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「日本人は他と違いすぎる」 : 世界120カ国を訪れたアメリカ人が描く日本人の特異性から思いだす私自身の2011年3月11日以来の「日本への狂気の愛」

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2019年6月12日のアメリカのブログ記事より


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むしろ心の中で肥大していく「日本人はエイリアン」の感覚

In Deep メルマガでは、たまに「日本人」のことについて書かせていただくことがあります。

それは、よくあるような愛国的な視点とはまるで違う観点からのもので、現在の私自身が持つ「日本人と日本語への異常なほどの愛着」を語ることになることが多く、場合によっては狂気にも近い内容になることもあります。とらえられ方よっては、「この人は吉祥寺のガイなのではないか」と思われかねないですので、ブログのような公開された場では、最近はあまり日本のことについては書かないですが、その想いは、終末的な世界状況が進む中でむしろ募るばかりです。

ちょうど前回のメルマガが、「本来の日本人」というものについて書かせていただいたもので、タイトルも以下のようなちょっとアレな感じのものでした。

 > メルマガ 42号「少子化を解消するには《徹底的に経済が崩壊していくしかない》という理論

 

基本的に、私の持つ日本人という存在への観念は、

「日本人と日本語は、この地球の中であまりにも突出していて、あまりにも他とは違うために《基本的に、他の国との共存はできない》」

というものでして、いわゆる鎖国主義者といっていいかと思います。

鎖国で日本がどれだけ貧しい国になっても、その代わりに得られるものの価値は、壮絶に大きなものだと確信しています。

実現不能なそういう夢はともかく、私が、このような考えになったのはいつかというと、2011年3月11日からの数日でそうなったのです。大震災の時です。

被災地の方々の姿を見ている中で、たちどころに、宇宙、言葉、生命、日本語、食べるということなどについてが、怒濤のごとく頭のなかに噴出してきまして、震災後の約 2週間ほどのあいだ、私は取り憑かれたかのように、ブログで殴り書きを続けました。

「取り憑かれたかのように」と書きましたけれど、その時は実際に取り憑かれていたようで、つまり「頭で考える前に、指がキーボードで文字を打っている」という自動書記でした。

まあ、何に取り憑かれていたのかというと、それは明白で、「別の自分に取り憑かれていた」のだと思われます。

つまり、「深層心理の中にい続けた《自分が気づいていなかった自分》が、表層の自分を支配していた時」だったのだろうなと。火事場の馬鹿力という表現がありますが、それの心理版のようなものかと。

その時期に書いたものは、ほとんどの内容が、「記事を書いた後」まで、自分でも気づいていなかったことでした。

震災から6日後の以下の記事の後半では、私は、「人類と宇宙の歴史の関係」に気づいています。もちろん、記事を書いている中でさえ、私はこんなことを思ったことはなかったのにです。

アカシックレコードからの脱却と独立を果たした奇跡の生命
In Deep 2011年03月17日

この記事の後半で、人類は「宇宙の記憶」から独立して歩んでいる唯一の存在だということが書かれてありますが、今でも何が書かれているんだかよくわからないです。「火事場の馬鹿潜在意識」というような感じでしょうか。

いずれにしても、その後、私はこの「人類は」という表現を「日本人は」というように考えるようになっていきました。

まあ何であれ、2011年3月に、私は自分の中にある価値観のすべてが変わり、背も20センチも高くなり、ハンサムになって、女の子にモテるようになりました(ここで変なウソを書くのかよ)。

まあまあ、それはともかく、この時を境にして、私は「人間の存在」というよりは、「日本人の存在」というものを、それまでとは違うように考えるようになりました。

その要点は、さきほど書きましたように「日本人は何もかもまったく違う」ということです。

これは大事なことですので、書いておきますが、日本人が「他と比較してすぐれている」と言っているのでは決してありません。優劣の問題とはまったく関係しません。

比較ができないほどの唯一性だと理解していただくとよろしいかと思います。

そうしましたら、今日、アメリカのブログ記事で、「日本人のあまりの特異性」について書かれてあるものがありました。

それはあまり良い意味で書かれているものではないですけれど、それでも、十分におもしろいものであり、最初にご紹介したいと思います。

なお、記事の冒頭に出てくる列車のエピソードは、2017年に海外で一斉に報じられたものです。下は当時の英国 BBC の記事の冒頭です。

日本の鉄道会社、定刻より20秒早く出発し謝罪
BBC 2017/11/17

日本の鉄道会社が14日、定刻より20秒早く出発したことで、謝罪した。

東京・秋葉原と茨城県つくば市を結ぶ「つくばエクスプレス」を運営する首都圏新都市鉄道は発表文で、「お客様には大変ご迷惑をおかけしましたことを、深くお詫び申し上げます」と述べた。同社によると、電車の出発予定は9時44分40秒だったが、9時44分20秒に出発したという。

