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「日本人の精神的崩壊は6世紀に始まり今完成しつつある」 : 宗教的信念はうつ病からの保護効果を持つという医学的研究から思う現代日本に根付く「病の構図」

投稿日:2019年2月11日 更新日:

2019年2月10日の米国科学メディアの記事より


sciencealert.com




 

今日、科学系メディアの記事を見ていましたら、「宗教的信念は、うつ病に対しての保護効果を持つ」ことが、最新の脳の画像撮影技術により判明したという記事を読みました。

これは現代のアメリカの研究の記事ですから「宗教的信念」というのは、たとえばキリスト教であったり、イスラム教であったり、仏教であったり、そういう既製の宗教のことを言っています。

そういう意味では、本来なら、これはそんなに注目するような記事ではないはずなのですけれど、しかし、

「これを、既製の宗教ではなく、《自由な信仰》に置き換えたらどうなのかな」

と思ったのです。

たとえば、本来の日本の、八百万の神様的な……この世の存在は何でもかんでも神様だというようなものでもどんなものでも、「それを本気で信仰していれば」どうなのかなと思ったりしまして、そこから、ふと、

「もしかしたら、日本人がこんなに病んでしまったのはこれと関係あるのかな」

ということを考えてしまったのでした。

まずは、冒頭のアメリカの科学メディアの記事を翻訳してご紹介しますが、今回の本題がこれだというわけでもありません。


Spiritual Beliefs Are Linked to a 'Protective' Effect Against Depression in The Brain
sciencealert.com 2019/02/10

宗教的信念は脳内の「うつ病に対する保護的効果」と関連している

最近の新しい研究によると、宗教的信念、または宗教的な感覚は、うつ病に対する脳の状態を緩和する可能性が示されている。

また、私たちの個人的な信念と、その脳の白質の厚さとの間には興味深い相関関係があることも研究ではわかった。

この説は、まだ初期段階のものだが、このような発見が積み重なるにつれて、うつ病と宗教との関連はかなり興味深いものになりつつある。

うつ病が、少なくともある程度、私たちの遺伝子の結果であることは現代の医学では認識されている。たとえば、片方の親がうつ病の場合、その子どもがうつ病を発症するリスクは 2倍となり、両方の親がうつ病であった場合は、おそらくリスクは平均で 4倍にもなる可能性があることを示唆する研究は数多くある。

しかし、これらの研究は確かに、うつ病の遺伝的要素を強く示唆しているが、うつ病の発症は、うつ病の親を持つすべての人に影響を与えるわけではなく、家族歴のない人にも現れる。

これは、うつ病の発症には、他にいくつかの要因があることを意味しており、その要因の中には、その本人が持つ本質的な世界観や価値観があり、発症の要因のひとつかもしれない。

研究によれば、宗教や神を信じる精神性への確固たる信仰や信念は、大うつ病性障害(MDD)の再発から一部の患者たちを保護する効果があるように思われる。

この研究は 2005年から行われており、その際の研究で、宗教が健康状態の悪い人々のうつ病に対する緩衝剤として役立っていることが発見されている。

さらに、2013年にも同様の調査がおこなわれており、その際には、精神的な健康問題について病院で治療を受けている人は、宗教的な信仰を持っている方が治療に対する反応が良いことが判明した。

今回の研究では、それをさらに深く掘り下げ、拡散テンソル画像(脳内神経の詳細な状態を撮影できる医療撮影技術)と呼ばれる MRI ベースの画像を使用し、99人の参加者の脳内の白質を視覚化した。

白質は、脳の皮質を構成する青白い組織であり、脳細胞が互いに通信をするために必要な回路を含んでいる。

以前の研究では、白質が薄くなることが脳のうつ病のバイオマーカーであることが示されており、2014年の研究では、宗教と神を信じる精神的信念を持つ人で、うつ病に関連するいくつかの脳の領域がより厚い皮質となっていることがわかった。

今回の新しい研究の結果は、これらの相関関係を明らかにした。

研究者たちは、家族性のうつ病リスクが高くても、重要な宗教的または神を信じる精神的信念を持つ人々は、家族性のうつ病リスクが低い参加者に近い脳を持っていることが発見されたのだ。

「宗教や神の存在を信じる精神性をもとにした信念を持つ人たちは、頭頂部と後頭部の皮質がより厚いことがわかった」と著者らは結論付けている。

そして、以下のように記している。

「脳のこれらの白質の領域では、皮質の菲薄化(脳の皮質が薄くなること)がうつ病の発症リスクの確かなバイオマーカーとして報告されていたため、宗教的または精神的信念の重要性が高い人たちでは、脳のこの領域の皮質が厚いために、うつ病の保護的メカニズムとして役立っていると仮説を立てた」

これらの「脳の領域の厚さ」と「宗教的信念」の関係は非常に興味深いことだが、しかし、宗教的信念が脳の白質に及ぼす影響が確実であると言えるようになるまでは、同じような研究や他の多くの研究が繰り返され、また検証される必要がある。

人間の脳に対して、単純な答えはないはずだ。


 

