2025年あたりに向けての景気循環サイクルの行く末
経済についての独自の景気循環理論を主張する著名なアメリカの金融・地政学サイクルのアナリストであるマーティン・アームストロングさんという方が、最近、政府(米国も日本も欧州も)の債務不履行等と、それに伴う戦争の拡大について、USAウォッチドッグというウェブサイトでインタビューを受けていました。
その中で印象的だったのは、社会的、経済的などでの激しい状況に対して、「私たち一般人は今、何をすべきでしょうか?」という質問に、以下のように答えていました。
「まず 2年間分の食糧を用意することです」
食糧については、価格が上がるということ以上に、単純に「不足」が発生する可能性が高いためとしています。戦争が拡大した場合、モノと食糧の不足はさらに激しくなります。
ちなみに、このマーティン・アームストロングという方の、これらの話については、最近のメルマガでもふれたのですが、このアームストロングさんの「景気循環理論」というものが、どういうものなのかにはふれませんでしたので、簡単にご紹介しておきます。
多くは英語版の Wikipedia にあるものですが、以下のように書かれています。
「マーティン・アームストロング - 経済信頼モデル」より
アームストロングの経済信頼モデルは、景気の波が 8.6年または 3141 日ごとに発生することを提案する景気循環理論だ。
サイクルの終わりには危機があり、その後、経済情勢は次の 8.6年の危機点まで改善する。この理論は歴史的な金融パニックのリスト (1683 年から 1907年までの 224年間に 26回) に基づいており、その頻度はおよそ 8.6年だ。
アームストロングは、8.6年の波がさらに大きな波を経て強度を増し、8.6年の波が 6つになり、51.6年の大きな長波を形成していると結論付けた。
アームストロングは自分のサイクルを秘密にしており、ニューヨーカー紙はアームストロングが彼のモデルが単純な神秘的な数字ではなく、特定の基礎と複雑なコンピューター計算に根ざしていることを示唆しているとコメントしている。
この中に、
> 8.6年の波が 6つになり、51.6年の大きな長波を形成している…
という部分があります。
こういうサイクルというのは、一般的に複数積み重なった大きなサイクルの節目のほうが影響というのか、繰り返される社会的な状態が強く出るものだとも思えますが、51.6年のサイクルといえば、現在は 2024年ですので、大ざっぱに、51.6年前は、
「 1973年」
ということになります。
2024年から 2025年あたりは、この 1973年のような景気循環の様相に突入していく可能性があると、少なくともアームストロングさんの理論では、そうなります。
1973年について、まとめていた記事の冒頭は、以下のように書かれていました。
「1973年の出来事」より
第1次オイルショック、ベトナム和平協定、インフレ・狂乱物価、ピカソが死去、ドバイ日航機ハイジャック事件、ブルース・リーが死去、金大中事件、巨人軍V9、江崎玲於奈ノーベル賞受賞など、日本国内や世界での主な出来事をまとめました。 aflo.com
なるほど、第1次オイルショック、インフレ・狂乱物価あたりは、ひしひしと近づいている感じもありますが、1973年の他の事項には、以下のようなものがありました。
1973年の他の主な出来事
・円変動相場制へ移行
・第四次中東戦争
・水俣病第一次訴訟判決で原告勝訴確定
・ワールドトレードセンタービルがオープン
・「ノストラダムスの大予言」出版
「円変動相場制へ移行」などという項目がありますが、その際の為替レート(1ドル 308円)に着々と向かっている現在ですが、いずれにしても、最近の社会状況を考えますと、51.6年のサイクルというものも、わりと特徴的な「繰り返し」が見られる感じがします。
その 1973年から、さらに 51.6年遡りますと、1921年から 1922年くらいだと思われますが、ヒトラーがナチス党首に就任した年だったり、前年の 1920年は、「戦後恐慌」という激しい恐慌が起きています。
「戦後恐慌」より