同社の謝罪にソーシャルメディアでは、驚きの声が多数上がった。

では、ここから記事です。


Who would possibly do something so crazy? Pretty much everyone in Japan
sovereignman.com 2019/06/11

誰がそんなクレイジーなことを行う? …日本のほとんどの人たちは、それをするのだ

2017年11月14日のことだ。その日の午前 9時44分を正確に 20秒経過したとき、東京の郊外にある南流山駅から、つくばエクスプレス 5255号が出発した。

電車が駅を出るということについて、特別に注目に値するようなことは普通はほとんどないだろう。電車は世界中で毎日無数に出発している。

このつくばエクスプレス 5255号の出発予定時刻は、午前9時44分を「 40秒過ぎた時」に出発する予定だったので、列車は、予定より 20秒早く出発したということになる。

世界の他のほぼすべてのどんな国であっても、列車が 20秒早く出発することについて、それが問題になることなど想像もつかないし、そもそも、誰もそんなことに気づきはしないし、気にすることもない。

しかし、ここは日本なのだ。

20秒早く列車が出発したことが大問題になる。

特別に遅れたわけでもなく、この列車が 20秒早く出発したことは、すぐに大問題となり、運営する首都圏新都市鉄道は、「なぜこのような犯罪的な出来事が起きたのか」として大調査を行った。

その後、列車の運営会社の CEO は、正式に謝罪したのだ。

もう一度書くが、起きたことは、「列車が 20秒早く出発しただけ」だ。

20秒……。

日本という国は、明らかに世界で最も珍しい場所のひとつだ。

私はこれまで 120カ国以上を訪れたが、日本の他の国との異なりようは、あまりにも大きく違いすぎて、どの国とも比較しようがないものだ。

このようなことから、私は、日本を「プラネットジャパン(惑星日本)」と呼んでいる。

勘違いしないでほしいが、私はこのような日本を揶揄するつもりもないし、悪く言おうとしているわけでは決してない。プラネットジャパンは、本当に素晴らしい場所であり、モダンで、魅惑的で、そして非常に訪れる価値のある場所だ。

実際、私がこれまで最も数多く訪れている海外が、この日本なのだ。

しかし、この日本は、その素晴らしさと同時に、果てしなくパラドックスに満ちた場所であることは事実だ。

日本が、2011年3月にマグニチュード 9.0の巨大地震に見舞われ、東日本が壊滅的な惨状となったときのことをご記憶かと思われる。

あのときの光景を思い出してほしい。

地震と津波で何もかも壊滅した直後の日本の人々は、そんな状況の中でもパニックに陥ることもなく、略奪が起きることもなく、被災者たちは、破壊された家の外で静かに座り、近くの原子炉がメルトダウンを起こしたときでさえ、静かに当局による発表を辛抱強く待ち続けていた。

あのような壊滅的な災害の後に、このような静かで忍耐強い光景が出現する国は、日本以外にはあり得ない。

しかし、そんな勇気があり、忍耐強い人たちの住む日本では、電車の中で頻繁に、女性に触れる性犯罪が日常的で、また、多種多様な、私たちには想像もできない性ビジネスが横行している国でもある。

東京の通りはどこも清潔で美しい。東京の通りを歩けば、何キロもゴミひとつ見ることもなく歩いて行くことができる。

この公共を清潔に保つ習慣も彼らの文化だ。しかし、そんな尊い文化を持つ日本人は、世界で最もアニメやオタク文化に熱中する人々が多い。

パラドックスは、文化だけではなく、経済にも広がる。

日本は、歴史上、唯一、原子爆弾で攻撃された国だ。1945年、終戦で焼け野原となった日本は、その後、経済発展に身を投じた。そして、日本は、すぐに経済力において世界で最も繁栄した国となった。そうなるのに、時間はほとんどかかっていない。

