4月24日からニューヨークで始まる合同演習についての記事のひとつ
米国の公式文書より「ゴッサム・シールド作戦」が行われる場所(★印の場所)
・Google Map
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ニューヨークを舞台にした大規模災害訓練を数日後に控えて
世相がどうあろうと、「陰謀論」は常に出回るものですが、アメリカのニュージャージー州(ニューヨーク市のある州です)で、4月24日から始まる災害に対しての合同訓練「ゴッサム・シールド作戦」に対して、この数日、インターネット等でいっせいに「懸念」が示されています。
その理由は、この災害訓練の「想定」が、
「ニューヨーク上空で核爆弾か EMP爆弾が爆発した」
ということになっている、とされているからのようです。
そういうこともあるのか、「これは偽旗作戦ではないか」とか、「この日に本当に北朝鮮からの核攻撃があるのではないか」とか、そういう話でもちきりとなっているようなのです。
冒頭のサイトの記事もそういうもののひとつで、現在同じように語られているサイトが非常に多くあります。
いくら何でも「核攻撃の疑似訓練が本当の攻撃になる」というようなことがあるわけがないですが、ただ、今回の「騒動」で気になったのが、
「偽旗作戦」
という言葉がいろいろな陰謀系の記事に出ていることでした。
この偽旗作戦というのは、英語ではフォルス・フラッグ(false flag)と言われますが、日本語にしろ英語にしろ、それほど頻繁に出てくる言葉ではないような気はします。
偽旗作戦 - Wikipedia
偽旗作戦(にせはたさくせん)とは、あたかも他の存在によって実施されているように見せかける、政府、法人、あるいはその他の団体が行う秘密作戦である。
平たく言えば、敵になりすまして行動し、結果の責任を相手側になすりつける行為である。
というものだそうです。
この「偽旗作戦」という単語がこのブログに出てきたのは、何と、昨日が初めてだったのでした。
それは、
・自称「神のメッセンジャー」は、「ファティマの聖母出現のちょうど100年後に第三次世界大戦が始まる」と述べた …… それは2017年5月13日
2017/04/19
という記事でご紹介した英国ミラーの記事のまさに最後の部分ので、以下のように登場します。
ヴィレガス氏は、4月13日から 5月13日までの間に、誤った情報のもとで行われる、いわゆる偽旗作戦が起きる可能性について警告している。
時期的にもこれと合う中で、この「偽旗作戦」という言葉が連日出てくることに何となく思い入るところがありました。
しかし、今回のこの話題は「真っ当なニュースサイト」で扱っているところがなく、やっと見つけたのが、「フェイクニュースを判定するサイト」として、英語圏で最も信頼が置かれているサイト「スノープ」の記事でした。
スノープの記事より
今回は、これをご紹介します。
この記事には、この「ゴッサム・シールド作戦」は、以前から公式に予定されていた通常の災害訓練であり、特に謎や問題点はないということが説明されています。
ちなみに、この「ゴッサム」というのは、バットマンなどの中で、主人公の男性が子どもの頃住んでいた街の名前ですが、基本的にはニューヨークを指します。
つまり、このゴッサム・シールド作戦は、「ニューヨーク防御作戦」というような意味の名称となるかと思われます。
ここから記事ですが、今回のタイトルに、
> 「復讐するは我にあり」という神の言葉を噛みしめながら
とあるのは何なんだ? ・・・と思われた方もあるかと思いますが、書いているうちに、タイトルにそれを入れていたことを忘れていました。
翻訳の後に補足しますが、この話は重要なことかもしれないですので、別の機会にきちんと書きたいと思います。
What is Operation Gotham Shield?
Snope 2017/04/20
ゴッサム・シールド作戦とは何か?
「ゴッサム・シールド作戦(Operation Gotham Shield)」は、フォルス・フラッッグ(偽旗作戦)や、核による黙示録の噂において、予想通りの話題の上昇を見せているが、この作戦は、長期計画された準備訓練であり、秘密でも陰謀でも疑わしいものでも何でもない。
2017年4月に入り、陰謀系のウェブサイトやフォーラムなどを中心に、この「ゴッサム・シールド作戦」という災害準備訓練に関心が集まった。
そこでの話は、計画された「偽旗作戦」攻撃が行われるか、あるいは、予想されている北朝鮮によるアメリカへの核攻撃のために急遽準備されたというようなものが大半だった。
陰謀論者たちの懸念の声によって、小さな地域の医療機関や災害対策組織のウェブサイトやソーシャルメディアのページに、不機嫌な陰謀論的書き込みが集中した。
普及した主張のひとつのバージョンは、これが偽旗作戦であるか、あるいは、進行中の秘密工作のもみ消しのための作戦だというものだ。そして、この「演習」が、本当の災害につながると陰謀論者たちは断定した。
それは例えば、ウェブ上の以下のような書き込みに代表される。
ひとつの合同訓練が 4月24日 25日に予定されている。その名称は「ゴッサム・シールド作戦」だ。
この疑似の危機に対しての合同訓練は、ニュージャージー州の空中で 10,000トンの核兵器が爆発したことが前提となる。
この装置の爆発によって引き起こされる電磁パルス(EMP)は、爆発中心部から、周辺の半径 20キロメートルにあるほとんどの場所での電話、インターネット、およびその他の電子装置が無効になる。.
