医療機関や保険企業から「寿命を宣言される時代」が来る可能性も
米マサチューセッツ工科大学のテクノロジー・レビューより
今回は、アメリカのマサチューセッツ工科大学の科学レビューに掲載されていた、冒頭の「あなたは自分がいつ死ぬか知りたいですか?」というタイトルの記事をご紹介したいと思います。
これは、アメリカのカリフォルニア大学の生物統計学者が、すでに死亡している人たちの血液サンプル 1万3000人分の遺伝子などの研究の結果、
「その人の寿命が特定できる」
という結果に至ったということについての記事です。
まだ完全に正確なものではないようですが、研究の中でのデータでは、それはまったく可能なことだということが示されています。
こういうようなことは、確かに科学的な進歩のひとつではあるのかもしれないですけれど、現在この科学研究に最も興味を持っているのが「生命保険企業」だというあたりが何とも暗黒の現代の様相をよく現していますが、今回はご紹介する翻訳記事がかなり長いために、あまり無駄なことは書かずに本題に入らせていただこうと思います。
ただ、このことの基本にあるのは、
「エピジェネティクス」
という概念で、これをある程度理解しないと、わかりにくい話となってしまうのですが、これがまたどうにも難しいもので、Wikipedia 的には、
DNA 塩基配列の変化を伴わない、細胞分裂後も継承される遺伝子発現あるいは細胞表現型の変化を研究する学問領域。
とあるのですが、これではよくわからないですよね。
ただ、つまりは「 DNA そのものの変化のことではなく、遺伝子に変化が起きる」ことで、たとえば、三毛猫の模様だとか、アサガオの花の模様だとかは、一匹一匹ひとつひとつが全部違いますが、あの違いには「 DNA は関与していない」のです。そういう意味では、生物の存在の非常に深い部分をなしているものでもあります。
たとえば、竹内久美子さんの著作を紹介しているページでは、以下のように説明くださっていまして、何となくわかるようなわからないような…。
「「エピジェネティクス」とは何か 食事や環境が遺伝子を変える!?」より
最近、「エピジェネティクス」という言葉に触れる機会が多いのではないだろうか。エピジェネティクスとは、たとえばこんなふうに定義してもいいだろう。
DNA の特定の場所にメチル基(CH3)がくっついたり、はずれたりする。
さらには、DNAが巻き付くタンパク質であるヒストンの特定の場所にメチル基、アセチル基(CH3-CO)などがくっついたり、はずれたりする。そのような化学的な修飾の程度によって遺伝子の発現が調節される現象。
ただし、本書によれば遺伝子のエピジェネティックな変化は意外と簡単に起きてしまう。食べ物、飲み物、薬、運動、X線、ストレス……。
誰もが日々直面する、些細な出来事や要素が遺伝子にエピジェネティックな変化をもたらす可能性があるという。
上に、
> DNAが巻き付くタンパク質であるヒストン
という言葉がありますが、細胞内の DNA というものは、ヒストンとよばれるタンパク質に巻きついてできているのですね。
下の図のような感じです。
たとえばですけれど、「まったく同じ DNA のふたり(一卵性の双子など)」も、このあたりの状況によって、細胞の状態も遺伝子も変わっていくと。
そして、最近の医学では、このエピジェネティクスが、ガンの発現などとも関係していることが明らかになりつつあったりします。
しかし、そのエピジェネティクス的な変化をもたらす要因はわからないことばかりでもあります。
まあ、概念自体は難しいものなんですが、今回の「個人の寿命を予測する」という知見は、このエピジェネティクスの概念から見出されたものです。
こういうタイプの医学的技術には、賛否はあるとは思いますが、しかし、賛否がどうであれ、おそらく数年内には、医療現場や生命保険などでは「実用化される」ことが確実だと考えられているようです。
つまり、「自分の寿命の情報」さえも、周囲に拡散していく時代となるのかもしれないのです。
ここから記事です。
Want to know when you’re going to die?
MIT Technology Review 2018/10/19
あなたは自分がいつ死ぬか知りたいですか?
