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人類の覚醒と真実 地球という場所の真実

何度も記事にしようとして挫折し続ける「暗黒物質 DNA やジャンク DNA の存在」と進化論や「生命の存在の奇跡」についての様々……。そして今回もまた

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科学誌ネイチャーの記事より

nature.com

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地球の生命の奇跡はなぜ矮小化されたか

今年に入って以来、いわゆる「進化論」の根幹が崩壊しそうな発見や論文がとても多いんです。

そのたびに、ご紹介しようと思いつつ、このジャンルの論文はやたらと難解なのですね。基本的には「自分で理解できないことは記事にしない」というようにはしていて、翻訳などをする時にも、翻訳として合っている合ってないはどうでも良くて(実際、翻訳はよく間違っているはずです)、その内容がわかりやすく伝わるのかどうかを重視しています。

そんなわけで、今年は1月から何度も進化論関係の記事を目にしては、「ご紹介しよう」と思い記事を書き始めて、しばらくして「……今回は諦めよう」というような事態が続いています。

今回もそうなんですね。

今、「進化論」という言葉を使いましたけれど、ここでいう進化論とは、例えば、Wikipedia - チャールズ・ダーウィンにある以下のことです。

全ての生物種は、共通の祖先から長い時間をかけて、自然選択と呼んだプロセスを通して進化した。

という部分ですね。そして、このような奇妙な説が、200年前ならともかく、今でも、

自然選択説は現在でも進化生物学の基盤の一つである。またダーウィンの科学的な発見は修正を施されながら生物多様性に一貫した理論的説明を与え、現代生物学の基盤をなしている

ということで、これが現代の生物学の基礎のひとつとなっているのです。

私は、この概念が現代のこれだけ生命科学が進んだ中でも、その学問の基礎となっているということはとても恥ずべきことだと思っています。

200年前とは違い、現在は「地球の生命というものがどれだけ精緻なものか」ということが、ずいぶんとわかってきています。

それは本当にもう異常なほど精緻であるわけで、たとえば、私たちの体のタンパク質を作る「酵素」のうちのひとつなどという小さなものをとっても「自然選択」などという乱暴な話が入ることのできるような単純な構造ではないのです。

下は、フレッド・ホイル博士の著作『生命はどこからきたか』にある部分です。

フレッド・ホイル『生命はどこからきたか』 第14章 より

30個の不変なアミノ酸を持ち、100個の結合部分からなる短いポリペプチド鎖でさえも、20の 30乗、約 10の 39乗回にもなる試みが行われて初めて機能を持つ酵素となる。

300個の不変部分を持ち、1000個の結合部分からなる酵素の場合は、要求される試みの回数は 20の 3000乗で与えられ、それは 1の後に 0が 390個も並ぶ数である。

さらに、われわれはただ一種類の酵素だけを取り扱うのではなく、最もシンプルな有機体でさえ 2000種類、われわれのような複雑な生物では約 10万もの酵素と関係しているという点でも超天文学的な数である。

つまり、タンパク質の中の「酵素ひとつの配列」が偶然に作られる確率だけでも「 1 の後に 0 が 390 個も並ぶ数の確率」となるのだそうで、それは下のような確率です。

これについては、ずいぶん以前のものですが、過去記事、

「神の敵の登場」:神による天地創造を否定し、ビッグバンと進化論を演説で肯定したフランシスコ法王
 In Deep 2014/10/30

というものでふれています。

そして、このような複雑な酵素が、私たち人間などのような生命だと 10万におよび、それが少しでも配列が違うと「もとより存在しない」……というように考えていくと、もう、存在すること自体が奇跡ではあるのです。

もちろん、それは人間だけの話ではなく、そのあたりにいるほんの小さな虫などでも、その構成の複雑さは、30 億年や 40億年の年数の偶然の積み重ねで語ることのできるようなものではないのです。

それは、地球の年齢が、何十兆年だとしても同じです。

「そういうことは、あり得ない」ということがすでに数値的(確率からの予測値として)にはもう証明されているといっていいはずなのに、今でもここにとらわれる。

今でも、「どうしても、生物が単純なものから高度なものへと順々に進化していった」としたいと固執し続ける。

サルからヒトに進化したと考えたい。

しかし、それはあり得ないのです。あり得ないものはどうやってもあり得ない。

ヒトとサルは違うものであり、そこには線で示すことのできるつながりはないし、それは何百万年遡っても同じです。

人間も含めて「生物は進化はする」でしょうけれど、それはダーウィンの言うような自然選択とは関係のないもののはずです。

 

そんなわけで、わりとずっと、現在言われているような進化論が、あまりにも一般的に納得されているのは良くないと思い続けています。

子どもたちもそんなように教わり、思い込む。

「生物なんてちょろっと変わっちゃうもんよ」と。

何兆という単位では数えられない数の分子たちの厳密な配列の上に、それぞれの生物が存在しているという「生命の奇跡」については教わらない。

動物なんてどうなっていいと思う人間がさらに増えていく。実際今はそんな世の中。

そういう意味では、ダーウィンの進化論は、人間を含めた生命という存在の「矮小化」に関係していると思われ、たとえば、人間を含めた地球の生命は「存在すること自体がものすごい奇跡」だと思うことができていれば、もう少し生物に対しての考え方も、あるいは人間同士の考え方も変わるような気もするのですけれど。

