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2017年からの世界 人類の覚醒と真実 健康の真実

追悼は死者への光 : 夢に出てきた安保徹さんから訃報を知らされて

投稿日:2017年1月3日 更新日:

2017年1月1日 カタール・ドーハの霧に包まれたビル群の中の朝日

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いろいろな新年の夜明けの写真というものがありますが、このカタールのドーハのものはとても印象的でした。ドーハというところが高層ビルだらけというのは、何となく知っていたりしました。しかし、それらビルの「頂上」が冒頭のような円形のフォーメーションに設計されている場所があるとは知りませんでした。

ドーハがこんなように霧に包まれることがそう頻繁にあることなのかどうかは知らないですが、これもまた今年の 1月1日の「初日の出」の風景のひとつでした。

さて、ところで、今日の話題は今日突然知ったことに関するものです。

夢に出てきた安保徹さん

年末とか年始は、わりといつも体調を崩すのですね。

今朝、目を覚ますと、本当に久しぶりに回転性のめまいになっていて、天井がグルグルしていました。

回転性のめまいといっても、2015年頃に私がわずらっていた「まるで天地がひっくり返るかのような状態になるような強いめまい」と比べると、通常の回転性のめまいなどはどうということもないのですが、しかし、無理して起きる日でもないですし、珍しく二度寝をしたのでした。ふだん二度寝をすることはまずないです。

二度寝の時間は短かったですが、その眠りの時に夢を見たのでした。

それは、

「私が何か催し物をやっている時に、その会場に安保徹さんが訪れる」

というものでした。

安保徹 新潟大学名誉教授

安保徹さんというのは、免疫学の権威ではありますが、そちら方面より、いわゆる健康に関する本を何冊も出されていて、私も何冊か持っていますが、それに関しては後で記述します。

私は今は、基本的には、薬を飲んだり病院に行かない生活をしているのですが、それは2年くらい前に安保さんの文章を読んだことによります。そうなってしまえば、病院は本当に行かなくなりますし、私は胃が弱いので、たまに漢方の胃薬を飲むことがありますが、それ以外は薬も飲まなくなりました。

(ちなみに、私は、自分自身が病院に行かない生活をしているというだけで、それを人に勧める気はないです。主張の問題ではなく、個人のライフワークの問題だと思っています。ただ、遅かれ早かれ日本の健康医療保険制度が崩壊することは避けられそうもないことは事実だと思いますが)

 

さて、今朝の夢の話に戻りますと、夢の中の私が何の催し物をやっていたのか定かではないのですが、その内容はともかくとしても、夢に安保徹さんが出てくるなどというのは、初めてのことです(まあ、普通出てこないですわな)。

夢の中で、安保さんは他に2名の連れの方と共にいらっしゃっていて、「ちょっと近くまで来たものだから」と、私のその何かの催しの会場に訪れ、お互い、とてもにこやかに談笑して過ごしました。

しかし、夢の中でさえ私は、

「あれ? オレ、安保さんと面識あったっけ?」

と、やや疑問に思いつつも、しかし、やはり夢であっても、安保さんと話が出来るのは嬉しく、そして目を覚ましました。

 

起きると、ベッドの前に本が雑然と積まれている場所があるのですが、その一番上が安保徹さんの本でした。安保さんの本は最近あまり読んでいなかったのですが、何か他の本などを探している時に偶然一番上になったのかもしれません。

ついでにそれを適当に広げて、横になりながら、「ふむふむ」と何カ所か読んでいました。

そして、ふと、その本に出てくる中で調べたくなったことが出てきて、パソコンへ向かって、検索していると、安保徹さんの公式サイトに下のようなことが記されていたのでした。

toru-abo.com

 

「閉鎖? なんで?」

と、他を少し見ますと、今はもう削除されていますが、安保徹さんが会長だった日本自律神経病研究会のページに下のように記されていたことを知りました。

2016年12月6日の安保徹オフィシャルブログより

訃報をお知らせします。

突然のことですが、本日12月6日、安保徹先生がご逝去されました。
お通夜、葬儀・告別式につきましては、詳細がわかり次第ご連絡させていただきます。
あまりに突然のことで、日本自律神経病研究会一同、正直驚きがかくせません。
故人のご冥福を心からお祈り申し上げます。
安保先生のこれまでのご偉業にあらためて感謝申し上げます。

日本自律神経病研究会事務局

 

「ありゃ、これは・・・」と思いました。

安保徹さんは、昨年 12月に急死されていたようなのです。

正確な死因などに関しては、何しろ訃報の報道がないので、わかりません。

ないのです。

全然報道がないのです。

私は一般ニュースもざらっとは見る人ですが、安保徹さんの訃報に関しての報道を見たことがありませんでした。だから今まで知らなかったのでもありますが。

実際、現在、ニュース検索をしてみても、安保徹さんの死去に関するニュースは、

「ゼロ」

なんです。

あまり報道されなかったというのではなく、「完全に報道されなかった」らしいのです。

安保徹さんは特別な著名人ではないのかもしれないですが、Wikipedia を見れば、100冊に近いかもしれないほどの著作や共著がある方なわけで、「医学者」という肩書きに問題があるのならば、「作家」という肩書きであっても、訃報として報じられるのが普通だと思うのですが、「ゼロ」はすごいと思います。

