最近、以前のメルマガを読み直していて、その中で、2019年3月ですから、今から1年半くらい前のもので、まだコロナだとか、こんな今のような世の中を想像さえしていないころのものでしたが、ふと、「なんか、この通りになってる」というように思ったものがありまして、それをご紹介しようかなと思いました。
コロナ以前のずいぶん以前のもので、大した身のある話ではないですが、「社会が《2種類の人間にわかれていく》」ということをテーマに書いたものでした。
いつもは、メルマガをご紹介する時には、くだらない冒頭の挨拶とか、どうにもならないダジャレは割愛するのですが、今回は、そのままご紹介したいと思います。
もし、メルマガの登録を考慮されている方がいらっしゃいましたら、こういうタチの悪い下らない文言が多いものですので、考え直されていただきたいと思います(自分を否定してどうする)。
では、ここからです。
In Deep メルマガ 第32号
2019年3月29日発行
同じ世界に生きている異なったふたつの人類
みなさま、こんにちは・・・・・。
・・・・・うーん・・・・・実は自己紹介で何かおもろしいことを書こうとして、もう30分くらい、ダジャレを考えたままとなっています(無駄な人生かよ)。
今は芸能だと、どんな方が話題なんですかね。
ハナ肇さん?(そりゃないわ)
今朝、Yahoo! ニュースを見ましたら、萩原健一さんが亡くなっていたことを知りました。
出演されていた「傷だらけの天使」というドラマのオープニングだけを中学生の時よく見ていまして、それは、ショーケンさんが、寝袋だか何かから起きてきて、いろいろと食べるだけのシーンなのですけれど、それがとにかくかっこよくて。
トマトだとか、缶のコンビーフなんかをバクバク食べる。
ドラマの本編はほとんど見たことがないですけれど、オープニングはよく見ていました。
その頃、中学校で、遠足みたいな屋外に出かける行事がありまして、「1人300円までおやつ持参可」みたいなのだったのですが、私は、缶のコンビーフを持参しました。
お昼に、そのコンビーフを食べていましたら、少し離れたところで、やはりコンビーフを缶から直接かじっている男子がいる。
「おっ」
とふたりとも何となく反応して、
「傷だらけの天使?」
というように頷き合いまして、それ以来、その人とよく話すようになりました。
彼は、コバヤシくんという人で、その後ずいぶん長く友人として付き合いました。
今に至るまで、わりとそうですけれど、私の場合、本当に気の合う人ってなかなか知り合えないですから。
コバヤシくんは、二十代の中盤くらいに、防衛関係の仕事で海外に赴任しまして、その後はどこにいるのかわからなくなってしまっています。
それにしても、ショーケンさんは68歳だったのですね。
何だか、ものすごい年上の人といった感じがしていたのですけれど、私の一回りほど上ということなのですね。
そう考えると、私などの余生も、時間的にはこの「一回り」くらいなのかなというような気もしてきまして、ますます、きちんとしたダジャレを考えなければと身が引き締まります。
というわけで、In Deep の岸部一徳でございます。(30分考えてそれかよ)。
もとい、岡でございます。
前回は、かぜのような、エボラ出血熱のような症状の中で書かせていただきましたメルマガで、やや混乱した内容だったかもしれません。
しかし、今回のかぜのような、天然痘のような(どんどん重くなるな)機会につきましては、「治癒実験の場」としてはとても充実していました。
そして、前回のメルマガで、梅干しなどを含めた「食べ物」のことを書かせていただいたのですけれど、いろいろとお便りをいただきまして、多くの読者様たちが、「本物の食べ物、調味料」、あるいは「飲む水」などについて、とても気を配った生活をされているのだなあと知りました。
私などよりはるかに多くの智恵や知識を持ち、実行もされているような方々の記述を読ませていただきますと、私ごときが食べ物のことについて書くのはおこがましい気もしますが、しかし、私自身がまた、さらにいろいろと知ることができて、その中から、また何かいいものがあれば、お伝えできるのかもしれない、と思うと、
「良いフィードバックだなあ」
と、そのあたりのいい感じの連なりにはやや感動します。