今日の日本は、裕福で非常に発達している。

ところが、その日本の経済は、もう数十年も停滞したままだ。

日本の一次株価指数である日経平均株価は現在約 21,000円だ。この株価は、1987年 3月の株価水準を、近年で初めて上回った。言い換えれば、日本の株式市場が、投資家の利益がマイナスからゼロまで戻ってくるのに 30年かかったことになる。

日本は非常に革新的な国だ。ここでは、最も基本的で日常的なものが最先端の作りであることが多い。たとえば、トイレのようなものでさえ、ロボット化や機械化がなされている。

こんなに革新的な場所なのに、日本には起業家精神がほとんどない。そして、若年労働者たちの間には自殺の問題が横行しており、2018年には 30年ぶりの最悪の水準に達した。

日本政府の債務負担は世界一だ。その額は、おおよそ 1100兆円で、これは、約 10兆ドルに相当する途方もない額であり、日本の債務は日本の経済規模の全体の 2倍以上の大きさとなっている。

そして、日本の債務は悪化し続けているだけで、好転する気配はない。

日本には、年金や健康保険などの優れた社会保障制度がある。…ところが、それはすでに国庫の大きな負担となっている。日本では著しい高齢化が進行しており、65歳以上の人口の割合が世界で最も高い。平均寿命も非常に高い。

最近、日本の財務大臣が、90歳になる頃の人たちへの将来の年金受給について懸念を表した。その際、財務大臣は、このように述べた。

「皆さんは、何歳まで生きるおつもりだろうか」

2018年には、債務を返済する分と、社会保障制度を支払うために、日本政府は税収の 95%を要した。 何と 95%だ。

たった 5%だけが文字通り政府の他のすべてのために残された。

このような状況では、日本政府は借り続けなければならないのだ。

そして、中央銀行は、金利をマイナスの水準に引き下げることを義務付けている。日本の 10年国債の現在の利回りは、何とマイナス 0.12%だ。

その中で、人々は、この破産したような政府の債券を購入しなければならない。

クレイジーだとはお思いにならないだろうか。

普通に考えれば、誰がマイナス金利などというものに投資するという異常なことをするだろうか?

ところが、日本のほとんどすべての機関がそれを行っている。

大手企業、中央銀行、個人投資家、あるいは年金受給者でさえ、これらのマイナス利回り債券に自分の現金を投資している。

そしてもちろん、日本の商業銀行もこれらの国債を購入しているのだ。

つまり、プラネットジャパンのほぼ全員が、銀行にお金を持っていても、このゴミのようなものにさらされていることになる。

しかし、これについては、今後、日本だけの問題ではなくなるだろう。

中央銀行が永遠にお金を印刷することができ、そして、各国の政府が永遠にお金を借りることができ、すべての銀行や大企業が永遠に融資を続けることができるようになる。

この方法は「すべてが終わるまでは」問題がない。

北米とヨーロッパの多くは、金融に関しては、現在の日本と同じ船に乗っている。

日本人がそうであるように、他の国の多くの人々も、その国で永遠にすべてが大丈夫に続くだろうという高い賭けの渦中にいる。

しかし、経済が混乱するか自然災害によって打撃を受けるか、あるいは政治体制が混沌とするか、どのような理由からでも、将来的に、あなたのお金や資産は、いつでもすべて失われる可能性がある。


 

ここまでです。

最後のほうが少し論調が変化していますが、実はこれを書いた方は、アメリカの作家の方のようで、結果的には、ご自分の著作を紹介していまして、そのために、このような書き方となっています。

