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「体罰が法律で完全に禁止されている国は、暴力自体が少ない社会になる」というカナダの大学の論文についての報道から私たち日本人は違和感を感じなければいけないと思う理由

投稿日:

英国テレグラフの報道より


mcgill.ca




 

今回は冒頭の英国テレグラフの記事をご紹介しようと思います。

これは、カナダのマギル大学の研究で、「体罰を完全に禁止している国は、禁止していない国より、若者による暴力事象が非常に少なかった」ということについての報道です。

この研究結果については、この数日、世界の多くの報道や医学・科学メディアで取りあげられていましたが、英国テレグラフの記事では自国であるイギリスの体罰についての現状と照らし合わせた記事となっていましたの。

論文が発表されたのは、このブログでもよく掲載論文をご紹介させていただくこともある医学界の最大権威雑誌のひとつであるブリティッシュ・メディカル・ジャーナル(BMJ / イギリス医師会雑誌)です。

 

ところで・・・。

 

記事本文を掲載する前にお断りしておきたいことは、このテレグラフの記事は、

「子どもへの体罰は、子どもにも社会にも悪い影響しかない示唆があるので、体罰は法律で禁止するのが望ましい」

という論調のものです。

悪い影響の示唆については、そりゃまあそうでしょう。

しかし、そんなことに感心して、この記事をご紹介しようと思ったわけではありません。

そんなことよりも、

「親などによる子どもへの身体的懲罰を《法律で》禁止しなければならないこの世」

ということについて思うところがあったからでもあります。

 

私は別に、「暴力は何が何でも反対」というような理想主義者ではないですし、私の少年時代などには、暴力は社会に満ち溢れていましたし、何より、この 2000年間は「暴力が最も力を持つ時代(ヴェーダでいう暗黒の時代の特徴)」であることも理解しています。

そんな中で生きてきて、「暴力という概念そのものが悪い」と主張することは、むしろ、あまりにも無責任であり(そのように言うことで、何かひとつでも暴力を減らすことができたのか? という意味で無責任)、そして今のこの瞬間にも、この世には暴力がどこかには常に存在します。

そういうわけで、暴力という全般については誰も肯定も否定もしようがない。

 

しかし、

「親からの暴力」

は違う。

 

それは絶対に何があっても存在してはいけないものだと私は思います。

というか、社会に出るまで「親から子への暴力がある」というようなこと自体を私は知らなかったのです。

周囲を含めて見たことも聞いたこともない。

どこまで遡っても、私の知っている世界には「子どもが親から暴力を受ける」というようなことは想像もつかないものなのです。

ところが、現実の報道や統計では、ずいぶんとそういうものがある。


児童虐待相談の対応件数

人間が幼い時に、おそらく唯一本気で自分を守ってくれる存在というのは、基本的には親が中心となると思いますが、そのような相手から暴力があったとしたら、それは、確かにその人の人間性は崩壊しやすくなりますよ。

他人同士がどれだけ暴力的でも、それは今の時代では仕方ない。

本当はそれもなくなればいいかもしれないけれども、少なくとも、この 2000年などの有史の中で、暴力が社会に完全にない状態を私たちは知らない。

アメリカ先住民とか、アイヌの人たちとか、そういう人たちの中にはそういう社会を築いていた人々もいたかもしれないけれど、そのような「暴力的でない民族」は、ほぼ滅ぼされてしまいました

なので、私たちは暴力のある世界しか知らない。

世の中では「戦争が悪い」というようによく言われますけれど、細かい数字はともかく、現代社会に関して言えば、戦争よりも日常の暴力でのほうが人は死んでいる。

日常の暴力(犯罪)と自動車事故とガンなどの病気による死者を合わせれば、戦争での死者はものすごく小さい比率となります。

 

いずれにしても、今のこの「信じられないほどの暴力的な時代」を増長させるもののひとつが、たとえば「親などからの暴力」だとするならば、それを抑制することには、社会的な意義はあるかと思います。しかし、「制度や法律でそれをやらなければならない」というところに絶望的な今の時代を思います。

なぜなら、「親は無償に子をただ愛する」という基本的な大型生物的な状態が失われているということで、退化に他ならないからです。

 