そういえば、前回のメルマガで、「本物の梅干し」のことに少しふれましたが、
読者様から「くらしのたのしみ」というサイトを教えていただきました。
ここにも、本物の梅干しが何種類かあります。
下のサイトです。
ここの梅干しは、梅と塩だけなのはもちろんですが、塩も、沖縄の自然塩を使っていると書かれてありまして、梅も完全な無農薬と書かれてあります。
私も小粒のものがほしかったので、ひとつ注文してみました。
不思議といえば不思議ですが、スーパーの添加物過多の梅干しには、価格だけでいえば、これら本物より高いものがたくさんあるのですよね。
それにしましても。
今の世の中には、こういうような「本物の食べ物」は確かに作られていて、そして、販売されています。
購入する人たちもそれなりにいるはずです。
しかし、
「それが一般的な日常の話としては成立しない」
という不思議。
たまにテレビをつければ、特にBSなどのCMは、ほとんどが健康食品か美容商品で、健康食品系のCMには有名人や元有名人の方々が次々と出てきて、
「何より健康が一番」
というようなことをおっしゃるわけで、そして、健康情報は今の世の中にあふれている。
なのに、
「本物の梅干しひとつスーパーで買うことができない」
というのが、ほとんどの現代の日本人の生活です。
梅干しというのはひとつの例えであり、あるひとつについて「本物がない」ということは、他の多くのものについて言えると思われます。
本物が非常に少ないことになっている。
食べ物に話を戻しますと、調味料なども、スーパーなどでは純粋なものは少ないですし、人工甘味料などの「入れてはいけないもの」がさまざまに入っています。
しかし、それでも、読者様の方の中には、本物を選んでいる方々がいらっしゃり、
「それがその方々の普通の日常」
であることも事実です。
そういう生活を普通にされている方々が、たくさんいらっしゃる。
あるいは、西洋医療のことについては、ブログでも、たまに書かせていただくことがあるのですけれど、それについても、
「西洋医療とそれに基づく医者たちに完全に依存する生き方」
というのが、現代の一般的な「日常」だと思います。
つまり、何か不調があったら「病院に行く」と。
あるいは、最近の高齢者の方々の場合などは、
「何もなくても病院に行く」
という方も多いです。
しかし、そういうことが一般的な行動とされる現在の社会においても、
「西洋医学にあまり依存しない生き方」
をしている方もたくさんいらっしゃるわけです。
私も、ほんの数年前までは、「病院に依存しているタイプ」の人でした。
メルマガを始めた昨年、最初の頃にメールを下さった方の中には、「私と似たような人生」の方が何人かいらっしゃいました。それはたとえば、以下のような意味で似ている方々です。
幼少の頃から病弱で、薬と病院漬けになっていて、
ずっと体調が良くないまま育ったけれど、
大人になり、《西洋医学以外の方法》を知り、
少しずつ薬などをやめていき、体調を取り戻していった。
というような方々です。
ちなみに、これはきちんと書いておきたいですが、私は、グリグリに西洋医学や薬を否定する者ではないです。
緊急時においての西洋医療の救命方法や、やはり緊急時の薬の効果の中にはすばらしいものが存在します。
あるいは、日常の重要な何かの時に不調が出たりした場合、それを乗り切るために、薬が効果があるのなら、迷わず使うべきだと思います。あるいは、命に関わるようなものの場合も当然必要なことです。
しかし、現実には、今の世の中で大量に消費されている薬の中には、あまりにも意味のないものが多いのも事実です。
とはいっても、「現代の常識的な日常の観念」を信じて、その中だけで生きている限りは、
「どの西洋医療や薬が良くないのか」
ということがわからなくなっていると思われます。
医療や薬について、科学的な意味で疑うことさえしない人もたくさんいます。
何しろ、現代社会の観念の基本のひとつは、
「一般人は医者の言うことに従う」
という不文律であり、特にいい人であればあるほど、ほとんど意味のない薬を「言いつけを守って」飲み続けたりしている。
「良い時代の良い社会」に生きているのなら、良い人であることは、まったく善いことだと思いますけれど、「あまり良くない面もある時代」には、単に良い人であることは、むしろ、それが悪徳に転じてしまうこともあるとは思います。
