詩人イェイツに乾杯しながら完敗する
ウヒヒヒヒ…(なんだよ)。
いや、最近、わたくし、いいものを手に入れましてデス寝(この表記いい加減にしろ)。
先週のメルマガのタイトルは「ノーベル文学賞授賞の詩人が見たベツレヘム。これから再臨するのはキリストではなく「獣」の模様」というものだったのですけれど、このノーベル文学賞授賞の詩人は、ウィリアム・バトラー・イェイツという人なんです。
Wikipedia より
ウィリアム・バトラー・イェイツ(1865年 - 1939年)は、アイルランドの詩人・劇作家。
幼少のころから親しんだアイルランドの妖精譚などを題材とする抒情詩で注目されたのち、民族演劇運動を通じてアイルランド文芸復興の担い手となった。
モダニズム詩の世界に新境地を切りひらき、20世紀の英語文学において最も重要な詩人の一人とも評される。
1922年から6年間、アイルランド上院議員も務めた。1923年にはノーベル文学賞を受賞。
高名な方のようなんですが、なんと私が知ったのは、つい数日前。
このブログでも何度かご紹介させていただいたことのある世界最大の資産運用会社であるブラックロック社の元投資マネージャーであるエドワード・ダウドさんがツイッターで、
「ウィリアム・バトラー・イェイツのこの詩は今日にふさわしいもののように思える…」
とした投稿をしていまして、それで知ったのです。
その「詩」というのは、どうも日本語でのガッとくる翻訳は見つからないのですが、原文はこちらなどにあります。
The Second Coming というタイトルで、日本語だと、「再臨者」というような感じなんでしょうか。
キリストの再臨をイメージさせる内容ですが、この詩では、
「ベツレヘムに再臨するのは、キリストではなく、獣」
という示唆で終わっています。
これは一般的には「寓話的」として説明されていますが、そうではないようなんですね。
なんか私は、この詩に異様に惹かれまして、執念深く、その日とか翌日とか、いろいろと探していましたら、「この詩人の真実」が次第に浮かび上がってきたのです。
メルマガではそのあたりのことを書いたのですが、ただ、このあたりは、表現を間違うと「単なるオカルト話」というようなことになり、そう思われるのは本意ではないですし、イェイツさんにも失礼にあたりますので、それについては、ここでは書きません。
ただ、ここまで書いて、何にもふれないのもアレですので、「日本イェイツ協会」の理事をされていたこともある津田塾大学の柿原妙子さんのこの「再臨者」という詩についての論文(日本語です)のリンクを下に貼らせていただきます(クリックで書類がダウンロードされる形式となっています)。
(論文)「怖ろしい「第二の誕生」 W. B. イェイツ “The Second Coming” を読む」
その柿原妙子さんの論文から一部を抜粋します。
柿原妙子「怖ろしい『第二の誕生』」より
この謎めいた短い詩が書かれたのは、1918年夏から 1919年にかけてのことである。
結婚して間もないイェイツと妻ジョージは自動筆記のオカルト実験に没頭し、見えない「指導者」との対話を通して明らかになる驚くべき歴史の仕組みに興奮していた。
それによると、2000 年近く続いたキリスト教の時代がまもなく終わり、これから新しい時代が始まろうとしているのだった。
「指導者」 はそれを二つの巨大な円錐の運動として説明した。
“The Second Coming” のベースにはこのような時代交替の構造がある。
聖書によれば、磔刑死したキリストは再び世に戻ってくると預言されているが、その知識を持ってこの詩を読んだ者は最後に、これからベツレヘムで生まれようとしているのがキリストではなく不気味な怪物であることに衝撃を受ける。
このあたりを読んでいるうちに、「もっと知りたい」と思いまして、そして、このイェイツという人の著作に、このあたりをまとめた、もっと言えば、「晩年の 二十数年の人生をほとんどこれに当てた」という著作と言えそうな『ヴィジョン』という著作があることを知ったのです。
そして、日本語訳があることも知ったのです。
1978年とありますので、45年前の本です。
なんとなくアマゾンで探してみましたら……なんとあった。
もちろん古本で、しかも結構ボロボロでしたが、ともかく購入することができたのです(今はもうアマゾンにないです)。
これが冒頭で、
「ウヒヒヒヒ…」
と書いた理由です。
嬉しかったんですね。