ここまでです。

ひとことで言いますと、「脳の白質という部位が薄いことと、うつ病とに関連がある」ということが前提としてわかっていて、そして、

「宗教的信念の高い人は、脳の白質が厚い」

ために、うつ病から保護されやすいということのようなのですね。

脳の白質

irino.jp

それでまあ、これはこれでいい話なのですけれども、ふと思ったのは、外国人の人たちはともかくとして、「宗教」ということに関して、

「そもそも、私たち日本人の《神様》とはどんなものだったのか」

ということをいろいろ思ってしまったのです。

特に「昔の」神様です。

「昔」というのも曖昧ですが、たとえば、日本には、6世紀に中国から仏教というものが輸入されますが、それ以前はどうだったか、とか。

いろいろな説はあるにしても、最も相応しいと考えられるのが、『日本書紀』などの資料から「 6世紀以前の日本人の神様感覚」を記した英国のジャーナリストの下の表現がおそらく正しいものに近いと思われます。

デヴィッド・キース著『西暦535年の大噴火』より

神=カミは、それ自体の姿形を持っていないと見なされていた。シャーマン(僧侶)から、ある物の中に入るように「言われると」、その物の形に適合できるとされていたのである。

そして、霊たちは、細長い「器」の中に住みたがると一般に信じられていた。

具体的には、魔法の杖、旗、長い石、木、特殊な目的の人形、そして生きている人間などである。そうした人間(霊媒)は女性であることが多く、その体と声に神々が乗り移るとされた。

このように、日本の神様は、

> 神=カミは、それ自体の姿形を持っていない

という特徴がある上に、

「どこにでも住んでいる可能性がある」

ものでもありました。

ちょっと話が逸れますけれど、8年くらい前の過去記事に書かせていただいたものがあります。

それは、現在は中学生のうちの子どもが 5歳の頃に高熱を出した際、横でずっと看病していたのですが、夜中に突然ベッドから上半身を起こして下のようなことを私たちに向かってつぶやいたことがありまして、その内容のことについてでした。

岡某くん(5歳)の 熱せん妄

幼稚園の先生は神様は空の雲の上にいるっていうけどね・・・それは違うんだよ。

神様は透明で、どこにでもいるの。

あそこにもそこにもいるの。

雲の上にもいるけど、他にもどこにでもいるの。

木にセミみたいに止まっていることもあるの。

透明だから誰にも見えない。でも、透明でもそこにいるの。

全部の空も砂も木も全部すべて神様なの。

こう言って、またパタッと眠りました。

ちなみに、当時のうちの子どもは「さしすせそ」が「しゃししゅしぇしょ」になる「タラちゃん語」でしたので、実際には、

・先生 → しぇんしぇい
・神様 → かみしゃま
・あそこにもそこにもいるの → あしょこにもしょこにもいるの

という発音だったのですが、子どもがこんなことを以前に言ったことがなかったですので、奥さんともども驚いて、「熱でどうかしちゃったのかな」と思った記憶があります。

翌日起きた時には、子ども本人はそんなことを言ったこと自体を覚えていませんでしたが、ともかく、この 5歳の子どもが言った「神様観」は、先ほどの、

「それ自体の姿形を持っていないと見なされていた神=カミ」

と通じるものだと今は思います。

 

そして、少なくとも日本人は、「これでいい」のだと私は思うのです。

私自身が、幼い頃から限りなくこれに近い宗教観で生きてきたように思います(若い時は、「空全体が神」だと思っていました)。

しかし、6世紀のはじめころに、この古来の日本人の神様観の世界に入ってきたのが「宗教」というものでした

さらには、当時、正確には、西暦 536年くらいからなのですが、仏教が日本に入ってきてすぐに、日本では「天然痘と思われる病気が恐ろしく流行して、おびただしい数の人々が亡くなった」のです。

当時どのようなことになっていたのかが、先ほどの『西暦535年の大噴火』 に詳細に書かれています。

あまりにもすさまじい天然痘の被害の後の日本では、以下のようなことが起きていました。

『西暦535年の大噴火』 第7章 東洋の悲劇より

とくに被害の大きかった地域では、住民の九割が罹患し、生き残れたのは三割だけだったと思われる。以上のような状況では、「天皇が仏教崇拝を許したことが伝染病流行の原因」と見なされても不思議はない。

仏教反対派はもちろん、日本の神々が怒ったのだと主張した。

そうした神々は、現在の神道が信奉している神々と同一であり、主に五つに分類されていた。

自然の中に住んでいる神(木や、薄くて背の高い石、山などに住んでいる)、特殊な技能・技術に関連する神、特定の一族を守り特定の共同体を敵視する神、以前は人間だった神(先祖の一部を含む)、そして特定の高貴な神々(太陽神、日本列島を形作ったと言われている二柱の神々など)である。

神=カミは、それ自体の姿形を持っていないと見なされていた。シャーマン(僧侶)から、ある物の中に入るように「言われると」、その物の形に適合できるとされていたのである。

霊たちは、細長い「器」の中に住みたがると一般に信じられていた。具体的には、魔法の杖、旗、長い石、木、特殊な目的の人形、そして生きている人間などである。そうした人間(霊媒)は女性であることが多く、その体と声に神々が乗り移るとされた。

