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1月9日にメルマガ「唯物論の神の誕生か、宇宙の真の主である人間の覚醒の台頭か」を発行させていただきました。

2026年からの世界 人類の覚醒と真実 日本の未来

歴史は同じではないけれど、似たようには繰り返す。1930年代に戻りそうな今にしてそう思う

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権威と教育

私は中学・高校と本をほとんど読まない人でした。理由は小学生の時だったか、夏休みの「自由感想文」というものに対して、教師から「これはダメだ」と言われたことにあったような気はします。

ヘミングウェイの『老人と海』だったですかね。その中に、この老人がウナギを釣って食べるシーンがあって、なんとウナギでガッカリしているんですよ

「なんということだ」と私は思い(当時はまだうな丼というものを食べたことがなかったこともあり)、読書感想文の主軸は、

「ウナギを喜ばない老人に対しての徹底的な糾弾の内容」

となり、『老人と海』の主人公に対しての人格否定から、「醤油も網もカセットコンロ(そんなもん当時ないわ)も持たずに船に乗る杜撰な計画性」なども糾弾しました。それに対して教師は「これはダメだ」と申した次第ですね(今思えば、当たり前の対応だった気はしますが)。

後になってから、いろいろと本を読むようになりましたけれど、フレッド・ホイル博士について、アメリカの理論物理学者であるミチオ・カクさんが、『パラレルワールド - 11次元の宇宙から超空間へ』という著作の中で、フレッド・ホイル博士について書いていて、以下のようにあり、何となくその頃の気持ちを思い出したりしていました。

『パラレルワールド - 11次元の宇宙から超空間へ』- 「あまのじゃくフレッド・ホイル」より

ホイルはいわゆる学会のはぐれ者で、理知的なあまのじゃくとして、ときに喧嘩腰であえて主流の考えに逆らった。

…彼は子どもの頃から反骨精神にあふれていた。三歳で九九の表を覚えてしまっていたので、先生からローマ数字を覚えるように言われたことがあった。「8をわざわざVIIIと書くなんて、ばかばかしくてしょうがないじゃないか」とホイルは鼻で笑いながら思い出している。

一方で、法律にしたがって学校に行かなければならないと言われたときのことは、こう書いている。

「不幸にも、強大でろくでもない『法律』とかいう獰猛な怪物が支配する世界に生まれついてしまったのだとあきらめた」

権威を見下すホイルの態度は、別の女の先生との諍(いさか)いで揺るぎないものとなる。

その先生は授業で、ある花びらの数が五枚だと言った。先生が間違っていることを示そうと、ホイルはその花で花びらが六枚あるものを学校へ持っていった。

すると、生意気さにかちんときた先生は、彼の左の耳を強くひっぱたいたのである(のちにホイルはその耳が聞こえなくなっている)。

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まあ、フレッド・ホイル博士はまったく天性の知者であるわけで、オックスフォード大学で天文学や物理学を学んだことは、その後の、パンスペルミア説や、ビッグバン説の否定などにもつながったわけで、意味はあったわけですが、私のほうは、

「うなぎを喜ばない老人を許すことはできない」

というままで、この程度の認識で今も生きています。

しかし、ものが何であろうと、『権威に決められた常識と、そしてそこからまた権威が作り出す学問』ということについては、私自身、ずっと疑問でした。

大学生とかならともかく、小学生くらいは自由に考えさせてやってほしいかなとか。

トーマス・エジソンなんかも、小学校の算数の授業中に、「1+1=2」と教えられても鵜呑みにすることができず、「1個の粘土と1個の粘土を合わせたら、大きな1個の粘土なのに、なぜ2個なの?」と先生に尋ねたりする子どもだったようで、小学校を 3カ月で退学するという偉業も達しています。本人の発明より大きな偉業かもしれません。

こういう「自由に考える」ことに関して、最晩年のフレッド・ホイル博士は以下のように述べていました。『生命はどこから来たか』という本からの抜粋です。(この本はもうずーっとアマゾンでは「この本は現在お取り扱いできません」となったままですが、一応リンクは記させていただいています)

