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2021年からの世界 人類の未来 人類の覚醒と真実 悪魔の輪郭

悪魔的存在と対峙したこの10年。これからのここ、そしてここじゃない場所

投稿日:


2010年12月20日 教会の間に浮かぶ欠けた逆五芒星。コロンビアのグラマロテ。 In Deep




忘れがちだったファンダメンタルを気付かせていただき

最近、メルマガの読者様から、あるメールをいただきました。

その方からのメールによって、新型コロナ以来、もしかすると私自身忘れがちだったかもしれない「このブログの目的」が、再び鮮明となりました。そのことについて、メールを下さった方には本当にお礼を申し上げたいです。

メールの内容は、おおまかに書きますと、

「悪魔とかシュタイナーとか、そんな話は知りたくもないし、必要がない」

というものでした。

そのメールを読ませていただきまして、「ああ、そうか」と気付きました。

新型コロナのパンデミック以来のこのブログは、ともすれば「情報ブログ」のような側面が強くなっていて、「もともとの In Deep のテーマ」が記事の内容からは伝わりにくくなっていたのかもしれないと気付いたのです。

ブログ In Deep は、およそ  11年くらい前に書き始めたものですが、中心的なテーマは、あくまでも、

「人類と悪魔的存在との対峙」

です。

ルドルフ・シュタイナーの存在を知ったのはそのずいぶん後のことであり、シュタイナーそのものも、実際にはブログのテーマの中心に隣接するわけではないですが、「悪魔的存在」というものについて最も的確な言葉をのこしているのがシュタイナーであることも知り、それでよく取り上げさせていただいています。

基本的には、それ以外のさまざまな情報や話題は「人類は悪魔との対峙の渦中にある」ということを補足する伝達に過ぎません

今から十年前の 2011年の3月11日に東北の震災が発生して、その方向性はさらに明確になりました。

私は、2011年3月11日に東北の地震が発生した、その夜から、数カ月間、報道や他のブログなどを含む「すべての外からの情報をシャットアウト」しました。テレビ報道はもともと見ないですが、インターネットのニュースさえ見るのをやめて数カ月を過ごしました。

その間にも In Deep は書き続けていましたが、地震の発生直後から頭の中で「叫び続けている誰か」のその言葉の内容を書き殴る目的のためだけにブログを書き続けていました(このように書くと単なる狂人ですが ← 今は?そんなに変わってねーです)。

地震の直後のブログに、私は、以下のようなことを書いています。自分の意思なのか狂人としての意思なのはわからないです。

2011年3月15日の In Deep より

もし悪魔という存在がいたとして、それがこの 2000年くらいの間におこなっていた最初の試みがあるとすれば、それは「人類の能力を矮小化して人類に伝えること」だったように思います。

そのために、「万能の神」というような概念を作り出すこともする。

 

しかし、それだけに悪魔という存在は「ある事実」をずっと知っていて、そして、そのことを心底恐れているはずです。

 

その「ある事実」とは、それは、

「人類は、宇宙が作り出した最高の能力と身体能力を持った宇宙の究極的な生命である」

ということです。

 

人類がそれに気付いた時には、悪魔などは対峙することさえできないはずです。
だから、悪魔は人類にそのことに気付いてほしくなかった。

しかし、今、日本人が気付くことへの口火を切ったのかもしれません。 旧 In Deep

基本的には、この 10年は、

・悪魔的存在と悪魔的事象を(敵意を持たずに)観察すること

・新しい時代(みずがめ座の時代を含めて)の姿を(希望を排除して)考えること

という作業の繰り返しだったと思います。

というか、実際には、私は二十代からずっとそうです。

22歳くらいの時にパニック障害になった後、「なんで、日々生きるだけでこんなに苦労しなきゃなんねーんだよ。クソが」と、まず「神とかいうものを憎み」、そして、世界の存在すべてを憎むように自分を説得させた後、23歳の時に、当時住んでいた部屋で、「殺せるもんなら殺してみやがれ」と書き殴った紙をナイフで壁に突き立てて、その後、過激な表現活動を始めました。

