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なぜ私たち日本人は、いつまでも羊のように「自分の人生を慈悲のない他人に丸投げする」ことをガン治療において続けているのか

投稿日:2018年4月19日 更新日:

最近国内のニュースは、読むと暗い気持ちになるものが多かったり、あるいは理解できないものなども多くなっていることもあって、まったく見ない日も多いです。

ところが、今日何となくクリックしたニュースを読んで、そのある部分に「ああ、またこんなのか」と、やはり暗い気持ちになり、「ニュースなんて読むんじゃなかった」と思ったことがありました。

暗い気持ちになったというより、正確には非常に腹が立ったのです。

うまく書けるかどうかわかりませんが、そのことを少し書かせていただこうと思います。

何かを、あるいは誰かを非難する意図はなく、「今の時代の全体に対して」の気持ちだと考えていただければと思います。

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何故私たちは医者に対してだけ「羊」のようになってしまうのか

そのニュースは特定の人物に関してのものですので、タイトルや内容を詳細に抜粋するつもりはないですが、元サッカー選手の方が末期ガンと診断されていたという内容のものでしたが、そこに以下のようにあったのです。

2018年4月19日の報道より抜粋

昨年12月、背中に激痛を覚え都内の病院で診察。余命3か月から半年の胃がんと診断された。藤川氏は、医師から「来年の桜は見られない」と告げられ「ステージ4以上の末期だった」と打ち明けた。すぐに抗がん剤治療を始め現在、がん細胞は半分まで減ったという。報道リンク

何が、「ああ、またこんなのか」というと、ひとつは、

> 医師から「来年の桜は見られない」と告げられ

という部分です。

「人の命に関することに、そんなに失礼で無神経なことを言う資格が誰にあるのよ」と、まずは思うのですが、しかし、何にそんなに腹が立ったかというと、記事でその後に、

> すぐに抗がん剤治療を始め

とあることでした。

ということは、「そんな無神経なことを言う医師に《自分の命を委ねてしまった》」ということです。

その医師は、桜は見られない、と自分に言っている。つまり、「あなたは春までに死ぬのだよ」と言っている。

「そんな相手に自分の命を託すか、普通?」と思うと同時に、非常に憤る感覚が止められないのです。

いくら何でも人が良すぎる。

そして、今の日本の社会には同じような人が多すぎる。

もちろん病気の治療の最終判断を下すのは本人ですから、こんな相手にであっても、つまり、「自分の命の期間を決めてくるような医者」に自分を託すのも確かに自由でしょうし、その治療法をすべて「そのような医師に完全に任せる」というのも「自由」ではあるでしょうけれど、しかし、それまでの人生はどうだったでしょうか。

もしかすると、

「病気の治療以外では、今までの自分の人生は、とても自分で努力をしたり、あるいはチャレンジしてきた人生ではなかったですか?」

と聞きたいような人たちが、たくさんこれまでもガンなどの報道に出てきました。そして次には、数か月後などにその方の訃報記事を見ることが続いています。

この問題になると、それまで人生を力強く切り開いてきたような人でも、多くの日本人たちが、「自分で何とかしよう」という努力を考えないで、命を他人に丸投げしてしまう。

どうしてなんだろう……。

少し調べれば、「現代の医学では、少なくともガンは完治の成績をあまり上げていない」ことはわかるはずです。

もちろん、これは西洋医学を批判したくて書いているわけではないですので、東洋医学や民間療法、ホリスティック医療等のほうがよく治るなどということを書きたいわけではありません。(現実としては、方法論が違えば、どちらも大した治らないです)

そもそも、今回の記事は、「治る」ということを問題にしているのではなく、「今まで自分で力強く人生を進んで生きてきた人たちが、人生の大事な最後だけはどうして人にすべて任せて死んでいくことを許せるのか」ということです。

「じゃあ、たとえば、末期ガンだと宣告されたら、どういう態度でいればいいのか」ということは、具体的には難しいですが、「たとえば」ということで、ひとつの例をご紹介したいと思います。

