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日本のこの100年間とは何だったのか

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ルドルフ・シュタイナーが93年前に語った「人類の消滅」と「すでに消えた日本」

 

昨日(12月23日)、記事の更新をしなかったのですけれど、実は、ある時事について書いている途中に、ふと、かつて読んだルドルフ・シュタイナーの講演が収められている本を参考にしようと眺めていた時に、その本の大ラストであり、つまり講演の最後の言葉でもあるくだりを読んで、「ああ、なんか」と思いました。

以前読んだ時にはそこまで切実に感じなかったように思うのですが、今はとても感じまして、そこで記事を書く手が止まってしまったのです。

それで、今朝になりまして、その部分を抜粋しておきたいと思いましたので、そうすることにします。

講演は、1924年7月から 8月にかけておこなわれた『宇宙と人間の発生ならびに人類文化の進化の歩み』という物々しいタイトルのもので、これはその中のラス中のラスの言葉です。

ちなみに、シュタイナーは 1925年3月に亡くなっていますので、最晩年の言葉のひとつということもできるかもしれません。

なお、ここに出てくる「悟性」という日本語はあまり使われませんが、辞書的には「人間の認識能力の一つ。論理的な思考力」となります。シュタイナーは「精神と反対の意味」で使っています。

ここからです。


1924年のルドルフ・シュタイナーの講演『宇宙と人間の発生ならびに人類文化の進化の歩み』より

最初、人間は悟性なしに、精神とともにありました。ついで、精神がしだいに衰え、悟性が発展しました。いま人間は、悟性から再び精神にいたらねばなりません。文化はそのように歩まねばなりません。

文化がそのように歩もうとしないと、どうなるでしょう。

人々は、「世界戦争のようなものは、かつてなかった」と言います。人間がこのように切り裂かれたことは、今までありませんでした。

しかし、悟性が再び精神を得る方向に進まないと、もっと大きな戦争が勃発するでしょう。ますます野蛮な戦争が勃発するでしょう。そして、人間は根絶やしにされるでしょう。ねずみ小屋にとじこめられた二匹のねずみが互いに食い合って、最後には二本の尾しか残らなかったというのと同じ事態となるでしょう。

これはオーバーな言い方ですが、人類はもはや人間がいなくなる方向に向かっています。人類の本来の歩みを知ることは非常に重要なのです。


 

ここまでです。

なお、この講演の内容は、『シュタイナーの地球年代記』という著作に収められています。

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なお、上の言葉の中にあります、

> 人間がこのように切り裂かれたことは、今までありませんでした。

というのは、この 1924年というのが第一次世界大戦から 6年後であり、特に敗戦国だったドイツは、国内も国際関係も混乱していたという背景もあるのかもしれません。

そして、この言葉の 15年後に、シュタイナーの「もっと大きな戦争が勃発するでしょう。」という言葉通りに第二次世界大戦が勃発し、第一次世界大戦以上に壊滅的な様相を呈する戦争となります。

さらには、あれだけの被害と惨状を呈した第二次世界大戦の後、「世界情勢はむしろさらに悪くなっていった」というのが事実です。冷戦時代には、いろいろな偶発的なことが重なり、全面核戦争を含む米ソの大戦争にはなりませんでしたけれど、今にいたるまでずーっと第三次世界大戦の話は絶えません。

この「アメリカとソ連の一触即発」については、以下の過去記事でふれていますが、どれも本当にギリギリだった案件ではあります。

世界は何度か全面核戦争ギリギリまで踏み込んでいたことに関係する記事(1967年、1945年、1983年)

1967年 アメリカと世界は「核戦争勃発のほんの一歩手前」にまで連れていかれた。そこに連れていったのは・・・太陽
 In Deep 2016/08/10

「ソ連の主要な66都市をすべて核兵器で消し去る計画」をアメリカは1945年に実行直前まで進めていた。そこから浮かび上がるのは「広島と長崎への原爆投下は戦略ではなく、ソ連攻撃に際しての被害想定の検証のための試験」だったという概念
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ウラジーミルの異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか
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しかし、いつもいつも「そうそう偶発的にこう回避される」ということが続くわけでもないでしょうし、いつかというのはともかく、「いつかは」それが偶発的に止められなかったというようなことになるのは避けられないと思われます。