何だかものすごいものの存在を感じないでもないですが、まあ、この「訃報についての謎」は、現実でもあり仕方ないことですが、いずれにしても、今朝、夢に安保さんが出てこなければ、安保さんについて検索することもなかっただろうし、その死をずっと知らないままだと思いますと、

「ああ、夢に出てくれてよかった」

とも思いました。

安保徹さんのことを記事に書いたものとしては、最初は、

基本的に「すべての薬」は人間に良くないという理由の理論的なメカニズムがわかったのです (2015/04/02)

という記事で、当時、ひどいめまいに悩んでいた頃、道を歩いている時に、近所の書店の外の棚に並んでいた安保徹さん監修のムックに、なぜか目が行き、そして、なぜか惹かれて、そのまま買ってしまったのでありました。

その「西洋医学と薬での治療」に疑問を呈する内容に私はショックを受けました。それまでの私は、いわゆる西洋医学の概念以外のことはほとんど知らない人でしたし、何より幼い頃から病弱だったために、「薬漬け状態」の時期が多かった人でした。薬の副作用で免疫機能が破壊された時も経験しています。

そのあたりは、

人間にとって最も日常的で慈悲深い治療者は「風邪ウイルス」かもしれないこと。そして、薬漬け幼児だった私がその後の十数年経験した「免疫回復戦争」の地獄体験記 (2015/04/21)

という記事に書いたことがありますが、安保徹さんの一連の考え方を聞いて、まあとにかく大きな衝撃を受けたのでした。

 

 

私の生活に起きた「革命」

安保徹さんの学術的主張は実はかなり難解なもので、人間のエネルギーの生成メカニズムには、

・ミトコンドリア系
・解糖系

のふたつがあり、そのバランスが肉体の健康と関係しているというもので、正直、難しくてよくわからないものです。

しかし、その根本を理解するかしないかではなく、私が安保徹さんの本を読んだ後に、自分の生活の中で、劇的に、あるいは革命的に変化したことがあり、それについて本当に感謝しているのです。

それは、

・毎朝お風呂に入る(シャワーではなく)
・毎朝歩く

このふたつです。

馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれないですが、そう思われるのは別に構いません。

とにかく、このふたつが2年ほど前からの私の生活の中で変わったことでした。

そして、そこに「薬をなるべく飲まない」ことと「病院になるべく行かない」ということが加わりますが、これはあくまで上の2つの添え物的なものです。というのも、薬とか病院というものは代替えの効くものですので、ある意味どうでもいいものですが、お風呂と歩くことは、他に代替えが効かないと自分では思っているからです。

ちなみに、「低体温は良くない」ということを知ったのも、安保徹さんの本でのことでしたが、私も当時は体温が 36.0℃に届かないことがあるような低体温でしたが、「体温が低いことが悪い」などということを教えてくれる場はそれまでなかったのです。

今は体温が何℃かよくわからないですが・・・というのも、ここ1年くらいは、血圧とか体重とか体温とか、そういう「計測」をしない生活をしていて、体温も血圧も体重もよくわからないのです。ただ、以前、何かの時に体温を測る機会があって、やや低体温を脱しているのだなと思ったことはあります。

めまいが消滅するまでは1年以上かかりましたが、その前は、歩くのもままならない日もあったのですが、ほぼ完全に消えました。今日のように、たまにめまいが起きることがあっても、以前とは比較にならないものです。

とはいっても、私は幼少時に薬漬け幼児でしたし、青年期はベンゾジアゼピン系の抗不安剤を長く飲んでいたこともあり(参考過去記事)、「体も脳も人より基本的なダメージをたくさん受けている」とは思っています。

もちろん、今も体は強くないですので、「ものすごく健康」になんぞなることは無理でして、私は健康も長生きも目指していない部分はありますが、「朝、お風呂が気持ちよくて、めまいもせず元気に歩けて、夜、元気にお酒が飲める日が少しでも続けば嬉しい」というだけの部分はあり、それでいいのです。

あと、ベンゾジアゼピン系の薬に限らないですが、薬は脳の「松果体」を破壊(石灰化)する可能性が医学誌で指摘されていたこともあり、「松果体を破壊されると、認知症に結びつきやすい」ということが示されていて、それを避けたいということもあります。

(参考記事)私たちを含む多くの人類の松果体はフッ素による石灰化により、すでに「永遠の機能停止」に陥っているかもしれない (2015/02/03)

