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2020年からの世界 アメリカの憂鬱 人類の未来

パンデミック、経済崩壊、そして完全な社会的崩壊

投稿日:2020年6月7日 更新日:


economicprism.com




 

ガンジー像まで攻撃されるという逸脱した混乱の中で

アメリカの抗議デモというのか「暴動」というのか何というのかわかりませんが、そのアメリカの混乱は、収まっているわけでもないようで、今日 6月7日の報道によれば、以下のように、全米でさらに大規模なデモが起きているようです。

全米で抗議デモ続く、海外にも拡大-首都ワシントンは最大規模

白人警官による黒人暴行死事件に抗議するデモは6日も全米各地で続き、首都ワシントンなど一部ではこれまでで最大規模となった。

米国内ではジョージ・フロイドさんが死亡したミネアポリスやシカゴ、ロサンゼルス、ニューヨーク、アトランタなどでデモが行われ、海外でもロンドンやパリ、ブリスベンに活動が拡大している。 Bloomberg 2020/06/07)

ここ数日は、それほど暴力的な行動は行われていないようですが、しかし、6月5日には、首都ワシントン D.C. のインド大使館に設置されている「ガンジー像」が、ペンキなどで攻撃されるということが起きています。

ペンキで攻撃されたインド大使館のガンジー像

Indian Embassy US staff reporting vandalism of Gandhi statue

他の写真を見ますと、ガンジー像の足下には、ペンキで「人種差別主義者 (racist)」と殴り書きされていて、もう何が何だかのカオスになっています。

そして、いろいろな方向からの扇動がアメリカの各地で見られていて、これについては、以下の記事で「不可解な点」などをいくつか取り上げさせていただいていますが、そのような「違和感」も継続しているようです。

粛々と扇動される内戦 : 暴動を鎮圧するための米連邦法である「反乱法」がアメリカで28年ぶりに発令される可能性がある中、全米で見出される不可解なこと
In Deep 2020/06/02

アメリカのある大都市に住まれているお知り合いの女性の方が、メールをくださいまして、その方の住まれている街にも「レンガが積まれている」のだそう。

そして、現地にいて最も解せないこととしては、その市の市長さんは、

「平和的デモは歓迎します」

述べていたそうなのですけれど、今にいたる時期のアメリカで必ず当局から言われることは、「ソーシャルディスタンスを保ち、マスクを着用するように」という指示です。アメリカの多くの都市では、今はそれが義務づけられています。

ところが、

「その指示もナシ」

なのだそうです。

デモを行うのなら、ソーシャルディスタンスもマスクもどうでもいい、と言わんばかりの状態だそうです。

まるで当局(の一部)が「むしろ混乱を望んでいる」という姿勢が、あちこちに垣間見えますが、そのあたりの闇は深くて、背景を想像することも難しいです。

なお、先ほどリンクしました過去記事「粛々と扇動される内戦…」では、このタイトルにありますように「内戦」という言葉を使わせていただいていますが、米メディア「セイカー」の 「アメリカ社会の体系的崩壊が始まった」というタイトルの 6月4日の記事で、著者は、今、アメリカで起きていることは、

「内戦でも革命でもない」

として、そして、これは「反乱」であるとして以下のように述べていました。

これは、アメリカ社会の体系的な崩壊を引き起こした反乱だ」

内戦、革命、反乱の区分は、私たち日本人には難しいものがありますが、語義上の定義はともかく、この中では、「反乱」というのが、最も「最終目的意識がない」ものであり、つまり、政権奪取等とは関係のない、

「単なる大混乱」

と関係するものです。

この記事では、結論として、以下の点を上げていました。

結論1: これはフランス黄色いベスト運動のアメリカ版ではない。

結論2: これは革命でも内戦でもない。

結論3: これはアメリカ社会の体系的な崩壊を引き起こした反乱だ。

記事の後半には以下のような記述があります。

私たちが今見ているのは、アメリカ社会の体系的な崩壊だ。

これは、アメリカ合衆国が完全になくなるということではない。しかし、ソビエト連邦が完全に崩壊するのに、ほぼ 1983年から 1993年までの 10年以上かかったのと同じように、アメリカが完全に崩壊するまでには何年もかかる。そして、1999年に新ロシアが結局形になり始めたのと同じように、現在の崩壊から新しいアメリカが生まれてくるだろう。