今度の戦争が世界規模になれば、無人の焼け野原となる面積が過去最大級になることは確実でしょうし、そう考えますと、シュタイナーの言う、

> ねずみ小屋にとじこめられた二匹のねずみが互いに食い合って、最後には二本の尾しか残らなかったというのと同じ事態となるでしょう。

という比喩はあながち間違ってもいないのかなとも思います。

何となくそういう未来ばかりを思い浮かべます。

仏陀、つまりお釈迦様が 2000年ほど前に残したお経に『法滅尽品』というものがあります。そこでは末法的な描写が多く述べられていますが、下のような部分があります。

『大集経』法滅尽品より

東西南北の国王が互いに戦争をし、侵略を行う。
虚空中に大音声が響き渡り、大地が震える。
悪疾が次から次へと流行する。
太陽と月は光を失い、星の位置が変わる。
白い虹が太陽を貫く凶兆があると、大地は振動し、水は涸れ、不時の暴風が起こる。

後半の、月と太陽の光が消える、星の位置が変わる、白い虹などはともかく、前半の描写「東西南北の国王が互いに戦争をし」は、この言葉以来の 2000年間で何度あったかわかりません。末法の世の中以前にずっとこの世は末法だったとはいえるのかもしれません。

関係ないですが、この法滅尽品のこの部分を久しぶりに読みまして、この1〜2年の間に書いた記事とリンクしていることも多いなとも思います。

今回の記事は予言・予測のたぐいではないですので、特に内容は取りあげませんけれど、月と太陽の光が消える、星の位置が変わる、白い虹などは下のような記事をふと思いさせてくれます。

お釈迦様の言う末法的な部分と関連しそうな過去記事

イヌイットの長老たちが「地球の軸がズレた」ことを告げる手紙を NASA に送る
 In Deep 2015/03/09

※ この記事に出て来るイヌイットの方のひとりの言葉は、「最近、星がいつもと違って見える。もはや星は以前の位置とは変わってしまったんだよ。私の世界は変わってしまった。空も大地も自然も」というものでした。

 

太陽が暗くなってきている
 In Deep 2017/12/17

白い虹、赤い虹、金の虹
 地球の記録 2017/12/20

 

100年前の日本はすでに

ところで、今回のタイトルに私は、「日本のこの100年間とは何だったのか」とつけています。しかし、ここまでの流れは「今の世界、あるいは地球」の話であり、「日本」ということがピックアップされることではありません。ですので、日本の話はこここからということになります。

先ほど抜粋しました 1924年のシュタイナーの講演『宇宙と人間の発生ならびに人類文化の進化の歩み』の前半部分には「日本」という言葉が何度か出てきます。

ところが、

「そこでぷつりと日本という言葉は消える」

のです。

以後、この講演の中には日本という言葉は出ませんし、おそらくは、その後、シュタイナーが没するまで二度と出なかったかもしれません。

シュタイナーは、この講演のタイトルにある「人類文化の進化の歩み」の中で、特に重要で興味深い人種を挙げており、講演の最初で、以下のように明確に述べています。

「モンゴル民族、日本人、中国人。彼らは最古の地上の住人の末裔なので、非常に興味深いのです」

 

これは現在の ミトコンドリア DNA の追跡から判明している一般的な人種の歴史ではありません。シュタイナーなどの一種の神秘主義の立場からのものですが、その学問では、日本人と中国人、そしてモンゴル民族は、

「最古の地球上の人類の末裔」

なのです。

これはとても興味深い見識ですが、しかし、このように述べた少し後に以下の言葉を述べます。くどいようですが、これは今から 93年の 1924年の言葉です。日本が大正13年の時のことです。

1924年にシュタイナーが述べた言葉より

「日本は完全にヨーロッパ文化に支配されました。日本という名は残っていても、まったくヨーロッパ化されました。日本人はヨーロッパからすべてを受け入れ、自らの古い文化は外面にとどまっただけです」

ここで「日本」という言葉はシュタイナーの演説から消えます。その後、中国やインドが繰り返し出てくる中で、日本は一度も出てこなくなります。

まあ、それでも、ここには、「自らの古い文化は外面にとどまっただけ」とあり、表面的には日本人の暮らしや衣服や食事などの「外面」は生き残っていたこともわかります。

その外面さえも完全に破壊されて、日本が完全に白人支配下に置かれたのは、第二次世界大戦後からということになりそうです。

 

実際、私はずいぶん以前から「もう何も残っていない」とは感じています。

ちゃんと見たことはないですが、最近のテレビなどでは、「日本万歳!」のような番組を見かけることがありますが、そういうものを含めて「今の日本では何が万歳の対象となるか」かといいますと、「白人の価値観からほめられたもの」ということになってしまいます。

