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4月19日にメルマガ私たち現生人類は「鉄の種族」であることから思う生き方を発行させていただきました。

2022年からの世界 人類の未来 人類の覚醒と真実 地球という場所の真実

このパンデミックにウイルスは存在するのかしないのか…の論争の歴史と焦点

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ウイルス登場から丸3年目のこの世界

最近の医学誌に、イタリアの専門家たちの研究で、イタリアにおいて「最初に新型コロナウイルスの流行が始まったのは、2019年9月初旬」とする論文が掲載されていました 。

以下に論文の概要を翻訳しています。論文自体はこちらです。

(記事) 最近の研究で、イタリアで「2019年9月」には武漢型の新型コロナが流行していたことが判明 (2022/09/01)

 

2018年8月から 2019年7月までに採取され保存されていたサンプルからは一切見つからなかったということで、あくまでイタリアにおいてはですが、おおむね 2019年 8月か 9月に新型コロナの流行が始まったと考えていいようです。

ということは、今は、2022年9月ですので、もう丸 3年ですね。

日本においては、2020年2月の遺伝子解析で、日本国内の最初の感染は 12月初旬とされていましたが、まあ、やはりもうすぐ 3年目です。

 

3年というのが長い期間なのか短い期間なのかはともかく、その間、たとえば、アメリカでは、

「子どもの学力が、過去50年で最低に」

ということが報じられています 。

以下の記事などでは、世界中の子どもたちの学力、認識力、コミュニケーション能力がボロボロになっていることを取りあげています。

 

[記事] アメリカで、幼稚園から高校まですべての世代の子どもたちが、マスクとロックダウンの後遺症で知的にボロボロに。「全体として発達が2年遅れている」と教師たちは言う
 In Deep 2022年7月12日

 

この 2年とか 3年という期間は、少なくとも「子どもには長い」のです。長すぎる。

そして、特に最も小さな世代の子どもたちでは、認識力と言語能力の完全な再獲得は事実上できないと見られます。脳の発達は年齢の成長と厳密に関わっていて、「あとから付け加えられるものではない」からです。

 

[記事] ブラジルの6歳と7歳の読み書きのできない子どもの数がパンデミックの2年間で100万人増加し、「4割が識字できない」状態に…
In Deep 2022年2月10日

 

あるいは、アメリカでは、2021年の平均寿命が「過去 100年で最大の率で下がった」ことも報じられています。こちらに記事があります。

2021年のアメリカの平均寿命は、中国に抜かれてしまっています。

1960年からの中国とアメリカの平均寿命の推移

Quartz

このグラフですと、中国って 1960年の平均寿命は 45歳以下だったんですね。

ともかく、2年とか 3年というのは、このような影響を与えられる期間であることもわかります。

そして、この 2年、3年の間、各国政府がおこなってきたパンデミックへの対策について、特に以下のようなことに対して、世界中の多くの科学者、医師、医学者などが反対の声を上げ続けました。

 

・ロックダウン
・行動制限
・マスク着用義務
・ワクチン接種(あるいはその義務)
・PCR検査

 

これらはすべて 100%有害であり、それ以外の何の要素もありません。

それと共に、このすべてに意味がなかったことは、世界で最もブースター接種率が高く、最もマスク着用率が高い国である日本の現在の、あるいはこの夏の状況を見ていれば十不に理解できることですが、しかし、この期間、上のようなことを否定することにおいては同じ主義の人たちの間で、

「絶対にお互いが意見を受け入れることがなかったテーマ」

があり、それが、以下のふたつの主張でした。

 

・新型コロナウイルス (SARS-CoV-2)というものは、そもそも存在しない

・新型コロナウイルス (SARS-CoV-2)は存在する

 

この後者の「 SARS-CoV-2 は存在する」ほうについては、一般のほとんどの医師や医学者たちも、すべての主流メディアなども、すべてこちらの方向ですが、強硬なワクチンやロックダウンへの反対者たちの中にも、こちら側の人たちがそれなりにいます。

たとえば、最近たまにサブスタックの記事をご紹介することがありますワクチン安全性研究財団事務局長のスティーブ・カーシュさんもそうです。「存在する」と強く述べています。

しかし問題は、「存在する」、「存在しない」のどちらの意見が正しいのかはともかくとしても、お互い同じ反ロックダウン主義者であり、反コロナワクチン主義者であり、反全体主義者である同じ土俵の人たちが、「この意見については、お互いを激しく非難し続けている」という経緯があり、それが残念なことだと思っていました。

最近、Alliance for Natural Health (自然な健康のための同盟 / ANH)という国際的な組織のウェブサイトの記事で、この論争に関しての歴史と、見解を述べている論文がありました。

