2018年2月21日の英国インディペンデントの記事より
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最近「体がアルコール代謝を拒否している」ことに気づいた時に偶然目にした記事は……
今回ご紹介する英国インディペンデントの記事は、偶然目に入ってきたものなんですが、ネイチャーに発表された論文の内容を紹介しているのです。そしてその内容は、タイトルにありますとおり、
「人類の中にアルコールを拒否する遺伝子が新たに出現している。しかも、おそらくは全世界的に」
という可能性を示唆したものです。
これはですね。実は最近の私にとっても、こう、とても「おおおーおおおおお」と思った記事でもありまして(それじゃ感情がわからないよ)、しかしそれは、またえらく個人的なことになりますので、先に冒頭の記事をご紹介させていただこうと思います。
これは、アルコールを飲まれる方にも興味はあるものだとは思いますが、何より、この何年もの間、たとえば日本での話としてですけれど、ずっと、「若い人たちがアルコールを飲まなくなった」ということは言われ続けています。
その原因についてはいろいろと言われているのかもしれないですが、「社会的」あるいは「経済的」などの部分で語られるところが多い気がします。
しかし、もしかすると、純粋に、
「人間の体内の遺伝子が進化している」
のかもしれません。これは一種の「突然変異」のようなもののようです。
本文でもわかりますが、この遺伝子の変化はアルコールの代謝と関係するものですので、そのように変異した遺伝子を持ちますと、アルコールの分解が「最初の段階(アセトアルデヒトになる前)から機能しない」ようですので、「飲もうとしても飲めない」ということになりそうです。
そして、本文にあります下の部分、
「直接の遺伝子上の遺伝的体質を持たない様々な集団において同時に出現したことが発見された」
「この選択圧(進化論でいわれる、生物種に存在する突然変異を選択して,一定の方向に進化させる現象)は、本研究で対象とした四大陸全体にわたって作用していると思われる」
から見ても、
「この遺伝子の変化、あるいは進化は全世界規模で起きている」
といえる可能性が強いのです。
というわけで本文です。
その後に、補足と、ちょっと個人的なことを書かせていただくかもしれません。
Humans ‘evolving gene’ that may stop us drinking alcohol
INDEPENDENT 2018/02/21
人類の「進化した遺伝子」は私たちにアルコールをとることを止めさせるかもしれない
新しい研究によれば、人類は現在、アルコールを接種することに対しての「有害な物理的応答」をもたらす遺伝子を発達させている可能性があることがわかった。
ヒト集団全体にわたる遺伝子の陽性選択の最近の傾向を調べると、アルコールに対する「有害な物理的応答」をもたらす遺伝子の変異体が、直接の遺伝子上の遺伝的体質を持たない様々な集団において同時に出現したことが発見されたのだ。
科学者たちは、人間が進化し始めていると確信しており、私たち人類種は将来、アルコールを接種することをやめているかもしれない。
米国ペンシルベニア大学の 2人の研究者が執筆したこの研究は、科学誌ネイチャーに掲載されている。
彼らは、4大陸の 20の人口集団からの 2,500人分のデータを分析するために、1000個のゲノムプロジェクトの知見をフィルタリングして結論に至った。これは、ヒト変異および遺伝子データをカタログ化した 7年間におよぶ研究の結果だ。
研究者たちは、アルコール分解を助けるためにヒトに通常存在するアルコールデヒドロゲナーゼ(ADH / アルコール脱水素酵素)と呼ばれる一群の酵素が、酵素活性を増加させる遺伝的変異を見出し、その代わりに「アルコール摂取に不利な物理的応答」をもたらすことを発見した。
この場合、アルコールが効率的に分解されないため、アルコールを飲んだ人は気分が悪いとだけ感じ、さらに飲み進めたりすることはなく、あるいは、アルコール依存症になるような飲み方となることもほぼなくなる。
この遺伝的変異は、1つの集団の中だけで見いだされたものではなく、4大陸のそれぞれ異なる場所の 5つの集団において観察されたもので、ここから、その変化が遺伝子上の遺伝的体質の産物であるとは考えにくかった。(※訳者注 / このことは特定の土地や民族の固有の遺伝とは関係ない可能性が高いということ)
研究者たちは、「これらが、共通の先祖からの遺伝子の分岐や流れなどの事象によって、どのように起きたのかという疑問が提起される」と論文で述べている。
また、彼らは、「非常に低い頻度で、適応的に有利な対立遺伝子を導入した場合に、私たちが観察した痕跡につながる可能性はあるが、しかし、今回の研究でのこれらの遺伝子の発現はそれぞれが独自のものであることは明らかだと考えられる」と記している。
著者たちは次のように付け加えた。
