パラダイムシフト
パラダイムシフトとは、その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的にもしくは劇的に変化することを言う。(Wikipedia)
パラダイムシフトは「非連続的な事象」であることを忘れがちになっていたことに気づき
先月の記事「現代の認知症は「パンデミック」の一種かもしれない… (2016/03/12)」の中に、夏井睦さんという形成外科医の方の書かれた『傷はぜったい消毒するな - 生態系としての皮膚の科学<』という本のことに少しふれたことがあります。
この本は、私たちのほとんどが「傷と細菌のことや、人体と微生物の共存のことについて、とんでもない勘違いをして長い間生きていたこと」、そして、医学界そのものが、この何百年と続いているその「勘違い」、あるいは「間違い」から脱していないことを知らされるもので、医療を目指されている方でも、単に怪我の際の最善の処理を知りたい方にも、どちらにもお勧めできる本です。
この本の後半には、医学や科学の歴史から、生物進化の過程から「皮膚の力」を見直すというセクションなどまであり、ここで語られる明晰な知力と知識によってもたらされる創傷治療の真実度にはとても説得力があります。
この本の中に、「医学や科学のパラダイムシフト(価値観の一大転換)」についての下りがあり、そこに下のようにあります。
『傷はぜったい消毒するな』 第9章「医学はパラダイムの集合体だ」より
パラダイムシフトは「その時代や分野において当然のことと考えられていた認識(パラダイム)」が、革命的かつ非連続的に変化(シフト)すること」と定義されている。
ここで重要なのは「非連続的に変化」という部分だ。つまり、旧パラダイムから新パラダイムへの変化(シフト)は連続的に起こるのではなく、二つのパラダイムは完全に断裂しているのだ。新しい考え方は古いパラダイムを完全否定することで生まれるからだ。
地動説は天動説の進化系として唱えられたものでもないし、天動説の研究から生まれたものではない。だから、両者の間でいくら議論しても合意点は全くないし、何より、共通認識すらないから討論自体が成立しない。
私たちはつい、科学の進歩も社会の進歩も、連続的段階的に発展してきたと考えがちだ。
例えば、「ギリシャ時代の科学を土台にローマ時代の科学が発展し、イスラムの科学が加わって錬金術が発達し、やがて16世紀のガリレオ、17世紀のニュートンに受け継がれ、ついには20世紀の科学文明として花開いた」という具合に、ちょうどリレー走者が次の走者にバトンを渡して現代に至っているというイメージである。
しかし、科学にしろ社会にしろ、変化は突然起こり、それまで常識と思われていたことが根底からくつがえされ、全く関係のない新しい考えが主流になって発展してきた。
そうなんですよ。私自身がそうですが、一般的に私たちは、この「過去のパラダイムシフトは劇的に突然に出現した」ことを忘れがちなのですよ。
人間の本性というのかどうなのか、私たちは、
・「物事は少しずつ変化していく」という方向で漠然と考える
傾向があります。
しかし、上の抜粋にありますように、パラダイムシフトは、
> 革命的かつ非連続的に変化
するものであり、
> 科学にしろ社会にしろ、変化は突然起こり、それまで常識と思われていたことが根底からくつがえされ、全く関係のない新しい考えが主流になって発展
してきたものだということを、つい忘れるのです。
さらに、古い考えと、まったく新しい考えの間には、
> 両者の間でいくら議論しても合意点は全くないし、何より、共通認識すらないから討論自体が成立しない
ものなのです。
これは考えてみれば、ジャンルは違いますけれど、前回の記事、
・「地球の生命は宇宙で作られている」ことがほぼ確定…
2016/04/08
などにも関係している話として、たとえば、
- 地球の生命は宇宙で生まれた
という意見と、
- 地球の生命は宇宙では生まれていない
という意見の間に合意点とか妥協点を作ることはできません。
どちらかしかありません。
輪廻転生の話なんかもそうです。
- 前世や来世は存在する
- 前世や来世は存在しない
のふたつの意見に妥協点はあり得ません。
あるいは昔からある論争かもしれないですが、
- 神はいる
という意見と、
- 神はいない
という意見も、妥協点を作り出すというわけにはいきません。
「それでは、月曜日から木曜日までは神はいて、金曜日から日曜日までは神はいないということで妥協しましょう」
というわけには、おそらくいかないのです。