本が届いて、ランランラン…♪ と本を頭の上に乗せながら踊っていたりしたのですが(この吉祥寺のガイが…)、しかし、わりと小さな文字で 400ページを超える大著で、しかも、難しい。
哲学、歴史、カバラ、あと何とか何とか…の知識がないと、全然読み進めることができないもので、読み終えられるかどうかは不明です。
手にしてから 25年経って、 7ページしか読めていない埴谷雄高さんの『死霊』と同じですね。
でも、おそらくこの機会を逃したら一生手に入れられなかったであろう本『ヴィジョン』を手に入れられて、頭に本を載せて、
ランランラン…♪
と踊り…(基地のガイガーカウンターが…)。
まあ、そんなわけで、ここ数日で知った詩人イェイツさんですが、今日アメリカのラザフォード研究所という法律事務所のウェブサイトを見ていましたら、このウェイツさんの同じ詩がが出ていたのです。
ラザフォード研究所とは以下のようなものです。
ラザフォード研究所は、市民的自由、人権、信教の自由の擁護に特化した保守的なキリスト教の公益法律事務所。
バージニア州シャーロッツビルに本拠を置くこの非営利団体のモットーは、「政府に憲法の規則に従って行動させることが私たちの仕事である」となっている。この組織は 1982年にジョン W. ホワイトヘッドによって設立され、現在も会長を務めている。
数日の間隔で、こうも同じ詩にぶちあたるというのは、なかなかの偶然であり(しかも今までまったく知らなかった詩)、その文章をご紹介したいと思いました。私自身は、人生において、詩というものはまったくふれたことがなく、サラリーマン川柳くらいしか知らない人間ですが、結構みんな詩とか知ってるもんだなあと思います。
そんなわけで、ラザフォード研究所の代表のジョン W. ホワイトヘッドさんの文章です。まあまあ、いいこと書いてる(上から目線かよ)。
なお、文章に出てくる『ゼイ・リブ』は、ジョン・カーペンター監督の 1988年のアメリカの SF 映画です。映画に出てくるテレビで、男性は次のように言います。
「我々の暮らしている世界は、『彼ら』の発信する信号により、人工的な仮眠状態にさせられている。彼らは抑圧的な社会を作り上げている。彼らの目的は人々を物質主義者に仕立て上げ、自分たちの正体を詮索させないため、我々を欲に狂わせて、『奴隷』にしている…」
面白い映画かどうかはともかく、アマゾンのプライムビデオなどにもあります。
ここから、ジョン・ホワイトヘッドさんの文章です。結構長いです。
私たちの間を悪が歩く: 人間の顔をした怪物が私たちの自由に大混乱をもたらす
Evil Walks Among Us: Monsters with Human Faces Wreak Havoc on Our Freedoms
John Whitehead 2023/10/24
「しかし、それらは触手と腐った皮膚を持った、7歳の子供が頭の中で思い描くような種類の怪物ではなかった。彼らは人間の顔を持ち、ぴりぴりとした軍服を着て、足並みをそろえて行進する怪物だった。手遅れになるまで、彼らをありのままに認識できないのはありふれたことだ」
- ランサム・リッグス「ミス・ペレグリンの奇妙な子供たちのための家」より
もういい。
気を散らすものはもう十分だ。党派の馬上槍試合はもう十分だ。
この国(※ 米国)をより安全に、より自由に、より公正にするために何の役にも立たない、狙撃や悪口や泥投げはもう十分だ。
私たちは政府の悪行、虐待、権力掌握、残虐行為、卑劣、非人道的、不道徳、貪欲、汚職、放蕩、そして専制をあまりにも長い間放置してきた。
私たちは清算に近づいている。
詩人 W.B.イェイツが警告したように、これが事態が崩壊し、世界に無秩序が解き放たれる時点だ。
私たちはこれまで、ヒトラーのドイツ、スターリンのロシア、ムッソリーニのイタリア、そして毛沢東の中国でこの収斂を目にしてきた。
権力者や扇動者の台頭、根深い原則に対する利益主導の政治の台頭、分断を求める戦争的なナショナリズムなどだ。そして、基本的人権と尊厳に対する冷酷な無視、そしてもっとよく知っているはずの人々の沈黙を征服する。
しかし、世界がこれまでに何度この道をたどってきたとしても、私たちは過去の致命的な間違いを繰り返すことを避けることはできないようだ。
これは国内的および国際的な規模で起こっているだけではない。