「これらのパターンをまとめてみれば、アルコール代謝経路は、広くヒトにおいて最近の陽性選択の対象となっていることを示唆している」(※訳者注 / 難しい表現ですが、おそらく「現在の人類の遺伝上の進化の中で、アルコール代謝についてのことがらが選択されている」という意味だと思います)
「このアルコール代謝経路の遺伝子は繰り返し(進化の)標的とされており、これらの場所で複数の事象が分離されているところから、この選択圧(進化論でいわれる、生物種に存在する突然変異を選択して一定の方向に進化させる現象)は、本研究で対象とした大陸全体(の人種)にわたって作用していると思われる」
ここまでです。
わりと難しい言葉が並んでいるのですが、結局は「アルコールは、いくつかの酵素によって消化分解されて体内で無害となる」のですけれど、その流れが「働かなくなる遺伝子」というよう読めます。
アルコールの大部分をアセトアルデヒドという物質にするのが、文中にも出て来る「アルコール脱水素酵素」というもので、今回わかった変異した遺伝子を持つ場合は、
・このアルコール脱水素酵素が効率的に働かない
ということなのだと思います。
アルコール脱水素酵素によって作られる「アセトアルデヒド」は毒性があり、気分が悪くなったりするのも、このせいだと言われています(確定している説ではありません)。
アルコールが体内で水に代謝されるまでの仕組み
・hakko-omugi.jp
このような仕組みの中で、「遺伝子が進化した人たち」は、このアルコール分解の最初の段階の「アルコール脱水素酵素」の部分で効率的な働きがなされず、おそらくは、「アルコールをとることで、ただただ体調が悪くなるだけ」ということになってしまうということなのかもしれません。「酔うけど、後で気分が悪くなる」ということではなく、いきなり不調になるのではないかと。
ちなみに、これは「一般的な意味でのアルコールに弱い」というメスニズムとは違うことには注意したいです。
この場合の「強いとか弱い」というのは、「アセトアルデヒトの分解」についてを言っていて、つまり「アセトアルデヒトをよく分解するか、しないか」ということを述べているものです。先ほどの図では、右下の「アルデヒト脱水素酵素」というものが関係しています。
しかし、今回のべられている遺伝子変異は、それよりも前の段階のことであり、つまり、
「アルコールを分解する能力自体が完全にない」
という可能性と関係するもののように考えられます。
うーん・・・。ここで個人的なことも書こうかなとも思っていたのですが、他の方々にはどうでもいいことですし、長く書くのはやめておきます。
簡単にいいますと、最近、私は「突如としてアルコールを受付けなくなった」のです。
もともと大変な量をたしなんでいた人で、その頻度に関しましても、たとえば「休肝日」というものは、少なくとも過去二十数年に関しましては、おそらくは、「病気の時以外はない」という生活でした。そんな生活でも、昨年の「 23年ぶりの血液検査…」という記事で、胃の調子が悪く内視鏡検査をしたことを書きましたが、その際 23年ぶりに血液検査もしまして、「どこも悪くない」ということになりました。肝機能などは健康そのものの数値でした。
しかし、そういうこととは関係なく、「どうもアルコールが体の中で分解されていないような……。代わりに何か他の作用となっている」と感じることが出てきたのです。アセトアルデヒトによる悪酔いとかそういうものではなく、「体に入ったアルコールが何もなされていない感じ」とでもいいますのか。
そのように気づいてから、わりとあっという間に「ほぼ受け付けなくなった」のでした。
このあたりの進行状況は結構「突然」で、しばらくは戸惑いました。
ほんの少し前まで一日一升程度までなら二日酔いさえない人だったのですけれど、今はそういうようなことになっていて、最近もたまに実験的に試してみたりしていたのですが、やはり同じですので、基本的にはやめてしまいました。
まあ、私の場合は、進化というより単なる老化の可能性も高そうですが、老化にしてはあまりにも急激な変化ではあるとは思っています。
他にも数か月前くらいから、味覚だとか、他にもいろいろと変化は起きていたのですが、それでも私個人の場合は、基本的にはすべて老化ということで構わないですが、しかし、今、世界全体で見れば、アセトアルデヒトへの反応よりも前の段階として、
「アルコールの代謝を体そのものが拒絶する人類が増えている」
ことになりそうで、そしてそれが「代々と遺伝していく遺伝子なら」、もしかすると、未来の人類はアルコールとは無縁の社会を生きることになるのかもしれません。
私たちの世代から見れば寂しい話ですが、しかし「未来はそれでもいいのかな」という気もします。
そして、おそらく「そのような未来の子ども」はすでにたくさん生まれていて、社会の混乱が過ぎた後に彼らのそのような社会が出来ていくのかもしれません。
それにしても、これに関しては、日本などでさらに大規模な調査をすると面白いかもしれないですね。