その後は延々と「全部否定する」という態度で若い時代を生き始めたのです。

 

いやー、そうしたら、人生楽しい楽しい(笑)。

 

「なーんだ、生きてるって楽しいんじゃん。神と宇宙を全部否定して生きれば」とは思ったものの、それでも、何かの折りにふれて、あの時のどうしようもない「反抗心」が出てきてしまうのでした。

しかし、2011年3月の地震は、実際にはすべてを「逆」の作用に導いてくれました。

全部を否定するのではなく、

「すべてを赦そう」

という気に、生まれて初めてなったのです。

あの大震災は、私に神を赦させ、宇宙の存在を赦させ、悪魔さえも赦すことを促させたような事象でした。

東北の震災はそれほど強烈な体験でした。

 

ところが、先ほど書きました、

> 何かの折りにふれて、

出てくる異様に強い反抗心が久しぶりに出てきたのが、今回のパンデミック…というより、それで動き始めた「世界」に対してでした。

「このパンデミックの中心に悪魔的存在がある」

と考えるに至るに時間はかからなかったです。

赦した相手でも、その姿がよく見える位置に立ち直らなければいけない。大目に見られるものなのかどうかを見なければならない。

 

どんな世でも、世の中を動かすためには、多くの場合「ヒステリー」が使用されます。

記事の日付けを見ますと、2012年9月ですので、もう 9年近く前の記事ですが、

殺され続ける詩人シナ
2012年09月12日

 というブログ記事を書いたことがあります。

作家の山本七平さんの『ある異常体験者の偏見』から抜粋してご紹介したもので、全体は、上の記事をお読みいただければと思いますが、「シェイクスピアの戯曲に出てくる光景と、ご自身が捕虜収容所で経験したことが、まるで同じだった」ことが書かれてあります。

人々のヒステリーによって、詩人シナが大衆にぶち殺されそうになるジュリアス・シーザー(1599年)のシーンと、ご自身が 1945年にフィリピンの収容所で「同じように大衆にぶち殺されそうになった」経験が「まるで同じ描写」だったことに驚きを表されています。

著作から抜粋した部分の冒頭は以下のような記述でした。

社会の混乱、あるいは混乱を扇動する際の歴史的な事実を書かれています。

山本七平『ある異常体験者の偏見』(1973年)

原則は非常に簡単で、まず一種の集団ヒステリーを起こさせ、そのヒステリーで人びとを盲目にさせ、同時にそのヒステリーから生ずるエネルギーが、ある対象に向かうように誘導するのである。これがいわば基本的な原則である。

ということは、まず集団ヒステリーを起こす必要があるわけで、従ってこのヒステリーを自由自在に起こさせる方法が、その方法論である。

これが、16世紀の『ジュリアス・シーザー』に描かれ、1945年の捕虜収容所でも起きていたと。

そして「同じことが歴史の中で繰り返され、今後も繰り返されるのかもしれない」と。

もう一度読まれていただきたいですが、

> ヒステリーで人びとを盲目にさせ

から思い出す「歴史的事象」が身近にあることがおわかりではないでしょうか。

今です。

新型コロナウイルス下の社会も、これと同じです。

> そのヒステリーから生ずるエネルギーが、ある対象に向かうように誘導する

そして、山本七平さんは以下のように記しています。

扇動された者をいくら見ても、扇動者は見つからないし、「扇動する側の論理」もわからないし、扇動の実体もつかめないのである。扇動された者は騒々しいが、扇動の実体とはこれと全く逆で、実に静なる理論なのである。(ある異常体験者の偏見)