私たちの寿命は私たちの DNA に書かれており、現在、そのコードを読み取る研究が進んでいる
「自分はいつ死ぬのだろうか?」
これは私たち全員が直面する究極の疑問であるといえる。もし、それを私たち自身が知っていたとすれば、私たちは今と異なった生活をするだろうか。
この「私たちはいつまで生きるか」という問題について、科学者たちはこれまで、それを正確に予測することはできなかった。
ところが今、それが変化している。
現在のところ、死亡する正確な日付や死亡時刻を予測するのに十分なほどのものとはなっていないが、病院や緩和ケアチームなどと同様に、生命保険会社は、すでにこのテクノロジーを有用だと判断している。
保険業界にサービスを提供しているライフ・エピジェネティクス(Life Epigenetics)のチーフ科学研究員であるブライアン・チェン(Brian Chen)氏は、「私は私自身がいつ死ぬかを正確に知りたいと望んでいます」と語る。
「そして、それは私の人生へのアプローチに影響するでしょう」
この「 寿命を知る」研究には、実用化までにまだ学習・研究する部分が多い上に、仮にそのデータを第三者が使用するような場合は、企業はデータの最適な用途をおこなわなければならない。
また、この問題について、倫理学者たちは、人々が自分の寿命の秘密を知ることにどのように対処するかについて懸念している。
しかし懸念はあっても、すでに「死期の予言」の研究は進められており、遅かれ早かれ、それは実用化される。
発見された「時計」
ドイツのフランクフルトで育ったカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の生物統計学者スティーブ・ホーバス(Steve Horvath)氏には、同性の双子の兄弟がいる。
その双子の兄弟は同性愛者だが、ホーバス氏自身は「完全なストレート」(同性愛的傾向はまったくないということ)だという。
数年前、同僚の科学者がホーバス氏に、双子で反対の性的指向を持つ双子の唾液から生物学的データを分析する研究への手助けを依頼したとき、ホーバス氏はその研究に個人的な興味を持った。
同僚は、特定の遺伝子がオンになっているかオフになっているかを示す化学変化を検出しようとしていた。
その仮説は、DNA 配列の活性ではなく DNA の活性を変化させる、いわゆるエピジェネティック的な変化が同じ遺伝子を持つ 2人が異なる性的指向を持ったことを説明するものではないかと仮説を立てていた。
研究で、ホーバス氏は、双子の唾液のエピジェネティクスからは変化のシグナルを見出すことはなかった。しかし、その代わりに、注意を引いたものは、双子同士のエピジェネティックな変化と老化の強力な関係であった。
「そのシグナルの関係の強さに私は心底驚きました」とホーバス氏は言う。
「そして、私は『これは未来だ』と声に出したのです」
ホーバス氏は、4つの DNA 塩基のうちの 1つ、または遺伝子コード作成遺伝子の「文字」が、活性化しているシトシン(核酸を構成する塩基の一つで,DNA と RNA のどちらにも存在するもの)への特定の化学変化としてどのように変化するかに特に興味をそそられた。
ホーバス氏のチームは、数十年前に収集された 13,000人分の血液サンプルでそこに示されているエピジェネティックな「時計」をテストした。
これらの血液の持ち主は、すでに死亡が判明している人たちのものだ。
研究の結果、この遺伝子に刻まれている「時計」が生きている人間の死亡率を予測するために使用できることが明らかになったのだ。
最も一般的な疾患であるガン、心疾患、アルツハイマー病などは、老化による疾患であり、ホーバス氏の見出した遺伝子の時計の針は、誰がどのくらい長く生きられるのかを予測できるものだとわかった。
あるいは、その人の人生でどれくらいの期間がこれらのような病気と無縁でいられるのかもわかるのだ。
ホーバス氏は以下のように言う。
「 5年間の研究の後、今では、エピジェネティクスが寿命を予測することに異議を唱える人は誰もいません」
「しかし、現時点では、大きな誤差があるため、臨床的に有用であるという証拠はありません」とも彼は言う。
そして、このエピジェネティクス的な時計に記されている効果を変化させる薬はないという。
もちろん、寿命の予測は決して完全に正確なものではないかもしれないが、しかし現時点では、先程の「私はいつまで生きるのだろう」という質問に、何よりも正確に答えることができるものがホーバス氏の「時計」となることは間違いないだろう。