天皇は稀有な男性霊媒とされ、その体は、神聖な祖先である太陽の女神が永遠に「借りている」とされた。こうして天皇は、神性の入るところ、神性の媒体とされた。

天然痘が猛威を振るうと、物部氏と中臣氏は、蘇我氏から仏像を奪い取るよう天皇に嘆願したと『日本書記』にはある。

「あのとき、臣の意見を用いられなくて、この病死を招きました。いま元に返されたら、きっとよいことがあるでしょう。仏を早く投げ捨てて、後の福を願うべきです」

ここまでです。

この前後については、

ウイルスの流入の繰り返しでDNAの進化をなし得てきた人類をサポートする「宇宙と火山」(2)
 In Deep 2012年09月24日

という記事でご紹介しています。

 

これが西暦 530年代の終わり頃の話だと思われますが、しかし、西暦 590年の日本では、結局、「仏教推進派が勝利」します。

そして、日本の古来の神を復活させようとした「日本国家の孤立と伝統を求めた一派」は敗北するのです。

以後、日本は「古代のカミ」を捨てて、外国の神様を国の第一の神様として国家作りがスタートすることになりました。

うちの子どもが熱の中で言っていたような、「全部の空も砂も木も全部すべて神様なの」という神様はこのとき以来、日本人の神様ではなくなったのでした。

 

・・・まあ、しかしですね。

歴史的にだけ見ると、この 6世紀に変化が起きたというようになりますけれど、現実的には、日本人は、ずーっと、少なくとも、おそらく戦後くらいまでは、「実際には、宗教なんて何とも思っていなかった」のです。

たとえば、歴史家の渡辺京二さんの著作『逝きし世の面影』は、幕末から明治初期の日本にやって来た外国人たちの著作等から「 120年前の日本の姿」を描き出している名著ですが、その中に以下のような部分があります。

渡辺京二著『逝きし世の面影』より

1871年に来日したヒューブナー。「私はこの国(日本)の有力者たちに信仰を持っているかどうか幾度も尋ねてみた。するといつも判で押したように、彼らは笑いながら、そんなことは馬鹿らしいと答えるのだ」。

バードは1878(明治11)年の東北地方縦断の際、久保田(現秋田)の師範学校を見学したが、校長と教頭に対して生徒たちが宗教について教えられているかどうか尋ねると、二人は「あからさまな軽蔑を示して笑った」。

「われわれには宗教はありません。あなたがた教養のおありの方々は、宗教は偽りだとご存じのはずです」というのが教頭の答だった。

リンダウは、「宗教に関しては、日本人は私の出会った中で最も無関心な民族である」と言う。日本には数多くの寺社があるにもかかわらずそうなのである。

僧侶は「いかなる尊敬も受けていない」。仏教と神道の区別もはっきりしない。民衆は「宗派の区別なく、通りすがりに入った寺院のどこでも祈りを捧げる」。しかし彼らは信仰からそうするのではなく、神聖とされる場所への礼儀としてそうしているのである。

これがほとんどの日本人の観念だったと思われます。

つまり、信仰心を聞かれると、日本人は「そんなことは馬鹿らしい」と答え、「われわれには宗教はありません」と断言し、外国人から見れば、「日本人は、出会った中で最も宗教に無関心な民族だ」と思わせしめる。

その根幹には、

神様はどこにでもいる

という基本的な思想が日本人にはあるからだと思われますが、先ほどご紹介しました「宗教的信念がうつ病からの保護に役立つ」という研究内容を、このことにあてはめて考えてしまったのですね。

日本人にとって、もともとの宗教的信念は、「それ自体の姿形を持っておらず、どこにでもいる神=カミ」であり、「全部のしょら(空)もしゅな(砂)も木も全部すべてかみしゃま(神様)なの」であるというところにあると考えますと、要するに「自然そのものすべてが神様」だというのが日本人の……まあ、宗教観というほどのものではなく、「それが当たり前」だと思って生きるのが最も妥当なはずなのです。

そして、それは現在の世界を支配している「物質主義」「唯物主義」の中では、神様たちをとても心苦しい状態においてしまっているのかなと。

もちろん「何にでも神様は住んでいる」というのなら、プラスチックの中にも、フッ素の中にも、プルトニウムの中にも、インフルエンザワクチンの中にも、睡眠薬の中にも神様は住んでいるのかもしれないですが、なんかちょっと違う。

 

というより・・・まあ・・・つまり、今の私たち日本人は、

 

「この世のすべてが神様だと思って安心して毎日暮らす」ということができているのかどうか

 

という話でありそうで、それは何となく「できていない」というような気もしまして、そうなってくると、日本人本来の宗教観は、どんどん薄くなる一方とも言えそうで、そこと先ほどの医学的研究が結びついて考えられてしまった次第です。脳に異変が起きる(白質が薄くなる)。

 

そんな感じで、やや支離滅裂な記事となってしまいましたが、心身の健全を取り戻すということには、それぞれの民族独自の価値観に立ち返ってみることも大事なのではないかなと、特に最近のやや荒んだ日本の風景を見ていると、そう思います。
 

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