おそらくは、どんな混乱でも、扇動を起こしている首謀にいる「側」は、

> 実に静なる理論

と共にあると思われます。

今も同じはずです。

ここに対抗するためには、こちらも「静なる理論」で立ち続ける必要があると思われます。

新型コロナウイルス以来のブログ記事では、以前の記事と比較して「数」や「統計」が、やたらと出るようになっていますが、その意味は、

「対峙する側の武器が数と統計だから」

です。

このことについては、先日のメルマガには以下のように書いています。

2021年2月12日発行のメルマガより

記事「血管に注入された新型コロナのスパイクタンパク質…」に、ルドルフ・シュタイナーの1919年の議事録「アーリマンがやってくる!」というものの一部をご紹介したのですけれど、そこに、このシュタイナーの議事録から、

> 数字は、アーリマンが特定の方向に人類を誘導するために使用するツール

という部分などを記させていただきましたけれど、他の部分を見ますと、正確には、「数字と、そして統計」なんですね。

これがアーリマンやルシファーといった方々の「取り入れた手法」だとあります。

この議事録を見ますと、以下のような部分がありまして、現代への文明の中で「最初にそれが人類の生活に取り入られた」のは「古代の中国」だとシュタイナーは述べていました。以下のように議事録にはあります。

1919年のシュタイナーの議事録より

紀元前三千年紀の中国でのルシファーの化身(受肉)から始まり、ゴルゴタの秘蹟に続く時まで続いた文化は、強力なルシファー文化でした。そこから何かが発せられ、それ(ルシファー文化)はキリスト教の初期の世紀から強く作用し、私たちの現在の時代でも作用し続けています。

最初に悪魔的存在が人間として登場したのは、シュタイナーによれば、中国だったようです。

(略)

新型コロナのことを別にしても、この「数字と統計」というのが、現代社会の「エビデンス」のすべてを牛耳っていて、あるいは「理論性」というようなものもそうですけれど、そういうものを表面に出さなければ、理屈として相手にされないことは事実です。

そういうこともあり、結局、

「悪魔的思想に対抗するには、悪魔的思想の対抗法しかない」

ということも、現在に関しては言えそうで、私が執拗に「数」と「統計」と「理論的帰結」にこだわるのもそこだと思います。

「善良な精神性で戦う人」では、今の勢力に対抗するのは難しいかもしれない……とは思っていまして、結局、「そういう良心を持つ人たちが、いつか社会に台頭できる世の中」になるまで、こちら側(何の側かはわからないですが)もまた、

「悪魔的手法で対抗、反抗するしかない」

のだろうなと。

数、統計、エビデンスという手法で。

 

現状もですが、今後も「感情」はあまり通用しない世界が続いていくと思われます。数と理論だけが敵となるのなら、対抗する武器もまた数と理論しかない。

しかし、それだけに、個人個人の方々は、今まで以上に「感情」を大事にすべきだとも思いますが。

感情は人間だけのものなのですから、他には変えられないものです。

いずれにしましても、40年前に山本七平さんの本を読んで、「ヒステリーに巻き込まれないこと」を中学生のときに学んでいたにも関わらず、軽くヒステリーに取り込まれそうになっていた自分に気付かせていただきました。重ね重ね感謝したいと思います。

なお、最初のほうに「悪魔と対峙」と書いていますが、これは、対峙の意味通り「向かい合って立っている」というだけで、決して「対決」だとか、「打倒」だとか、そういうような概念は含まれません。もちろん、非難とか罵倒という概念も含まれません。

イエス・キリストでもお釈迦様でもルドルフ・シュタイナーでも、「悪を倒す」というようなウルトラマン的発想を唱えた存在はいません。

ただただ、

「合理的に見続けて考えなさい」

と言っています。

今のような状況の世界では、この「合理的に考える」ことが実は最も難儀なことであることも理解しますけれど、これは重要なことです。

これからの数年間、十数年間で私や皆様方の周囲で現実として起きていく信じられないようなことを、このように合理的に見て考えていくことでしか、未来は成り立たないという不思議な世界に私たちはいます。

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