話を戻しますと、現代の多くの人々は、このように、
「自分の体を守り、健康を保つために《病院に行く》」
という価値観が普通となっているのですけれど、しかし、その一方で、
「自分の体を守り、健康を保つためには《病院に行かない》」
と考える人たちが、それなりにいることも事実です。
私も、どちらかというと、こちらです。
これらはどういうことかと言いますと、つまり、今の世の中は、
「まったく価値観のちがう人たちが同時に生きている」
ということになります。
基本的に、そのふたつの価値観は、「相容れることができないもの」でもあります。
たとえば、ふだん本物の食べ物を選んで食べているような方が、「今日は、人工甘味料で味付けしましょう」というようなことには絶対にならないはずだからです。
そして、この「差」というのは、ちょっと言い方はよくないかもしれないですが、
「無関心」
と
「関心」
の差とも言えるはずです。
ということは、この世の多くの人々は「無関心」であるかもしれない、という事実が仮にあるとしますと、それはどうしてかといいますと、
「無関心へと導かれるような社会になっているから」
ではあります。
ふだんテレビなどを見ない立場から、たまにテレビを見ますと、さまざまなものによる「誘導」は非常にわかりやすいです。
もちろん、無関心のままで幸せに一生が過ぎるなら、それでもいいのではないかという考え方もあるでしょうけれど、
「未来に禍根を残す」
という意味で、「無関心は悪」だと私は思います。
それはともかくとして、今回書きたかったことは、先ほど、
「まったく違う見方の人たちがこの世に同時にいる」
というように書かせていただきましたが、
「しかし、どちらも同じ社会の中で生きている」
ということです。
同じ空間で、同じ時間軸で(時間軸が違ったらコワイですが)生きているのに・・・・・それでも、やはり、
「それぞれはまったくちがう世界に生きている」
と言えると思うのです。
もはや、その2種類のそれぞれの人たちは、
「世界の見方、あるいは見え方さえもちがうかもしれない」
ほどのものとなっている可能性があります。
場合によっては、風景までも異なって見えるかもしれないほど、まったくちがった世界に住んでいることになると思うのです。
私は、現在起きている、この現象、すなわち、
「同じ世界に住む異なる人々」
という現象は、人類の「変容」のひとつだと考えています。
もちろん、これは奢った考え方ではありません。
というのも、「どちら側の人が正しいのか」はわからないからです。
私からは、私が考えているような概念に沿って生きているほうが正しいというように思えますけれど、実際には、
「その真実は今はわからない」
です。
私の信奉している考えが間違っている可能性は大いにあります。
つまり、もしかすると、この世はビッグバンで始まったのかもしれないし、私たち人間はサルから進化した進化論の化け物なのかもしれないし、地球の生命は宇宙からやってきていないかもしれないし、それはわからないのです。
しかし。
私は、
「この世はビッグバンで始まったのではない」
という学問を知った時に、とても気持ち良くなりました。
フレッド・ホイル博士による
「宇宙は無限の存在」
だということ(定常宇宙論)を知った時もそうでした。
「人間は進化論の末の生き物ではない」
と知ったときもです。
そして、
「地球のすべての生命は宇宙からやってきた」
というフレッド・ホイル博士の主張を知った時も感動して、そしてとても気持ちがよくて、ふだんの風景さえも変化していったような心地良い衝撃がありました。
つまり私は、これまで、偶然知知ることができてきた説や主張の中から、
「自分の周囲の風景が気持ち良く変化する考え」
を取り入れてきたというだけのことにもなるのです。
その中で、西洋医学や薬の問題を知り、そして、腸内細菌のことや、心と体の関係などを知っていきましたが、それらにおいても、
「その智恵を持つと、心地良く感じるほう」
に傾倒してきたのでした。
おそらく、多くの方々がそうなのではないでしょうか。
逆にいえば、人間は「わざわざつらい考えのほうに傾きはしない」というような気もしますし、それぞれが、自然と、今ご自分が持たれている考えの方向に歩いてきたと。