1920年3月に起こった戦後恐慌は、第一次世界大戦からの過剰生産が原因である。日本経済は、戦後なおも好景気が続いていたが、ここにいたってヨーロッパ列強が生産市場に完全復帰し、日本の輸出が一転不振となって余剰生産物が大量に発生、株価が半分から3分の1に大暴落した。4月から7月にかけては、株価暴落を受けて銀行の取り付け騒ぎが続出し、169行におよんだ。 wikipedia.org
このサイクルは、上にありますように、株価などともある程度関係しているようで、この 1920年には戦後恐慌の中で株価の暴落が起きましたが、その前の 51.6年サイクルの 1973年にも株価の暴落が起きていたようです。この際には、株価の回復には 1982年までかかりました。
ZAIの記事より
…1970年代の株式市場のパフォーマンスは悲惨で、特にグロース株は恐ろしい暴落を演じました。石油株や金鉱株といった「インフレで恩恵をこうむるセクター」だけが上ったのです。
1973年に限って言えば、コモディティ価格の高騰で石油株や金鉱株が大相場になりました。しかし、高インフレが引き起こした不景気によって1974年に弱気相場が一層ひどくなると、石油株や金鉱株ですら値を消し、1929年の「暗黒の木曜日」以来となる最悪の“何を買っても儲からない相場”となったのです。 diamond.jp
この 2024年から 2025年あたりにも、51年ぶりの規模となるような暴落とかがあるのかどうかはわかりません。
わかりませんが、それはあっても不思議ではないのかもしれません。
食糧の話から入りましたのに、株価の話となってしまいましたが、まあ、株などは上がろうが下がろうが、多くの方々には無関係ですが、
「食べ物がない」
とか、
「モノやエネルギーがない」
とかは、すべての人々に影響を与えるものです。
現時点でも、日本のフードバンクで「強力な食糧不足」が起きていることが報じられています。
確かに食料の価格が上昇していたり、円安の影響があったりしているとはいえ、「お店にはいくらでも食料が並んでいる」状態の中で、フードバンクでの食糧不足が起きているということは、本格的な食料危機になった場合、援助も何もできないという状況に陥る可能性はないでもなさそうです。
最近、アメリカのブランドン・スミスという方が、「大量飢餓」というタイトルの記事を投稿していました。
これは、「アメリカで激しい飢餓が発生した場合」に対応するための方法論などを述べたものです。
いわゆるプレッパー(準備者)の人たちに向けたような感じのものですが、日本はアメリカよりも、さらに食糧に対しての危機感が薄い国ですので、ご紹介したいと思いました。
日本の場合、飽食の時代、そして大量の食糧廃棄の時代が長く続いていますので、食糧危機などの概念が想定できないのは無理もない気もしますが、歴史的には、それはいつかは来るものです。それがいつか正確にわからないだけで。
そして、ブランドン・スミスさんの記事は、
「アメリカでさえ飢餓が蔓延するような時代になったら、日本はどうなる?」
と考えざるを得ないものでした。
日本は自給できている食糧がきわめて少ないわけで、たとえば、基本的な食べ物のひとつである「タマゴ」なんてものさえ自給率ゼロです(ヒナは 100%輸入されていますので)。
先ほどの文章の中に、1920年代の銀行の取り付け騒ぎの話がありましたが、ブラックロック(世界最大の資産運用会社)の元ポートフォリオ・マネージャーだったエド・ダウドさんが、最近、
「今後 12~ 24か月の間に、多くの銀行が破綻することになる」
とする予測を語っていました。
こちらの記事にインタビューからの抜粋翻訳があります。
そして、「 12ヵ月以内に、経済の大きな急降下が起きる」とも述べていました。
日本のような、食糧の多くを海外に依存している国の場合、食糧危機の最大の原因は、不作などによるものより、(最初は)「サプライチェーンの崩壊」によって発生する可能性のほうが高いと想われます。
コロナの最初の頃とか、東北の震災の後の東日本の流通の停滞を思いますと、「あっという間に起きる」ものです。ジャストインシステムという現在の物流システムのせいで、こういうことが起きるのですが、それらの過去の場合は「復活」したわけです。しかし、復活まで長引く、とか、「復活しない」となった場合、どうなるのか。
そういう流れの中で、モノと食料の極端な不足が進行していっても不思議ではありません。