フレッド・ホイル著『生命はどこから来たか』より

われわれは皆、許しを請うことなくこの未知の世界に生まれてくる。

生まれて数カ月もすると、目も見え、自らの足で立つこともでき、やがて話し始め、ついには言語の壁を突破する。初めは何の手がかりもないのに他人の話していることを理解し、自分自身でも話すようになるのである。

われわれは、これらすべてのことを自然のうちに学ぶ。しかし、唯一残念なことは、この時期において子どもたちは、周りの大人たちに世の中の状況の偽りのない真実を流暢に語る手段を身につけていないことである。

そのため大人たちは適切な双方向の会話ができれば、やがて誤解に気づくだろうという幻想を抱いたまま生き続けることになる。偏見のない見解を伝達することができるようになる頃には、不幸にも、教育という過程により偏見のなさを失ってしまうのである。

言うまでもなく教育はもちろん良い一面を持っていて、多くの正しい知識を与えてくれる。教えられる知識が正しいものでありさえすれば、知識は後退することもない。しかしわれわれが知識と思っていることが実は幻想に過ぎなくなったときに問題が生じる。

そうなると教育は、世代から世代へ幻想を伝えるということになってしまう。幻想であるという自覚は世代を追うごとにより軽くなり、次第に幻想に対する信念は増大していくのである。

教育制度が間違った信念の広がりに対してチェック機能を持たないとしたら、間違った信念はだんだん深く確立していき、破局は動かしがたい教義のようになるだろう。

すべての民族、すべての文化が遅かれ早かれ衰退の道をたどるのはこういうところに原因がある。教義の重みは、社会構造を崩壊に至らしめるままでどんどん増していくのである。

この点においては、過去のどの時期よりも現在は悪化している。

なぜなら高い教育レベルの過程は現在約25年間も続くのである。25歳といえば、優秀な生徒なら、博士の学位を取得する年齢である。

子供時代の内面的な独創性を回復するには遅すぎ、また、あまりにも永く子供たちは精神的な監獄に閉じ込められてきたため、そこから逃れるにも遅すぎるのである。

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中学か高校の頃に読んだ、数少ない本の中で、ある程度長い著作のひとつが、山本七平さんの『私の中の日本軍』という本でした。

これは今でも私に最も大きな影響を与えている本であり、特に、日本の場合は「空気に流される」という問題が大きく、

「いつかまたそんな時代が来るのだろうな」

と、これを読んだ中学生か高校生の時からずっと思っていました。

その後、日本では戦争はなかったですが、2020年にはコロナのパンデミックが始まり、2021年からはワクチンキャンペーンが始まります。

無意味な社会的距離に三密回避とかが真剣に訴えられていた時です。

「こういう時代のことを山本さんは言っていたのだなあ」

と、つくづく当時思いましたけれど、最近は AI 関係の記事が続いていましたが、昨日も、Grok と、山本七平さんの「空気」について話したことがありました。以下にあります。

日本の今の「山本七平氏の言う空気」についてAIにきいてみました
nofia.net 2026年1月15日

私はそれがどこの国の人であろうと、信条的な排外主義は持たないですが、しかし、「ガイジンだらけで面倒になったことだよなあ」とは、10年くらい前からブログにも書いていましけたれど、個人がそう思うのと「集団がそう思う」のでは意味が違い、そして、そこに、

「社会の中に空気が生じる」

と、また、1930年代への逆戻りは全然あると思っています。

コロナワクチン・キャンペーンは、たった 5年前です。

あれがいわゆる空気です。

とはいえ、何をどうせえこうせえ言うつもりもないのですが、いろいろなことが過去に類似した繰り返しをする局面はあるのだろうなと。

そういえば、ちょうど、投機家のダグ・ケイシーさんが、「 1930年代と現代を比較する」という記事を書いていました。主に経済の話ですけれど、これはアメリカだけではなく、日本にも通じる話だとも思います。