時計の針はゆっくりと進む
私たちは、老化するにつれて、私たちの DNA の数十万カ所にあるシトシンは、メチル化学基(CH3)を得るか失うかのどちらかとなる。
ホーバス氏の洞察は、これらのメチル化の増加と減少を測定し、最も重要な 300〜 500の変化を見つけ出し、それを使用して時計を作ることだった。
彼の発見は、時計の速度は、根底にある遺伝子の影響を強く受けることを示唆している。時計の針の進む率は約 40%が遺伝的遺伝によって決定され、残りはライフスタイルと運が決定すると推定している。
かつて、ホーバス氏の研究室におり、現在はイェール大学で自分の研究室を運営しているモーガン・レバイン(Morgan Levine)氏は、個人の後成的プロファイルと健康な臍帯の内層からの細胞プロファイルを比較する研究を始めた。
標準から逸脱するほど、その人たちは体が悪化する可能性が高くなることがわかっている。
レバイン氏は、最終的に小児期の子どもたちにも、その子どもたちが将来どのような疾患が重大なリスクとなるのかを予測することができるようになると考えている。
これは様々なエピジェネティックな年齢測定値を比較することにより、予測可能だという。
レバイン氏は以下のように言う。
「私たちの遺伝子は、私たちの運命すべてではありませんが、エピジェネティクスのようなものを含めて、それらが何であるのかを知ることができれば、老化を遅らせることができることは間違いないと思われます」
死の予測のビジネス
アメリカのいくつかの生命保険のリスク調査をする企業では、個人個人のリスクをパーソナライズするために、エピジェネティック時計を使用している。
それらの企業は、現在のところは、主に人口統計(性別や年齢)と、喫煙の有無などのいくつかの健康指標に基づいているが、今後、「時計」が、別の有用なデータとして追加されるだろう。
このような個人においてのリスク予想は、社会の公平性についての疑問を提起するものでもある。
あなたのエピジェネティックな時計が自分の生活習慣などの過ちからより速く進んでいたとした場合(普通より老化が進んでいることがわかった場合という意味)、それを理由として、より高い生命保険料金を請求されるとしたら、どう思われるだろうか?
2008年にアメリカで制定された「遺伝情報差別禁止法(GINA)」は、遺伝子に基づく差別から人々を保護する。しかし、この法律に、エピジェネティックスは含まれていない。
プライバシーの問題もある。人の寿命の予測や、真の生物学的年齢は、多くの人が個人的に強い思い入れを持つ情報だが、今のところ、アメリカではそれに対しての規制は考慮されていない。
しかし、科学が急速に進むにつれて、このデータをどのように使用して保護するかについての議論ははますます重要になる。
ホーバス氏の時計やその他のテクノロジーが、人の死を予測するために開発され、それが真に有用であるほど正確になることはあるのだろうか?
ニューヨークにあるマウントサイナイ医科大学の老人科学・緩和医学部の教授ダイアン・マイヤー(Diane Meier)氏は、以下のように述べる。
「これらの予測アルゴリズムのうち、人の死のタイミングに関しては、正確であるとは思いません 。人というのは、病気や虚弱の大きな負担の中でも、大変長い間生きていくものだからです」
病院の医療リスクを特定するために人工知能を使用するイスラエルの会社クルーメディカル社(Clew Medical)の CEO ガル・サロモン(Gal Salomon)氏は、最初のうちは、人の死の時期を予言することは、非倫理的だという考えに苛まれたという。
その後、サロモン氏は、医師がこのテクノロジーを 「どこで止める必要があるかを理解する」ことができると認識した。
クルーメディカル社で開発されたアルゴリズムは、医師や家族が積極的な治療から緩和ケアに切り替える決定を下すのを助けることができるとサロモン氏は言う。
現時点では病院でのみ使用されているこの死の予測システムは、その人の死が近づいていることについて家族に警告することもできる。
ケアの質を研究しているカリフォルニア大学のアトゥル・ビュート(Atul Butte)氏は、ケアのパターンから学ぶこの種の機械が、実際にはより良い治療法を提供しているかどうかについて、依然として迷っているという。
しかし、医療は現在その方向に向かっている、とビュート氏は付け加えた。そして、以下のように述べた。
「 5年から10年後、このデータを使って医療提供を改善していない保健システムは時代遅れのものなものとなるでしょう」