書いている方は、カーシュさんと同じ「ウイルスは存在する」派ですが、しかし、これをご紹介したいと思った理由は、「どちらが正しいかを判断する」ためのものではなく、この論文の最後の以下の言葉に共感したからです。

 

(ANH の論文より)

> この問題を解決し、合意した多数の問題に基づいて私たちの運動を再び団結させましょう。人間性、人間の尊厳、自由、そして自然を尊重する世界を再構築するという非常に野心的な仕事を団結して前へ進めましょう。意見や視点の違いを許容し、尊重することが重要です。 ANH

 

そうなんですよ。

ウイルスが存在するかどうかというようなことで感情的に喧嘩しているときではないと思うのです。

このどちらの側も最高クラスの専門家たちであり、「存在する」「存在しない」のどちらも主張の背景も理論的なものです。

しかし、この 2年 3年はそれが問題であるわけではなかったはずです。

ウイルスが存在しようが、存在しまいが、ワクチンもマスクもロックダウンも行動制限も過剰な消毒も「すべていけないこと」でした。

「ウイルスが実在していないからそれらは無意味だ」ということではなく、「ウイルスが存在していても無意味」なのです(無意味というか有害)。

 

ですから、存在する、存在しない、は、科学的な論争としては意味があっても、社会的には意味がありません。

とはいっても、これを書いている方自身が、ウイルス否定派を強く否定していますが、その論文の一部をご紹介させていただこうと思います。

 

ちなみに、私自身も、「新型コロナウイルスは実体として存在する」と思っているほうですが、仮に「存在しない」としても、この 2年半続けた主張(マスクへの反対、ロックダウンと行動制限への反対、ワクチンの大量接種への反対)はまったく変化するものではありません。この 2年半の問題の根幹はウイルスがある・ない、ではないです。

なお、論文には、「コッホの原則」という言葉が後半出てきます。

コッホの原則とは以下のようなもので、感染症の病原体を特定する際の指針のひとつとされています。

コッホの原則

1. ある一定の病気には一定の微生物が見出されること
2. その微生物を分離できること
3. 分離した微生物を感受性のある動物に感染させて同じ病気を起こせること
4. そしてその病巣部から同じ微生物が分離されること

しかし、私は昨年、ヒトヘルペスウイルスについて、いくつか記事を書きました(関係記事一覧)。そして、ヒト免疫不全ウイルス (HIV)もそうですが、それらの挙動を知るにつれて、「ウイルスの多くにはコッホの原則が当てはまらない」ことを思うようになりました。

たとえば、ヒトヘルペスウイルスは、再活性化するまでは病気は起きません。ずっと後に再活性化した時に病気が起きます(水ぼうそうウイルスが何十年後に帯状疱疹を引き起こすなど)。

その間、ウイルスは「細胞内で何年何十年も休眠している」わけで、あるいは、HIV も同じように何年も休眠します。その間は一切の活動をしません。

これらのウイルスは、休眠中は「宿主細胞の染色体に ウイルスの DNA が組み込まれた状態」となるため、「その人の他の通常の細胞と同じ」状態で休眠しています(ヤコブ・ゼーガル著『悪魔の遺伝子操作』より)。つまり薬等で排除することはできないのです。

そのため、休眠中は「検出も分離もいっさいできない」はずで、感染はしているけれど、再活性化するまでは、コッホの原則の「1」も「2」も「3」も、あるいは「4」も適用されないのです。

こういうタイプのものは、さまざまにありそうで、どうやら、20世紀後半くらいからの医学で見出されてきた見識では、コッホの原則は、「細菌には当てはまるかもしれないけれど、ウイルスでは当てはまらないものが数多くある」ような気がしてなりません。

ともかく、ここから論文です。非常に長いですので、冒頭のセクション「双方の主張者たち」と、「本題」、「ウイルスの分離」、「コッホの原則」等のセクションを翻訳します。あまりにも専門的な部分は、割愛しています。オリジナルはこの3倍から4倍くらいの長さがあります。




 

ウイルスは存在するのだろうか? 解決の重大な必要性

ANH Feature: Does the virus exist? A critical need for resolution
ANH 2022/08/31

オルタナティブ・メディアの報道は、COVID-19 が、SARS-CoV-2 という感染性微生物さえ関与していない操作されたデマであるかどうかをめぐる一連の活動で再び騒がれている。これは、少なくとも和解が成立するまでは消えない。双方がそれぞれの議論に対して熱意を持っている。

この二極化が重大なのは、これが、健康の自由運動に真の害を及ぼす可能性のあるものだということだ。 不当なロックダウンやマスク、誤解を招く可能性のある PCR 検査や死亡率データ、忍び寄る全体主義など、COVID-19 に関する操作された科学や世界的な政策の欠陥をこれまでのところ多かれ少なかれ団結して訴えてきた運動への悪い影響が懸念される。