それは最も身近なレベルでも大混乱を引き起こしており、家族や友人、近所や地域社会の中に亀裂や対立を生み出し、国民同士が争い続け、政府の鳥肌が立つような専制主義に直面して統一戦線を提示することができなくなっている。
私たちは今日、大小さまざまな無数の圧制の重圧の下で働いており、「より良い善」を装い、慈善活動として宣伝され、武装警察によって執行され、悪影響からほとんど隔離されているエリート層の政府職員によって実行されている。
あまりにも長い間、アメリカ国民は、資産没収計画、汚職、監視、終わりのない戦争、SWATチームの強制捜査、軍事化された警察、営利目的の私立刑務所など、あらゆる種類の政府の悪行を見て見ぬふりをすることを正当化してきた。彼らはいわゆる2つの悪のうち小さい方だった。
しかし、避けられない真実は、政府が権力掌握、残虐行為、卑劣、非人道的、不道徳、貪欲、汚職、放蕩、専制などの行為を通じて、政府が戦っていると主張する悪とほとんど区別がつかなくなっているということだ。
テロリズム、拷問、 麻薬密売、 性的人身売買、殺人、暴力、窃盗、ポルノ、 科学実験 、または人類に痛み、苦しみ、隷属を与えるその他の悪魔的な手段 。
本質的に、これは政治や立憲主義、さらには法と秩序を装った専制政治についての議論ではない。
これは、私たちの間を闊歩する人間の顔をした怪物に対する非難だ。
彼らの多くは米国政府で働いている。
これは、35 年前に公開されたジョン・カーペンターの映画 『ゼイ・リヴ』の前提であり、今でも私たちの現代に不気味でぞっとするほど適切な作品だろう 。
ホラー映画 『ハロウィン』で最もよく知られているが、この映画では、殺せないほど暗い悪の存在を想定しているが、カーペンターのより多くの作品には、強い反権威主義、反体制、簡潔な傾向が注入されており、私たちの社会、特に政府の崩壊に対する映画製作者の懸念を次のように語っている。
カーペンターは、自国民に敵対する政府、 現実と乖離した国民、テクノロジーの暴走、そしてどのホラー映画よりも恐ろしい未来を何度も描いている。
『ニューヨークからの脱出』では 、カーペンターはファシズムをアメリカの未来として提示した。
1951 年の同名の名作 SF のリメイクである『ザ・シング』(※ 邦題「遊星からの物体X」)の中で、カーペンターは、私たち全員がますます非人間化されつつあると仮定している。
悪魔に取り憑かれた車を題材としたスティーヴン・キングの小説を映画化した『クリスティーン』では、テクノロジーが独自の意志と意識を示し、殺人的に暴れまわる。
カーペンターは『マウス・オブ・マッドネス』の中で 、人々が「現実と空想の違いを知る能力」を失うと悪が増大すると述べている。
そして、カーペンターの 『ゼイ・リブ』では、2人の移民労働者が世界が見た目とは違うことを発見する。
映画では、人口は寡頭制エリートと協力して活動するエイリアンによって実際に管理され、搾取されている。その間ずっと、国民は、幸いにも自分たちの生活の中で実際に働いている真の課題に気づかないが、自己満足に陥り、コンプライアンスを教え込まれ、気を散らすメディアを浴びせられ、テレビやさまざまな電子機器、看板、テレビから発信されるサブリミナルメッセージによって催眠術をかけられる。
ホームレスの漂流者ジョン・ナダが加工されたサングラス、ホフマンレンズを発見したとき初めて、ナダはエリートたちの捏造された現実の下にあるもの、つまり支配と束縛に気づく。
真実のレンズを通して見ると、変装を剥がすまでは人間のように見えるエリートたちが、国民を捕食するために奴隷化した怪物であることが示される。
同様に、 看板も隠された権威あるメッセージを大音量で流す。ある広告では、ビキニを着た女性が実際に視聴者に「結婚して生殖せよ」と命令している。雑誌ラックは「消費せよ」と「従え」と叫びます。行商人の手にあるドル札の束は、「これはあなたの神だ」と宣言する。
ナダのホフマンのレンズを通して見ると、人々の潜在意識に叩き込まれている他の隠れたメッセージには、独立した考えを持たない、順応する、服従する、眠っていて、物を買う、テレビを見る、想像力を持たない、権威に疑問を持たない、などがある。
『ゼイ・リブ』のエリートたちによって画策されたこの教化キャンペーンは、 アメリカ文化の衰退を研究したことのある人なら誰でも痛いほどよく知っている。
自分の頭で考えず、疑いもなく服従し、従順で、権威に異議を唱えず、枠にとらわれずに考えず、ただ座って楽しませることに満足している国民は、簡単にコントロールできる国民だ。