最初のアームストロングさんの言うような「2年分の食糧」を備蓄するのは大変かもしれませんが、申し訳程度であっても、たとえば、「賞味期限が事実上ない」缶詰とか、5年以上は保存できるアルファ米とか、ほんの少しのことならば、どなたにもできるように思います。
ここから、記事「大量飢餓」です。これは、アメリカ人に対しての意見ですが、日本に住む私たち日本人に、より訴えるものです。現在のほぼすべての日本人は、本格的な飢餓を知りません。もちろん、私も知りません。
太字はこちらでの強調です。
大量飢餓:アメリカの大部分がまったく準備ができていない理由がここにある
Mass Starvation: Here’s Why Most Of America Is Completely Unprepared
alt-market.us 2024/05/11
アイルランドのダブリンにある飢餓記念碑。
(1845年から1849年にかけてアイルランドでは、飢餓で約100万人が死亡しました)
集団飢餓という、この概念は、長い間アメリカ社会の最前線にあったわけではない。大恐慌の最中でさえ、米国は大多数が農地であり、ほとんどの人が土地で生計を立てる方法を知っていた。
実際、米国は真の国家的飢餓に一度も苦しんだことがない。地域的に小規模な飢餓の例はあったが(1930年代のダストボウルの時など)、過去 100年間にアジア、東側諸国、アフリカ、中東で見られた種類の飢餓に及ぶようなものはなかった。
西ヨーロッパ人ですら、世界大戦中に大規模な飢餓(オランダの飢餓など)に対処しており、その経験は彼らの集合意識に痕跡を残している。
一方、ほとんどのアメリカ人はそれを理解していない。私たちは長い間、比較的安全で経済的に豊かな環境で暮らしてきたため、食べ物を一切食べずに生活しなければならないという考えは、多くの人にとって「笑い話」のように思えるだろう。
経済崩壊の概念が持ち出されるとき、多くの人々はそれを「陰謀論」と嘲笑する。
大恐慌の時と比較すると、今日のアメリカ国民は農業から完全に離れており、土地で生計を立てること(農業や農作のこと)が何を意味するのかまったく分かっていない。
土地で生計を立てることは本や YouTube ビデオから数か月で学べるものではない。習得するには長年の経験が必要だ。
私がリバティ・メディアに寄稿してきた過去 20年間で、状況は劇的に変わったと言える。私が 2006年に活動を始めたとき、この準備運動は信じられないほど小規模で、人々はそのような話題を公の場で持ち出すことを恐れていた。
過去数年間で、「準備の文化」の人気が爆発的に高まった(プレッパー文化)。現在、何百万人ものアメリカ人が、広範な準備と銃器訓練を受けた熱心なサバイバル専門家となっている。準備と銃器はもはやアルミ箔帽子の「狂人」の領域ではなく、今ではクールだと考えられている。
2008年から 2009年の信用暴落(金融危機)は確かに、米国の経済不安定の現実に人々を目覚めさせるのに役立った。
その後、新型コロナウイルスのパンデミック、ロックダウン、そして医療横暴の試みが、多くのアメリカ人たちを呆然とした状態から抜け出す大きな衝撃を与えた。
私たちのような「陰謀論者」が警告してきたことはすべて、数年の間に突然確認された。グローバリストや政府が危機を引き起こすたびに、実際には、より多くの準備する人々を刺激するだけとなっている。
飢餓に関するより大きな問題は、個々のアメリカ人がその脅威を認識していないことではない。問題は、私たちのインフラと物流システムが失敗するように設計されており、それに対して平均的な国民ができることがあまりないということだ。
ジャストインタイム物流システム(現在主流の「必要なものを必要な時に、必要な量だけ配送する」物流システム)は、おそらく地域社会の冗長性という点でこれまで考案された中で最悪のものの 1つだ。
どんなに小さな混乱でも、町や都市への供給が数日から数週間にわたって途絶える可能性がある。さらに、ほとんどの州外で食品が生産されることに伴う相互依存関係もある。
あなたがたが暮らす州に強固な農業基盤がない場合、危機時には外部の食料源に依存することになる。あなたの地域が他の地域から食料を確保できるという保証はどこにある?