この「訓練」の問題は、過去に何度も米国連邦政府の「演習」が実際の出来事になってきたことだ。
2017年3月27日、米国東部ヘリコプター協議会(ERHC)は、協議会のメンバーとボランティアたちに以下のように通知している。
2017年4月25日 火曜日、午前8時ちょうどに、ゴッサム・シールド作戦が、ニュージャージー州イーストラザフォードのメットライフ・スタジアムで行われます。
この訓練では、ニューヨーク / ニュージャージー州首都圏の大規模なテロ攻撃をシミュレートします。メットライフ・スタジアムはテロ攻撃の犠牲者や緊急対応要員のための負傷者の治療優先順位づけ、負傷者の収容場所となります。
この訓練は、多数の連邦政府機関、州政府機関、そして、郡および地方機関が参加する大規模なイベントとなるでしょう。
これは、2011年のレッドゾーン作戦(Operation Red Zone)訓練と非常によく似た規模のものとなるはずです。
この「ゴッサム・シールド作戦」の企画は、実際に陰謀説が広がる数ヶ月前に始まっていた。
広範に配布されている別の文書(PDF)に示されているように、ゴッサム・シールド作戦は、2017年3月初めの北朝鮮の核ミサイル試験の報告があった時に初めて始まった。
まとめれば、ゴッサム・シールド作戦は、2017年 4月下旬にニューヨークとニュージャージー州で予定されている合法的かつ通常の範囲としての複数機関と組織の災害訓練だ。
予定されている訓練は、標準的な機関の間での災害対応の一般的なテストだが、それが現在は、ほぼ常にインターネット上での噂や恐怖につながっている。
2015年には、ジェイドヘルム軍事訓練(Jade Helm / アメリカ中西部から南部で大々的におこなわれた訓練)への陰謀論(およびフェイクニュース)が、ソーシャルメディアで人気となった。
この軍事訓練は無事に終了したが、地元では騒動が起き、それを鎮めようと、米軍の代表がテキサスの街を訪れることを余儀なくされた。
2016年には、カリフォルニア州で、災害準備訓練カスケード・ライジング 2016 (Cascadia Rising 2016)が太平洋岸北西部でおこなわれることが計画されていたが、この準備訓練は、人々の反対などのため、州外でおこなわれることになったという出来事もあった。
ここまでです。
とはいえ、「備えあれば憂いなし」とは言われても、核攻撃や EMP 攻撃の場合、そんな準備が役に立つかどうかは微妙な気もしないではないです。
復讐と懲罰の権利を持つ存在は
タイトルの「復讐するは我にあり」なんですが、何のことかといいますと、キッカケは、数日前に映画のタイトルとして久しぶりに番組欄で見ただけなのですけれど、そこからふと思えば、現代社会というのは、最近の世相にしても、国同士や民族同士の対立・紛争・戦争にしても、
「悪には懲罰」
「怒りには怒り」
「やられたらやりかえせ」
などの概念が当たり前になっています。
けれども、基本無宗教の日本はともかく、アメリカなどはキリスト教の人なども多いと思うのですが、
「あんたらは本当にキリスト教徒なのか」
とは思うのです。
キリスト教の教えが、もと聖書が土台になっているのなら、この今の世の中は全部考え方としては違うのではないのかとは、わりと昔から思っていました。
この「復讐するは我にあり」という言葉を最初知ったのは、高校生くらいの時だったか、緒形拳さん主演で映画になった時ですが、もともと実在する連続殺人犯を描いた小説のタイトルでした。
このタイトルは今も昔も大変にカッコイイと感じていたのですが、
「どこからもってきたん?」
と思っていましたが、この出所が「聖書だった」と知ったのはずいぶん後のことでした。
それは、「ローマ人への手紙」あるいは「ローマの信徒への手紙」の中に出てくるものです。
新約聖書『ローマ人への手紙』 12章 19節
愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。
これが、昔の日本の聖書には、
『主いひ給ふ、復讐するは我にあり、我これに報いん』
とあったということで、これがその小説のタイトルとして使われたようです。
これは簡単にいうと、
「悪人に報復を与えるのは神だけである」
と聖書は高らかに宣言していて、このラインだけから見ても、現代社会のありとあらゆるおこないは「間違っている」といえそうだなと、かつて思ったのでした。
私は宗教を持たないですけれど、少なくともキリスト教徒は「悪人に自分たちの手で報復を与える」ということは間違っているということになるように思うのです。
まあ、そして言いたかったのは、その「神の復讐」は今、「人間に向かっているのではないか」というような気にさせる部分が、やはりこのローマ人の手紙には満載されています。
新約聖書『ローマ人への手紙』 01章 28-32節
彼らはしてはならないことをするようになりました。
あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、殺意、不和、欺き、邪念にあふれ、陰口を言い、
人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢であり、大言を吐き、悪事をたくらみ、親に逆らい、
無知、不誠実、無情、無慈悲です。
彼らは、このようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っていながら、自分でそれを行うだけではなく、他人の同じ行為をも是認しています。
何となく今の世の中は、ニュースでも、ネットの文字での話題でも、ここにある「悪意に満ち、ねたみ、欺き」から始まり「無情、無慈悲」で終わる部分に多くの人々の「世界観」が、完全に入り込んでしまっている気がします。
テレビでもインターネットでも雑誌でも、「悪いことをしたものを無慈悲に断罪するのは当然」という風潮がありますが、それは間違っている……というのが聖書の主張のようです。
それをおこなう者はどうなるかというと、
> 死に値する
というもののようです。
もちろん、生きている人間は必ずいつかは死ぬのですから、「死に値する」なんてことは言われなくても、人間は全員いつかは死ぬものですが、これほど強く、神が「やってはいけないこと」だと断言したことが、メディアなどの世界では日常になってしまった「世界」に生きていることを思います。
国と国、国と人、メディアと人、メディアと国、そして「人と人」、すべての関係が、「悪意 vs 悪意」の構図に陥りやすい世界になってしまいました。
すべての前に「悪意」というフィルターがある社会。
だから、今の世界の私たちは「死に値する」のかもしれないですので、ほとんどが死んでも当然なのかもしれないと思わざるを得ない寂しさがあります。