そして、私個人としても、そのような《さまざまなこと》を知り得たことは、本当に幸せだったと思います。
ブログIn Deepを本格的に書き始めたのは、2009年のことで、今にして、「ブログを始めてよかったなあ」と思うことがあります。ブログを始めた頃の、つまり10年前くらいの私は、本当にまさに「何も知らない」人でした。
ところで、今「2009年」というように書きました。
私個人につきましては、確かにこの2009年というのは、「何らかのはじまりの年」だったことは間違いないですけれど、そんな中で、ふと思い出したことがありました。
たまにブログでも取り上げさせていただくことがあるアメリカの未来予測プロジェクト「ウェブボット」の10年ほど前のものには、
「2009年は変容の始まる年」
だというようなことが繰り返し出てきます。
たとえば、以下のような感じです。
2008年11月30日のウェブボットより
2009年はまさに変容の年となるはずだ。
これは2009年の最初の日から終わりまで続く。
2010年から2009年を振りかえると、おそらくわれわれはこのものすごい変容の年に生きていたことを感謝するだろう。
2009年はエキサイティングで挑戦的な変化の年になる 。
崩壊の向こう側には、今とは根本的に異なる現実が開けているはずだ。準備をして向かえようではないか。
ウェブボットの主筆であるクリフ・ハイという人物は、今から10年前の、この「2009年」を、
「崩壊と変容の始まり」
としていたのですけれど、しかし、2009年は、変容は確かに始まっていたような気はしますが、
「崩壊はなかった」
のでした。
ここでいう崩壊とは、経済や社会、金融システムはもちろん、そこに「既製の価値観」までも含めての崩壊でした。
実際には、2009年から、世界のシステムは立ち直っていき、価値観も、以前よりガチガチの社会思想が構築されて現在に至ります。
このような中で、私は、この2009年頃のウェブボットのひとつの記事を思い出しました。
それは、
・「洪水」と共に社会の変容は大きく進行する。
というものでした。
一部を抜粋しますと、以下のようなものです。
2009年1月24日のウェブボットより
2009年頃に「洪水」という言葉がピラミッドの頂点に来るようになった。
これは自然災害としての洪水だけではなく、「家の差し押さえの洪水」「破産の洪水」「通貨の洪水」「ハイパーインフレーションの洪水」などというように、「洪水」の言葉で形容できる様々な現象を指している。
最近、「洪水」と同じ強さを持つキーワードが現われた。
それは火山の「噴火」という言葉である。
これは、実際の火山の噴火も指しているが、「噴火」は「洪水」と同じような、「元型的」な言葉だ。すなわちそれはあらゆる方面の「噴火」を表す。
しかし「噴火」の前に、2009年は「洪水」の年となる。
それはあらゆる悪いニュースが「洪水」となってあふれ出すことを示している。
各国経済のメルトダウンの「洪水」、金融システムの崩壊の「洪水」、ハイパーインフレーションの「洪水」などだ。
他方、「洪水」はわれわれの精神的な「変容」のための重要な条件でもある。特にそれはアメリカ国民にとってそのように言える。
「洪水」は浄化の方法でもある。
先日、以下のブログ記事で、アメリカが「建国以来、最大の洪水のリスクの中にある」ということをご紹介しました。
これは、5月の終わりまでにどのようなことになるか、今の時点ではまだはっきりとはわからないようなのですけれど、現時点で、「史上最悪の被害」を受けている場所も多く、今後長引くと、非常に厳しいことになりそうです。
2009年の先ほどのウェブボットの「洪水」のキーワードの話と、この「アメリカの史上最悪の洪水」のことが結びつきまして、ふと、
「ウェブボットの2009年の予測は、今年2019年に起きることなのでは?」
というように思ってしまったのです。
そこで、今回は、その
「2009年にウェブボットが予測して(実際には起きなかった)こと」
の中から少しご紹介したいと思います。
ウェブボットは項目が多岐にわたりますので、全体は難しいですが、
今回は、
・経済と金融
・人間の変容
について書かれてある部分から抜粋させていただきます。
そして、そこにある「2009年」という年代を、
「2019年」
