グアテマラのパカヤ火山の溶岩の隣で向きあう恋人たち。2020年12月 David Juarez
新年あけましておめでとうご…じゃ…いむ…う……はぅ(死んじゃったのかよ)。
いやいや、死んではいないのですけれど、お正月というのは、朝からお酒を飲んだり、あるいは高齢者の方は餅などにも注意が必…よ…うっ…ぷぷぷ…あああ……ぐぇ(死んじゃったのかよ)。
いやいや、皆様に注意を呼びかけようとして、こちらが喉にナマコ酢を詰まらせてしまいました(変なもの詰まらせてんのかよ)。
新年から不謹慎な出だしとなってしまったことを心からお詫び申し上げます。
それにしても 2020年という年は、まさに。
(おいおい「まさに」で止まってるぞ)
2020年は表現が難しいのですよね。
最近のメルマガでもちょっと書かせていただいたのですけれど、確かに社会は混乱して(コロナと関係のない)健康悪化や経済的悪化など、とにかく悪いことばかりが強調された年でしたけれど、社会全体はともかく、皆さま個人個人の「内部」はどうでしたでしょうか。
私自身に関していえば、2020年の 1年間は本当に勉強をさせていただきました。それまで知らなかった「ウイルス感染というものの実相」が、少しだけではあっても、生まれて初めて理解できました。
何より、
「社会で起きていることの《何》を見るべきか」
というあたりに、以前より焦点が絞られるようになったような気はします。
それだけ新型コロナウイルスがもたらした社会的な状態を、私自身が非常に好きではないという部分が巨大なためだとは思いますけれど、嫌いなものを排除するには、その真実をきちんと見るしかない。
陰謀論だとか悪魔的存在だとか、そういうような言葉で表現されるものではなく、進行している事態の「社会のどの部分を見るべきか」ということでしょうかね。
昨年 3月に緊急事態宣言が出された時から、
「こんなことをしていたら社会が壊れる」
という思いは、今に至るまで同じでありまして、その強い否定感が、昨年記事を更新し続けていられた原動力となっていたのかもしれません。
ロックダウンを含めたあらゆる強圧的な政策が、当時からとにかく好きではなく、「こんなことを打破したい」と自分で調べている中で知ることは、
「それらには何の効果もない」
という事実でした。
各国がロックダウンを始め、日本でも準ロックダウンが行われた 3月に書いたメルマガでは、その時点の研究ですが「感染者は 37日間ウイルスを放出し続ける」という科学論文の内容から、
「人間そのものと社会そのものがウイルス培養器である」
という可能性を書いたことがあります。
夏などの気温が高い局面でコロナウイルスが弱体化する間、「人の細胞の中でじっと生き続けて、気温が下がるのを待つ」と。
そのメルマガでは、結論として、
> 結局、今、各国でやっているような対策によって、
> この新型コロナウイルスを社会から消滅させるというのは無理だと思います。
と書いていましたが、これが昨年 3月であり、まさか同じことが今も続けられているということに驚くというより、「それ以外の方法論は考慮されないことが決定付けられているのだな」と悟ります。
そして、私はこう書いていました。
2020年03月20日発行のメルマガより
まあしかし・・・もうパンドラの箱は開けられてしまったわけで。
世界がここまで来てしまうと、いよいよ私たち一般人も、
「今後の世界」
を想定して生きていくしかないです。
何か月後かには、これまでとは違った世界がそこにあるはずです。
その「変わってしまった世界」でどう生きていくか…。
そして、「それが今でしょ」ということになっています。
今年 2021年も、基本的には昨年とさほど変わらないまま続くと思われますが、しかし、以前と同じように、「この奇妙な状況を脱したい」という思いは強いです。
それでも、以下の記事でもふれさせていただきましたけれど、現在が時代の大きなターニングポイントであるという意味からなども、このとてつもなく受け入れがたい社会の状況は、そう簡単には変わらない、あるいは終わらないはずです。
土星と木星の天体事象が示すみずがめ座の時代の始まりは「物質の役割の消失」と「全体主義の台頭」から始まる : 占星術な意味のこれからの時代
投稿日:2020年12月28日
ここまで来ると、根を上げたときが負けでしょうね。
社会に対してではなく、自分に対して。
本日は元旦でもあり、長い記事を書くつもりはなく、ご挨拶だけとさせていただこうと思いますけれど、いずれにしましても、私たちはすごい時代に生きています。
過去数百年、誰も経験したことのないような時代です。
ウイルス云々ではなく、社会の話です。
人類はまっぷたつにわかれ、誰も経験したことのない未知の社会にこれからさらに導かれていく。
受けてばかりでは、そこに連れていかれるだけでもあり、結果がどうであれ、自分自身の「本意」とか「意思」とか、あるいはやや難解な表現なら「心魂」とか、そういうものを見つめることがとても重要な時代になりそうです。
パンドラの箱はすでに開いてしまっているのですから、そこから目を背けずに、あるいは、パンドラの箱を見に行き、場合によってはその中に入るような覚悟も必要なのかな、とか思います。
私も心が折れるまでは更新を続けたいとは思っています。
本年もよろしくお願いいたします。
あ、折れた(早いなおい)。
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