このように、 『ゼイ・リブ』の微妙なメッセージは、哲学者のスラヴォイ・ジジェクが民主主義における独裁制、「見かけ上の自由を維持する目に見えない秩序」 と呼んでいる、アメリカの警察国家における私たち自身の歪んだ生活観の適切な類似点を提供している。
私たちの気をそらし、混乱させようとする政府の試みに耳を傾け、この国で実際に何が起こっているのかに目を向ければ、あなたは、紛れもない不愉快な真実に真っ向から遭遇することになるだろう。今日私たちが直面しているのは、その限界を超えて成長した権威主義的な獣だ。それは鎖では拘束されていない。
私たちは、現実とは似ても似つかない、注意深く作り上げられた一連のフィクションを与えられている。
テロ攻撃よりも心臓病で死亡する可能性が 17,600倍高いという事実にもかかわらず。飛行機事故で死亡する確率は、飛行機が関与するテロ計画で死亡する確率よりも 11,000倍高い。
自動車事故で死亡する確率はテロ攻撃よりも 1,048倍高く、 警察官によって殺害される確率はテロリストによって死亡する確率より 8倍高い。
私たちは自分たちの人生のコントロールを政府当局者に引き渡し、彼らは私たちを犯罪の手段として扱っています。目的、つまりお金と権力の源だ。
『ゼイ・リブ』のひげを生やした男が 警告するように、「彼らは眠っている中産階級を解体しつつある。貧困になる人がますます増えている。私たちは彼らの家畜なのだ。私たちは奴隷として育てられているのだ」
私たちは幻想に騙され、真実を把握することを拒否した。
私たちは生まれた瞬間から死ぬまで、私たちを支配する者たちが自分たちの利益のためにそうしていると信じ込むように教え込まれる。
しかし、真実は大きく異なる。
権力者たちは、私たちに自分たちの制御を超えた力(テロリスト、パンデミック、銃乱射事件など)の脅威を感じてもらいたいと考えている。
彼らは私たちが恐れ、私たちの安全と幸福のために政府とその軍事化された軍隊に依存することを望んでいる。
彼らは私たちがお互いに不信感を持ち、偏見によって分断され、お互いに激しく対立することを望んでいる。
私たちは、使用され、乱用され、廃棄される消耗品にすぎない。
実際、プリンストン大学とノースウェスタン大学が実施した研究では、 米国政府は米国国民の大多数を代表していないと結論付けている。
その代わりに、この研究では、政府が富裕層や権力者、いわゆる「経済エリート」によって支配されていることが判明した。さらに、研究者たちは、この政府エリートによって制定された政策は、ほぼ常に特別利益団体やロビー団体に有利であると結論づけた。
言い換えれば、私たちは 民主主義を装った寡頭制によって支配されており、おそらくファシズムへの道を進んでいるということだ。
ファシズムとは、民間企業の利益が支配し、金銭が決定権を握り、国民は単なる管理対象とみなされている政府形態のことだ 。
しかし、安心してほしい。ファシズムが最終的にアメリカに定着したとしても、政府の基本的な形態は残るだろう。ファシズムは友好的に見えるだろう。
議員たちは会議に出席する。選挙があり、ニュースメディアはエンターテインメントや政治トリビアを報道し続けるだろう。ただし、統治者の同意はもはや適用されない。実際の支配権は最終的に政府を舞台裏でコントロールする寡頭制エリートに移ることになるだろう。
明らかに、私たちは現在、政府と企業の利益を握る寡頭制エリートによって支配されている。
私たちは、本格的なファシズムへの道の中間点である「コーポラティズム」(ベニート・ムッソリーニが支持)に移行した。コーポラティズムでは、国民によって選ばれたわけではない、金で稼いだ少数の利益者が多数の利益者を支配する。
このように、アメリカ政府は民主主義や共和制の政府形態ではなく、そのように設立された。
それはトップダウンの政府形態であり、過去の全体主義政権で起こった展開に代表される恐ろしい歴史を持っている。
警察国家では、誰もが監視され、軽微な違反は政府職員によって一斉検挙され、下に置かれる。警察の管理下に置かれ、拘留(別名強制収容)キャンプに入れられた。
ファシズムへの最後の鉄槌が下されるためには、最も重要な要素が必要となるだろう。
それは、大多数の国民が、それが便宜的であるだけでなく、必要であることに同意する必要があるだろう。
しかし、なぜ国民はそのような抑圧的な政権に同意するのだろうか?