と、あえて置き換えてみました。
つまり、文中に「2019年」とありますのは、実際には、「2009年」と書かれてあったものです。
ウェブボットは、もともとインターネットでの頻出単語などから予測をするというもので、特に信頼性のあるものではないです。
あくまで興味半分でお読みいただければと思います。
そういえば、今回は「ふたつにわかれていく人類」について、少し書かせていただいていたのですが、ウェブボットには、以下のような予測もありました。
2009年1月31日のウェブボットより
「太陽の病気」が、人間に大変に危険な影響をもたらす。人間の精神に影響するのである。
この太陽の異常によって人々の現実に対する意識と感覚が大きく変化し、二つの異なった世界に同時に住む人々が多く出現する。
ここから2009年のウェブボットからご紹介します。
翻訳は、すべて「ヤスの備忘録」のヤスさんによるものです。
まずは、「経済と金融」について。
ウェブボットより2019年の市場
(※オリジナルの2009年を2019年と変換しています)
この春から夏にかけて、失業率は世界的に高まる。そして秋になると実際の失業率は公式発表の2倍を超えるようになる。
物資の欠乏は世界のより豊かな国々を直撃するだろうが、特にアメリカがこれに苦しむことになる。
物資の欠乏は「革命」と「変容」という2つのキーワードに結びついている。
物資の不足が製薬産業を直撃する。医薬品の欠乏はアメリカおよび世界の国々を直撃し、医薬品の物流システムが止まってしまう。
特にこれは精神病薬の欠乏を生み、深刻な問題となる。
これは「太陽の病」「精神病」「逆上する人々」「集団的異常行動」というキーワードと結び付いているが、 これから半年以内に発生する「処方箋を必要とする薬の流通システムの崩壊」という事態の重要な要素である。
こうした事態が発生するおもな原因は物資が不足することである。
これにより、多くの人々が精神薬の依存から脱することを余儀なくさせられる。
先進国で物資の欠乏は、ジャストインタイムシステムと呼ばれる時間どおりに配送する流通システムに甚大な影響を与える。
特に食品の流通への影響は深刻で、アメリカでは大陸間の食品流通システムは完全に停止してしまう。
物資の欠乏は、気候変動や火山灰の吹き上げともつながっている。
そしてさらにこのキーワードは、「農業生産システム」「物流システム」「人口移動」とも結び付いている。
3月から始まるデリバティブの急速な縮小で、いくつかの企業や組織、また大金持ちの個人が破綻する。 この破綻によってデリバティブの崩壊はいっそう進み、デリバティブというビジネス全体が破綻するにいたる。
また、この年に始まる通貨危機は、世界的な農業生産のシステムに大きな影響を与えるとのデータがある。
「飢饉」や「飢餓」、さらに「カロリーの摂取制限」というキーワードは、アメリカ大陸との関連で出てくるキーワードだ。
飢餓の広まりは、アメリカ合衆国でもはっきりと見られるようになる。
われわれのデータからみると、2019年にはどこに住んでいようが、世界の民衆はなんらかの形の物資の欠乏を経験することになるようだ。
ここからは、人間と変容についての部分から抜粋です
ウェブボットより2019年の人類の変容
(※オリジナルの2009年を2019年と変換しています)2019年は、変化が急激なので、これまでの現実の見方を新しい現実に適応させることに難しさを感じる人々が出てくる。
このような「時間の圧力が増す」感覚は 2019年にどんどん加速する。
それは「変容」が進んでいるからである。
われわれのデータでは、「変容」の影響を逃れることのできる地域は世界には存在しない。「変容」は人々の人生のあらゆる側面を覆うようになる。
これにともない、あらゆる人々が、すぐに行動しなければならないという「圧力」を感じるようになる。
この感覚は、個人にいたるまでのレベルで感じられるようになる。そして、この感覚は2019年で終わるわけではなく、出発点にしかすぎない。
あらゆるデータからみて、2019年は「古いもの」の「破壊」と「解体」が進む年だ。
これは新しい創造のエネルギーが国家レベルで現れる年の春まで続く。
アメリカ国民の間でものの見方の大きな転換が起こる。
この転換は個人の態度に大きな変化をもたらすが、 それはおもに個人と宇宙との関係が変化するからに他ならない。