まあ、そういう話はともかく、医学に話を戻しますと、これだけ病気が蔓延している世の中となってきますと、いよいよ「パラダイムシフト」が必要だと、実際には誰でも思っているのだと思います。「医療が病気の減少に貢献していない」ということが、最近のあらゆる病気の患者の数の増え方ではっきりとしている以上、「今の医学は根本的に何か間違っているところがある」と判断しても間違いではないと思われます。
医療の概念が間違っていないのならば、病気や患者は減り続けているはずですが、そうはなっていません。
しかし、そうは思ってはいても、先ほど書きましたように、私たちは油断すると、
「物事は少しずつ変化していくから」
というように思ってしまって、
「いつかは少しずつ良くなっていく時もあるのだろう」
としてジッとしているといようなことになっているように思いますが、本当に良くなる時の変化は「完全に変わる」というようでなければ本物ではないのかもしれません。
聖書ではないですが、「パラダイムシフト」というものは、
「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」(ヨハネの黙示録/ 21章5節)
というようなものであるということのようなのです。
では、誰がそれを推し進めればいいのか。
そして、パラダイムシフトを起こすことができる可能性を最も持つのは、医師たちでも専門家たちでもなく、私たち「素人」であることが、夏井医師の本には書かれています。
探りにくくなっている「真実の情報」の行方
ここから、また先ほどの夏井医師の著作『傷はぜったい消毒するな』から抜粋させていただきます。
「専門家と素人で知識が逆転する瞬間」より
先入観を一番捨てにくいのは誰だろうか。それは専門家だ。専門家は自分の専門知識が正しいことを前提に考えるから、もしかしたらそれが間違っているかも、とはなかなか考えられない。
そして何より、自分の専門知識に疑問を抱くのは、専門家として人を指導する立場にある人間にとっては一種の自殺行為である。
天動説から地動説へのシフトでは、少数の先鋭的研究者が新論を打ち立て、ついで一般大衆にまず知識が広まったはずだと書いたが、その根拠はここにある。
素人はそもそも先入観もなければその分野についてのことについての知識もない。太陽が真ん中でも地球が真ん中でもどちらでも大した違いはないと思っている。だからこそ、地球が真ん中でなく太陽が真ん中だと言われても動揺することなく新しい考えを受け入れられる。
つまり、専門家にとっては天地を揺るがすような大事件なのに、素人にとってはちょっと新しいアイデア程度でしかないのだ。専門家にとっては驚天動地のパラダイムシフトでも、素人にとってはそうではないのだ。
新しいパラダイムを素人は受け入れやすく、専門家は専門家としての自分の地位を守るために懸命になって拒否するわけだ。このため、パラダイムシフトの真っ只中では、素人が専門家より知識の面で先を行って最新の情報を享受し、専門家は古い知識(旧パラダイム)にしがみつくことになる。
この中の、
> 素人が専門家より知識の面で先を行って最新の情報を享受し
というのは、医学だけではなく、今、現状で広範囲で起きていることではないでしょうか。
ただ、「その最新の情報に行き着きにくい社会ではある」とは言えると思います。
私も自分のブログを書いていく中で、新潟大学名誉教授の安保徹さんとか、笑いを医療に取り入れて成果を上げているパッチ・アダムス医師とか、日本最初の整体師の野口晴哉さんとか、いろいろな方の存在を知り(逆に言うと、それまで知らなかったということです)、
「どうも医療の真実は、現在の一般的なものとは違うところにあるらしい」
ということに、この年齢(83歳 ← ウソつけ)になって初めてわかった次第でもあるのです。
左から、安保徹さん、野口晴哉さん、パッチ・アダムス医師
・jcounselor.net 、 seitai.org 、 infobae
[上の方々の出てきた参考記事]
・「ガン発生のメカニズムも、また人間に与えられた優れた機能」だということをほんの少しだけ書かせていただきます(2015/05/12)
・過去同様の美しき日本の未来を実現することは「必ずできる」ことを野口晴哉さんの言葉で確信する(2015/06/20)
・パッチ・アダムス医師の「楽しく人を死なせる」ための真実の医療の戦いの中に見えた「悪から善が生まれる」概念の具体性(2015/04/19)
いや、それこそ、前回の記事で取り上げた、パンスペルミア説というか、つまり、「地球の生命は宇宙で作られている」という概念すら私はつい最近まで、「まったく」知らなかったのです。
