12月24日のアメリカ「ゼロヘッジ」の記事より
上の記事に出てくる英単語 celibacy の意味
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日本の出生数減少を「破滅を招く国家的大災害」という言葉で語る海外の報道
前回、
・日本のこの100年間とは何だったのか
In Deep 2017/12/24
という記事を書き、世界全体が、本来なら精神主体であるぺき人間文明のありかたをもはや失ってしまっているというように見た場合、今後、私たち人類に訪れるかもしれない最も想像し得る道のりは、シュタイナーが亡くなる半年ほど前に言っていた、
「人間は根絶やしにされるでしょう。」
というようなものとなっていく可能性がとても高く、それは理論的・合理的に説明するようなものではないかもしれないですが、わりと多くの方が、頭のどこかにそのような「未来」がちらつくことはあるのではないでしょうか。
たとえば、今でも報道やニュースで最も注目を浴びるタイプのものが「終末的」という言葉が当てはまるものだったりします。
潜在意識の実現化とか、いろいろな概念がこの世にはありますが、多くの人々の頭や心の中のどこかで「いつも終末のイメージが躍動している」ということは否定できないところではないでしょうか。
特に主要国と言われる国々に住んでいる人たち……多くが、電子端末とコンクリートに囲まれた生活をしている人たちは特にそんなようなことになっている気がします。便利だけれど「人間本来の生活だとは誰も思っていない」毎日がこうも何十年も続いていると、人間の本能としてのどこかの部分で「リセットスイッチ」を押したくなる。
しかしまあ、「世界全体」なんていう大げさな話はともかくとして、前回の記事では「日本がなくなっていく」ということの寂しさを書きたかったのでした。
特に、私は「日本語」というものが大好きで、これは文法的にも世界で非常に特異な言語であり、基本的には類似したものはないといえます。なので、この日本語が将来的に地球から消えていくというのは本当に悲しいことだと思います。
英語教育の重要性なんていう、少なくとも一般の日本人にとっては(あまりにも)くだらない概念のために、今ではまるで「日本語が英語より劣っているかのような」変な感覚を持つ若い人たちさえいる。日本語は人類が実際に使っている中では信じられないほど高度で感情深い言語なのに。
「あー残念だ、残念だ」と日々思います。
今回は冒頭に、一昨日のアメリカの人気サイト「ゼロヘッジ」の記事のタイトルを載せたのですけれど、これは、数日前の「日本の出生数が過去最低に」という報道と関係しているものです。
そのゼロヘッジの記事のタイトルに「セリバシー / celibacy 」という聞き慣れない単語が出ていたのです。「セリバシー症候群」というように表記されていました。
この「セリバシー」を調べてみますと、辞書的には、
・宗教的な独身主義、禁欲主義
というような意味となるのだそうで、また、このセリバシーという単語を検索しますと、Wikipedia の「不淫」という項目がトップページに表示されます。
不婬(ふいん、英: celibacy)とは自発的に独身でいること、または性的に禁欲すること、またはその両者であり、多くの場合宗教的な理由による。これはしばしば宗教内における公的な立場や献身と関係する。
狭義においては celibacy という語は、宗教上の誓いや、放棄、および信念に基づく独身者のみに用いられるが、広義には単に性的な禁欲を意味するものとされる。
ということで、ゼロヘッジの見出しで使われているセリバシーの意味は「単に性的な禁欲を意味する」というほうのものだと思いますが、結局これを「性的禁欲シンドローム」という訳にしたのですけれど、調べてみますと、この「日本の若者たちの性的禁欲シンドローム」というニュアンスは、海外では、数年前から繰り返し使われていたものなのでした。
最初は、2013年にイギリスのガーディアンが、「性的行為を捨てた日本の若者」という事柄について特集記事を組んだのが始まりだったようです。
2013年10月20日の英国ガーディアンの報道記事
・Why have young people in Japan stopped having sex?