ダグ・ケイシーさんも根っからの悪者ですので、言うことには信用が持てる人でもあります。悪い時代には、「良い空気を排除する悪い人」のほうが頼りになるはずです。

ということで、その記事をご紹介して締めさせていただきます。





1930年代と現代を比較する

Comparing the 1930s and Today
Doug Casey 2026/01/14

「歴史は繰り返す」という格言を聞いたことがあると思う。確かに繰り返すのだが、まったく同じ形で繰り返されることはない。過去の教訓を活かすには、現在の違いを理解しなければならない。

アメリカ独立戦争中、イギリス軍は勝利を収める戦争に備えていたが、相手はヨーロッパ軍だった。圧倒的な火力を誇るイギリス軍の陣形と、兵力の多さを強調する赤い軍服は、ゲリラ戦に必要な戦術とは正反対だった。

第一次世界大戦以前、将軍たちは依然として騎兵を軍の花と見なしていた。しかし、当然のことながら、塹壕戦では騎兵は役立たずどころか、むしろ悪役となった。

第二次世界大戦前、フランスはドイツ軍の攻撃に備えて「難攻不落」のマジノ線 (※ フランスの対ドイツ要塞線)を築いた。歴史は繰り返され、攻撃は実際に起こったが、その攻撃はフランスが予想していた形ではなかった。ドイツ軍は突破を試みず、迂回したため、フランスの準備は無駄になり、フランスは敗北した。

将軍たちが先の戦争に備えるのは、意地悪や愚かさからではなく、過去の経験しか頼りにできないからだ。

彼らの多くは、その経験をどう解釈すればいいのかを知らないだけだ。新たな戦争に備えるのは正しいが、前回の戦争で成功した方法に頼るのは間違っている。

残念ながら、投資家たちは将軍たちと同じように、資源配分において同じ過ちを犯しているようだ。過去 30年間が繁栄していたとすれば、彼らはさらなる繁栄を前提に行動する。

彼らにとって不況の話は現実味を帯びない。なぜなら、実際には 1930年代とは状況があまりにも異なっているからだ。ほとんどの人にとって不況とは 1930年代のような状況を意味し、それを実感できないため、不況を想像することができない。なぜなら、彼らは前回の不況がどのようなものだったかは知識としては知っているものの、それがどのようなものかは実際には知らないからだ。理解できないものを想像するのは難しい。

彼らのうちもう少し賢い人たちは、繁栄の終わりと不況の始まりを予見するかもしれないが、彼らは大多数の人たちよりずっと恵まれているとはいえ、今回の不況が前回の不況のようになることを期待しているだろう。

今回の不況がどのようなものになるか、絶対的な確信を持って予測できる人は誰もいないが、前回の不況の再現にはならないことはほぼ確実だろう。しかし、状況がこれまでと違うからといって、驚かされる必要はない。

今回の不況と前回の不況の違いを明確にするには、今日の状況を 1930年代初頭の状況と比較すると分かりやすい。しかし、その結果は必ずしも安心できるものではない。

 

企業破産

1930年代

銀行、保険会社、そして大企業が大規模に破綻した。金融機関は過去の過ちの代償を被り、破綻の際、彼らを支えてくれる金融セーフティネットは存在しなかった。過ちは清算され、準備万端で効率的な企業だけが生き残った。

今日

世界の金融機関は前回よりもさらに深刻な状況に陥っているが、今やビジネス倫理は変化し、誰もが政府の「介入」を期待している。

多くの事例において、政府の介入を許可するだけでなく、義務付ける法律がすでに制定されている。今回は、過ちが積み重なり、強く、生産的で、効率的な企業が、弱く非生産的で、非効率的な企業を補助せざるを得なくなるだろう。

皮肉なことに、前回の不況では、製品価格が下がりすぎたために企業が倒産したが、今回は価格が上がりすぎるために倒産するだろう。

 

失業

1930年代

職を失った人たちは、飢えに苦しまないためにも、できるだけ早く次の仕事を探さなければならなかった。同じ立場にある多くの人々が、空いた仕事を求めて必死に競争し、雇用主は同じ人々を不況以前よりもはるかに低い賃金で雇い、より一生懸命働くことを期待することができた。その結果、人々は仕事を得ることができ、雇用主は事業を維持することができた。