 

双方の主張者たち

議論のうちの「ウイルスは存在しない」側の現在の主役の中には、ウイルス学者のステファン・ランカ博士(ドイツ)、医学的訓練を受けた 4人の医師、トム・コーワン博士(米国)、サム・ベイリー博士(ニュージーランド)、夫のマーク・ベイリー博士、そしてアンドリュー・カウフマン博士(米国)などがいる。

健康と運動の科学者であるマイク・ストーン博士(米国)は、主要な議論のほとんどを 1つの Web サイト viroLIEgy.com に統合する包括的な仕事を行った。

これらの 6人は、ファイザー社のアレルギーおよび呼吸器部門の最高科学責任者であった元副社長のマイク・イェードン博士を含む、「ウイルス論争に決着をつける」という文書の署名者たちだ。これは、2022年7月に トム・コーワン博士らによって提唱された。

私は、このウイルス討論の課題は解決せずに行き止まりにつながる可能性が高いと予測している。 ダグラス・グラハム・アルトマン博士 (英国の統計学者)とマーティン・ブランド博士(英国の統計学者)の深遠な論理をを示す言葉「証拠の不在は不在の証拠ではないを想起させる

なお、この主張の反対側、つまり「ウイルスは存在する」というほうには……ほとんど他の人たちがこちら側にいるが、「健康の自由運動」に関わる人物で、「ウイルスは存在しない」という主旨に反対の意見を表明している人物には、スティーブ・カーシュ氏ジェレミー・ハモンド氏が含まれる。

また、「ウイルスは存在しない」というコーワン博士らの立場に反論し続けている主要な医師には、ボブ・マローン氏、ピーター・マッカロー氏、ライアン・コール氏の各博士が含まれる。

彼らは、 SARS-CoV-2 を含むウイルスは実際に存在し、それが感染して複製するには適切な宿主細胞が必要であり、特定の条件下で特定の人々に病気を引き起こす可能性があるという、多くの人が共有する見解を支持している。

もちろん、この 2つだけでなく、実際には無数の異なるポジションがある。

私はウイルス学者ではないが、3つの科学の学位 (BSc、MSc、PhD) を持っている。多栄養相互作用の分野を研究し、科学をツールとして使用して、自然の信じられないほど複雑な仕組みを理解するのに役立つツールとして 40年を費やしてきた。

コンサルタントとして、教育者として、そして自然健康活動家として、過去 20年間、自身が 2002年に立ち上げた非営利団体である ANH で働いてきた。

私がこの記事を書いたのは、この複雑な議論を解決するのに役立つかもしれないと思っているからではなく、なぜこのような分裂が生じたのか、そして、なぜこの分裂を解決することが重要なのかについて、私自身の洞察を提供するためだ。

 

本題

以下が、ウイルス否定派の方々の 2つの基本的な主張だ。

1. 感染した患者から採取された SARS-CoV-2 ウイルスの全ゲノムは、約 30,000 塩基対と豊富であり、分離も配列決定もされていないため、存在を証明することはできない。

2. このいわゆる「ウイルス」は、1884年にドイツの医師ロバート・コッホと微生物学者フリードリッヒ・レフラーによって最初に提案された方法論であるコッホの仮説を満たしていないため、COVID-19疾患を引き起こすことは示されていない。

この仮説の 4つの基準は、変化が加えられており、普遍的ではない。その後、分子生物学と配列決定技術の急速な発展に伴い、微生物群集と相互作用に関する私たちの理解が進むにつれて、この仮説は進化し続けている。

上で概説した両方の主張は、他の主張と同様に、批判や異議の余地があるが、それぞれにニュアンスがあり、人によって意味が異なる。

 

ウイルスは分離されたのだろうか

分離を主張する研究論文を見つけるのは難しくない。たとえば、2020年1月に最初の米国の Covid-19患者から SARS-CoV-2 を分離したと主張し、その後、一般的に使用されているヒトおよび霊長類の細胞株に再感染したと主張するハーコート博士らの論文を見てみたい。

ハーコート博士らは、最初の米国人患者からの鼻咽頭サンプルを登録し、口腔咽頭サンプルを登録しているため、配列決定全体を行ったようだ。Genbank を調べることで、全ゲノムを構成する約 29,900塩基すべてを確認することができる。

多くの国が、完全な SARS-CoV-2 ゲノムを分離したと主張している。たとえば、イタリアの主張はこちら、韓国の主張はこちら、トルコの主張はこちらだ。

また、さまざまな人から採取した分離株を互いに比較したことが、上海公衆衛生臨床センターと上海復旦大学公衆衛生学部により説明されている。

その他の潜在的なウイルスまたは病原体の検査、ならびに完全なシーケンスは、2020年にネイチャーで、ファン・ウー氏らによって発表された。

ウイルス否定論者の方々は、この参照ゲノムは大部分がコンピュータで生成されたものだと主張している。それは部分的には正しい主張だが、ゲノム配列がコンピュータに保存されているからゲノム配列が無効であることを意味するわけではない。コンピュータは、人間が配列の意味を理解するのを助けるために使用される。