このガーディアンの記事は非常に長いもので、全部読み切れないほどのものでしたが、この現在の日本の男女の状態は、海外から見て「異様」にうつるらくし、そこに出てきた表現が、宗教的な禁欲を意味する言葉を使っての「日本で広がる性的禁欲シンドローム」ということになったようです。
ここでは、冒頭に挙げましたゼロヘッジの記事をご紹介しておたきいと思います。ここからです。
Japan Births Plunge To Lowest Level Ever Recorded As "Celibacy Syndrome" Takes Its Toll
zerohedge.com 2017/12/22
日本で「性的禁欲シンドローム」が増加する中、出生数が過去最低に急落
2013年に私たちは「なぜ日本の若者たちはセックスをやめたのか?」という問いを発した。その際、日本家族計画協会がおこなった調査を載せたが、その内容は非常に深刻なものだった。調査では、16歳から 24歳までの日本人女性の 45%、男性の 25%が「性的接触に興味がない」と回答したのだ。
そして今となり、その答えは、絶え間なく減少し筒付ける日本の出生率によって、それ自体が明らかにされたのかもしれない。
事実、「性的禁欲症候群(celibacy syndrome)」は日本政府にとって大きな懸念となっており、これは日本にとり恐ろしい国家的カタストロフ(大災害)のひとつと考えられている。そして、現実として加速度的に大災害への道は大きくなり続けている。
日本の厚生労働省が発表したデータによると、日本の児童出生数の総計は 2017年には、わずか 94万1000人にまで減少し、データでは 1899年に記録を始めて以来最低の数字となった。また、この数字は、日本で最も出生数が多かった 1940年代から 65%近く低くなっている。
フィナンシャル・タイムズ紙によれば、日本政府は、資格取得プログラムを通じ、若い世代の育児費用をカバーするなど人口増加を促すための計画立案者たちの最善の努力を続けているにもかかわらず、日本の出生率の低下は拡大している。
以下はフィナンシャル・タイムズ紙からの抜粋だ。
日本の出生率の上昇を最優先課題に挙げている安倍晋三政権は、12月22日、現在の出生率低下の傾向を逆転させるために無料の就学前教育、私立高校と大学教育の無料化を提供するための第一歩を踏み出す予算を承認した。
極端に低い出生率が逆転されない限り、日本の人口を増やす唯一の選択肢は、より多くの移民を受け入れることになるだろう。しかし、強い経済に牽引された外国人労働者の流入が多いにも関わらず、日本の政治家は移民の議論を躊躇している。
安倍晋三政権は、日本の合計特殊出生を 1.8人に引き上げるという目標を設定した。役人たちは、女性が仕事と育児を容易にするための対策と相まって家族がより多くの子どもを育てるよう奨励することになるだろう。
首相は、「子どもたちを支える戦略を進め、出産のための環境を整えることで出生数の減退を止めたい」と述べた。
その一方で、日本では高齢化も拡大している。2017年の死者数は 3%増の 134万人となり、人口の自然減としては、第二次世界大戦以降最大となった。
国家社会保障・人口研究所の予測によれば、日本の人口減少のペースは今後さらに加速し、2045年までに、日本は年間約 90万人の人口を失うとの見通しがある。このことから、危機は時間の経過とともに悪化すると予想されている。
現在の傾向では、日本の人口は 2065年までに現在の 1億2650万人から 8千800万人に減少する。そして、2115年には日本の人口は 5100万人となる。
ここまでです。
この記事にある日本の出生数のグラフを拡大しますと、下のようになります。
日本の出生数と出生率の推移(1972 - 2016年)
日本で「少子化対策」が本格的に始まり「少子化社会対策基本法」というものが公布されたのは 2003年ですが、「政府による少子化対策が始まってから、さらに少子化が加速した」という状況は笑うところなのかどうなのか難しいですが、その頃からの急落ぶりはかなりのものがあります。
日本では、政府もマスコミも、この出生数の減少が加速していることについて「深刻」というような言葉で報じたりしていますが、海外では、この記事にありますように、
「国家的カタストロフ」
というように表現されています。もっと厳しい表現となっているのです。
傍目に見ても、壊滅的に響くのでしょう。
国家の維持と存亡そのものをコントロールするのは生きている若者たち自身