今日

平均的な人々はまず数ヶ月間の失業保険を受ける。現在では、その後、「適切な仕事」が見つからない場合は生活保護を受けることができる。多くの人々は、手当たり次第に仕事に就くのではなく、特にホワイトカラー労働者にとっては泥臭い仕事となるような仕事であればなおさら、生活保護を受けることになる。

これは新たな富の創出を減少させ、回復を遅らせることになる。労働者はもはや、不当と考える賃金で自分を搾取(つまり雇用)する起業家を心配する必要がない。なぜなら、最低賃金法などによって、そのような可能性は排除されているからだ。その結果、失業者は失業したままになり、雇用主たちのほうが倒産するだろう。

 

規則

1930年代

1900年代初頭以降、ほとんどの経済は相当に厳しく規制されてきた。

そして、それらの規制が歪みを引き起こし、前回の大恐慌の深刻さを増した。アメリカの場合、ルーズベルト政権は経済の清算を許すどころか、価格、賃金、そしてビジネスのやり方を固定化するなど、さらに多くの規制を加えた。

これらの規制が大部分を占めていたため、大恐慌は第二次世界大戦の終結まで長引き、第二次世界大戦は通貨の大幅な再インフレによってのみ経済を「救った」のだ。

もし政府が当時存在していた規制のほとんどを廃止し、新たな規制を設けるのではなく、そうしていれば、大恐慌の深刻さは軽減され、期間もはるかに短くなっていただろう。

今日

前回の大恐慌以降に設立された数多くの新機関は、人々の関係性に 90年前よりもはるかに深刻な歪みを生み出しており、必要とされる潜在的な調整も比例して大きくなっている。

賃金、労働条件、エネルギー消費、安全などに対する政府の規制や統制が撤廃されない限り、大恐慌期における劇的な経済回復は不可能だろう。

 

税金

1930年代

1913年にアメリカで所得税が初めて導入された。1929年には、税率は最大 23.1%に達したが、これは 100万ドル以上の所得の場合に限られていた。

当時の平均的な世帯の所得は 2,335ドルで、平均的な世帯の税率は 1%の 10分の1に相当する。また、社会保障税、州所得税、売上税、相続税もまだなかった。

さらに、ほとんどの国民は法定最低所得に達していなかったり、申告を怠ったりしたため、所得税を支払っていなかった。そのため、政府は不況を「治す」ための計画に資金を提供するための、膨大な未活用の財源を抱えていた。ルーズベルトは在任中に平均所得税を 1.35%から 16.56%に引き上げることができた。これは 1,100%の(所得税の)増加だ。

今日

誰もが今や、他の税金に加えて所得税を支払っている。ほとんどの西側諸国では、直接税と間接税の合計が 50%を超えている。

そのため、直接税がこれ以上上昇する可能性は低いだろう。しかし、インフレは常に人々をより高い所得階層へと押し上げており、同様の影響をもたらすだろう。人々は税金を補うために、インフレ率を上回るペースで収入を増やさなければならない。

人が支払う税金は、その分だけ生活水準を低下させるため、脱税や地下経済が活性化することが当然予想される。これは不況の深刻さをいくらか和らげると同時に、社会の哲学的方向性を変える一助となるだろう。

 

価格

1930年代

株価暴落、国債のデフォルト、銀行破綻によって数十億ドルものインフレ通貨が消失したため、物価は急落した。

しかし政府は、インフレの 1920年代の高価格をなぜか繁栄と同一視し、家畜の屠殺、牛乳の溝への投棄、価格支持策などによって物価下落を阻止しようとした。

崩壊によって貨幣が創出されるよりも速いペースで消失したため、政府は実質的な富を破壊することの方が物価上昇には効果的だと判断した。言い換えれば、貨幣供給を増やせないのであれば、財の供給を減らすべきだ、というわけだ。