「そういう学説がある」という情報さえ耳にしたことがなかったですので、天文学などに詳しい人以外は、「パンスペルミア」という言葉自体も知らないでしょうし、学校などでも今でも教えられていないような気がします。(そういえば、小学校や中学校では、生命の起源ってどのように教えられているのですかね)
テレビでも普通に語られることはなさそうですし、一般のメディアでも見聞きすることはほとんどないことでした。となりますと、私のように、勉強をしてこなかった普通の人間の、普通の生活では、それらすべてを「知らないまま」で生きて、あるいはそのまま死んでいくという場合が多いと思います。
ちなみにこれは、「宇宙から生命が来た」ということが正しいか正しくないか、ということが重要なのではなく、
「情報として社会から追い出されて、埋もれている」
ことが問題で、これは戦時中の日本の大本営発表と同じことになっているといっていいのかもしれません。
大本営発表というのは、
- A という出来事があった
- B という出来事があった
- C という出来事があった
という場合に、本来なら、A、B、Cすべてを報道するべきなのですが、BとCが発表するには都合が悪い場合、
「Aだけを発表する」
という報道体制でしたが、現代社会の情報についても同じことになっているように思います。
- A という情報
- B という情報
- C という情報
の中で、たとえば、「A以外は表沙汰にしない」ということです。
それが現れているのが、たとえば、先ほど名前を挙げさせていただいたような、安保徹さんとか、あるいは今回著作をご紹介した夏井医師の主張などは、10年前、20年前から主張されているのに、私はそれを自分の病気などの中で偶然知っただけで、それまではまったく知らなかったのです。
現在でも、それらはインターネット上で、「探せば何とか見つかる」くらいの確率でしか情報に行き当たることができないのです。
そういえば、どうして夏井医師の著作を知ったかといいますと、1ヵ月ほど前、包丁で指を切りまして、深く切ってしまったせいで、30分くらいしても血が止まらなかったのです。
それで、ネットでいろいろと止血法を検索していまして(止血で参考になったのはこちらのページでした)、その際に、何かの偶然で夏井医師の新しい創傷治療というサイトにたどり着いたのでした。
つまり、「もし、あの時、包丁で指を切っていなければ、この真実の創傷治療について知らないで生き続けることになっていた」はずで、そういう意味では、指を切ったことも大きな意味があったわけですけれど、それくらい「情報」にたどり着きにくいということが言えそうです。
真実の情報を知るには「大変な出血をするしかない」というのが今の世の中です。
話が混乱してきましたが、先ほどの夏井医師の語る、
「パラダイムシフトは素人により起きる」
ということは、真実の情報、あるいは真実に近い情報を偶然であろうと何であろうと、手にした私たち「素人」は、そういう情報に基づいた生活を送ることを淡々と実践していき、「自分の中だけでも日常の革命を起こす」ということを心がけたいと思った次第です。
そういえば、過去記事を探してした時に「2015年という年 : 7万年前と4万1千年前に絶滅しそうになったけれど「絶滅しなかった」現世人類である私たちのこれからの心の準備」というタイトルの記事がありまして、この中に、
今日は、奥さんが花粉症の薬をもらいに耳鼻科に行くというので、奥さんに付き添ってもらって、私もその耳鼻科に行きました。
という下りがありまして、思えば、これから病院に行っていません。
記事は 2015年3月2日のものですので、1年ちょっとになるのですね。
まあ、病院に行くとか行かないとかに関してはケースバイケースで、行った方がいい場合はもちろん多くあると思いますが、「行くほどのことでもない時にはなるべく行かない」のが、やはりいいのではないかと今でも思います。
昔は何かというと病院に行って、何かというと薬をたくさん飲むタイプの人だったのですけれど、それに関しては変わりました。
おかげで体の調子が悪くて悪くて(ダメじゃん)。
何を書こうとして書き始めたのかもわからなくなりましたが、
「パラダイムシフトは誰か他人がなしてくれるものなのではなく、私たち自身から始まる」
ということを忘れずにいたいです。
どれだけ立派な専門家や政治家や宗教家であろうと、そういう人たちにはパラダイムシフトは起こせないのです。何でもない私たち個人にしか起こせないのです。
そして、パラダイムシフトが及ぶ範囲は当然、医療や科学だけではなく「すべて」なのだと思っています。
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