記事全般のことは周知のことですので、ともかくとして、記事に、2011年3月11日の東北の震災のことが書かれてあります。

当時、世界中で報道を見ていた外国人たちが、心底驚いたのが、東北の人たちの、その姿でした。

これに関しては、震災数日後のアメリカのモダン・サバイバル・ブログというプレッパー系ブログの記事を翻訳してご紹介したことがあります。

それを再掲させていただきます。

私自身、この東北の被災者の方々の姿を見て、宇宙と人間に関しての「価値観が何もかも変わった」のでした。

ここからです。

Civility During Japanese Disaster

巨大な自然災害の中での日本人の礼儀正しさを前にして

日本の大震災の発生以来、メディアを通じて、私は日本の光景を見続けている。

恐ろしくて凄まじい災害の光景と共に、われわれが驚くのが日本人たちのふるまいだ。どの映像を見ても略奪も奪い合いもない。

人々は恐怖と疲労の頂点の中で冷静な判断で淡々と現状を見つめている。

私たちアメリカ人にこのようなふるまいができるだろうか? いや、できる、できないではなく、私たちはこれらの日本人の態度を学ばなければならない。

これは単なる同情や無意味な賛辞ではない。
災害や大きなアクシデントの際に生き残りたいのなら、もっとも重要なことは、冷静な判断だ。これはとても重要なことなのだ。

多分、そのことをアメリカ人は忘れている。ハリケーン・カトリーナの後にどんなひどい略奪や奪い合いが起きたかを思い出しても、今のアメリカ人に、この日本人たちのような態度を期待するのは難しい。

しかし、私たちは学ばなければならない。

いつかは、アメリカもほぼ必ず同様の困難に見舞われる。その際に、アメリカに「奇跡」が起きるとしたら、我々が今の日本人のように振る舞えることだけなのだ。

アメリカ人である私たち個人が今の日本人を救うことは難しい。

しかし、私たちはこの日本人の光景を見続ける必要がある。

そしてここから学ぶのだ。私たちアメリカ人には想像もできないこの日本人の思考を学ぶのだ。

ここまでです。

これは、2011年3月16日の「日本人という存在理由」という過去記事に掲載しています。

 

いずれにしましても、日本や日本人というのは、もういろいろと違いすぎるのです。

その中で、私が最も他のすべてと相容れないと思うのは、たくさんあるとはいえ、たとえば、

・言葉
・食べ物のこと
・聴覚

などは別次元のものだと思っています。

くどいようですが、これは優劣の比較ではありません。「優れている」のではなく、「異なる」のです。比較できないものです。

言葉については、以下の記事で「日本語の異様性」を書いたことがあります。

「地球の人類はみな同じ言語を話している」 : 国際的研究で判明したこの衝撃の事実から、むしろ浮かび上がる「日本語」という存在の奇妙さ

 

上に挙げましたうちの「食べ物」というのは、たとえば、今の私たち日本人の一般的な食生活の根幹は、実は、

「縄文時代とあまり変わらない」

のです。

作家の山本七平さんの『日本人とは何か』という著作の中に、古代文明などを研究する学者の人々と会合した時に、そこに並べられている食べ物が「縄文時代と変わらない」ことに気づいて、笑い合う光景が書かれています。

山本七平『日本人とは何か』より

面白いのは、日本料理の中には今も縄文時代の食物の名残が数多くあることである。ある料亭で数人の学者と会合していたが、その一人が縄文時代の食物残渣を発掘した話をした。すると別の一人が、「では、いまわれわれが食べているものとあまり変わりがないのですな」と言った。

そこでみなが改めて食卓を見ると、栗・ぎんなん・貝・川魚・沢ガニ・エビなどがあり、みな思わず笑い出した。料理の仕方は変わっても、この種の日本の天然物を料理することは昔も今も変わっていない。

前述の中国人が指摘したように、料理に関する限り、日本人は縄文的であって中国的ではないらしい。一体なぜこのような、中国とも韓国とも違う食文化が生じ、それが現代まで継続しているのであろうか。

ここまでです。

縄文時代は、1万6000年前頃から 2300年前頃まで続いたとされていますので、私たちは、1万年以上前と同じような食事をしている。

1万年前と現代とで、基本的に同じような食事をしているという民族は、ほとんどないかと思います。

特に家庭料理は、その感じが強いです。今でも日本の家庭料理の根幹は、煮たり焼いたり生で食べたりと料理法はいろいろでも、山や海の素材のままのものが多いです。

逆にいえば、1万年以上前に、日本人の食生活は、日本人のための食餌としては、すでに「完成していた」のかもしれません。

あと、項目にある「聴覚」というのは、よくおわかりにならないかもしれないですが、これは、昨年 11月のメルマガの中に書いているのですけれど、

「日本人以外には、虫の声が聞こえない」

のです。

聞こえないという表現は正しくないですが、「虫の声としての認識はできない」のです。ほぼすべての外国人にとって、虫の声は、「環境の中の雑音」としか響きません。

これは、東京医科歯科大学名誉教授の角田忠信さんの研究でわかったもので、1978年の著作『日本人の脳』に書かれてありますが、

「西洋人は虫の音を機械音や雑音と同様に音楽脳(右脳)で処理するのに対し、日本人は言語脳(左脳)で受けとめる」

ということが研究でわかったというものです。

西洋人は、虫の声も他の環境の音も、すべて右脳で処理するために「雑音と虫の声は同じ処理」をされ、つまり、虫の声も街中のすべての雑音と一緒になり、虫の声だけに価値が見出されることはないのです。

