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3月22日にメルマガ悪魔に乾杯を発行させていただきました。

2016年からの世界 人類の未来 悪魔の輪郭

破局は回避できないかも…という想いが強くなる中での走り書き

投稿日:2016年7月26日 更新日:

buddha-2016buddha




 

悪魔の最も大事な仕事 (でも現実にはそれも存在しないけれど)

今起きている様々な出来事を見ていて、ふと過去記事を思い出し・・・というか、検索してみましたら、ちょうど2年前の今日の記事でしたが、

ローマ字「 TASUKETE (たすけて)」から偶然導かれた日月神示や神様と悪魔の関係。そして、バチカンに正式に承認された「国際エクソシスト協会」の存在
 2014/07/26

という記事で、長編小説『エクソシスト』(1977年)について書いたことがあります。この小説の後半は、カラス神父という人と、上級神父であるメリン神父のふたりが少女リーガンにとり憑いた悪霊を追い出すための悪魔払いのシーンが長く描かれます。

その中で、カラス神父が、メリン神父に、

「悪霊が人間にとり憑く目的はどこにあるのでしょうか」

と尋ねるシーンがあります。

メリン神父は、以下のように答えます。

「それは誰にも判らないことだ。……しかし、私はこうみている。つまり、悪霊の目的は、とり憑く犠牲者にあるのではなく、われわれ……われわれ観察者が狙いなんだと。そしてまた、こうも考えられる。やつの狙いは、われわれを絶望させ、われわれのヒューマニティを打破することにある」

「やつはわれわれをして、われわれ自身が究極的には堕落した者、下劣で獣的で、尊厳のかけらもなく、醜悪で無価値な存在であると自覚させようとしている」

映画エクソシストのメリン神父(左)とカラス神父
merrin-7The Exorcist

つまり、メリン神父は、悪霊が人間にとり憑く理由を、

「私たち人間に、人間と人間社会に対して絶望させるように仕向けることにある」

あるいは、

「人間という存在が醜悪で野蛮で無価値なものと、人間に思わさせるため」

と考えているということになるのだと思います。

もちろん、これは、あくまで小説の中に書かれている下りでしかないのですが、この小説エクソシストの作者は、後に、「現代の社会では、すでに神と悪魔の" 実際の戦い" が始まっており、そして悪魔が勝つ寸前にいる」という概念を持って作品作りをしていたと私が感じていたことを、

この世は悪魔で一杯: 歴史に出てくる「最初のエクソシスト」がイエス・キリストだと知った夜
 2013/05/04

という記事に書いたことがありましたが、今となりますと、勝つ寸前を超え始めたかもしれないなあと最近思います。

しかし、人間が真実(のようなもの)に少し興味を持てば、この「悪魔との戦い」という概念自体もまた存在しないものになる、つまり消滅するということも言えるはずなのです。

 

先日、

新しい天と新しい地を示唆する「はず」の地球の変化
 2016/07/20
地球上のそういう数の人々がまもなく気づくだろうが、人類はいま、進化するか死滅するかという重大な選択を迫られている。

古い生き方や相互関係、自然との関わりがうまくいかなくなり、根源的な危機が起こって、どうにも解決不可能と見える問題によって生存が脅かされると、個々の生命体 — あるいは種 — は死ぬか、絶滅するか、進化の飛躍によって置かれた条件の限界を乗り越える。(略)生存を脅かす根源的な危機に対処する — これがいま、人類に突きつけられた課題である。

人間の心の構造が変化しなければ、私たちはいつまでも基本的に同じ世界を、同じ悪を、同じ機能不全を繰り返し創造し続けるだろう。

ここで書かれている「人類の生存を脅かす根源的な危機」というのは、天変地異や社会的変動のことではないです。つまり、大地震とか超巨大噴火だとか小惑星の衝突だとかことでも、戦争や環境の破綻といったようなことでもないということになります。

同じ本にあります先日抜粋したところでいいますと、

「人類の生命と意識は本質的には地球の生命と結びついている」

ことに関係することといいますか、要するにいろいろな賢人が述べてきた「この世の真実」を意識することと関係するといいますか・・・。

いくつかの人たちの言葉から抜粋してみますと、過去記事「「頂点の日本」から何が始まる?…」に抜粋しました、ルドルフ・シュタイナーの講演を収めた「天地の未来 : 地震・火山・戦争』のラストに、シュタイナーがこのように述べていたことが記されています。

シュタイナー 1906年の講演「弥勒の世界の到来」より

人間の内部は、外界と相互作用をします。外的なものは、私たちの目が澄んでいるか濁っているかによって、姿を変えます。

20世紀のうちに、そしてこれから2千年後のあいだに、人々はキリストのエーテル形姿を見るにいたるでしょう。人々はエーテル地球を見るようになるでしょう。エーテル地球から植物界は生じました。

人間の善良な内面とは異なった影響を周囲におよぼすということも、人々は認識するでしょう。このエーテル的な科学を司るのは、およそ3千年後に下生して成仏する弥勒菩薩です。

弥勒という名は、「善良な志操の仏」という意味です。弥勒仏は人間に、善良な志操の意味を明らかにします。そうして、人間は自分がどの方向に行くべきかを知るべきでしょう。