コンピュータは、ハイスループット・シーケンス・システムの不可欠な部分だ。これはゲノム科学と分子生物学の急速に発展している部分であり、腸や土壌の微生物から私たち人間のような生命体まで、さまざまな生命体の遺伝的構成、相互作用、進化をよりよく理解するのに役立つ。

米国、イタリア、韓国、トルコなどからの分離と全ゲノム配列決定の主流の科学者たちによる主張は、おそらくウイルス否定論者の方々を満足させるものではない。 彼らは、これらは真の精製と分離の例ではないと言い、他の生物からの他の配列が培養物を汚染したり、配列が化学的介入物によって損傷を受けて結果を曖昧にしたりするという彼らの懸念を反映している。

 

コッホの原則は必須なのか、あるいは時代遅れなのか

SARS-CoV-2 がコッホの仮説を満たすことができないことは、ウイルス否定運動を推進する最も永続的な議論の 1つになっている。

多くの人は、ウイルスが病気を引き起こすことを証明するには、コッホの 4つの原則が満たされなければならないという懸念を抱いている。

コッホの原則は、簡単に言えば、以下のようなものだ。

1) 微生物は、健康ではない病気の個人に発見されなければならない。
2) 病気の個体から培養されたものでなければならない。
3) 培養された微生物が健康な人にさらされると、同じ病気を再現する必要がある。
4) 病気の個体から再分離され、それが元の微生物と照合できなければならない。

科学や医学をざっと理解しただけでも、ウイルスが原因であると広く見なされている状態について、この仮定が必ずしも満たされていないことがわかる。

たとえば、腺熱に関連するエプスタイン・バーウイルスや口唇ヘルペス(※ どちらもヒトヘルペスウイルス)に関連する単純ヘルペスなどの多くのウイルスは、病気の症状を示さない健康な個人に存在する可能性があることがわかっている。

そのような人は「無症候性」と見なされる。この時点で、「無症候性疾患」という概念は矛盾していると思われる。感染して無症状の場合もあるが、無症状なら病気とは見なされないのがコッホの原則だ。

最終的には、健康の自由運動に参加している私たち全員が、このウイルスの議論の両側にいることに同意するだろう。宿主と微生物の相互作用を評価する際には、宿主と環境を考慮することが不可欠だ。

特定の条件下では、既知のヒトに感染するウイルスが、高度に特異的な受容体を介してヒトに侵入する。それらがすでに体内にある場合 (ヘルペスウイルスや口唇ヘルペスのように)、潜伏状態から活動状態(※ 再活性化)に変化する可能性があり、その後、複製が過剰になり、細胞変性効果を誘発し、身体システムの多くに害を及ぼす可能性がある。多くの場合、何十年にもわたる調査とパターン認識に基づくものだが、これは原則3と原則4を満たすことができない。

興味深いことに、1890年にベルリンで開催された第 10回国際医学会議でのコッホ自身の演説で、彼は、私たちが現在ウイルスと呼んでいる生きていない微生物の存在を知る前でさえ、病気の因果関係を有効に証明するには、最初の 2つの原則のみを満たす必要があると述べている。

実際は、ウイルスが存在するかどうかについて議論するのに時間をかけすぎるよりも、医学界や科学界、WHO、CDC などとの間で、この科学的小競り合いを整理することが、はるかに重要であることを強く述べたい。 

 

エピローグ

この論文では、ウイルスの存在に関する私自身の見解を明確にした。しかし、この記事は、ウイルス否定派の方々を改宗させることを目的としてはいない。

これは単に、自由な表現の手段を提供し、科学的議論の前提条件を提供し、同様の見解を共有する問題について、私たちが権限を与えられ団結したときにできることに集中するように呼びかけるものだ。

和解しがたい見解の違いに焦点をそらす傍観者の争いに注意をそらされればされるほど、私たちの見解が一致している領域の全範囲に適用するエネルギーは少なくなる。

また、将来の世代に適していると考える未来を共同で作ることを支援する可能性が低くなっていく。

この問題を解決し、合意した多数の問題に基づいて私たちの運動を再び団結させましょう。人間性、人間の尊厳、自由、そして自然を尊重する世界を再構築するという、共通の非常に野心的な仕事を進めましょう。そして、意見や視点の違いを許容し尊重しましょう。

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  • この記事を書いた人

Oka In Deep

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