とはいえ、1930年代の大恐慌はデフレ崩壊であり、通貨の価値が上昇し、物価が下落した時代だった。これはおそらく、ほとんどのアメリカ人にとって最も分かりにくい点だろう。なぜなら、彼らは当時の経験から、「恐慌」とは「デフレ」を意味すると思い込んでいるからだ。そして、これはおそらく、今回の恐慌と前回の大恐慌の最大の違いでもある。

今日

物価は前回のように下落するかもしれないが、政府が経済に対して持つ力は、90年前よりもはるかに大きい。

金融市場の崩壊を許して経済を自浄させるのではなく、政府はおそらく破綻した銀行を救済し、不動産を支えるために住宅ローンを大量に発行し、中央銀行は債券価格の暴落を防ぐために債券を購入するだろう。

これらの行動はすべて、総マネーサプライが飛躍的に増加することを意味する。

デフレを回避するために、数兆ドルが創出されるだろう。街角でリンゴを売っているとしても、それは 1個 5セントではなく、1個 5ドルだろう。しかし、福祉のせいでリンゴ売りの数は減るだろうし、価格統制のせいでリンゴの量は減る。

その結果、消費者物価はおそらく急騰し、国はインフレ不況に陥るだろう。ドルを保有する人々が王様だった 1930年代とは異なり、大恐慌の終わりまでに、ドルを保有する人々は消滅するだろう。

 

金融市場

1930年代

最後の恐慌は株式市場の崩壊と結び付けられ、1929年から 1933年にかけて株価は 90%以上下落した。

金利が急落する中、安全な債券は最良の投資手段だった。商品価格は暴落し、何百万人もの農民が最低限の生活水準にまで追い込まれた。ほとんどの不動産は個人所有で税金も低かったため、売却せざるを得ない限り、価格の下落は大きな影響を及ぼさなかった。

土地の価格も暴落したが、人々はそれを所有するために購入し、より愚かな人に売り飛ばすためではなかったため、売却する必要はほとんどなかった。

今日

今回は、株価、特にコモディティ(商品市場)が急騰する可能性が高い。人々がドル安、特に債券安から逃れようとパニックに陥るからだ。

不動産は債券に次いで経済の中で最も大きな打撃を受ける分野となるだろう。なぜなら、誰も長期融資をしてくれなくなるからだ。そして、不動産は住宅ローン市場の上に成り立っているが、この住宅ローン市場はいずれ消滅するだろう。

今回の不況が前回の不況と同じ結果になるだろうと考えて投資した人は皆、結果に非常に不満を抱くだろう。前回の不況と今回の不況の違いを理解することで、損失を最小限に抑え、利益を最大化するためのポジションを取ることがはるかに容易になる。

違いはここまでだ。

しかし、決定的で明白かつ最も重要な共通点は、ほとんどの人々の生活水準が劇的に低下するということだ。

大恐慌が始まった。

ほとんどの人はそのことに気づいていない。なぜなら、その考えに立ち向かうことも、今回の大恐慌と前回の大恐慌の違いを理解することもできないからだ。

クライマックスが近づくにつれ、これまで人生を築いてきた多くのものが劇的に変化する。新しい状況に適応する能力は、精神的に健康な人間である証だ。

危機の機会の側面を探そう。「危機」を表す中国語の記号(※ まさにこの「危機」という漢字)は、危険と機会を表す2つの記号を組み合わせたものだ。

今後数年間、社会が直面するであろう危険は遺憾だが、不安やフラストレーション、無関心に打ち負かされては意味がない。

恐れるのではなく、勇気、好奇心、そして楽観主義を持って未来に立ち向かってほしい。あなたは勝者になれる。そして、綿密に計画を立てれば、必ずそうなるだろう。

この大きな変化の時代は、運命を再びコントロールするチャンスを与えてくれる。そして、それ自体が人生で最も重要なこととなる。今回の不況は、まさにその機会を与えてくれるものだ。大恐慌は、個人としても社会全体にとっても、非常に良いものとなり得る多くの可能性の一つなのだ。

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  • この記事を書いた人

Oka In Deep

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