まあ……何だか無駄な私感をいろいろと書いてしまいましたが、そろそろ記事をご紹介させていだきます。

なお、記事の後で、3年くらい前に書きました In Deep の過去記事、

革命的行動の最上位は「子どもたちへの無条件の愛」を獲得した社会に戻すこと
 In Deep 2015年7月12日

から少し抜粋させていただきたいと思います。

それでは、ここからテレグラフの記事です。


Total smacking ban makes societies less violent, study suggests
Telegraph 2018/10/15

体罰の完全な禁止は、社会の暴力をより減らす状態を作り出すことが研究によって示される

英国では、子どもに傷さえ残らなければ、いまだに体罰は合法となっている。

2005年に英国で体罰を禁止する法律が制定されて以来、親たちの間では、それによって子どもたちが良くなったのか悪くなったのかの議論が続く。

しかし、カナダの大学による新しい調査では、体罰を完全に禁止することが本当に社会に利益をもたらしていることが示唆されている。

カナダのモントリオールにあるマギル大学の研究者たちは、世界 88カ国で、若者の暴力と身体的な力の使用(体罰のこと)の間に関連性があるかどうかを調べた。

その結果、家庭と学校での体罰を全面的に禁止する制度のある国々では、そのような法律のない国に比べて、18歳未満の若者による暴力が 69%も低いことが明らかとなった。

しかし、この新しい調査によると、たとえば現在の英国のように、学校での体罰など部分的に体罰が禁止されている国の場合は、女性では暴力行為は 56%減少したが、男性の暴力の率は変わらなかった。

この新しい研究を受けて、英国児童愛護会(NSPCC)は、英国は体罰に関しての法律を変更するように促すべきだとしている。英国では、現在「合理的な理由がある場合の体罰」は認められている。両親が体罰をして場合でも、傷が残ることがなければ、訴追されることはない。

今年 9月、スコットランドは全面的に体罰を禁止し、ウェールズは現在、合理的な理由のある場合の刑罰を認めるという法律を見直すための検討を行っている。

NSPCC の上級広報・政策担当官のアラーナ・リャン(Alana Ryan)氏は次のように述べている。

「体罰を全面的に禁止している国は、一般的に青少年による暴力のレベルが低く、大人の暴力からからだけでなく、子どもから子どもたちに対しての暴力を抑止することもできるのです」

「身体的な懲罰は社会から排除するべきであり、合理的な理由のある場合の体罰を認める法律は見直すべきです」

現在でも、世界の多くの国や地域で、体罰を与えることが子どもを訓練するために妥当な方法だと考えられている。

しかし、最近、さまざまな研究により、身体的な懲罰は、子どもの健康と福祉に対して有害であるという証拠が増えていると共に、体罰はその世代を超えて一連の暴力を永続させる可能性があることが示唆されている。(※ 訳者注) 子どもへの暴力は、次の世代、また次の世代と受け継がれていくという意味です。

今回の研究では、体罰の全面的な禁止が若者の暴力の割合に影響を与えるかどうかを調べるために、過去 12ヶ月間に若者が暴力行為に関与していたかどうかを尋ねた 88カ国の 十代の行動の調査からの情報を使用した。

調査した 88カ国のうち 30カ国が学校と家庭での体罰を完全に禁止していた。

38カ国は部分的禁止(学校のみ体罰が禁止)、他の 20カ国では体罰の禁止という制度はなかった。

全面的な禁止が実施された国では、暴力行為の率は、禁止されていない国より若い男性で 69%低く、若い女性で 42%低かった。

国家の裕福度、その国の殺人率、あるいは、その国の若者たちの暴力を抑制することを目的とした社会プログラムの有無など、他のさまざまな影響力を考慮しても、なお、体罰と若者たちの暴力に関してのこの関係性は残った。

研究者たちは、体罰の禁止が若者たちの攻撃的な行動を積極的に防止するためにこのような結果が出ているのか、それとも、青少年の暴力を妨げる文化を反映しているのかどうかは明らかではないと述べている。