・・・オリンピックのメダル、ノーベル賞、英語が話せる、アメリカの大リーグで活躍、欧州のサッカーチームで活躍、西洋的なルックス、白人の映画賞、白人の味覚基準(ミシュランなど)……。ついには、日本の遺跡や名跡でさえ白人観光客の数と評価で決まったりというのが現実です。

いつからこんなに植民地になってしまったのだろうとは若い時から感じてはいましたけれど、しかし、これらは「口に出して言うと責められるので言ってはいけないこと」になっています。今回はつい書いていますが、実際はこれらは「書いてはいけないこと」です。

ともかく、そういう「ヨーロッパ的(=白人的)価値観」で評価されたものは徹底的に賞賛され、世の中の頂上にまでまつり上げられる。どの日本人もその人たちの前ではひれ伏さなければならないし、まして批判などとんでもない。テレビでタレントか何かがノーベル賞を受賞した方や、大リーグで大活躍されている方をこき下ろしたらしたらどうなるか。その日のその人の SNS がどうなるか。

「民主主義は自由な意見が認められている」と言われることがありますが、私は自由な意見が認められるような光景を日本で見たことがないです。若い時には表現のようなものをやっていましたが、いつでも遠回しにわかりにくくしていました。「自分の意見が伝わらないように」やらないと潰されることが明白だったからです。

いずれにしましても、この 100年間くらいの日本の歴史は、そのようなかたちで「白人に褒められること」を目指してやってきたような気にさえなります。

先ほどもリンクしましたが、今月のはじめに、「「ソ連の主要な66都市をすべて核兵器で消し去る計画」をアメリカは1945年に実行直前まで進めていた……」という記事を書きましたが、その中で、日本がポツダム宣言を受諾した後の 1945年9月2日、アメリカの戦艦ミズーリ号の甲板で降伏文書の調印式が行われました。

記事ではその際の写真を載せていますが、むかし中学だか高校だかの教科書か何かで見たことがあった時に、

「なんだ、この日本側の格好は」

と思ったことをあらためて思い出します。

1945年9月2日 東京湾上のミズーリ号甲板の日本の使者たち

 

「チャップリンの集団かよ」と中学だか高校の時に思った記憶がありますが、数百万人の日本人が死亡した後の儀式がこのような様相を呈している。「あんたがたは実は死者を何とも思ってねえだろ」というようにも思ったような気がします。

 

というわけで、シュタイナーの 93年前の言葉を見まして、昨日から悶々としていた部分を一気に書かせていただきましたが、その後の世界はさらに進み、そして現在の世界(すべての民族・人種を含めての世界)をコントロールしている白人文化がソーシャルネットであることに疑いの余地はありません。

最近のアメリカのメディア記事「愚民化し果てたアメリカThe Dumbing Down Of America)」の最後は、以下のような言葉で締められています。

私たちは「愚民の世界」を作り出している。怒りを持つ若き愚民たちは、彼らは自分の権利と権限を声を大にして主張する。そのためには、自分の周囲すべてにコメントをするだけではなく、自分の意見と対立するものに対しては徹底して攻撃を繰り返し、対立を介して反対意見を握り潰してしまうことも自分の権利だと確信している。

現代の世の中の新しいエリートこそソーシャルネット上の怒りの投稿者たちだ。大声でわめき立てる者、キツネ狩りの犬のようにネットの隅々まで攻撃対象を探す者、悪意といじめの集団で満杯となっているこの世界。

ニューヨーク・タイムズ紙の記者ビル・ケラー氏(Bill Keller)は以下のように書いている。「もはや合理的な考え方は敵となった」

日本でも、ネット発の炎上、攻撃は当たり前のこととなっていますが、これも西洋から輸入された文化で、若い人から中年層くらいまでを中心に支配しています。

そういう「白い文化」の支配から日本は少しずつ離脱していくという希望を私は抱いていましたが、現実にはそうはなっていません。

このような現状で、未来を希望的にとらえるのは難しいです。

シュタイナーの言う、

「人類はもはや人間がいなくなる方向に向かっています。」

という言葉の切実性が今にしてわかる気がします。

日本は(人口構成、国家負債の問題などにも後押しされて)真っ先のその例を世界に知らしめるかもしれません。

対策としては、「そういう中を現実として生きている」という肯定的な諦観の中で過ごすことくらいしかないと今は思っています。


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