5月14日に米バージニア州で撮影された虹と落雷と何かの様々な光
・Insragram
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書かせていただいたこともあるかと思いますが、わたくし、春の桜の季節頃から梅雨の始まりくらいまで、唐突に絶不調になることが多いのです。
それは身体もメンタルも含めてもので、まさに「心技体(……が全部ダメ)」ということになりやすいのです。
今日など、その「心技体全部ダメ」がワーッと来てですね、ちょっとまともに記事を書けるお肌ではないですので、あ、お肌じゃないや、感情ではないですので、通常の更新はお休みさせていただこうと思います。
下は今日インスタグラムで見た印象的な写真ですが、普通だとこういうのを見ますと、「わー、なんか光がすっごーい」とギャル的な感嘆を見せたりするのですが、今日あたりは何にも心は動きません。
心技体が死ぬと感動も死ぬのですかね。
ちなみに、季節とメンタルの動きというのは、関係していそうではありながらも、「関係しているとすることについての納得する学説」を見たことがないですので、多分に個人的な「思い込み」や「感情の刷り込み」などによる部分が大きいと思うのですが、過去 30年以上、一貫して春はネガティブです。
ふと思いまして、「昨年の今頃にもきっとネガティブな記事を書いていたに違いない」と、少し見てみましたら、やはり唐突に「とてもネガティブな記事」が出てきました。
下の記事です。
悪は複数の多世界をも支配し、善の神は無力かもしれない…と量子論から導き出される結末は、「常にこの世は最悪の世界を目指す」ということ?
これはどういう記事だったかといいますと・・・たとえば、普通に生きていると、なんかこう、
「この世というのは、悪のほうが勝っている世界だという気がする」
というように思ったことはないですか?
そして、それは量子力学では「この世はそういうもの」らしいのです。たとえば、この世には同時にたくさんの世界や宇宙が平行に存在するという、パラレルワールドだとかパラレルユニバースというような概念がありますね。
そのような理論を持つ量子論では、
パラレルワールドの解釈では、世の中は《必ず悪いほうに向かう》示唆がある。
のだそうです。
もちろん、「示唆」の部分は、私たち人間がそう思う部分で、量子論にそんなことが記述されているわけではないです。
この記事は、ロシアのニュースメディアのコラムを翻訳したものをご紹介したものなのですが、一部を抜粋しますと、下のように書かれてあります。
全部については、上の過去記事のリンクからお読み下されば幸いです。
「複数の世界を支配するのは悪か? そして善良の神は無力なのか」より
Во множественных вселенных правит Зло и Бог бессилен
多くの思想家たちは、この世は神の創造であるために、苦痛と悲嘆が多すぎると主張する。
しかし、多くの一般の人々は、神がどうしてこのような(苦痛に満ちた)世界を創造したのかという理由を理解しようとする。例えば、人生では、困難、危険、過ちを理解しなければ、許しや勇気、そして、成果や結果という概念は存在しないということを考える。
あるいは、たとえば、偉大な人物の業績には、たいていの場合、途中に困難や挫折や障害があるという事実もあり、そこからも「困難、危険、過ちは必要なものだ」と人は考えようとする。
しかしそれにしても、この世で実際に起こるあまりにもひどい数々の出来事は、そのような概念(人生には困難はつきものだというようなこと)を通り越して、一体この世界に必要なものなのかと考えたくなることはないだろうか。
それくらいひどいことが、世の中であまりにも起き過ぎてはいないだろうか。
そして、パラレルワールド理論の量子物理学者ヒュー・エヴェレット3世らの理論は、多くの宇宙の存在を提示し、そしてそれは「多くの宇宙は、この種の不幸から成り立っていることを示す」ことを提示するのだ。
(略)
同じ宇宙の正確なコピーがある。しかし、そのコピーのそれぞれの中には、結果だけではなく、あらゆる物理的な「状態」が適用されるということだ。