これは、今から 30年ほど前にアメリカで出版された『内なる治癒力―こころと免疫をめぐる新しい医学』という本の序文からの抜粋です。


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この本は、ハーバード大学医学校精神科の教授だった医学博士のスティーブン・ロックという方等によって書かれたもので、つまり、完全に西洋医学的なアプローチから「心と体の関係」に本格的に踏み込んだ歴史的名著のひとつだと思います。抜粋するのは、この本の「序」の部分で、著者たちの研究グループが、カリフォルニア州サンタモニカにある「健康共同体(ウェルネス・コミュニティー)」という名の重病患者のグループを訪れる話の下りの中にある部分からの抜粋です。

この健康共同体というのは、がん治療に環境的要因が重要であると考えていた地元の篤志家によって作られたもので、「ガン患者同士の感情のコミュニケーションの中で、病気を回復していく」というような主旨だったようですが、現実として、ここのほとんど人たちが、主治医の言ういわゆる「余命」よりもはるかに長く生きたということで注目を集めていたそうです。

この共同体自体のことはともかく、その部分にある以下の女性のエピソードに私は大変感動しました。そこからの抜粋です。

スティーブン・ロック他著『内なる治癒力』 原書の序より

ある女性がすすんで私の疑問に答えてくれた。彼女は 70歳代の後半だったが、類いまれな美しさをもっていた。グレース・ケリーがその年まで生きていたら、そんなふうに見えただろうという美しさだった。

この女性は「よくなったきっかけなら、はっきりと覚えていますよ」といった。

それは、初めて主治医の診察室を訪れたときのことだった。医師は「Aさん、検査の結果、がんという診断が下りました。末期がんです。あと四カ月から五カ月の命です」といったのである。

そのとき、Aさんはその医者をにらみつけて、こういったのであった。「このくそ医者め」

これほど優雅ですばらしい女性の口からそのよう悪口雑言を聞くことほど、不似合いなことはあるまい。だが、彼女はたしかに的をついていた。他の患者たちも歓声をあげてこれに同意したのである。

彼らの多くも同じような体験をしていたのだった。彼らは診断を認めなかったのではなく、それに不随した「判決」を拒否したのだ。余命が何か月だとずうずうしく言う者の傲慢さに反抗したのである。

私は、「その主治医に会ったのはいつごろですか?」とAさんに尋ねた。6年半前という答えが返ってきた。

 

ここまでですけれど、つまりは、この「優雅な女性」が医師から言われたことは、先ほどの元サッカー選手の方が「来年の桜は見られないでしょう」と言われたことと同じです。そういう言葉を投げつけられたのです。

それに対して、この女性は、英語の原文はわからないですが、「毅然とその言葉を《拒否した》」わけです。

ガンであることを拒否したのではなく、文中に、

> 彼らは診断を認めなかったのではなく、それに不随した「判決」を拒否したのだ。余命が何か月だとずうずうしく言う者の傲慢さに反抗したのである。

とありますように、「医者の(おそらく自分では気づいていない)傲慢さに反抗した」のです。

おそらく、この女性は二度とその医師の元には行っていないと思いますが、少なくとも、「余命4ヶ月」と言われたこの女性は、それから 6年半後に、このようなインタビューを受けています。

ちなみに、あえて書いておきますが、私はこの事例を、「余命 4ヵ月といわれた人が 6年半も生きているからすごい」として紹介しているのではありません。そんなことはどうでもいいことです。そうではなく、この女性のように、「《余命○ヵ月》というような無礼なことを言う相手(医師)」に、即座に毅然としてその言葉を拒絶してはね除けることができた人が、日本のガン患者にどのくらいいるのだろうと言いたいのです。

当たり前ですが、「医師に悪態をつく」ことがガンにいいのではなく、自分の命と存在に対して傲慢に立ち向かう者があるなら、それが医師であろうと、従順である必要はないということです。

医師は「あなたの命には今そんなに価値がありません」と言っているに等しいのですから。

何と失礼な言葉!

