、それまでに得たものをすべて失ってしまう
8. 自分が被る必要のないことに文句を言わないこと
9. 小さな子どもに危害を加えないこと
10. 自分が攻撃されたわけでも、自分で食べるわけでもない限り、他の動物を殺さないこと
11. 公道を歩くときは人に迷惑をかけないこと。自分を困らせるような人がいれば止めるよう注意すること。それでもだめなら攻撃すること
このルールを読みますと、悪魔教会のルールが、現代社会の基準から見れば「悪魔的ではない」ことに気づきます。
というより、むしろ今の社会はこういう基本的なルールさえ失われてようとしている気さえするのです。
> 9. 小さな子どもに危害を加えないこと
がルールにあるというのは特筆すべきものですが、私は、以前、
・「革命」(3) - 革命的行動の最上位は「子どもたちへの無条件の愛」を獲得した社会に戻すこと
2015/07/12
という記事を書いたことがありますが、日本という社会が再生するには、それしかないと考えています(実際にはもうやや遅いでしょうが)。
今の社会では、日本だけではないですが、子どもに対して、「無条件の愛」どころか、社会全体として「形式的な愛」さえも消えつつある気がしています。
また、
> 8. 自分が被る必要のないことに文句を言わないこと
というのもいい文言だと思います。
今は、自分とは基本的に利害の関係はないことなのに、不倫だ献金だ何だかんだと文句を言ったり攻撃したり怒ったりしている。
> 1. 求められてもいないのに意見や忠告を与えないこと
もそうです。
こういう「忠告を与えたがる人たち」が今の世の中にはたくさんいて、それが何かの役に立つのならいいですけれと、一般的にはほとんど何の意味もない。
> 他人のものに手を出さないこと
> 公道を歩くときは人に迷惑をかけないこと
という基本的なことにしても、どうも危うくなっています。
いつの間にか、私たちは「悪魔主義者の理念よりも、ずっと悪魔的な社会」を作りだしてしまっていることに気づくのです。
そして、その社会は悪魔によって牛耳られているというよりは、確実に私たち人間が作りだしている。
以前、こちらの記事で、19世紀のセルビアの予言者ミタール・タラビッチの予言をご紹介したことがありました。
そこで、タラビッチは以下のように言っていました。
クレムナの予言より
人間の魂は悪魔にのっとられるのではない。
もっと悪いものにのっとられるのだ。
その頃の人間の信じているものには真実などいっさいないのに、自分たちの信じる幻想こそが真実だと思い込むのである。
ミハール・タラビッチ(1829-1899年)
・humansarefree.com
ここでいわれている、
> もっと悪いもの
というのは何なのでしょうかね。
それについては予言では語られていません。
いずれにしても、私たちは「悪魔主義」からさえルールを学び直さなければならない時であるのかもしれません。
とはいえ、悪魔教会のサタニズムの信条自体は、私などの持つ理念とは相反していて、たとえば、「人間を単なる動物の一群のひとつ」として捕らえるもの(現在の生物学と同じとらえ方ですが)だったりと、信条そのものは、まったく相容れないもので、それだけに、そのルールがあれほど整然とした規則にあやどられていることは不思議でした。
その悪魔教会の「サタニズムの9か条」を記しておきます。
サタニズムの9か条
1. サタンは禁欲ではなく放縦を象徴する
2. サタンは霊的な夢想ではなく、生ける実存を象徴する
3. サタンは偽善的な自己欺瞞ではなく、純粋な知恵を象徴する
4. サタンは恩知らずな者のために愛を無駄にすることではなく、親切にされるに値する者に親切にすることを象徴する
5. サタンは右の頬を打たれたら左の頬も向けるのではなく、仕返しをする行為を象徴する
6. サタンは精神面で他人の脛をかじる者への配慮ではなく、責任を負うべき者への責任を象徴する
7. サタンはただの動物としての人間を象徴している。「神から授かった精神と知能の発達」によって最も悪しき動物となってしまった人間という生きものは、四足動物より優れていることもあるが劣っていることの方が多いのである
8. サタンは罪と呼ばれるものすべてを象徴する。おおよそ罪とは肉体的、精神的かつ感情的な満足につながるものだからである
9. サタンはつねに〈教会〉の最も親しい友人であり続けてきた。というのも彼は長年それを仕事としてきたのである。
最後の、
> サタンはつねに〈教会〉の最も親しい友人であり続けてきた
の〈教会〉というのがキリスト教の教会だとすれば、意味深な部分ではあります。
昔、こちらの記事に、1971年の小説『エクソシスト』から以下の部分を抜粋したことがあります。
これは、悪魔に取り憑かれた少女リーガンの母親の言葉です。
小説『エクソシスト』(1971年)より
あなたがた神父さんたちは、祭壇の前にぬかずいて、神さまの実在を考えなければならない立場ですわね。だからこそ、神さまは毎夜、百万年の眠りを眠ってらっしゃるんですわ。
そうでなかったら、神さま自身がいらいらなさって、ついには怒りださずにはいられなくなるはずです。わたしのいっていること、判っていただけるかしら?
神さまは何もおっしゃらない。その代わり、悪魔が宣伝の役をつとめます。悪魔は昔から、神さまのコマーシャルなんですわ。
この、
> 悪魔は昔から、神さまのコマーシャルなんですわ。
というフレーズがとても印象に残っています。
ともかく、「悪魔教会」設立 50年目は、その 50年後の今の私たちの社会では、その「悪魔主義のルール」にさえ辿り着いていない社会だったということに気づく年となってしまいました。そして、「物質主義」と「個人主義」が極限にまで至っている今の社会は、その社会の存在自体が悪魔主義的であるということも再認識します。
チジェフスキー博士の目指したような人間社会を本当は目指すべきだったのでしょうけれど、現時点ではその徴候が見えてきません。
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