日本語をネイティブで話す日本人の脳は、「雑音と、虫の声が別の処理」となるために、環境音の中から「虫の声が浮かび上がる」わけです。

あるいは、他の生き物たちが作り出すさまざまな声や音に対してもそうなのかもしれません。

ここでも書かせていだきますが、これは、良いとか悪いとか「比較としての価値観」の話ではないです。日本人を他の民族と比較するというのが、どれだけ意味のない行為で、そして、「そのこと自体が、どれほど日本人的ではないこと」かを知っていただれれば幸いです。私たちは比較される民族ではありません。優劣の評価など要らないのです。

まあ、この「虫の声」については、「合理的」に考えれば、そんなものはどうでもいいことで、たとえば、ビジネスだけに明け暮れているならば、虫の声を楽しむ必要なんてないし、それを環境音から聞き分ける必要もない。それらは単に「無駄な時間」といえます。

そういう意味では、

「日本人の脳は本来、合理的ではない」

わけです。

物質文明的な世界で言われる「合理的」という観念とは相容れない。

しかし、日本人の脳は、誰よりも自然の存在を楽しめる脳となっている。

もっと言えば、味覚などを含めて、

「日本人は、この世界を五感すべてで体験している」

ということかもしれません。

なお、日本人は「色彩感覚も違う」のです。

これについてふれると長くなりますので、割愛しますが、日本での「色の分類」の度合いの壮絶さを思い出していただければと思います。

 

そして、本来は合理的に生きることが合わない日本人は、先ほどのアメリカ人のブログにありましたが、戦後、怒濤のごとく、世界のビジネスシーンに登場し、あっという間に頂上に登っていきました。

西洋文明&中国文明型の「物質文明社会」の頂点に走り向かった。

私たちは、そういうことも確かに成し得た。

 

しかしですね。

 

もういいんじゃないかと。

 

日本語、そして、日本人の脳は、合理的に生きるようにできていません

地球の自然を五感すべてで楽しみ、合理的ではない、水のように流れる感情表現と、そして自然な礼儀の中で生きています。

食べ物をあえて音を立てて食べ、そして、日本人以外の方々には雑音にしか聞こえないさまざまな自然の音を楽しむ。

海外の人から見れば、狂気の民族ですよ。

そして、これらは、海外の方々が、どれだけ文献から研究しても、根本のところはわかりようがないのです。

 

まあ、最終的には以下の記事のように、どうも日本人は「出自」そのものに謎がありまして、「地球に奇妙な登場の仕方をした」可能性も高そうなんです。

日本人はエイリアン : 核DNAの解析の末「オリジナルの日本人が周辺アジアのどこにも見つからない」ことで日本人の出自が完全にわからなくなっている今だからこそ言ってみる

 

何だか内容が混沌としてきましたので、いったん切り上げさせていただきますね。

日本について書き出すと、メルマガでも混沌として、わけのわからないものとなることが多く、申し訳ないと思っています。

 

締めは、江戸末期の 1861年に、日本に来たマーガレット・バラというアメリカ人女性の手紙からの抜粋で締めさせていただきます。

マーガレット・バラ(1841-1909年)

Margaret Tate Kinnear Ballagh

マーガレット・バラさんは、宣教師の奥さんとして 20歳で来日し、日本が気に入り、そのまま一生を横浜で暮らした方です。彼女が、アメリカに送った手紙の一部です。

今の日本人には、あまりこういう部分が見えづらいですが、日本人には本来こういう特性があるはずなのです。

マーガレット・バラの書簡より

いつまでも悲しんでいられないのは日本人のきわだった特質のひとつです。生きていることを喜びあおうという風潮が強いせいでしょう。

誰かの言葉に「自然がいつも明るく美しいところでは、住民はその風景に心がなごみ、明るく楽しくなる」というのがありましたね。

この国の人たちがまさにそれで、日本人はいつのまにか、そういう自然に感化され、いつも陽気で、見た目のよいものを求めながら自分を深めてゆくのです。





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