さらに、多くの人々が「準備」を進めているとしても、その中に、これまでに大規模な飢餓を経験したことがある人はいない。見たことのない脅威に精神的に適応するのは難しいことだ。
飢餓がどのような感じかを知りたい人たちには、時々実践することをお勧めする。 24時間の絶食を試してから、48時間の絶食を試してみてほしい。何日間何も食べずに過ごせるかを確認してほしい(水は十分に飲むようにすること)。
私の最長期間は 7日間だった。これでも、数か月の練習後の話だ。しかし、3日目以降は空腹感が実際に完全に止まることがわかった。狂気に陥ったり、暴力的になったりはしない。せいぜい疲労を感じる程度かもしれないが、それにより思考力がどれほど高まり、まだどれだけのエネルギーが残っているかに驚くことになるだろう。
人間の体は、一口も食べなくても 3週間以上生き続けることができる。私の懸念は、飢餓の際に最も暴力を引き起こすのは、潜在的な飢餓に対する初期のパニックではないかということだ。
人々は飢餓に遭遇し、最初の 3日以内に正気を失う。第一段階の胃の痛みや霧により、彼らは考えずに反応し、これが食糧不足の際に歴史の中で見慣れた広範囲にわたる暴動やその他の危機的な出来事につながる。
断食は、飢えが何を意味するのかを学ぶための方法だ。体内に脂肪が蓄積されている限り、見た目ほど悪くはない。しかし、筋肉の減少と臓器の喪失の地点に達すると、状況が変化し、死の可能性が生じる。本当の空腹感をある程度知っておくと、将来実際の空腹感が起こった場合でもパニックを避けることができる。
しかし、より大きな問題は、あなた自身が耐えられない問題についてだ。家族など大切な人たちが飢えていく姿を見ることは、自分自身が飢えることより、もっとつらいことだ。これは練習できるものではなく、混乱の際の略奪や犯罪に関しては、このようなことが、はるかに強力な動機となる可能性がある。 (※ 家族や子どもなどを飢えている状態から救いたいとして略奪などに走るということ)
もちろん、目標は飢餓を完全に回避することだ。 食料備蓄はあらゆる生存計画の基礎となる。農業や狩猟、野生の食用動物により飢餓が解決すると主張する人たちは、実際には、これまでの人生で、そのようにしてまで生き延びる必要があったことは一度もない。現実には、平時であっても、ほとんどの人にとって、生きていくのに十分な食料を見つけ、十分な食料を栽培することは困難なことなのだ。
混乱中は、作物を安全に植えることが困難になることがよくある。さらには、これら(自分で栽培している作物など)は簡単に盗まれたり破壊されたりする可能性があり、維持して保護するには大規模な人々のコミュニティが必要だ。たとえ小さな庭であっても、望ましくない人々の注目を集める可能性があり、隠すのは困難だ。
田舎に住んでいる場合、最初は狩猟が役立つかもしれないが、考えているのはあなただけではない。毎日のように狩猟されている場合、動物たちはすぐにその地域から移動してしまう。それらを見つけるためにはさらに遠くまで行かなければならないが、危機の際には、遠出は危険だ。
野生の食用植物は、豊富に採れる春や夏には良いものだが、これらの植物から得られるカロリーをより多く消費してハイキングをしているのであれば、その運動全体が無意味になってしまう。(※ 野生の植物をとるための移動や運動のカロリーが、食事からとるカロリーを上回ってしまうのは意味がない)
私は、野生の食用食品の支持者たちが、生存のための手段に関して最も妄想的であることに気づく傾向がある。森に逃げて、見つけたランダムな植物を食べて生きていこうと考えているサバイバル主義者たちは、おそらくすぐ死ぬだろう。
食料の栽培、狩猟用の食料、採集用の食料はすべて、特に危機的出来事が発生した最初の数年間は、すべて補助的な対策だ。一次緊急物資がなければ、 ほとんどの人は生きていけない。
食料備蓄が何千年間も文明の根幹であったのには理由がある。それは、歴史で機能してきた。より大きな安全なコミュニティが確立されれば、農業が復活し、自立した生産が可能になり、食料備蓄の重要性が低くなる。それまでは、地下室やガレージにあるもの(備蓄した食料)だけがあなたを生かしてくれる唯一のものとなる。
他の人から物資を受け取るつもりなので、自分で物資を保管する必要はないと考える人たちもいる。これを自分のプランA (基本戦略)にする人たちはおそらくサイコパスであり、私は彼らにまったく共感できない。
そして、そのような人たちは長くは生きられない。暴力的な出会いがあるたびに、負傷や死亡のリスクが高まる。
一方、略奪者や襲撃者は、資源を自ら守る人々によって狙われるため、比較的早く駆逐されるだろう (※ 略奪者や襲撃者などは、準備している人々に殺されていくというような意味だと思います)。
これは映画ではない。略奪者たちは混乱時に早い段階で消える。最初の 1年が経過しても、これら略奪者たちの個人やグループがまだ存在しているとしたら、私は驚くだろう。
その間、崩壊の初期段階は多くのアメリカ人にとってショックとなるだろう。それは送電網の停止、経済崩壊、サプライチェーンの崩壊などの可能性があるが、飢餓に伴うパニックは今後も存在する。
飢餓の性質を理解している人はパニックを避け、安全のために組織することができる。彼らは生き残り、繁栄できる可能性がある。飢餓を理解していない人たちは、最初の 1週間、食べ物がないとパニックになり、有害な間違いを犯す可能性が高い。
精神的な準備は身体的な準備と同じくらい重要だ。私たちが不確実な時代に進む中で、このことを心に留めておいてほしい。
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