このような完全な崩壊と最終的な崩壊は非常に稀なことであり、多くは、長い期間の非常に危険な変化の過程を開始することにはなっても、その結果がどうなるかを予測することはほとんど不可能だといっていい。The Saker

この「アメリカが、社会の体系的な完全な崩壊に向かっている」ということは、私もそうだと思いますが、しかし、この記事の著者の記述には、どこか「自然発生的な事象」という感じがしますけれど、それだけではない要素が多くありそうです。

レンガは自然発生的に積まれませんし、黒人差別抗議デモであるならば、ガンジー像に「差別主義者!」という落書きはされないはずです。

ところで、今回のタイトルにあります「パンデミック、経済崩壊、そして完全な社会的崩壊」というのは、アメリカの金融メディアの記事にこのタイトル通りのものを目にしたのです。

今回は、その記事をご紹介したいと思います。基本的に金融メディアの記事ですので、そのことについての内容です。

アメリカの知識人や経済専門家たちの中には、たとえ一部であっても、このような「アメリカ社会の完全崩壊」を今回の抗議デモに見ている人たちがいるということになります。

 


パンデミック、経済崩壊、そして完全な社会崩壊

Pandemic, Economic Collapse, Full Societal Breakdown
Economic Prism 2020/06/05

共生の不調和

西洋文明の安定性が激しく揺さぶられている。パンデミック、経済崩壊、そして、完全な社会的崩壊を見ているのだ。

先週の日曜日(5月31日)、私たちのアメリカの多くの都市で、平和的な抗議行動に続いて起きた、暴動、略奪、そして放火の破壊者たちを警察は止めることができなかった。その後、国家警備隊(軍隊)が、略奪を鎮圧するために召喚された。

パンデミック、経済崩壊、そして完全な社会の崩壊がアメリカ中の多くの都市で繰り返されている。それぞれ、「今」それが起きていて、そして、「ここ」でそれは起きている。

政府のパンデミックでのロックダウン命令から、次にはアメリカ政府は、夜間外出禁止令へと移行した。もともと昼間もロックダウンされていたものが、夜になったというだけで、流れは同じだ。

しかし、この 2つには微妙な違いがある。主な違いは地方自治体の公共サービスについてだ。パンデミックでのロックダウンではなかったこととして、公共サービスは、私たちの携帯に、午後になると、まるで迷惑メールのように「外出しないように」というメールを送りつけてくる。

今、何が起こっているのかをよりよく理解するたるに、次のことをよりよく予測し、計画してみたいが、どこから始めればいいのだろうか。

ヒューマン・ロデオ

今起きていることは、まるで、ロデオか牛の群れによる暴走のようだともいえる。もともとは牛は無害だが、しばしば、牛たちは集団での激しい行動を起こす。牛の集団での暴走は、突然の驚愕、または突然の知覚による脅威などから起きる。牛の群衆が集合的に一方向に動き始めると、その道の途中にあるものすべてが排除、破壊される。

牛の暴走の場合、その牛たちを牧場主が抑える唯一のチャンスは、群れに変化を与えるために発砲することだ。成功すれば、牛たちは巨大な円を作り、収まる。牧場主がいなければ、牛たちは崖から逃げるだろう。

現代人も、牛のように群衆行動を起こしやすい。いや、牛以上に、人間という動物は、ほとんどすべてのものを極端化する傾向がある。

たとえば、宗教の巡礼、スポーツイベント、音楽コンサート、大晦日のお祝い、政治的集会、平和的な抗議運動など、その多くが「極端化」することを見てきた。たとえば、2015年には、サウジアラビアでのイスラム教の大巡礼で、殺到した人々が次々と倒れ、2400人以上が死亡した。