 

そういう話はともかくとして、昨年の終わりくらいからずいぶんと、進化論と関係する新しい発見や研究があり、科学記事もずいぶんとありました。

その中でも、最近、「生物の機能不明の DNA の機能がわかりはじめてきた」というものがいくつかありました。この中には、今まで、いわゆる「ジャンク DNA 」と呼ばれていたものについてのこともありますが、少しずつ解明されるに従って、つまり生物学が進むにつれて、「さらに、生物の進化がわからなくなってきている」ということがあるのです。

たとえば、地球の生命たちは、種によって形態などがいろいろと違いますけれど、しかし、そのどこかに、

「みな同じ地球の生き物でありながら、それぞれの生命であることは最初から決まっているのかもしれない」

ということを示す「異様な統一性と、一種の《支配性》」が存在することもわかってきています。

自然選択というような大ざっぱな理論で語ることのできない、「統一された地球の生命」という部分が私たち地球上の生命にはあるのです。

たとえば、冒頭に最近のネイチャーの記事ページの表紙を載せましたが、これは日本語版にも一部載っていまして、その冒頭は以下のようなものです。

「ダークマター」DNAは正常な発生に不可欠

nature ダイジェスト 2018/01/18

脊椎動物のゲノムには、種を越えて超高度に保存された、役割の分からない DNA 配列が存在する。「超保存エレメント」と呼ばれるこれらの配列について、一部ではあるが、その正体がついに明らかになった。

ゲノムには「暗黒物質(ダークマター)」とも言うべき、謎の DNA 配列が存在する。多種多様な動物の間で同一性が保たれているが、タンパク質をコードしておらず、機能が不明なのだ。

10年以上にわたって科学者たちを翻弄してきたこの「超保存エレメント」の謎の一端を、今回、ローレンス・バークレー国立研究所(米国カリフォルニア州)の研究チームがついに解き明かした。彼らは、脳の発生に重要なタンパク質をコードする遺伝子の近傍にある超保存エレメントのいくつかを欠失させることにより、これらの超保存エレメントがその遺伝子の発現を微調整し、脳の発生を誘導していることを明らかにしたのだ。

この見出しの部分の下の部分などは感銘を受けるところです。

> 脊椎動物のゲノムには、種を越えて超高度に保存された、役割の分からない DNA 配列が存在する。

この中の、

「種を越えて超高度に保存された」

という響きなどは、ちょっとしたSFの世界にも聞こえるものですが、これは、

> 多種多様な動物の間で同一性が保たれている

もので、つまりは、

「この地球上で、ヒトはヒト(他の生き物はその生き物)として、それが成長するようにすることを司っている DNA が存在する」

ものなのだと思われます。

先ほど、「異様な統一性と、一種の《支配性》」と書きましたが、この《支配性》という表現は、

「地球の生物の成り立ちそのものが何かに支配されているかのようだ」

ということから来ています。

そういえば、フレッド・ホイル博士ほどのグリグリの科学者も、最晩年にはコズミック・インテリジェンス(生命が知性ある何かによって作られたとする説からの概念)というような表現を使っていたほどで、つまり、生命の科学が進歩すればするほど、「生命については、現在の生物学では理解が難しくなる」のが現実のようです。

人間は昔から神や宗教の概念を作ったりしてきた根底にも、そういう「生命の精緻への尊敬」があったかもしれません。

しかし、その後の今の世界の科学は、その奇跡性と支配性を愚弄し続けている歴史へと変貌し続けているような気がしないでもないです。

西洋医学が、デカルト以降、「体と心を別のものとして扱うようになって」から、医学が人体を機械と見なすようになったのと同じようなことかもしれません。

医学はともかく、結果として、そういう科学観のおかげで、おそらく現代社会は、人類が登場して以来、もっとも人間が他の生物を尊敬していない時代で、それと共に、もっとも地球の生命(同士)が愚弄し合っている時代だと思います。まあ、私もでしょうけれど。

ところで、上のネイチャーにある「ダークマター(暗黒物質)DNA」と名づけられているものとは別に、「ダーク DNA 」というのもあり、最近の科学報道でよく報じられています。これはゲノムの配列上の遺伝子の謎の大量の欠陥を示すらしいのですが、やはり難解でよくわからないです。

ダークDNAに関しての報道

bigthink.com

いずれにしましても、年明けから何度もいくつかの記事を紹介しようとして、ちゃんと紹介できていないわけで、今回も同じようなことになっていて、単に理想論を書いて終わりそうな気配であります。

まあ、確かに理想は理想としてあるにしても、現実は、最近、科学の現状にも未来にもほとんど希望は持っていません。ただ、「この世のいろいろなことが解体した時」に初めて進歩も起きるかもしれないとは思っています。

しかし、それは私が生きている間に起きることではなさそうです。

進化論については、もう少しきちんと記事にしたいと思ってはいるのですけれど、うまく書ける気もしもないような。

そんなわけで、雑談記事で終えていく春の夜となりました。関東は過ごしやすい夜です。





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