コインを落とした時にその結果があるだけではなく、落とす時、テーブルに当たった時、それぞれの状態はすべて別々の宇宙で別々のものとして存在するということになる。
列車に乗り時間通りに目的地に到着するように進行する古典物理の宇宙は存在するが、一方で(パラレルワールド理論では)それより遅れて進行する宇宙がある。それらは単一の元の状態から分岐して、宇宙は複数に交差している。
そして、量子論の持つ、この古典的な多様性は、「将来すべてが本当に悪くなる」という小さな可能性を示唆してもいるのだ。
それはまた、私たちの「過去」でさえも悪化していく可能性があることを示唆している。
一連の世界の理論は、これらの確率がすべて実現されたことを意味するので、それはすべてが想像できるほどひどくなった分枝的な宇宙の存在を予測する。
例えば、人類を苦しめるような大災害の可能性が恣意的に低い場合、量子論から見れば、いつでも、さらに嘆かわしい状態が次々と現実になる確率論的な「木の枝」が現れる。
このことから、世界の存在について、人類の姿が信じられないほどの悲劇につながっていくというほうに続くように思うのだ。
このようなことが書かれてあります。
わかりやすくはないですが、つまりは、「悪いほうに向かう」というよりも、多次元の宇宙論では「存在し得るすべてが展開する」という感じでしょうか。
つまり、たとえば、ものすごくひどい大災害や、とんでもない悲劇ばかりが現実に起きているとします。
しかし、パラレルワールド的な「無限の確率論」では、
「さらにもっとひどい状態が存在する」
ということです。
もちろん、逆に当然、「災害や悲劇がまったくない状態」や、「ものすごくいい状態」が存在するはずなのに、どうしてそちらに行くとはいえないのか。これは量子論とは関係のないことですが、たとえば、現実の世界で、
・災害も悲劇も何にもない状態
と
・異常にひどい災害や悲劇ばかりの状態
があるとしたら、私たち人間は「どちらに引き寄せられるか」ということです。
私はいっさい見ませんが、たとえば、テレビのワイドショーみたいなものがあるとして、そこで日々どんなことが放送されているかを想像してみますと、「災害も悲劇も何にもない状態」のほう「ではない」ものだと思われます。
「事実」だと称して、悪いほうへの量子論的な枝葉と確率を広げていっているのが今の世の中です。
しかも、どうやら持ちつ持たれつで、メディアが「異常にひどい災害や悲劇」を取りあげ、そして、人々もそちらを「待ち受けて」いる。
ニュースもです。
テレビのニュースを回して、「今日は災害も悲劇も何もありませんでした」というようなニュース番組はないでしょうし、仮にあったら、誰もニュースなど見ません。
・・・結局、この世は総力をあげて、それ(異常にひどい災害や悲劇)を引き寄せているということになっているのかもしれません。
量子論というような難しい概念を使わなくとも、「その世界の状態は、私たちによって作られている」ことは事実ですので、今後、「この世がどちらに引き寄せられていくか」ということは十分に予想できますし、数年前に個人的に予想していたことに関しては、現実にそちらに引き寄せられています。
まあ……難しい話です。
メンタル的な不調なときにはこういうことが頭から離れず、落ち込みます。
「人間が生きているという価値の真実」を考えたり、あるいは「この世が存続している意味」というものが本当にあるのだろうかとさえ思ったりする。
まあしかし、そんなことは考えないほうがいいのだとも思います。
なぜなら、確かに量子論から見れば、まだまだ悪くなるだろうからです。
多次元世界での「可能性の振幅」からすれば、あらゆる悲劇に関する存在がこれから露見してきても不思議ではなく、そして、いつしか「この世」の私たちは、そちら側の、つまり「とんでもない悪」が支配する宇宙だけに集中して存在する可能性もあるのかもしれません。
本当は「善」と「悪」の振り幅のどちらでも選択できたはずなのに。
なんか暗い話になってしまいました。
まあしかし、メンタル的に不調な人間が書いている戯れ言で、あまり意味のあることではないとお考えいただけば幸いです。
さて、明日には立ち直ろう。