金融市場もまた、サウジアラビアの事件と同じように、暴徒が倒されるための無数の道を開いている。希少性と豊かさへの恐怖と貪欲な見通しは、極端な人間の愚かさに対して驚くべき機会を提供する。

過度の熱狂、パニック、および市場の暴落は、衝撃的な規則性を伴っている。

大量の投機が、取引の一方の側に積み重なった後、本来なら、彼らは最終的には、コースを逆転させて、別の方向に投機しなければならない。しかし、その「逆転」の正確な時と期間は一般的には決して明確ではない。

結局、パニックと市場の暴落が来ると、多くの人たちはサウジアラビアのように踏みにじられる。

パンデミック、経済崩壊、そして完全な社会崩壊

社会的なムードと集団的な動きを事前に正確に予測することはできず、後になって、それがわかるのが普通だ。ただし、静かに地面に耳を傾けると、「そこに近づいてくるもの」のささやきが聞こえる場合がある。

たとえば、1930年代(大恐慌の時代)の主な教訓は、そのような時には、借金をするべきではなく、銀行システムではないところに大量の現金を保管しておくべきだということだった。大恐慌時代の他の教訓は、自宅に菜園を作ること、そして、アルミニウムのスクラップと小麦粉と砂糖を購入することだった。

しかし、このような 1930年代の大恐慌の教訓に耳を傾け、1970年代まで現金を保持していた人々には、購買力の大幅な喪失という酬いが襲った。すでに時代の景観は、すでに変化していたのだ。

1970年代の主な教訓は、「人は大量のお金を借りるべき」だということだった。

そして、現金は隠しておくべきものではなくなった。借りたお金を使ってどんどん家を買うべきであるという教訓に変化していたのだ。 1970年代には、住宅価格は急騰し、借金の実質的債務負担はすぐに半分になった。

1960年のアメリカの住宅価格の中央値は 11,900ドル(130万円)だった。その後、住宅価格は 1990年までには、79,100ドル(860万円)になった。仮に住宅を 30年間のローンで購入したとすれば、上昇し続ける住宅の実勢価格と照らし合わせると、1960年に購入した住宅の毎月のローンの支払いは、どんどん低くなっていった。

そして、物価も上がった。1960年に 1ドル(109円)で購入できたものは、1990年に購入するためには 4.42ドル(480円)かかるようになった。住宅価格は、その消費者価格の 2倍に近い率で上昇した。

結局、1930年代の教訓を得た人たちは、徹底的に借金を回避した。

しかし、1970年代に教訓を得た人たちは、その逆で借りまくって生きた。

では、私たちが学ぶべき教訓は何なのだろう。

リーマンショック時の大不況からの教訓は、FRB(中央銀行)は、消費者物価の上昇なしに、何もないところから生み出される無制限の信用で金融市場をあふれさせることができるということだった。

しかし、多くの人たちは当然、この教訓に疑いを持っている。

ご存知のように、FRB の安価な信用が株式、債券、不動産に流れ込んだ。金融資産を所有する階層の人たちは、この流動性の高まりから恩恵を受けた。しかし、労働者階級と中産階級の労働者たちは、そのような恩恵は得なかった。

そして、経済状態が落ちつく中でも、FRB は再びそのふざけた態度を取り続けた。

しかし今回は、大企業や金融市場の救済だけでなく、国民も救済を要求している。そして、現代の通貨理論(MMT)の観衆は、過去 10年間の教訓と、物価が上昇していない点から、紙幣を無制限に印刷することを正当として指摘することができるようになってしまった。

しかし存念ながら、これが完全に間違った教訓であることがわかるだろう。

経済生産が落ち込み、失業率が急上昇した場合、自由資金は富の格差問題を解決しない。むしろ、社会的な不和、不満、不協和音とともに、人々をひどく苛立たせるだろう。

今、私たちは「パンデミック、経済崩壊、完全な社会的崩壊」というフレーズを知ることになった。

このフレーズは力強く、確実なものだ。

 
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