そして、このとんでもなく失礼な言葉を、もしかすると、毎日のように、今の日本の病院で言われている人たちがいるかもしれないのです。そして、それに従順に従う人がいる。

これは「治療」のことを書いているのではなく、「生き方(あるいは死に方)」の話です。

それと共に、「医者という人たちの立場がすでに非人道的な位置にある」という話でもあります。

いずれにしましても、もしガンなどになった場合は、それは自分が死ぬ時まで継続するかもしれない話の中にあることなのですよ。

「自分がいちばん」真剣になって同然でしょう。そして、そういう人と毎日たくさん合っている医師が「それほど真剣になれない」ことも責められることではありません。

なので、そういう場合に「真剣になれるのは自分だけ」だけだということです。

それなのに、最後の最後まで羊のように医師に従順に振る舞うだけで終わり、場合によってそれでこの世から消えてしまう事例の何と多いことか。

それまで「この世のひとりの人間」として生きてきた人生の幕引きとしては何だか寂しいです。

 

こんなことを書いているのにも理由があって、医学はものすごいスピードで、良い意味か悪い意味かはともかく「進んでいる」からです。

従順に慣れすぎてしまうと、速い段階から、どんどんそれに「引き込まれる」可能性があるからです。

 

そのうち人生の大半が医療にリードされる時代となる可能性もあるのだから

最近は、「ガンのワクチン」だとか、「まだガンになっていない超早期の発見と治療」とかの発表や報道がとても多く、場合によっては、そう遠くない時に、そういうものが「実現化される可能性」が常にあります。

冷静に考えてみてほしいのですが、「どうしてガンになるか」も「どうしてガンが成長するか」も「よくわかっていない」のに、ワクチンができたり、早期発見を促したりしているのかということは、実は奇妙なことなのです。

ガンの「ワクチン」についての報道

livescience.com

超早期のガンの追跡発見についての報道

statnews.com

こういうような報道の内容は今回は特にご紹介しないですけれど、日々こういうものが出ていますので、そのうちまとめてご紹介するかもしれません。

 

現実として、「ガンとは何かということを医学はまだ掴んでいない」という時点にも関わらず、いろいろなものが開発されている。

そして、実用化される中では、そのうち、

「ガンのワクチンの義務化」

というような概念が出てこないとも限らない。

是非は書かないですが、子宮頸ガンのような問題も現実にある中で、そのような「義務」が今後増える可能性もあり得ると思います。

それが「選択を許さない義務」となる可能性も。

たとえば、下の記事で書きましたように、イスラエルでは、「男子への子宮頸ガンのワクチンも義務化されている」のです。

「男の子」も全員に子宮頸がんワクチンの接種義務があるイスラエルの話を聞いて思うこと。そして、 座りっぱなしの生活は「特に体に悪くはない」という最新の研究に見るこの極端な時代

また、最近のイギリスでは、「国民の女性《全員》の乳ガン遺伝子検査」が医学界から推奨されていることも今年の英国の報道で取りあげられていましたので、イギリスで、「全国民の遺伝子スクリーニング」がおこなわれる日も遠くないかもしれません。

検査、そして(効能が不明な)予防ときて、実際にガンになった時には、「余命」などという重い問題を患者に軽く言い放つ医者という人間に「すべ任せる」というように流れていく人生。

もちろん、そのほうがいいのなら、それでいいのだと思います。

しかし、検査や予防はともかく、治療に関しては、一生懸命に生きてきて「最後にそんなのかよ」と少しでも思うのなら、考えるべきだと思います。

西洋医療を避けるという意味ではなく、たとえば、基本的に、

・検査は医療機関が行う

・その後のことは自分で考える

という選択をすることが許されていと思うのですが、たいていは、特にガンの場合は、それを許さない雰囲気が強いです。

 

何度も書きますが、医者の人たちや西洋医学が悪いと言っているわけではありません。「無思考でそれにすべて委ねるというシステム」が出来上がっていることと、「人々がそれに無思考で従っている」ということがおかしいと思うのです。

生きている中でのごく普通のこと、つまり、

「自分の人生は自分で考えて決める」

ということを自分たちが病気になった時に貫いてもいいのではないかなと思っているだけの話でもあるのですが……。

せっかく何十年か自分の人生を生きてきて、どうして大事な命の問題の時に、自分にそのアドバイスをするのが医者なんだ? と、なぜみんな思わないのかが不思議です。

そんな大事な時には、まずは自分自身が自分にアドバイスをして実践することが最初におこなうことなのではないかと。

ガンの自然退縮の記録のリストに載っている人たちは、洋の東西を問わず、ほぼみんな「自分で治療方法を決めた」人たちです(自分で医者に手術方法を命令した人さえいます)。他人に治療を任せた人はそこには出てきません。

このことだけではないですけれど、私たちは常に「人生において考えることを剥奪されている」ということに気づかなければならないと本当に思います。


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