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4月19日にメルマガ私たち現生人類は「鉄の種族」であることから思う生き方を発行させていただきました。

人類の覚醒と真実 地球という場所の真実

なぜ「完全な日食」を気にするのか (それは太陽という存在自体が奇跡だから)

投稿日:

2月26日の金環日食 南米チリ

地球の記録

 

風邪だなんだと、少しやることが溜まってしまいまして、いろいろ終えると夕方になっていました。

本当は、この 2月26日からのしばらくの期間は、なんとなく「不吉な意味で重要」だとは思っていて、そのことを書こうと思っていましたが、きちんとした記事を書く時間はなさそうです。

今年は、日食に関してのビッグ・イヤーではあります。

2017年2月26日には、南米からアフリカで「金環食」が観測され、次は 8月にアメリカ本土で皆既日食が観測されます。

つまり、1年で2度、「完全な日食」が地上から観測される上に、それぞれが「北緯 33度」と「南緯 33度」を通過していくというのですから。

2017年の2つの「完全な日食」

 

そういう意味で、私のような、

・日食=不吉 論者
・33度線=不吉 論者

は、もう大変です。

外国のチープな映画などでは、「良いニュースと悪いニュースがある」という台詞が頻繁に出てきたりしますが、そういう映画では、

「あんたにかかれば、何でも悪いニュースだ」

という台詞もよく聞きますが、私はこういうタイプの人かもしれません。

見るもの聞くもの、何でも不吉に仕立て上げる「不吉の王者」といえる存在なのであります(誰だよ)。

まあ、それはともかく、この今年の日食に関しては、少し前の記事、

もうすぐ「2つの黒い太陽」が南と北「両方の33度線」を駆けぬけていく。その黒い太陽と33度線の双方が示唆するキーワードは……「大量の犠牲」
 2017/02/09

などでもふれましたけれど、今年は、この意味でとても印象深い年なのです。

 

ところで、「 33度線」が、なぜ不吉なのかということについては、近代の歴史と関係している「かもしれない」ということで、33度線に関する過去記事の記事のリンク集を示しておくにとどめますが、

「なぜ日食が不吉だと感じるのか」

に関しては、古代の神話なども多少あるとはいえ、基本的に明白な理由はありません。

しかし、私は「太陽は奇跡であり、完全な存在であり、同時に、日食も奇跡的な事象」だと考えていまして、そこに関係しているのかもしれません。

たとえば、これは物理的な話ではなく、概念としての話ですが、

「完全な日食の時というのは、その太陽からのエネルギーが遮断される時」

だと理解しているという部分もあります。

つまり、完全な日食を受けている時、その地域は、その時間帯に「不完全な状態」にあるというように漠然と考えている次第です。

まあしかし、今はいろいろと書く時間がございませんので、「日食の奇跡」について書いた過去記事から抜粋したいと想います。

それは「日食という現象が奇跡以外のなにものでもない」ということに気づいた時に書きました 2012年6月の、

…私たちは太陽系システムの奇跡にそろそろ気づかなければならない
 2012/06/05

という記事からの抜粋です。

「太陽と月が作り出す奇跡の現象である日食」という存在は、この世の存在そのものが奇跡であることを想像することにまで発展させられるほどの事象だということをご理解していただきたいと思うのです。

それでは、ここからです。

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2012年6月5日の記事「…そして、私たちは太陽系システムの奇跡にそろそろ気づかなければならない」より

太陽と月の日食に関する、どの部分がどう奇跡なのかといいますと、たとえば、私の言葉よりも、日食に関して詳しく書かれている「月と太陽の偉大な一致」という科学サイトのページをご覧いただきたいと思いますが、その中にある次のフレーズなどでもその一端はおわかりになると思います。