しかし、今回の調査が十代の健康と安全に対する体罰の有害な影響を示す証拠のひとつであると言う。

マギル大学保健社会政策研究所のフランク・エグラー(Frank Eglar)博士は、以下のように述べる。

「これらの研究の結果は、体罰の使用を禁止する社会は、それを禁止しない社会よりも青少年たちの中に育つ暴力が少ないという仮説を支持しています」

「以前からのいくつかの研究で判明していることを踏まえ、体罰は法律で禁止されるぺきです」

この研究はBMJ (イギリス医師会雑誌) Open ジャーナルに掲載された。


 

ここまでです。

先程書きました過去記事「革命的行動の最上位は「子どもたちへの無条件の愛」を獲得した社会に戻すこと」には、作家の渡辺京二さんの著作『逝きし世の面影 』から、今から 120年くらい前の日本の「日本人の子どもへの態度」について、いくつか抜粋させていただいていますが、たとえば、1889年(明治22年)に来日し、慶応大学で客員講師として教えていたエドウィン・アーノルドという人は、当時の日本について以下のように書いています。

『逝きし世の面影』第十章「子どもの楽園」より

エドウィン・アーノルドは 1899年(明治 22年)に来日して、娘とともに麻布に家を借り、1年2ヶ月滞在したが、「街はほぼ完全に子どもたちのものだ」と感じた。

「東京には馬車の往来が実質的に存在しない。 従って、俥屋(くるまや)はどんな街角も安心して曲がることができるし、子どもたちは重大な事故をひき起こす心配などはこれっぽっちもなく、あらゆる街路の真っ只中ではしゃぎまわるのだ。

この日本の子どもたちは、優しく控え目な振る舞いといい、品のいい広い袖とひらひらする着物といい、見るものを魅了する。手足は美しいし、黒い眼はビーズのよう。そしてその眼で物怖じも羞かみもせずにあなたをじっと見つめるのだ」

「日本ほど子どもが、下層社会の子どもさえ、注意深く取り扱われている国は少なく、ここでは小さな、ませた、小髷をつけた子どもたちが結構家族全体の暴君になっている」。

モースは言う。

「私は日本が子どもの天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子どもが親切に取り扱われ、そして子どものために深い注意が払われる国はない。ニコニコしているところから判断すると、子どもたちは朝から晩まで幸福であるらしい」

この『逝きし世の面影』には、このような、当時の日本に来た外国人たちが記した資料が数多く掲載されているのですが、その要点はも上の抜粋の、

> 世界中で日本ほど、子どもが親切に取り扱われ、そして子どものために深い注意が払われる国はない。ニコニコしているところから判断すると、子どもたちは朝から晩まで幸福であるらしい。

に尽きると思います。

社会が「子どものために動いている」。

そして、その当事者である子どもたちは、

「朝から晩まで幸福だった」

と。

このような状態の国に「体罰を規制するための法律が必要となるでしょうか」ということを私は先程書きたかったのです。

リンクした過去記事に私は以下のように書いていました。

当時のその子どもたちは、スエンソンの言うように、「どの子もみんな健康そのもの、生命力、生きる喜びに輝いており」というのなら、その数年後、十数年後には、そのような「生きる喜びに輝いている」子どもたちが「社会の中心となっていく」のです。

「生きる喜びに輝いている子どもたち」が大人になり築き上げる社会が良くなるか悪くなるか・・・というと、「悪くなる道理がない」です。

こういう社会が良くなるのは、ある意味当然であって、江戸時代の大衆社会が素晴らしかったのは、そのためであることに疑う余地はありません。

このメカニズムから考えると、今の社会を変えるには「徹底して子どもたちのための社会にする」ということだけのようにも思います。

そうするためには、いかなる社会的制度も不要ですし、議論も設備も不要で、必要なのはただひたすら「大人ひとりひとりが子どもたちを愛する」という行動だけです。そして、これは形の上だとか、中途半端なものではダメで、子どもたちのためなら、あらゆることを犠牲にしても、徹底的に、無条件に、子どもたちへの愛だけを考える。

制度や議論はむしろ愛を後退させます。

このように、私は当時も、「制度で愛を作り出す」ということに嫌悪を感じていました。

社会に出るまでの私の中には「親から子への暴力」ということは概念も存在していなかったのに、それはわりと普通のことだと知ってしまって、この日本の何に希望を持てと?





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