この問題と関係する「なぜ結婚しなくなったのか」そして「なぜ子どもを作らなくなったのか」ということについては、いろいろとあるにしても、世間では一般的に、「経済的なこと」や「将来の希望や不安」などが言わますが、部分的にはそれはそうかもしれないですが「根本的な問題ではない」とも思います。
というのも、過去のデータを見ると、
・社会の平和や繁栄と出生率の増加はリンクしていない
からです。
女性が生涯で何人の子どもを出産したかという合計特殊出生率がありますが、先ほどのゼロヘッジの記事では、日本政府はこの合計特殊出生率を「 1.8 」にする目標があるとしています。つまり「日本の女性が生涯で平均 1.8人の子どもを出産するような社会になってほしい」と(現在は 1.44)。
その合計特殊出生率の「 100年間の推移」を見てみますと、下のようになっています。
1918年から2016年までの日本の合計特殊出生率の推移
これを見ますと、「女性たちが子どもを出産しなくなっていった時」と、一般的に言われる「少子化となる理由」が、時代の背景から見て、リンクしていないことがおわかりかと思います。平和も経済的な繁栄も、多少は影響があるのてじょうけれど、直接的にはあまり関係がないようです。
ちなみに、その国の「人口が維持される」ための合計特殊出生率は「 2.07以上」と言われています。そういう意味では、日本は 1970年代からすでに人口減の過程が始まっていたということになり、そして今になって顕著になったということになると思われます。
同時に、「出生に関してのこと」が「社会的に問題のある状態としてクローズアップされるまで」には、数十年かかることもわかります。
ということは、今から数十年後は……。
そして、もはや出生数や、あるいは結婚もそうですけれど、「そういう数を上げていく」ことが相当厳しいというのは、社会的な議論云々を経なくてももわかる気がします。
つい最近のキャリコネニュースの記事「出生数、過去最低は必然なのか 「赤んぼの泣き声を煙たがってる社会に未来はない」「自分の人生を自由に生きたい」」には、たとえば、ネット上の意見として、
「いまは一人でもスマホがあれば、そんなに孤独感を感じない。誰かと寄り添いたいという気持ちより、誰にも縛られない自由を大事にする時代になったと思う」
「お金とかの問題じゃなくて、純粋に子供が欲しいと思えない。今の時代ほかに娯楽も沢山あるし、自分の人生を自由に生きたい」
とあったり、あるいは、
厚生省の調査によると、「結婚は個人の自由であるから、結婚してもしなくてもどちらでもよい」という考えに賛成する人は1992年には30.9%に留まっていたが、2009年には48.0%まで増えている。
現状の結婚率を見る限り、「結婚したり、子どもを作るほうが例外的」な社会にさらになっていきそうですが、これらのことは、昨日の記事、
と、明確にリンクしていると私は思っています。
100年前の日本……、戦争が続いたり、日本の地方部には餓死を伴うような途方もない貧困が広がっていた時にも、そんな日本では、「ひとりの女性が平均 5人の子どもを出産していた」。
それから 100年後の今の日本……、餓死をするような貧困は著しく減り、世の中は物質と食べ物に満ちあふれ、娯楽と情報がいくらでも手に入る生活となり、テレビをつければ(お笑いの)笑い声が響き渡る中で、男女は交わらなくなり、じきに出生率は 1 に近づく。
となると 次の 100年後は……。日本は消えているはずです。
推計では、2115年には日本の人口が 5100万人になるとされていますが、今後、さらに超高齢化が見込まれるような年齢分布構造で、そのような人口になるまで国家が存続できる理由は、どれだけ考えてもあり得ません。
そして、常識的な方法では、その「国家消滅」の道を食い止める方法はないと思われます(非常識な方法ではあり得ますが、非常識すぎて書いてはいけないことです)。
それにしても、このことからよくわかったのは、「国家を処刑できるのは、その国の若者という人口集団」だということでした。
「出産による人口維持」という事象がこんなに短期間で崩壊してしまうということに驚きながらも、若者たちの人口集団によるこういう国家の崩壊の仕方もあるのだと感じ入ります。
このことについて若者たちを責めるのは完全な筋違いで、それでは何か責められるべきものはあるのか……という部分を注意深く見つめ直してみますと、「その背後にあるもの」が、何となく見えてくる感じはあります。
もしかすると、これはとても注意深く進められた計画的ともいえる「何か」なのかもしれません。
それはあまりも漠然ながらも大きな「存在」となりそうで、簡単に書けるものではないですが、しかし、皆さんにも漠然とでいいですので、日本のこの 100年間を振り返り、「日本を滅亡に導いたその正体」をお考えいただけると幸いだと思ったりするのです。