抽象的な理想の代わりに、前進する進化に相応する具体的な理想が現れるでしょう。

そのようなことが達成されなかったら、地球は唯物論のなかに沈没し、人類は大きな災害ののちに、この地上で、あるいは次の惑星ですべてを新たに始めねばならないでしょう。

このように、シュタイナーは、

「人間が、善良な思想の意味を知り、それを達成する」ことがなければ

> 地球は唯物論のなかに沈没し、人類は大きな災害ののちに、この地上で、あるいは次の惑星ですべてを新たに始めねばならないでしょう。

ということで、『ニュー・アース』でいうところの「人類の死滅」のようなことになると。

そのようなことが起きると。

起きる「だろう」ということではなく、必ずそうなると。

しかし、「進化する」ということは、その最初の部分に関してだけいえば、特に難しいとか、そういうものでもなく、「私たち人間が、人間という存在の本当を知ろうと努力すればいい」ということだけのことでもあるように思えます。

そして、その真の姿、つまり「私たち人間」という存在は「万能の存在である」ということを多くの人たちが繰り返し言っています。

地球人ではないらしいですが、プレアデスというところの出身だと主張する某氏は、『プレアデス+かく語りき―地球30万年の夜明け』の中で、以下のように述べていることを過去記事「本来の日本はすべての人々に「切断プログラム」で愛と覚醒を与えられる国だった…」という記事に抜粋しています。

何度も強調しますが、あなた方は肉体的な存在を超えた存在です。あなた方は数多くの現実に同時に存在しています。

ですから、何を意図するかについてもっと明確になる必要があります。あなた方は何がほしいのですか。はっきりいってください。あなたが意図することが何であるか明確になってください。”私は意図する”という言葉にはものすごい力が秘められています。

(『プレアデス+かく語りき』 第21章より

あるいは、過去記事「日本も含めて「これは壮大なディストピア社会化実験」の進行中なんじゃないか…」では、お釈迦様が、「私たちが現実と考えているこの世界こそ幻影だ」と述べていたことを載せたこともあります。

仏陀が悟った際の認識

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世界は幻影である。
世界は現実のものである、とは考察できない。
世界を現実のものと思うのは、大きな幻想である。
人間は元素の領域からの解放に向けて努力しなければならない。
そうすると、もはや名前も事物もない領域、涅槃にいたる。
そこで、人間は初めて幻想から解放される。
幻の世界は苦痛である。
生老病死は苦である。
この領域へと人間を運び込むのは、存在への渇愛である。
この渇愛から解脱すると、人間はもはや受肉する必要がない。

私たちが生活していて、現実だと思っているこの世界は「現実ではない」と、お釈迦様が悟ったという、この認識はとても重要なことだと思っていただければ幸いです。

他にも、過去にいろいろと書いたことがありますが・・・今回、なぜこんなことを書いているかといいますと、「人間社会はリターンする地点を過ぎてしまったかな」と最近思うからです。

最初のほうにあげさせていただいた『ニュー・アース』には、

「進化するか死滅するか」

という選択が書かれていますが「後者の方向に進んでいる可能性が極めて強くなってきたのではないか」と感じてしまうのです。

なぜかということを一言で書くのは難しいのですが、この数年、地球は、予測さえしていなかった方向へと大きく進んでしまいました。

19世紀のセルビアの偉大な予言者ミタール・タラビッチは、その予言の中で、

人間の魂は悪魔にのっとられるのではない。

もっと悪いものにのっとられるのだ。

その頃の人間の信じているものには真実などいっさいないのに、自分たちの信じる幻想こそが真実だと思い込むのである。

という言葉を残していますが、この「その頃の」というのは、いつの時代なのでしょうか。それは・・・

「今でしょ」(あーイラつく)

まあ、そうなんです。「今の時代」なんですね。

ここにある「もっと悪いものにのっとられる」の「もっと悪いもの」は「自分たち人間(の持つ真実に気づかない心)」であることがわかります。

そして、このタラビッチの言葉の中に含まれているとおぼしき「悪魔という存在は自分たちの中にこそある」という意味を思い出せば、「悪魔と敵対する」という概念自体が破綻している概念であることにも気づきます。

タラビッチの予言では、世界が、戦争を含む最終局面に突き進む様子が書かれていますが、そういう「戦争」とか「飢饉」が問題なのではなく、私たち人間が、人間本来の生き方を間違ったまま来てしまっていて、是正の目処が立たないことが問題なのだと思います。

このタラビッチの予言は、過去記事、

私たちに残されたかすかな「破局の回避」の可能性のために(1): 「人類のひとりと宇宙は同一のもの」、そして、ミタール・タラビッチのクレムナの予言
2013/03/24

という3年前の記事に掲載しています。

このタイトルの

> 私たちに残されたかすかな「破局の回避」の可能性のために

というのを見ますと、3年前は、かすかではあっても、破局の回避の可能性を考えていたのだなあと思いますが、今はなかなか厳しい局面になっていると思わざるを得ません。

個人と社会全体が全員一丸となって、必死で「滅亡に向かおうとしている」ように私には見えますけれど、これはあるいは「人類の総意」ということなのかもしれません。

総意ならば、それは仕方ないことなのかもしれません。

この究極的な物質的な社会の中では、物質的手法によるだけの手段で現状を変えることのできる方法はひとつもないと思いますが、しかし、個人個人の思想と発想がすべて消えてしまったわけではないのですけれど。

いずれにしても、ぼんやりと最近の時事や報道を眺めていて、このように思うことが多くなりました。
 

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Oka In Deep

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