答えはどの時代でも同じだ、それは「恐怖」だ。
恐怖は人を愚かにする。
恐怖は政治家が政府の力を高めるために最もよく使う手段だ。
そして、ほとんどの社会評論家が認識しているように、テロへの恐怖、警察への恐怖、隣人への恐怖など、恐怖の雰囲気が現代アメリカに浸透している。
恐怖のプロパガンダは、支配権を獲得したい人々によって非常に効果的に利用されており、国民を恐怖に駆られ、従順で、安心して政府の命令に足並みをそろえて行進するゾンビに変えている。
このことで私は『ゼイ・リブ』に戻る。
そこでは、本当のゾンビは攻撃を仕掛けているエイリアンではなく、支配されたままで満足している民衆なのだ。
結局のところ、 『ゼイ・リブ』の世界は私たちの世界とそれほど変わらない。
登場人物の一人が以下のように指摘するようにだ。
「貧しい人々と下層階級が増えている。人種的正義も人権も存在しない。彼らは抑圧的な社会を作り上げ、私たちは知らず知らずのうちに彼らの共犯者となっている。彼らの支配の意図は意識の消滅にかかっている。私たちはトランス状態に陥ってしまったのだ。それらは私たちを自分自身にも他人にも無関心にさせました。私たちは自分自身の利益のみに焦点を当てている」
私たちもまた、自分自身の喜び、偏見、利益だけに焦点を当てている。貧しい人々や下層階級が増えている。不公平が増大している。不平等は拡大している。人権に対する懸念はほとんど存在しない。私たちもまた、トランス状態に陥り、他人には無関心になってしまった。
私たちは、これから先に何があるのかに気づかず、消費し続け、服従し、信仰を持ち続ければ、物事はうまくいくと信じるように操作されてきた。
しかし、新興政権には決して当てはまらない。そして、私たちに鉄槌が下されていると感じた時には、もう手遅れになってしまう。
それでは、私たちはどうなるのだろうか?
カーペンターの映画に登場する登場人物たちは、いくつかの洞察を与えてくれる。
彼らは男らしさの根底に、今でも自由と機会均等の理想を信じている。彼らの信念により、彼らは法律や体制に対して常に反対するが、それでも自由の戦士だ。
たとえば、ジョン・ナダが『ゼイ・ ライブ』でエイリアンの催眠伝達装置を破壊するとき、彼は自由への警鐘を鳴らす。ナダが思い出深いように宣言したように。
「私は風船ガムを噛んで、尻を蹴るためにここに来ました。そして私はバブルガムをすべて使い果たしました」
言い換えれば、私たちは積極的に行動し、何が本当に重要なのかを明確に主張する必要があるということだ。
無意味な政治的光景に簡単に気を取られるのをやめて、この国で実際に何が起こっているかに注意を払おう。
この国の支配をめぐる本当の戦いは、道端で、パトカーの中で、証言台で、電話で行われている。路線、政府機関、企業のオフィス、公立学校の廊下や教室、公園や市議会の会議、そして全国の町や都市で。アメリカの警察国家のあらゆる罠が今や明らかになっている。
アメリカは目を覚ましてほしい。
もし彼ら(暴君、抑圧者、侵略者、支配者)が生き続けているとすれば、それは「私たち人民」が眠っているからに過ぎない。
>> In Deep メルマガのご案内
In Deepではメルマガも発行しています。ブログではあまりふれにくいことなどを含めて、毎週金曜日に配信させていたただいています。お試し月は無料で、その期間中におやめになることもできますので、お試し下されば幸いです。こちらをクリックされるか以下からご登録できます。
▶ ご登録へ進む