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前回記事[瞑想]についての補足 : 訳語の訂正と「慈悲の瞑想の言葉」について。そして、Google社で行われる慈悲のプラクティスの言葉を付記しました

      2015/11/22

buddah-meditation

前回の記事、

世界を変えるかもしれない「瞑想という革命的存在」 : 英国の大学が「たった7分間の慈悲の瞑想が人種的偏見を人々から著しく減少させる」ことを発見
 2015/11/20

なんですが、最初に投稿した時には、Loving-kindness meditation という元記事の英語を「慈愛の瞑想」と訳していたのですが、どうも、その「慈愛の瞑想」という言葉では、何も検索されないことが疑問で、調べますと、これは、私の訳の間違いで、

「慈悲の瞑想」

というものだったようです。

前回記事の内容も、全体的に書き直してありますが、わりと大事なことだとも思いまして、こちらで、改めて訂正をさせていただきます。

慈悲の瞑想というのは、Wikipedia では、下のような表現になります。

慈悲の瞑想 – Wikipedia

慈悲の瞑想とは上座部仏教における瞑想の一種である。

上座部仏教における、サマタ瞑想に入る際の40種類ある瞑想対象(四十業処)の中に、慈・悲・喜・捨の四無量心あるいは四梵住と呼ばれるものがあるが、それを簡便化したのが現代において広く行なわれている慈悲の瞑想である。

仏教の精神をもっともよく表現した瞑想法としてきわめて重視されている。

というものです。

ここにある「上座部仏教」というのは、仏教というのは2つに大別できるのだそうで、

・上座部仏教 → スリランカやタイ、ミャンマー等の地域に伝わった南伝の仏教

・大乗仏教 → 中国やチベット、日本等の地域に伝わった北伝の仏教

というもので、つまり、この「慈悲の瞑想」というのは、基本的には、日本などでの仏教での瞑想などとは違うものなのかもしれません。

私はそのあたり詳しくないですが、私が今までこのような瞑想法を知らなかったのも、日本などの仏教で喧伝されるものではなかったからかもしれません。

この慈悲の瞑想には、「言葉」がありまして、それを記しておきたいと思います。

「慈悲の瞑想」

私は幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとが叶えられますように
私に悟りの光が現れますように
私は幸せでありますように(3回)

※こころの中で「私は幸せでありますように」と繰り返し念じる。

私の親しい人々が幸せでありますように
私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の親しい人々の願いごとが叶えられますように
私の親しい人々にも悟りの光が現れますように
私の親しい人々が幸せでありますように(3回)

※こころの中で「私の親しい人々が幸せでありますように」と繰り返し念じる。

生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように
生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)

※こころの中で「生きとし生けるものが幸せでありますように」と繰り返し念じる。

私の嫌いな人々も幸せでありますように
私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々の願い事が叶えられますように
私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように
私を嫌っている人々も幸せでありますように
私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように
私を嫌っている人々の願い事が叶えられますように
私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように
生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)

ちなみに、この慈悲の瞑想というのは、グーグル社員5万人の「10人に1人」が実践する最先端の瞑想プラクティスというページによりますと、Google 社は、社内に 31カ所の瞑想スペースがあるのだそうですが、そこで行われる瞑想を主体として、いくつかのプラクティスの中の、「慈悲のプラクティス」というのが、この慈悲の瞑想と同じ主旨のものなのだそう。

先ほどのページによりますと、Google 社では、以下のようなプラクティスをおこなうそうです。

Google 社の瞑想のひとつ「慈悲のプラクティス」

1. 自分が今日出会った人のなかで、楽しい会話をした人を思い浮かべる。誰にも会っていないのなら、過去にさかのぼって思い浮かべる。

2. その人を思い描きつつ、次の言葉を言う。

「この人は、心と体を持っています。わたしと同じです。気持ちや感情、考えもあります。わたしと同じです」

「悲しんだり、がっかりしたり、怒ったり、混乱したりすることがあります。わたしと同じです」

「人生で肉体的、心理的な苦しみを経験しています。わたしと同じです」

「人生で喜び、幸せ、愛を経験しています。わたしと同じです」

「この人は、幸せになりたいと思っています。わたしと同じです。この人が幸せでありますように」

3. 目を開ける。

というもののようです。

慈悲の瞑想と、ほぼ同じですが、慈悲の瞑想の言葉のほうには、

「嫌いな人の幸せを願う」

「自分を嫌っている人の幸せを願う」

さらには、

「生きとし生けるものが幸せでありますように」

と、すべての生命の幸せを願うという部分が入っていて、そこが違うように感じます。

いずれにしても、これを知りましたのは、私自身にとても大きな収穫で、つまり、今まで、「瞑想の時に何を考えればいいのかわからなかった」のですよ。

ジェイコブ・バーネット師の話を聞いて以来、本などからはあまり学ばなくなって、すっかり学習をしていない最近ですが、今回はいいことを知ったと思います。

この「慈悲の瞑想」は、前回の記事の内容のことなども考えてみますと、今の時代だからこそ、多くの方にお勧めしたいと思います。

時間もそれほどとられないですし。

あるいは、健康法の一環としてされるのもいいかと思います。つまり、この慈悲の感情を体感できている時には、ストレスがとても少ない状態となるはずですので、あらゆる病気や不調の予防にも効果があるのではないでしょうか。

そういう「瞑想と健康」というのを、どこかの科学者の皆様方に調査してもらえると嬉しいですね。



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