こうした変化によって、2019年の末には多くの人々は現在の資本主義を放棄するにいたる。
このような変化は、2019年の夏に既成の価値観がひっくり返り、社会契約が崩壊するのをきっかけとして起こる。
ドルが死に、富の破壊が進むにつれ、人々は貨幣や通貨に対する子供じみた執着を捨てるようになる。
2019年、社会秩序が崩壊する変容の過程で、生活の必要から、人々は古い社会集団に代わる様々な新しい社会集団を形成するようになる。
このような社会集団は「新しい家族」を含む。
世界の国のどの国民よりも、アメリカ国民がもっとも困難な食糧難に直面する。
食糧難の原因は、風向パターンの変化、宇宙からの未知のエネルギーの放射、そして紫外線の増大などである。
食糧難は他の様々なキーワードとの関連で起こってくる複雑な現象である。
私個人は、2019年は、過去10年くらいの中では、やや大きなことといえることが起きるというように考える部分はあります。
とはいっても、たとえば、リーマンショックも、東北大震災も、アメリカ同時多発テロの時代も、いちおう私たちは生き抜いているのですし、過剰に警戒することもないとは思いますが。
いずれにしましても、今回のメインのテーマは、
「同じ社会に住んでいるまったく異なったふたつの人類」
ということです。
そして、今後、この図式はさらに拡大していくと思います。
そのうち、
「地球にまったくちがう2つの人種が住んでいる」
というようなものにまで発展していく可能性もありそうです。
もちろん先ほども書きましたように、「どちらが正しい」というものではないです。どちらが正しいというのはないですけれど、でも、ちがう世界に生きている。
おもしろい時代だと思います。
ここまでです。
ここでは、「 2019年」というような年代を挙げていますが、これはまさに今の 2020年だというように感じます。
文中に「コバヤシくん」という人が出てきますが、中学高校を通じて、「友だち」と言える人はこの人だけでした。
それは「何を言ってもいい相手」としての友だちですが、その後の人生でも、そういう人は数人だけだったと思います。
「生涯の友だちは数人」という寂しい話にもなりますが、でも、私みたいなイヤな感じでアクの強い人間には、それでもたくさんの友だちがいて良かったなあと思うほどです。
ちなみに、コバヤシくんはこのメルマガでは「海外に赴任した」と書いてありますが、実際には二十代で防衛省に入り、そこで卓越したロシア語能力を見出されて、その後、当時のソ連に諜報として送られました。それ以降、音信不通です。このことは書いたことがないですが、まあ 30年以上前の話ですから問題ないでしょう。
ソ連に赴く前に 1週間の休暇を与えられ、東京の私のところに来て、その間ずっと遊んだのが最後の思い出です。
中学生の時に、私にジミ・ヘンドリックスを教えてくれたのも、ジョン・コルトレーンを教えてくれたのも、ドイツのクラフトワークを教えてくれたのも、すべてコバヤシくんでした。
あと、今でも会いたい人としては、札幌に住んでいた時に知り合ったナカジマさんという年上の男性がいまして、この人からも非常に多くを学びました。
今に思えば、ナカジマさんは、おそらくディスクレシア(文字が読めない)で、私は「こんなに頭のいい人がどうしてそうなんだろう」と不思議でしたが、学習障害っていろいろありますしね。
私も、具体的には書かないですが、学習障害と、空間認識障害があります。
その後、東京に出てきて、ジローさんという社会不適合者と、ハナダ・カンというアナーキストの京大生と知り合い、それらも、まあ友だちでした。
ジローさんという人は今、五十代ですが、「生まれてから一度も風邪を引いたことがない」という、風邪を引くことに憧れている宇宙人のような人で、ハナダ・カンは、二十代の時に「ゲージュツのために地下に潜る」と言い残し、それ以来、音信不通です。
ハナダは信じられないほど頭のいい人でしたが、信じられないほど狂人でした。
思えば、付き合った人たちは、変な人ばかりでしたが、何を言っても許されるという人たちで、人生すべて失言という私のような人には救いでした。
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