まず、前提として、

太陽の直径 1,392,000キロメートル
月の直径  3,476キロメートル

ということ(月は太陽の約 400分の1の直径)、そして、

太陽の地球からの距離 149,598,000キロメートル
月の地球からの距離  384,400キロメートル

ということ(距離の差は約 400倍)。

このふたつの数値を念頭に、先ほどの科学サイトからの抜粋をお読みいただきたいと思います。

月と太陽の概要より 

月の直径は太陽の 1/400で、月の平均距離は太陽の 1/389です。そこで、月と太陽は地球上から見ると同じ大きさに見えます。もし月の直径が 273kmも小さかったり、もう少し地球から遠かったら、我々は皆既日食を決して見ることができなかったのです。月の大きさも地球の衛星としては異常な大きさです。普通、木星ほどの巨大惑星が月ほどの大きさの衛星を従えているものです。こうして惑星レベルで比較すると、皆既日食が起こること自体が非常に驚異的で珍しい現象なのです。

とあります。

ここにありますように、奇跡的な距離と大きなの一致があるのです。

文字ではその実感がおわかりになりにくいかもしれないですので、適当に図を作ってみました。

まず、「太陽」と「月」の直径の差

太陽の直径が約140万キロメートル。
月の直径は約 3,500キロメートル。

その大きさの差は 約 400倍

そして、地球からの「月」と「太陽」の距離の図。横に描くのは長さ的に無理でしたので、縦にしました。

地球から月までの距離は約 38万キロメートル。
地球から太陽までの距離は約 1億5000万キロメートル。

その距離の差は 約400倍

つまり、この、共に「400倍」という差が存在するからこそ、皆既日食や金環日食のような現象を私たちは地球から見ることができるのです。

さらに、この差というのはもっともっと日常的な大きなことも含んでいます。

In Deep の過去記事で、

地球と太陽の組成はまったく違うものというオーストラリア国立大学の研究発表
In Deep 2012年04月06日

というものを書いたことがあります。その前振りで私は日記のようなものを書いていますが、その日、私は、自分の目で初めて「太陽と月が見た目には同じ大きさである」ことを気づいたのですが、実際に同じなのです

その理由が、上の「距離と大きさの400倍の差」によるものです。

▲ 上記の記事で載せた私の部屋から見えた夜の月と、昼の太陽。これを見て、私はアイヌ語における月と太陽の意味。つまり、太陽は「昼の太陽」で、月は「夜の太陽」とアイヌが表現していた意味を知るのでした。

しかし、私はどうして、こんなことを「奇跡」とまで言うのか

それは私たちが教わってきた「宇宙の成り立ちが正しいのなら」まさしくその偶然は奇跡なんです。奇跡すぎるわけです。

つまり、現在の宇宙論では、

宇宙はある日適当にできて、適当な物理の法則で適当にガスや宇宙塵などが集まって、適当に銀河ができて、適当に恒星(太陽)が作られ、そして、そこに適当に惑星が作られて、そこに適当に月など衛星ができていく

となっています。

すべては偶然でしかないという現在の科学。

そんな中で私たちが明らかに目にする日食や「月と太陽が同じ大きさ」だというような奇跡。

この「奇跡」に対しての科学的答えは極めて簡単です。

 

「不思議に思えても、それは全部偶然だから」。

 

だけで答えが終わってしまいます。

そうでしょうか。

ホントーにそうなんでしょうか。

ホントーに単なる偶然でここまでの様々な「目に見える奇跡」が存在しているのでしょうか。

・・・という話です。


 

ここまでです。

もう5年くらい前のもので、書き方は荒いですけれど、この頃から、日食の奇跡性に打たれていました。

そして、「この世に偶然などはないのかもしれない」と思い始めたのも、日食、特に皆既日食などの「完全な日食」が実際にこの世に存在するということを、数値的な意味で検証した時からでした。今でも「この世に偶然はない」という確信は続いています。

そういう意味で、完全な日食は個人的に特別なイベントなのです。

しかも、今年はそれが 33度を舞台に繰り返されるのです。





  • この記事を書いた人

Oka In Deep

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