松果体 - 石灰化英語版 Wikipedia

松果体の石灰化は(特に高齢者で)多くの場合、頭蓋のX線で見られる。この松果体の石灰化は成人では典型的なものだが、2歳児などの年齢の低い児童たちで観察されることがある。

石灰化の比率は、国により大きく異なるが、加齢と共に増加していく。アメリカでは、過去 17年間で約 40%の人々に石灰化が発生したと推測される。(略)

最近のいくつかの研究では、アルツハイマー病や他の認知症において、松果体の石灰化の程度が非常に高いことを示した。松果体の石灰化はまた、アルツハイマー病の病因に寄与し得る、結晶化阻害剤の非存在とも関連していることを示す。

松果体中のカルシウム、リン、フッ化物の堆積物は、脳の年齢と比して、より多くの堆積物を集めることを示し、加齢と相関している。

 

「風呂に入って歩いていれば、認知症が避けられるのか」というと、そんなわけはないでしょう(笑)。でも、「低体温解消」と「流れ(血と気)」の観点から、完全に無意味ともいえないとも思います。あと、「歩く」ことに関しては、最近の NHK スペシャル「認知症革命」で、とても興味深いことにもふれていたのですが、ちょっと横道に逸れすぎますので、それはまた別の機会にと思います。

 

何より、安保徹さんの考えを知って、はじめて触れたのは、「あらゆる病気の根源は基本的に同じ」ということです。これは、現代の西洋医学では完全に否定される部分ですので、私自身が人に対して強く主張する気はないです。

 

まあ、とにかく、そういうように、生活の大変化をもたらしていただいたということだけでも、私は安保徹さんに大変に感謝しています。

安保さんがどうして亡くなったのか、どのように亡くなったのかはわからないですし、わかることもないでしょうが、とりあえず、ここでは感謝の気持ちをあらわすだけとしておきたいです。

ちなみに、享年は 69歳だそうです。いい年だと思います。

私の好きな人は、大体 65歳頃に亡くなっていて、シュタイナーは、人間の人生を語る時に、よく「 65歳」という年齢を持ち出していましたが、精神科学では、そのくらいが人間の正当な寿命と関連するあたりであるのかもしれません。まあ、当時は今より寿命が短かったということもあるのでしょうけれど、ちなみに、シュタイナー自身が亡くなったのは 64歳でした。日本最初の整体師で、私の心の師匠ともいえる野口晴哉さんは享年 65歳。

私がそこまで生きられるかは微妙ですが、ひとつの目標ではあります。

 

話がまた逸れましたが、夢で死者から知らされることからは、いつも多くのことを学びます。

死者が夢に出るのは多くの人が経験することだと思いますが、誰かが亡くなった時にその死者が夢に出るのは、偶然だとしても、そのこと自体は「無意味ではない」とは思っています。

そういえば、夢の中では、安保さんはどなたか他のふたりと一緒でしたけれど、あの方々も死者だったのかな、と考えますが、どなたか思い出せません。

 

ところで、

「死者を追悼した時に、その死者は喜んでくれているのか」

ということに関しては、誰しも考えるところだと思いますが、おそらく、「喜んでいる」のだと思います。

ルドルフ・シュタイナーは、『天地の未来: 地震・火山・戦争』の中に収められている言葉の中で、以下のように語っています。

今回は、その抜粋で締めたいと思います。

安保さん、どうもありがとう。

 


シュタイナーの1922年の講演「死者への思い」より抜粋

大切な友だちが長いあいだ遠いところにいて、皆さんがその友だちのことを愛情を込めて思いながらも会えないでいるとき、その友人が写真を送ってくると、皆さんはその写真を大事にするでしょう。その写真は皆さんの心を暖かくします。その写真は皆さんに必要なものです。

皆さんにとってその写真が貴重であるように、人間の目覚めた昼の意識のなかに生きる死者への思いは、死者にとって貴重なものです。

死者は地上を眺めるときに、「ありえないもの」でありながらも「なくてはならないもの」に精神プロセスが貫かれるのを感じます。そうでないと、死者は持続する精神プロセスを感じるだけです。持続する精神プロセスが地上にいる心魂から発するものに貫かれるのを死者が感じると、それは愛する人々の写真のようなものになります。

ですから,「死者慰霊日や万霊節に墓地に行って、貴重な死者たちのイメージに満たされた多数の人々を見、そして、思い出されている心魂たちを見上げると、そのイメージは死者たちにとって芸術作品、大聖堂である」ということができます。

地上から輝いてくるものが死者を照らします。その死者たちにとって、世界は素晴らしい大聖堂のようなものです。その大聖堂は私たちにさまざまな秘密を語り、世界に光を注ぎます。


 

ここまでです。

シュタイナーの主張では、「私たち生きる者の死者への思い」は、死者たちにとって「輝く光」になるようです。

なので、追悼は死者にとっても嬉しいことなのだと、自分を納得させることにしています。
 

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  • この記事を書いた人

Oka In Deep

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